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作品名:MHK事件簿 2 作者:きんぎょ

最終回   ウインドミル邸事件
はじめに

土曜日の夜、ケントはいつものように、「88分署シリーズ」というMHKで15年連続放映されているロングセラーの警察ドラマを見ていた。

「88分署シリーズ」は、ベストセラー小説だった。

 今では、この国の警察小説分野の基礎を築いたと賞賛されている。

 88分署シリーズ無くして、この国の警察小説は語れないほどになっていた。

 お風呂からあがったケントの母が居間に来た。そして、

「テレビを消して、早く寝なさい」と、ケントに言った。

 ケントは、もう少し「88分署シリーズ」を見たかったが「おやすみなさい」と、母に言って、テレビを消して自室に戻った。

 自室に戻ったケントは、いつものように、、両手両足を広げて、掛け布団「イクオ」の上に寝転ぶと、すぐに睡魔が襲って来た。

今夜も、掛け布団「イクオ」が、ケントを乗せてMHK警察署に連れて行ってくれるのである。

今夜も事件が起こる。


日曜日(星期天)

夕方薄暗くなったMHK郵便局の前で、人を待ちながら震えている一人の女性がいた。

その女性は、ピンクの帽子が良く似合う。

しかし、足元は凍っていて冷たい。

 MHK市の1月の夜の外気温は、零下20度から零下30度を超える寒さである。

その夜は、夜半から大雪が降るという天気予報が出ていた。

 彼女は、ジュディ・リム夫人、53歳、身長155cm、現在独身で、愛民佳苑小区A3号棟3階の301号に住んでいる。

 リム夫人は、5年前交通事故で夫を亡くしていた。

最近、ジュディは、ダイエットの効果が出て、少し痩せたので、若い頃のゴージャスさを少し取り戻してきていた。

同じマンションの5階には、彼女の母が住んでいた。

ジュディは、毎週1回、体力の落ちた彼女の母を友誼(ゆうぎ)病院へ点滴(てんてき)に連れて行くのが日課になっていた。

母思いのジュディの弟も、近所のマンションに住んでいる。

ジュディは、最近、インターネットのQQに嵌(は)まっている。

彼女は、麻雀が好きだった。

お気に入りは、インターネットのQQ上で、夜中に、麻雀ゲームをすることだった。

彼女らの麻雀のレート(掛け率)は高いので、QQの麻雀仲間の間でも有名だった。

ジュディは、健康の為に、一日に数回、気が向いた時、散歩に外へ出る以外はほとんど外出はしなかった。

今夜会う男性は、ネルソン・ウン、48歳、喫茶店のオーナーで、妻と死別している。

「待たさせたね!」

ネルソンが、スズキ・スモールウッド1300を運転して、ジュディを迎えにやって来た。

「大丈夫よ・・・・・少し寒かったけれど」と、ジュディは笑いながら少し嫌味ぽく言った。

二人は、QQのマージャン仲間というだけで、会うのは今夜が初めてである。

MHKのボーエンストリートにある東北料理専門店のオールドママ・レストランで、二人は夕食をした。

 食後「カラオケに行こう」と、ネルソンがジュディを誘うと、彼女は着いて来た。

カラオケボックス「ミキサー」で、2時間、歌を歌い、二人で23本のビールを飲んだ。

ネルソンは、少し酔っ払っていた。

ジュディは、ネルソンの酔払い運転を懸念した。

「今夜は、ご馳走様、タクシーで帰るわ」と、ジュディがネルソンに言った。

「遠慮するなよ。送っていくよ」と、ネルソンはジュディを自分の車に乗せた。

「ドライブに行こうか!?」

「ドライブ・・・・・好いわね。だけど、麻雀の時間に間に合うように、家まで送ってね。ネルソン」

「諒解、僕も麻雀をしたいからね・・・・・ジュディ」

 二人は、意気投合して暗闇の中へドライブに出かけた。

その夜は、天気予報通りMHK市に夜半から大雪が降った。

現在、MHKの郊外の田畑は農閑期で、積雪が平均40cmを超えていた。

農業従事者の大半は、毎日、麻雀に明け暮れていた。


月曜日(星期一)

