20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:敦煌の飛天 作者:杉原詩音

最終回   1
   敦煌の飛天
                                                      杉原詩音



 漢代より敦煌と呼ばれた沙州の城市(まち)では、そのころ李承和(りしょうわ)という老人が福禄寿を体現した人物として人々に知られていた。
 彼は徒手空拳の身から交易商人となって財を成し、唐の代宗の治世、安史の乱が終結した宝応元年(七六二)に八十の賀を寿いだ。ひとり息子の玄章(げんしょう)も商才があり、その働きで家はますます富み、孫も五人いる。成人した三人の孫息子は同業の商家から嫁を迎え、二人の孫娘も地元の名家へ嫁いでいる。昨年には、直系のひ孫となる男子も生まれた。加えて、沙州城からほど遠からぬところにある千仏洞に小さいながらも祠堂を造営し、歳の初めには供養を行った。
 そこは断崖に多くの石窟寺院を擁し、莫高窟(ばっこうくつ)と呼ばれる。この地域の富豪たちが功徳を積むために石窟を穿ち、競って華麗な壁画を描いた持仏堂を造らせ、現世利益と死後の安楽を仏に願う聖地なのだが、承和もまた成功した人々と同様に一族の安寧を祈ったのだった。
 これによって、「大身富豪にならずとも、せめて承和のようになりたや」と沙州の庶民らは羨ましがった。貧しい者はその豊かさを、富裕な者はその家庭の円満さと健康と長寿を。いかに財宝があっても子に恵まれるとは限らず、また長生き出来るとは誰にもわからない。裕福な暮らしと子宝、そして長命の三つに恵まれた李承和は、はたから見れば、じつに幸福な人であった。
 その承和が春先にふと床につき、すぐに回復したものの、以後しきりに千仏洞に行きたがる。
(親父どのにも困ったものだ。もう少し養生すれば良いものを)
 と、息子の玄章は病み衰えた父を心配し、老母もその意見に賛同してふたりして止めるのだが、承和は駄々をこねる子供のようにそれをきかない。そこで玄章は仕方なく、夏の酷暑の時季が来る前にと、父親の供をして出掛けることにした。
「斎(とき)の用意を忘れるでないぞ」
 行くと決まってから、承和はたちまち元気になり、使用人たちにあれこれと指図している。
 千仏洞は沙州城から南東へ四十支里いった鳴沙山という丘のふもとにある。馬を走らせれば一刻ほどで着く距離を、玄章は老父の体調を考えてゆっくり行くことにした。
 途中、道端の左に土饅頭の続く一帯にさしかかると、承和は使用人たちが担ぐ輿を停めさせて降りた。ひとり供物を持って土饅頭の中へ分け入り、とある大小の盛土の前でそれを捧げて線香をあげ、拝礼をした。
(親父どのは通るたびにこの二つの墓へ詣でるが、いったい誰が葬られているのか)
 玄章はいつもそう思っていたが、これまで訊いたことがなかった。けれども初めてその疑問を口にした。
「いずれ話す。まずは先へ進もうぞ」
 承和は、背の高い壮年の漢となった息子をまぶしげに見上げてそれだけいい、再び輿へ乗った。
 一行は日暮れ前に莫高窟の入り口へ着いた。そこは半里(約二キロメートル)ほどの幅の断崖に無数の洞窟が穿たれ、南側に仏土の華麗な様子を描いた壁画で彩られた石窟群、北側には僧侶たちの修行と生活である岩室と区分されている。
 玄章は彭景(ほうけい)という僧にあらかじめ話を通していたので、彼の禅窟に一行は泊まった。
 一番奥の室の寝牀に玄章は老父を休ませ、自らはその下の床へ布を敷いて身を横たえた。
「息子よ、――そうだ、明日の法要のあと、おまえに話そう」
 父は、つぶやいてから寝入ったようだった。
(俺に何を語ろうというのか。親父どのは死期を悟っておいでなのか)
 今回病んだときから覚悟はしていたが、父を喪うというこの現実に改めて直面し、玄章は悲しみで胸が押し潰されそうになる自分を叱った。
 交易商人として隊商を率いて各地へ出掛ける父は、家へ戻ってくると必ず幼児であった玄章へ玩具や珍しい細工物などの土産を持ち帰り、忙しいなかでも時間の許すかぎり遊び相手をしてくれたものだ。優しい父だった。他家の父親にくらべると甘いと感じることもあったが、長じて父と共に荷駄を運ぶようになると、父の承和が商人としていかに胆力があり、機に敏であるかを知った。厳しく商売のやり方を教えてくれた父はまた情に厚く、貧しい人に布施などして仏の教えに従った暮らしをし、玄章にとって、人生の師ともいえた。その父との永遠の別れが間近に迫り、その刻のことを想うと、玄章は幼子に戻ったように心許なく感じた。
 彼はそんな自分の考えを振り払い、今は寝ることに専念しようとした。



