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作品名:生命体機関の存命 作者:ヤクタワ

第2回   2
・正義感とは決して、悪性を逆手にとった形で振るうものではない。
なぜなら、資本主義の上では優先順位が資本になるからである。

これは法則的でもあるが、本来在るべき真理に反するからである。

先ず我々は資本主義と言うものの真理・正体を悟り、それを実直に受け止める必要がある。

資本主義を受け入れるだけでは、自己犠牲になりかねない。
そもそも自己犠牲はしないようにするものである。

この場合多いも少ないもない。

自己犠牲自体をしない方が良いのである。

肉体的・精神的に自己犠牲を負うくらないなら、危険予知的に予防活動するべきである。

資本主義の特徴について、まず今に至るまでの歴史があるが、其の膨らみは最早、過剰・不調和と言える。

平和主義・永久真理・永久機関・未来・世界機関・国際組織・普遍価値・不変価値・生命体主義

存命第一主義が前提である。

資本など其の前では道具に過ぎない、時にはそれ以下と成り果てる

私が根幹にしている主義主張はここである。

このパラダイムから世の中を見ると、本質的に大切なものが分かる。

生き物にとって、更に人間にとって価値観ほど重要なものはない。

存命に関わる事ほど、実に重要なのである。

その価値観の優先順位こそ、我々が要する基本活動である。

資本主義社会には資本主義社会の風潮や習慣、考え方がある。

存命主義は現実おいて在るべき手順である。

はっきり言って、どんな主義もこれを基盤においているから、手法的に主義を通しているだけである。

後はそれにより良く適しているかどうかである。

だが逆にその根本的な意識・存命思考を後回し・放置して、資本主義活動に意識を向け精を出してしまえば、本末転倒となってしまう。

当然なのだがこれが非常に危険であ
る。

お金イコール命と言うとんでもない変則方程式になりかねない。

こうなっては個人の人格性は崩壊的となってしまうだろう。

道徳は単純に今ある命に基づいて感覚を働かす。
だから体得感を真近に即効で感じ取ることが出来るのである。

殆どの人間が道徳と常識を順序的に、或いは前提・同義くらいに使ってしまっていることだろう。

そもそも道徳自体は其の通りの事ばかりなのだが、資本主義・法治国家の前提では勝手が全く異る。

そうなると個人的に培った道徳・一般常識・教養と言われるものは資本主義・法治体制に反していることの方が多くなる。また優先順位の在り方すらも崩壊的になってしまう。

更に現実は自由かつ自然である。

法則性が生じたり、法律・経験的反応・自己流などと言った人為的作用が働く。

自由と空間を埋め尽くしたつもりでも、直ぐに自由・空間が広がっている。

私達は整理の尽きないほどの空間に居る為、自由を持て余し兎に角、闇雲に物事を行うのである。

行動自体の基本的な意義が分からないから、躁鬱となってしまう人がいるのである。

生命体にとって、更に我々人間にとって、価値観は重要な道標となり、生命活動の作用性・機能性は目標へと向かうようになる。

元来どの生き物にも本能がある訳である。

そこに二次的に文化・主義・集団性が調和を創り、平和・未来へと繋がっていくのである。

その活動に大義を覚えるのは非常に健全で正に元気なことである。

ただし、行く末を案じなければ思い付くままの手探りとなってしまう。

私達は自然の絶対的空間の中で生きているのである。

資本はその手段でしかない。

託すものを履き違えれば、其れ相応の自然の摂理が自ずと働く訳である。

私達は私達を裁かなくても、常に自然の摂理に晒されている訳である。

資本で幾ら欲望を果たそうとしても、自然の摂理は更に先を行った現象を起こすことだろう。

果たして資本主義でその自然との調和を計る事が出来るだろうか?

もっと真当な道の見通し・パラダイム・道徳はないだろうか?

どう考えてもある。

人は文化人として・自然人として、独特で特有の文化を創造してきた。

そもそも、我々は創造性という機能を持っているのである。

その力をそのまま恐れて神さまを創造した事なんだろう。

少なくても創造することによってその大半が、目安にはなる。

重要なのはその目安の効果性である。

目安とはとどのつまり、現象の

統合性の原理は、逆算と調整・調和、整理に

生命主義とは、どの場合・条件においても個人に必要な権益であり、尚且つ総括的な視点に立ち、秩序に関する優れた視点を抽出する、最大の機能だ。

生命あっての秩序であり、生命無くして何も始まる事はない。

現実は利益という、個人的で欲望のままの世界かもしれない。

だが、それでも生命始まらずして成り立つ欲望があるだろうか。

生命主義という視点はこの様に、本来の生命に於ける可能性を身に感じ取ることが出来る。

生命主義は資本主義世界以上の秩序、理想の在り方、調和的・全機能的な技法を編み出す事が出来る。

資本主義という、生命と資本の同一化を計るような政策運動は、その本来の生命の尊厳に傷を付け、楽しみ面白ろ遊ぶ様なものだ。

人間同士の世界では、常に誤った統一化を計り、常に同一でない価値を常識化し、常に調整不足を訴えているのだ。

資本主義世界とは簡単に言うとそんなものだ。

資本主義世界は経済する事が理念である、だからこそ利益を優先する。

生命主義とは生きる事が理念である。

だからこそどんな手段も選ぶ。

だが、やり方で効果が変わる。

・資本主義社会は変態になり易い(笑)

無限・永久・平和・法則

理性を旨く操作出来ない、しかも集団性を行使しずらい

今直ぐには変えれないから全ての事柄が仕方なくなる

資本主義で生命の尊厳を真に尊重することが出来るだろうか?
例えそのやり方で出来ても、嵌まり切らないのが現状だろう。

生命というものに、合理的な尊重をもたらせれないのは、生物としての罪かもしれない。
遺伝子の繰り返しと同じ位、進化の無いことである。

ましてや人間は文化をこよなく愛しているのに、野望と欲望と自己満足のための手法を何処までも肯定している。
集団性の中での計り競い合いが、個人技の基本となるのである。
私達は幾らでも反対側の立場に立つことが出来る、的があればその周りを大体突けるというわけだ。

個人と集団と形式を理性的・合理的に統制・操作・法制するだけの与えられた自由を常に我が物にせんがために、その習慣を断ち切ることもせず、そこから一歩這い出るのではなく(もちろ理性的・合理的にだが)
自由と模索で錯綜し、結局焦りに飲み込まれるのである。

行動は煽りから行うのではなく、理性や合理性から行うものである。

知ってるから行える、知るために行う

そもそも我々は生き物であるという、最大のステータスがあるのに、なぜその矛先が資本活動を通した貢献なのか?

だが資本主義をどう思うのは勝手だが、その主義様式意外の集団性で統制されている所は殆どない。

言ってしまえば、資本主義ならではの礼節を知らない分、野性的な心象になる

どの枠組みにも回り込んだ上で働き掛けれるということである。

それは善悪のどちらにもだ。

私達は生命体である。

だからこそ、命を生きているという最大の権利を活用しているのである。

それが決して大袈裟なことは無い。
単純で大切な物、それは命である。


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