松浦ケントが、部長刑事に昇進して、MHK署に転任して来てから1年が過ぎた。

そして、二度目の春節を迎えようとしていた。

ケントは、警察借り上げの2LDKの社宅のボロ住まいにも慣れて、抵抗感が無くなってきていた。

なんとか、龍泉寺の墓地荒らしは、現在、収拾されている。

8時45分、警察の車が迎えに来た。

外は、雪が散らついてる。

家のドアを素早く閉めると、ケントは、小走りで迎えの車に飛び乗った。

ケントは、手に持っていたMHKエコー紙を広げて目を通した。

「牧師は、MHKで黒魔術の集会が開かれることに懸念している!!」

MHKキリスト教会の墓荒らしが、二度起こったニュースが第一面に載っていた。

「春節を目前にして、なぜ・・・・・犯人は墓荒らしに及んだのだろうか・・・・・犯人の心境が、全く理解できない」

「しかし、こんな片田舎の何も無い町なら、黒魔術に参加する者たちの気持ちも理解できるような気がする」

「MHK市では、黒魔術程度の刺激も、必要なのかもしれないな!?」

「おれが、警察官で無かったら、黒魔術に参加していたかもしれないな」と、ケントが訳の分から無いことを思ったところで・・・・・迎えの車はMHK警察署に着いた。
 
ケントは、警察署の正面玄関から入って、先ず受付へ向かった。

 受付デスクで、ケントは、婦人警官から昨夜事件発生の有無と伝言をチェックしていたところだった。

ケントの背後で、ドアが開き、男二人と女一人の3人組がコートの雪を払いながら、急ぎ足で正面玄関からホールに入って来た。

 向かって右側の男が、黒色のコートのボタンを外すと、襟元から聖職者用の白いカラーが覗(のぞ)いた。

「朝一番で、マーロン署長と、会う約束になっているんだがね」と、その男は、受付の婦人警官に告げた。

「牧師さん、署長がお待ちです」と、婦人警官が答えた。

 3人組が、来るのを待っていたように、

「署長室は、こちらです」と、額の禿げ上がったどこか悲しそうな顔のトン巡査部長が出て来た。

 トン巡査部長は、署長室に向かって、3人組の牧師一行を案内してスイング・ドアから出て行った。

 今年のMHK署管区には、2月19日から春節だというのに、春節(しゅんせつ)を目前にして大小様々な難問や事件が持ち上がっている。

「この分だと、今年の春節(しゅんせつ)は、休みが取れないかもしれないな・・・・・まあ、なるようになるさ!?」と、ケントは内心思った。

 脇のドアから出て、ケントはオフィスに向かっていた。

 最近、MHK市の市長が若返ったのを機会に、市からマーロン署長にオープンな警察組織を要求して来た。

 マーロン署長は、手始めに派出所をガラス張りにして文字通りオープンにした。

 MHK警察署は開口部を広げたので、警察組織自体が明るくなり透明度がアップしたと市民にも評判が良くなった。

 ケントのオフィスは、署長執務室から離れていた。

ワンロー警部との小さな2人部屋だった。

 小さいほうのデスクを、ケントが使用していた。

ワンロー警部のデスクは、相変わらず、書類が山積(さんせき)されていて電話も見えないような状態だった。

「署長執務室に来るように!!」と、朝から2回、マーロン署長からワンロー警部に内線電話が掛かって来ていた。

 今日は、午前10時を過ぎているが、ワンロー警部は、まだ、オフィスに顔を出していなかった。

 昨夜、MHK本通りにあるMHK建設銀行の玄関を金梃(バール)でこじ開けようとする事件が起こったが、金品の盗難被害には至らなかった。

 MHKでは毎年、春節が近づくと、深夜、銀行を狙って、金梃(バール)で玄関をこじ開けようとする謎の人物が出没した。

まだ、この金梃(バール)事件は未解決だった。

しかし、補聴器をつけた男が、金梃(バール)を持って歩いているのを、数人の人に目撃されていた。

彼は「デフ・マン(聴覚障害者)」と、警官の間で呼ばれていた。

ワンロー警部は、この事件の検証の為に現場へ行っていた。

「ワンロー警部には、不屈の精神で、MHKで続発する難事件に立ち向かうニコチン色した指を持つ名物警部」というのが、ワンロー警部に対するケント部長刑事の印象だが、正直言ってあまり側(そば)に寄りたくない種類の人物であった。