 翌日、玄章は父と共に先年造った李家の石窟へ赴いて法事を行ったのち、僧侶たちに斎(とき)を振舞い、彼らを見送った。それから承和は人払いをし、親子ふたりのみでその小さな岩室の中で対座した。
 正面の壁には、阿弥陀如来とその脇侍である観音、勢至の二菩薩が鎮座し、周囲に花を散らす飛天が舞う情景が描かれている。
 承和はその仏たちを見やりながら、語り始めた。
「死してのちには西方極楽浄土に生まれたしと、さまざまな善を為しても人の業(ごう)は深い。浄土への往生を勧める観経を修しようとも、なかなか障りの多い身なれば、心が定まらぬ。こうも急くのは、この身がじきにあの土饅頭の下に入ると感じているからだ」
 老父が皮肉な笑みを浮かべた。
「いや、親父どのそのような――」
 玄章は不吉な言葉を振り払おうとした。が、承和はそれを鋭い視線で押しとどめた。
「おのれのことはよう分かっておる。玄章よ、おまえはじつによく出来た息子であった。わしのような者が、おまえという立派な子の親であってよいものかと、幾度思ったか知れぬ」
 敬愛する父から面と向かって褒められ、玄章は胸が熱くなった。
「そのおまえに、わしは真実を告げようと思う」
 低く沈んだ声に、玄章はいぶかしげに眉を寄せた。
 父は何をいおうとするのか。自分たちと母のほかに家庭を持っていたとでも。子煩悩な父から想像も出来ないが、財力のある男なら、他に女を持つのもありそうなことだ、と玄章が考えているうちに、それとは違うことを父は語り出した。

   *

 若い頃のわしは科挙に落ち、家も落ちぶれて食いつめ、さる将軍の祐筆(秘書)となって長安の都からこの西域へ流れて来た。土地の商人に見込まれて一人娘を嫁にもらい、その後を継いだ。交易の仕事が性にあっていたのか、舅の代より手を広げ、陽関、玉門関はもとより、コータンへまで商いに出掛け、富をさらに積み上げた。だが、わしら夫婦には子がなかなかできなかった。やがて舅どのが重い病に罹り、亡くなった。わしはその後生の祈念のため千仏洞を訪れるようになった。そのおりに、李青衛(りせいえい)と出会ったのだった。
 青衛は石窟の壁画を描く絵師であった。しかし富豪らから指名されるような名のある者ではなく、最下層の職人であった。無口な、ただ絵を描くばかりの男であったのだ。
 高名な絵師は注文主から金のほかにも多くの品々を貰って家財は豊かだったが、そうでない者たちは、わずかな食料を給付で与えられるのみで、休みなく働かされる。朝はすいとん、昼に胡餅二枚、夕食は無しという暮らしだった。青衛は自分の土地を少しばかり持っていたので、その収穫でなんとか家族を養うことができた。けれどもその年、田畑が水害に遭い、児を産んだばかりの妻が産褥のために死んだ。青衛は生活に窮した。児を売らねば、親子ともども飢え死にするはめに陥った。
 わしは青衛から、その仲介を頼まれた。親子ともに飢えて死ぬよりは、たとえ下僕になろうとも、生きながらえることがまだしもだと、青衛は云った。
 玄章よ、非情と思うな。苛酷な現実なのだ。
 わしは児を預かり、沙州の家へ連れ帰った。やぎの乳を飲ませ、夫婦で眠る赤子の顔を見ているうちに、その児が惜しくなった。われら夫婦にはいくら願っても授からぬのに、一方で貧しさのために児を売る親がいる。
 わしは青衛に、児は沙州の富家へ売ったと云って、金を渡した。そしてしばらくして児は死んだと偽り、彼の妻の墓の横に小さな土饅頭を作った。青衛は後悔したのか、それから絵師をやめ、僧となった。ただ一度、わしが持仏堂を造るとき、久方ぶりに姿を現して壁に天女を描いたのち、北の石室で食を断ち、入定した。
 わしはとうとう、おまえが青衛の子であることを伝えることができなかった。そればかりが心残りだ……。

