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作品名:生命体機関の存命 作者:ヤクタワ

第1回   生命主義と資本主義
資本主義は個別化を測るだけ!の間違った道理、パラダイム、見方である。
そもそも個別化すること自体、然程重要ではない。
資本主義経済する事がそんなに難しい訳が無いと断言しておきたい。

我々人間という生命体が生命活動を行う上で、資本主義というもの自体、一主義・一主張に過ぎない訳であるからだ。

私達が想像した主義主張を、私達が行使しているに過ぎない。

そこに生贄も自滅も破壊も競争も奪い合いもいらない。

自分勝手と自由は混同してはらない。

自由と文化の中で中立であるべきだ。

資本主義で経済して行くという手法で、未来に対してより平和的・調和的な活動を行うと名目で、この資本主義と言う主義・主張、或いは手法として考えれば良いのである。

だが愚かなことに、他者からどう奪い取るか?と悪案する輩がいる。

なぜ悪案を練る必要性があるのか?

不安だからか?緊急だからか?欲しいだけなのか?自由だからか?

何れにせよ本来の道徳意義に反している。

1人1人の人間は他者と環境へと適応していく必要性がある。

そもそもそれが1番の主体性と言っても良い。

資本主義は我々をより良く保持していく為の手法として経済し、より創造的な所へと調和的活動をして行けば良いのだ。

我々が不安や焦りを感じるとしたら、それは資本主義という経済活動の先駆者・潮流に付いていけないからではない。

最大のネックは私達の生命体維持に関する、生命活動の支障にこそ不安や焦りがあるのだ。

もしお金欲しさに焦っているのなら、それは物事を比較的になり過ぎて、良し悪しと本質的な生命活動というものを混同しているに過ぎない。

先程も言ったが、我々は生命体として、生命の為の活動を行う以外にあり得ないのである。

例え現実が何かしらの欲望や野望に満ちた主義主張や、世界観であったとしても、生命感・生命活動というもので括ることが出来る。

我々は生命体という、事実・真実・現実があるにも関わらず、自分自身を社会的・人間的・文化的・比較的なステータス化を行い過ぎている。

全ての事を一つの概念で括ることの出来る文化・社会を操作・作用している側の筈の我々が、なぜ意地汚くも、万物の一部を侮蔑する必要があるのか。

これは見方・習慣・風潮・知識の何れにせよ問題があるからだ。

生命にとって大切な物事なら分別・取捨選択する必要もあるだろうが、基本的に生命としての拠り所となる事柄では一切ないと言える。

私達にとって意味・意義・価値観とはなんだろう。

これらはとても重要である。

集団性・文化活動・学術研究など、これらの活動・意義において非常に重要な役割・機能・効能となるからだ。

更にこれらは習慣と風潮・風習となり、長期的な生活価値観となる。

価値観と言うと比較的に捉えがちになってしまうので、効能性とでも言った方がよいのかもしれないが、

私達には全能性という能力備わっている。

神・理想・理念・調和・整理・整頓・逆算・平和・完全・充実・永遠・研究・達観・生命・文化・創造・思想・歴史と、これらは1人1人に内包されている。

私達はこの機能性を大いに活用すること事が出来る。

・人間性主観と生命体主観

人間は万物の一部を括るが、生命体は万物を、生命の一部として捉える事が出来る。

生きるとは全てに於いての意味合いである。

私達人間という生命体にとって大切な事は、文字通り、人間に於いて大切な事である。

言い回しは兎も角、逆に言うと人間という生命体として生命活動さえ出来ていれば良いのである。

人間にとって人間であることは、最低限・最大限の適応条件である。

この条件は個人にとっても、集団にとっても、生命全体の役割としても、重要な調和・バランスを取るものとなる。

万物・生命が活動し、その行程があり、その原理があり、そこに作用させられる自由と空間があり、その自由の中に配分、その役割・使命がある。

生命体にとって生命活動全てが生命体の対象となる。

そもそも自由なんて言うのも、この観点からきてるものと言える。

この考え方をすることによって、どの人生境涯に立とうとも我々は自由と調和をこの世に働きかける事が可能だろう。

どんな環境に置かれようが何かしらの生命活動が行える。

冷徹主義にも属すこともなく、ただ在るべき調和を感じることによって、人間的に誠実に理念という超大な生命活動全体の統合を測る事が出来るのだ。

私達人間にとって、これ程大切な事があるだろうか。

概要・概念として、これ程までに率先させるべき事柄がこの世の中にあり、我々1人1人がその具体的な調和の中にいるのだ。

これ以上にない、生命活動である。




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