 しかし、ワンロー警部は、この国で最高位に値する勲章を貰っていた。

ケントは、その勲章をまだ見せてもらったことがなかった。

ケントが、そんな事を考えていると、低い呻(うめ)き声のような内線電話が、容赦なく鳴り出した。

 ケントは、その内線電話の受話器をにぎった。

「ワンロー警部はいるか?」

「警部は、MHK建設銀行の現場です」

「ウインドミル邸から小火(ぼや)が出た。至急、ケント部長刑事、現場へ向かってくれ。放火の疑いが有る」

小火(ぼや)の出たウインドミル邸は、MHKから3.5kmほど離れたところにある風車の羽の部分を取り外し、改修した豪邸を地元の人がウインドミル邸と呼んでいる。

ケントが、書き置きをワンロー警部のデスクの上に残した。

そして、ケントが、ドアに向かうと、急に、ドアが開いて、計ったようにワンロー警部が飛び込んで来た。

「ケント、伝言は無いか?」

「マーロン署長が、ワンロー警部を探しておられました」

「他には?」

「ウインドミル邸から小火(ぼや)が出て、放火の疑いがあるようです。警部」

「大至急、ウインドミル邸へむかう。用意は出来ているか、ケント部長刑事」

「マーロン署長に、会われないのですか?」

「署長には、帰ってきたら会うよ!?」

「ほんとうに、それで大丈夫ですか?・・・・・ワンロー警部」

「そんな事より、早く現場へ行くぞ、出発だ」と、ワンロー警部がケント部長刑事に向かって勢いよく言った。

「どうか・・・・・ワンロー警部のとばっちりを食いませんように」と、ケントは内心祈った。

 祈りながら、ケントは、ワンロー警部の後に続いて、MHK警察署の玄関を飛び出して行った。

 ワンロー警部の愛車、黒のトヨタ・スターウッドは、いつも通り、MHK警察署の駐車場の角を曲がった目立たない場所に止めてあった。

 ワンロー警部は運転手席に座ると、助手席の足元に置いてあったポリス(Police)と文字の入った長靴を後部座席に押し込んだ。

ケントが、助手席に座ってシートベルトを締めた途端、トヨタ・スターウッドが動き出した。

MHK周辺の道路は、迅速に驚くほど綺麗に除雪されていた。

道路の両側は、整備された田んぼが並ぶ。

農村は農閑期真っ只中、冬場で休業状態の一面真っ白な田んぼや畑は、積雪が40cm以上あった。

夏は、水稲やとうもろこし等が栽培されていて、一面グリーンカーペットような田畑が、冬は、積雪でホワイトカーペットに変わっていた。

雪の中で、頭に赤いリボンを付けて貰ったロバが、田んぼに繋がれて、寒さも気にせず、藁(わら)を食べている姿は絵になる。

村の商店街を抜けて勾配のきつい上り坂に差し掛かった所で、スターウッドのエンジンが咳き込むように喘(あえ)ぎ始めた。

 そして、社内にエンジン・オイルの焦げるような臭いが漂って来た。

「ヤバイ!?」と、ケントは内心思った。

「歩いて帰るのは、ゴメンだ」

ワンロー警部は、鼻をヒクヒクさせ顔をしかめた。

「わしには分からん・・・・・車のエンジンには、詳しいかい?ケント」

「詳しくありません」と、ケントは、きっぱりと言った。

 ケントの脳裏に、ワンロー警部の汚い車のボンネットの中が浮かんだ。

 前方に、森が見えて来た。

「ケント、あれが、三仙の森だ・・・・・その向こうに、さっき小火があったウインドミル邸がある。20代のギブソンという夫婦者が住んでいるんだ」

「ギブソンという若い夫婦は・・・・・このところ、たちの悪い嫌がらせを受けて困っているんだ」

「たちの悪い嫌がらせとは、具体的に・・・・・どんな?」と、ケントは尋ねた。

「先ず、注文もしていないのに・・・・・旦那さんの名前で墓石のカタログを送り付けられてきた。その時、旦那さんは、仕事で出張に出かけていて不在だった」

「それから、MHK日報に、偽(にせ)の死亡広告を載せられそうになったりした・・・
・・それも、旦那さんの名前でだ!?」

「先週は、葬儀屋が、ご主人のご遺体を引き取りに参りましたとやって来たので、奥さんは、気が動転してヒステリーを起こしてしまったのさ」

「それは、大事(おおごと)ですね!?警部」

 ワンロー警部の愛車は、未舗装でぬかるんだ小道へ入って行った。

トヨタ・スターウッドは、車体が大きく揺れ、オイルの焦げる臭いが強くなった。

 ケントは、窓を開けて車内の空気を入れ替えた。

「ほら、あの家だ」と、ワンロー警部は、前方を指差した。

都会育ちのケントは、本物の風車小屋を見るのが初めてだった。

 ケントの目の前に現れた風車小屋は、羽根車を外されて、外装を白と黒に塗り分けられていた。

 ケントは、大いに感じ入って、暫らく助手席の窓から風車小屋を注視していた。

 ワンロー警部の車が敷地に入いると、道路は屋敷の玄関まで続いていた。

 玄関の前には、既にパトロール・カーが停まっていた。

玄関の前庭は、消防作業によって踏み荒らされ、ぬかるみ状態と化していた。

作業を終えた消防隊員が、消防車に引き上げて帰還しようと準備していた。

前庭の真ん中では、カーキー色の防水衣を着た火災担当の捜査官が、火事独特の煙を吸い込んで顔をしかめながら・・・・・四阿(あずまや)の焼け焦げた木材の山を突っつき回していた。