   *

 承和は語り疲れたのか、すぐに寝入った。けれども玄章は、今聞いたことがにわかに信じられず、眠るどころではなかった。
 ――いや、信じたくないのだ。
 彼は父が好きであった。その人と血の繋がりがなかったことが、残念でならない。気持ちの整理がつかず、悶々として闇を見つめていたが、やがて空が白み始める頃には、彼の心も定まっていった。
 真実がどうであろうと、自分の父は承和。青衛夫妻を産みの親とし、今の両親に育てられ、親が四人いるのだと思えばよい。
 夜が明けて、父の食事の世話をしてから、玄章は宿を借りた僧に案内してもらって、青衛が入定した北の岩室の一つを訪ねた。
 大きな岩で塞がれた室の前で、香華を手向けたが、何の感慨もわいて来ない。次に今一度、李家の持仏堂へ赴いた。
 ひとり岩室の中に座り、壁に描かれた菩薩たちを見、飛天へ視線を移した。
 産みの母に似ているという天女は、優雅に青い衣を翻し、浄土の空を舞っている。
 ――あの土饅頭の下へ葬られた母なる人は、今天界に生まれてこのように苦しみのない暮らしをしているのだろうか。
 自分を産んだ父も母も、この世では貧しく苦しいだけの生活であった。命長らえるために食を求めていかなくてはならぬ苦、生まれた我が子を置いて逝かなくてはならぬ苦、その児を売らねば生きられぬ苦。
 一方、富裕だったとはいえ、育ての親の承和も、いくら望んでも我が子に恵まれず、知人を欺いたという罪を誰にも言えぬ苦を抱えていた。
 ――生きるというのは、なんと苦しいものか。
 たとえ家族が相和し、楽しみをともに分かちあおうとも、いずれは別れていかねばならぬ。
 ――だが、これは誰にも変えられぬ事実。親たちのたどった道を、やがて自分もゆくのだ。
 玄章は、ゆっくりと立ち上がり、断崖にある岩室を出た。遠く彼方には頂に雪を積もらせた山々が連なり、その上に広がる雲ひとつない空は、透き通った瑠璃色を見せていた。
 それは、極楽浄土の青、壁画の天女が舞う空の色だった。けれども、その下の赤茶けた大地がまさに玄章の暮らす場所であった。
「……さあ、帰ろう」老いた父と共に。
 彼は、一歩足を踏み出した。
 その父とも、あとどれほど共に暮らせるか分からないが。
 帰路には、彼も亡き母の墓を拝むつもりだった。
 乾いた風に吹かれながらも、玄章は寂しさと悲しみの中にも、不思議と澄んだ心になっている自分を感じていた。
                                                           終


■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 261