ワンロー警部も、現場の前庭に踏み入り、火災担当の捜査官に近寄って、煙を上げてくすぶっている残骸(ざんがい)をひととおり眺めた。

革靴は泥だらけになって、泥水が靴下を濡らしていた。

ワンロー警部は、車内に置いてある警察支給のゴム長靴のことを思い出した。

 そして「しまった」と、悪態をついた。

 一方、ケント部長刑事は、玄関で現場へ入るのを躊躇していた。

「四阿(あずまや)が、焼け落ちたぐらいで新しい靴を台無しにするつもりはない」と、内心で思っていた。

 ケントは、車に戻って革靴を警察支給のゴム長靴に履き替えた。

 現場では、

「おれに任せてくれりゃ・・・・・四阿(あずまや)も焼け落ちずにすんだものを!?」と、ワンロー警部は訳の分からない独り言を言っていた。

「無理だよ!!警部・・・・・我々消防は、通報を受け付けて11分で駆けつけたが、その時には、完全に火がまわっていた。ガソリンが撒いてあったんだから」

「ガソリン・・・・・だと?」と、ワンロー警部は、焼け焦げた木片を拾い上げて臭いを嗅いでから、木片を放り投げて、消防車が走り去るのを見送った。

「放火の線は間違いない。本格的な捜査はこれからだが・・・・・」

「点火装置は、ロウソクあたりだろう。まだ、現物が見つかっていない」と、消防担当の捜査官がローワン警部に説明した。

「うーん、愛用してた革靴が泥だらけだ」
 
ローワン警部は、憎々しげに泥水を蹴散らしながらケント部長刑事の待っている玄関へ戻った。

 ケントが、玄関のドアをノックして住人が出てくるまでの間、ローワン警部は、背を屈(かが)めて夢遊病者のように玄関の脇をウロウロしていた。

暫くして、微(かす)かな音と共に玄関のドアが開いた。

 年の頃は、60代前半の痩せぎすのブルーの帽子をかぶり、電気掃除機を持ったままのお手伝いさんが顔だけ出して二人を睨みつけてきた。

ケントは、素早くポケットから警察の身分証明証を出して見せた。

「ローワン警部、おたくの人間が一人、さっきからキッチンでお茶しているよ」と、その女性が、後ろのキッチンのドアを指差して言った。

 そのお手伝いさんの名前は「アイダ」と言った。

「では、そのキッチンから調べさせてもらおうか!?」と、ローワン警部が言った。

そのキッチンは、空間を大きく取り贅沢に使われていた。

調理台は、本物の大理石とオーク材が使われている。

 調理器具は、磨きこまれた銅(あか)の鍋や釜が並べられていた。

 ブランド・デザインの松材のテーブルセットで、配置されていた。

そのテーブルセットには、制服のボタンを外した格好の巡査のカン・チャンが座っていて、ブランド・デザインのマグ・カップで紅茶を飲んでいる。

ローワン警部が入って来たのに気づくと、カン巡査は慌てて立ち上がり、気をつけの姿勢を取った。

しかし、ローワン警部は、手を振ってカン巡査を座らせた。

そして、自分も近くにある椅子を引き寄せてその隣の席に座り、ケントも、真似して隣の席に座った。

「貴方たちも、紅茶、飲むんだろう!!」と、お手伝いさんのアイダは、カップ・ボードから2つのマグ・カップを取り出し、二人の前にマグ・カップを並べて紅茶を注ぎ、砂糖壷を置いた。

「私は、別の部屋で、片付け物が残っているから・・・・・」と独り言のように呟きながら、お手伝いさんのアイダは、何か書かれた紙切れをローワン警部に渡してからキッチンを出ていった。



「この家の主人には、秘密の愛人がいる。スーパーマーケットの駐車場の男・手紙」と、紙切れには書いてあった。

 ローワン警部は、紅茶を一口飲むと、二人に煙草を勧めてから、この現場の状況説明を求めた。

 カン巡査は、手帳を開いて、事件の経過報告を始めた。

「司令室から無線が入ったのが、午前10時38分、ここに到着したのが午前10時49分でした」

「すでに、消防隊が消防作業に入っていたので、四阿(あずまや)のほうは消防隊に任せました」

「自分は、ギブソン夫人に会うために母屋の方に廻りました」

「旦那さんの方じゃなくて・・・・・なぜ、ギブソン夫人なんだ?」と、ローワン警部は訊き返した。

「ご主人は、急な仕事が入って、京東へ出張中だそうです。ローワン警部」

「ギブソン夫人は、今朝9時過ぎに起きて、新聞と郵便物を玄関マットの所まで取りに行きました」

「その後、キッチンで紅茶を入れ、居間へ移動して手紙を開封しました」

「これが、その開封した手紙です」と、その手紙の入ったビニール袋をローワン警部に渡した。

 その手紙の入った封筒は、昨日の夕方、MHKの総合郵便局から速達で、ギブソン夫人宛に投函されていた。

 MHKには、総合郵便局が1軒しかない。

「郵便局員が、その速達を投函した人物を覚えているかもしれない」と、ローワン警部は思った。

 しかし、その期待は一瞬にして消えたのである。

 理由は、郵便受付カウンターの局員が全て退職前の老婦人であったからだった。

 なぜ、郵便局の受付に退職前の老婦人ばかりを勤務させているのか・・・・・理由は解からない。

 封筒の中には、週刊誌か雑誌の文字を切り抜いて、貼り付けてこしらえた手紙が入っていた。

 切り貼りの手紙を読むと、ローワン警部の表情が厳しくなった。

 読んでから手紙の入ったビニール袋をケントに渡した。

 手紙の文面は簡潔だが、[あばずれ、次はお前の番だ。燃やすぞ]と、ぞっとするような内容である。

「その後、ギブソン夫人は外でごうごうと風が吹く音がしたので、居間のカーテンを開けると、四阿(あずまや)が燃えていたので、119番に通話したそうです」と言うと、カン巡査は手帳を閉じた。

「嫌がらせも、だんだん性質(たち)が悪くなる。最初は、嫌がらせの電話程度だったのが、今じゃ・・・・・殺人予告だ!!」と、ローワン警部は、マグ・カップの紅茶を飲み干した。

「あっそれから、カン巡査は村に行って、何か見た者はいないか、例えば・・・・・見慣れない車やガソリンの臭いをさせた人間が居なかったか、聞き込みに廻ってくれ」

 カン巡査が出て行くのを待って、ローワン警部は立ち上がった。

「ギブソン夫人に、話を聞こうか!?ケント部長刑事」

 ケントは、ローワン警部のあとに続いてキッチンを離れ、掃除の行き届いた廊下を歩いて居間に入った。

 エナ・ギブソン夫人は、二人を迎えるために立ち上がった。

彼女は、25歳という実年齢に比べて、ずっと若く見えた。

 しかし、真っ白い顔の目の下に隈が宿っている。

 ギブソン夫人は、気丈なところを見せて微笑んでいた。

「とんだ災難でしたね。四阿(あずまや)があんなことになって・・・・・」と、ローワン警部が声をかけた。

「警部さんも、あの手紙、ご覧になったでしょう!?風向きが悪かったら、この母屋が燃えていたかもかも・・・・・そう思うと、怖いです」

 ローワン警部が、答えようとした時だった。

「エナ、ただいま!!」

「ビル、お帰りなさい!!」と、夫を迎えるために、エナは、居間を飛び出していった。

 ビル・ギブソンは日焼けしていて、格好は良いのだが軽薄そうな顔をしていた。

 そして、彼は標準体重を少しオーバーしていた。

 彼の年齢は、29歳だ。

「妻から聞きました。手紙はどこに?」

ローワン警部は、件(くだん)の手紙をビル・ギブソンに読ませた。

「なぜ、私たち二人が、こんな目に遭わなくてはならないんだよ」と言ったビル・ギブソンの顔から血の気が引いていた。

 4人は、レザーの応接用の大きな肘掛けソファに腰掛けた。

「犯人逮捕のために、私たちの知りたいのもその点です・・・・・」

「こんなことをするには、それなりの理由があるはずですからね!?」と、ケント部長刑事が言った。

「うちは、美術商です・・・・・」

「出張が多いので、妻が一人で自宅に居る時に限って、嫌がらせの電話が掛かって来るんです」

「この母屋(建物)の2階には、美術品の在庫を保管しています」

「火災に対しては、保険に加入する際に、保険会社の規定に沿って防火設備を設置してあります」

「防犯に関しては、MHK警察署の防犯課に点検してもらいました」と、夫のビル・ギブソンが言った。

「分かりました。防犯と火災に関しては、保険会社の要求するスタンダードをクリアしている・・・・・」

「火災に関しても、不安はないようですね」

「では・・・・・電話のことを話してください」と、ローワン警部は、彼の妻の方に視線を向けた。

「はい」と言うと、エナ・ギブソンは、身体をぶるっと震わせた。

「その時の恐怖を思い出したのだろう」と、ケント部長刑事は思った。

「2週間ほど前、夜中に何回も電話が掛かって来たの・・・・・でも、受話器を取ると電話が切れちゃうのよ」

「この辺は寂しい所だし、ほんとうに気味が悪いわ!!」と言うと、エナは、再度、身体を震わせた。

「その翌日の午前11時、黒色のキャデラックが玄関に停まったのよ・・・・・それは、大型の霊柩車だったの・・・・・お棺も載せていたわ」

「二人の黒ずくめの人が、車から降りて来て玄関のドアをノックしたの・・・・・ドアを開けたら・・・・・葬儀社から来ました。ご主人のご遺体を引き取りにあがりましたと言ったので、びっくりして悲鳴をあげたの」と、エナ・ギブソンが言い終わると、恐怖からか身体の震えが止まらなくなった。

「幸いその直後、私が帰って来たのでよかったのですが、妻は、ほとんどパニック状態でしたよ」

「そんな時、MHK日報の広告担当者からも、ビル・ギブソン氏の交通事故死亡広告の確認の電話があったんだ・・・・・もし、この電話を妻が受けていたらと思うと地獄ですよ。警部さん」

「それに、その日の午後、墓石を扱う会社から私の墓石に刻む碑文のサンプルが送られて来ましたので、誰かの嫌がらせだと思って警察に通報しました」

「あっそれから、庭の池で飼っていた金魚が、全滅しました」

「金魚が一度に全滅するとは考えられないので、警察には連絡しました・・・・・鑑識の報告では、漂白剤が投げ込まれたのが原因らしいです」

「その後で、変な電話が掛かってきました。最初に死ぬのは金魚、次は人間だと、言う内容の電話でした」

「電話の相手の声に、聞き覚えは有りませんか?」

「有る訳無いね。電話の声に聞き覚えがあれば、警察に報告しているだろ」と、威張り腐ったビリー・ギブソンに、ケント部長刑事は、嫌気が刺していた。

「どんな声でしたか?」ローワン警部は、粘り強く尋ねた。

「明らかに作り声で、聞き分けることが出来なかったよ」

「その後、何か起こりましたか?」」

「同姓のギブソンという人の死亡広告や殺人事件や事故の切り抜きの記事が、次々と送られて来た!?」

「では、誰かの恨みを買ってしまったような、心当たりはありませんか?」

「思い当たりませんね!!」

「あなた、1カ月ほど前、喧嘩を売って来た男が居たじゃないの!?」と、ギブソン夫人が言った。

「あっそうだ・・・・・1カ月ほど前、MHKで開かれたスマートホーンの発表会に二人で行った時、喧嘩を売って来た男がいました」

「原因は?」

「原因は、分かりません。名前は、セシル・キムだったと思います」

「じゃあ、その男に当たってみます」

「現在、この事件の容疑者は、品薄状態なので・・・・・それじゃ、どんな小さな心当たりでも有ったら通報してください」

 ローワン警部とケントは、ソファーから立ち上がった。

「このまま帰ってしまうのですか」と、ビル
・ギブソンは、二人に向かって言った。

「火をつけてやると脅されているんですよ。刑事さん・・・・・うちとしては、警察による24時間態勢の警護を要求します」

 ローワン警部は、ビル・ギブソンに対して申し訳無さそうに肩をすくめた。

「ローテーションを組んで、パトカーを巡回に来させることは出来ますが、24時間の見張りはできません」

「なんせ・・・・・春節が近くて人手不足なんですよ」

「そうですか?警察が、何もしてくれないんだったら、こっちにも、覚悟があるぞ」と、ビル・ギブソンの声が怒鳴り声に変わった。

 ローワン警部の愛車トヨタ・スターウッドに戻ると、後部座席で、火災犯担当の捜査官が二人を待っていた。

「お疲れさん!!」

 ローワン警部は、ポケットから出した煙草を二人に勧めた。

 消防署の捜査官は、喉が痛いのを理由に煙草を断った。

「インフルエンザを伝染(うつ)されたら、かなわんから、分かった事だけ教えてくれたら、自分の車で帰ってくれ」と、ローワン警部は言った。

「この焼け焦げた木片を見てくれ、カタツムリが這ったような跡が残っている」

 火災担当の捜査官は、鞄から、ビニール袋の中に入っている焼け焦げた木片と布切れを二人に見せた。

「これは、どこの家にもあるような蝋燭(ロウソク)から出た脂質です」

「蝋燭(ロウソク)が燃え尽きる時に、ガソリンを滲(し)みこませた布切れに引火する仕掛けになっていたんだろう」

「蝋燭(ロウソク)が、燃え尽きる時間はどのくらい?」

「30分前後、引火させるには時間が短い方が確実だ」

「ウインドミル邸のスプリンクラーの威力は、どうだい?」

「ガソリンが、使用されたとしても・・・・・」

「ウインドミル邸のスプリンクラーの威力は絶大だ。消防車が到着する前に、鎮火させる能力がある」

「詳細は、3日後、報告できるだろう」と、言うと、ローワン警部の愛車が揺れるぐらいのくしゃみを一つして、二人の捜査官は車を降りていった。

「インフルエンザの菌まで、分けてくれる必要は無いのに!?」と、ローワン警部は喚(わめ)いた。

ローワン警部の運転で、未舗装の小道を引き返し、MHK市内への帰途に就いた。

「まあ・・・・・とりあえず、ビル・ギブソンの昨夜の所在を確認してくれるかい。ケント部長刑事」

「それと、ビル・ギブソンが、四阿(あずまや)に火を放つことができなかったかどうかも・・・・・頼むよ」

「なにか、根拠があるのですか?ローワン警部」

「おれのことだから、的外れの所に眼をつけているのかもしれない・・・・・」

「そして、根拠が無い。しかし、なぜか、タイミングが良過ぎるんだ・・・・・な」

「とにかく、調べてくれるか、頼むよ。ケント部長刑事」

「了解、警部」

外では、雪一面の田んぼで、来る時と変わらず、赤いリボンを付けてもらったロバが、まるで寒さを感じないような素振りで藁(わら)を食べていた。

今日は、無線が妙に静かだ。


火曜日(星期二)

「おはようございます」

 午前8時55分、ケント部長刑事が、オフィスに出勤すると、めずらしく、ローワン警部は、既に出勤していて、ウインドミル邸放火事件の報告書を見ていた。

 MHK警察署の上級職の早朝会議に、ローワン警部は出席していた。

「これで当分、部下に小言を言うのを日課としている厭味な奴と遭わなくていいな」と、ローワン警部は訳の分からないことを呟(つぶや)いている。

「おはよう、ケント」

「ガソリンと煙の臭いを漂わせている容疑者は、網に掛かったかな?」

「いやー、駄目ですね。その代わりに、身体中から変な臭いを発散させた浮浪者を一人見つけただけです。警部」

「どうも、臭うんだよな・・・・・何か、胡散臭い物を感じるよ」

「ビル・ギブソン自身が、自分で、自分の家の窓を割りますか?自分の妻を死ぬほど怖がらせてまで・・・・・」

「どうも、理解できませんね!?」

「家の窓が割られた時間に、ビル・ギブソンは、彼の妻と一緒に居たのだから不可能じゃないですか?」

「だったら、おれの見込み違いかな!?」

「セシル・キムの件、調べて来たが、彼はMHKでのスマート・ホーンの発表会が終わると、京東の発表会の方へ移動しているんだ」

「では、セシル・キムには、アリバイがあったということですね!!」

「そうだ。だが、一応セシル・キムのアリバイを確認してくれ」

「しかし、セシル・キムの妻が、MHKに残っているんだ・・・・・彼の妻の居所(いどころ)は、今、捜査中だ」

「セシル・キムの妻が、接点になるのでしょうか?ローワン警部」

「たぶんね!?」

 署内の食堂で、ケントは昼食をローワン警部と一緒にした。

オフィスに戻ると、低い呻(うめ)き声のような内線電話が鳴り始めた。。

「はい、こちら、ケント部長刑事」と、受話器を取った。

「捜索願いが出ました。ジュディ・リム夫人、53歳、日曜日の夕方外出した後(のち)戻って来ないそうです。外気温は低いので凍死の危険性もあり、至急、捜索にあたってください」と、司令室から内線が入った。

「捜索願いが出ました。ジュディ・リム夫人、53歳、日曜日の夕方外出後、戻って来ないそうです。ローワン警部」

「それは、危ないな。今の時期、夜は凍死者が出るからな・・・・・」

「手掛かりは、無いのか?」

「手掛かりはありません。交友関係もありません。唯一、QQに嵌(は)まっているだけです」

「孤独死もあるから、もう一度、部屋も確認してもらっておいてくれ!!」

「それから、リズ・ノーマン巡査に、QQに情報を流してもらって、情報を収集してもらってくれ」と、ローワン警部はケントに指示をした。

 ケントは、広報室へ行き、リズ・ノーマン巡査に頼んで、QQ上に情報を流してもらって情報収集を依頼した。

 
 オフィスへ戻ってくると、ケントはローワン警部に、広報室のノーマン巡査に情報収集を依頼したことを報告した。

「帰りがけに、捜索以来のあった女性の部屋を見ておいてくれ。ケント部長刑事」

「諒解」

「今日は、そのまま、直帰してくれ」

 ケントは、捜索以来の出ている愛民佳苑小区へ寄ってから車に戻り、無線で署へ連絡を入れてから帰宅した。


水曜日(星期三)

 ウインドミル邸に着いて、ローワン警部とケントが車を降りると、煙と物の焼け焦げた臭いが冷たく湿った早朝の空気に染み付いていた。

 無残にも、ウインドミル邸は、放水で浴びた水を滴(したた)らせ、黒く焼け焦げた骨組みだけの姿を晒(さら)している。

 カーキー色の防水防火服を着た消防隊員たちが、消防ホースを巻いたり、消防設備を片付けていた。

別の一団は、鑑識チームの手を借りて、濡れた残骸を突付いている。

ローワン警部とケントが近づいてくと、ポリス(Police)と印刷された紺色の防水衣を着たオン巡査が駆け寄って来た。

「ご苦労様です」

「先ほど、検屍官の検分が終わった所です」

「死因は」

「現段階では、ビル・ギブソンは、頭部に受けた一撃で意識を失い、煙を吸引したことによる窒息が原因で死亡したと考えています」

「検死解剖は、今日の13時開始予定です」

「検死解剖には、私が立ち会おう」と、ケントが言った。

 自分が、この事件を担当していることを周知徹底させるためのケントの発言であった。

「鑑識の連中は、何か見つけたかな?」

「ええ、そこに置いてあるのがそうです」と、オン巡査が指差した。

 すでに、保管ケースには、熱で、形が歪んだ3本の金属製のガソリンの缶と、凶器と見られる煤(すす)で黒く変色した片方の端が変形した金属製のパイプが入っていた。

「これは、ビル・ギブソンの懐中電灯だよ」

「鑑識での分析が終わったら・・・・・この懐中電灯をギブソン夫人に見せて確認を取ってくれ!!」

「貴重な容疑者は、どうなっている!?ケント部長刑事」

「全署手配の指名手配になっていた筈だったが、居所が突き止められたか・・・・・確認してくれ!!」

 ケントが、車に戻って無線で確認している間、ローワン警部はポケットから煙草を出して吸っていた。

 まだ、容疑者の居所は、掴(つか)めていなかった。

「行くぞ!!ケント」と、何かを思い出したように、ローワン警部は車に乗った。

ケントも、続いて車に乗った。

 MHK本通り沿いに、ニューマートと言うスーパーマーケットがある。

 そのスーパーマーケットの裏に立体駐車場があり、その裏側は、MHKで唯一の短期契約の賃貸アパートメントになっていた。



そのアパートメントは15階建て、MHKリアル・エステートという地元の不動産業者が所有している。

しかし、このアパートメントは評判が悪かった。

去年、高級売春婦が住んでいることが暴露され、一時(いっとき)かなりの部屋が空室(くうしつ)になったが、暫らくすると先の居住者が徐々に帰って来て、今は、旺盛時の様相を取り戻しつつあった。

 ローワン警部は、愛車トヨタ・スターウッドをそのスーパーマーケットの立体駐車場の3階に停めた。

ローワン警部とケントは、スーパーマーケットの立体駐車場を上り下りした。

「この駐車場には、盗撮野郎の爺さんが居るんだが、今日は休みのようだ!?ケント」

「その盗撮野郎の爺さんが、ビル・ギブソンに、彼の秘密の愛人に関する手紙を送っているんだ」

「その手紙は、どこに?」

「たぶん、ウィンドミル邸と共に、その手紙は燃えてしまったよ。家政婦のアイダが、その手紙を持っていない限り・・・・・」
 
 突然、司令室からの無線が鳴り出した。

「ロバが逃げ出しました。頭に、赤いリボンを付けたロバを見かけたら連絡ください」

「諒解!!」

「田んぼの中に居たあのロバですね。警部」

「そうだ」

「あのロバは、この辺では、有名な逃亡の常習犯なんだ・・・・・それで、目立つように、頭に赤いリボンが付けられているのさ」

 ワトソン部長刑事から無線が入って来た。

「検死解剖が終わりました。警部」

「検屍官が、他殺と断定しました。背後から頭部への一撃では死ななかったが、炎と煙にやられて・・・・・最終的な死因は窒息死になるそうです」

「シマッタ!?」

ケントは、腕時計を見た。

「検死解剖ほどの重大事を忘れるとは、情けない」と、ケントは自己反省した。

「どうして、ワトソン部長刑事が、検死を立ち会うことになったのですか?」

「おれたちは、仕事が多くて忙しいから、ワトソン部長刑事に頼んだのだ」

「でも、あの事件は、私の担当の筈です・・
・・・ローワン警部」

「分かっている。その点は、悪いと思っている。ケント部長刑事」

「MHK署は、小さな署なので、一つの事件だけを追いかける訳にはいかないんだ」

少し妬(や)けた。

ケントは、内心、この事件を解決して自分の事件にするんだと思っていたからだった。



「これから、お手伝いさんをしているアイダの家へ行って・・・・・盗撮野郎の爺さんが、ビル・ギブソンへ送った手紙の内容を確認に行くぞ。ケント部長刑事」

 お手伝いさんのアイダの家は、MHKとウインドミル邸の中間ぐらいにある20軒ほどの集落のなかにあった。

 アイダの家の前で車を停めて、二人は車を降りた。

 ケントが、玄関のドアをノックした。

 お手伝いさんのアイダが、顔を出した。

 アイダは、無言で、二人を応接間兼居間に通した。

 お手伝いさんという仕事がら、アイダの家の中は、よく整理整頓されていた。

二人の前に、マグカップに入った紅茶と自家製のビスケットが出て来た。

「用事だったら、さっさと頼むよ」と、アイダは、二人に向かって言った。

「ビル・ギブソンの秘密の愛人に、会いたいんだが・・・・・」と、アイダにローワン警部が言った。

「手紙の内容は、ビル・ギブソンとのデートの模様を覗き見て描写したものだよ」と、アイダが言った。

「どうして、覗き魔の爺さんが書いた手紙だと分かったのかな?」

「覗き魔の爺さんの名前は、バリーだよ・・・・・バリーの家へは、週一回掃除に行ってるのさ」

「バリーが不在の時に、彼の書いた手紙を見たことがあるんだよ」

「バリーの封筒の宛名には、ちょっと特徴があるのよ。パソコンで書いてプリンターで印刷して、差出し日時を手書きするの」

「書いた手紙は、バリーが、自分で相手の家へ届けることなの」

「ウインドミル邸で、郵便物を取りに行った時に、偶然、バリーの手紙を見つけたので、黙って預かっておいたのさ」

 机の抽斗(ひきだし)から、アイダは、手紙を取り出し、その手紙をローワン警部に渡した。

「なぜ、もっと早くその手紙を渡してくれなかったんだ!?」と、ケントが少し興奮気味な声で言った。

「じゃ、私を捕まえればいいよ」と、エイダがヒステリー気味に遣り返した。

「喧嘩は、止めろ」と、ローワン警部が割って入った。

「アイダのお陰で、重要な情報が入手できたんだ」

二人は、紅茶とビスケットをいただいてから、アイダの家を出た。

太陽は、沈んでいた。

ローワン警部が、愛車でケントを家まで送って行った。

「明日は、確認事項があるので、ウインドミル邸へ行ってから、スーパーマーケットの方へ廻る予定だ」と、ケント部長刑事に言うと、ローワン警部は、調べ物をすると言ってオフィスに戻って行った。


木曜日(星期四)

 朝から、ローワン警部とケントは、黒焦げの骨組みだけになったウインドミル邸に来ていた。

消防署の捜査員が太鼓判を押したほどの能力を持つスプリンクラーを備えた住宅が、骨組みを残してほぼ全焼した。

 スプリンクラーの制御弁(せいぎょべん)を確認した。

制御弁(せいぎょべん)は、閉まっていた。

「四阿(あずまや)が燃えた日は、スプリンクラーの制御弁(せいぎょべん)は開いていた筈だが・・・・・」

「誰かが、故意にスプリンクラーの制御弁(せいぎょべん)を閉めたようだな!?」

「あの時点で、スプリンクラーの制御弁(せいぎょべん)を閉めることが出来たのは、二人でした」

「殺されたビル・ギブソンと妻のエナの二人です」

「妻のエナは、夫のビル・ギブソンが秘密の愛人を持っていたことを知っていたか・・・
・・知っていなかったかがポイントですね」

 二人が、トヨタ・スペースウッドに戻ると、司令室からの無線が鳴り出した。

「こちら、ケント部長刑事」

「三仙の森の裏に、逃亡したらしいロバが居るという情報提供があったので確認して来てくれ!!」

 
三仙の森に着いた二人は、長靴に履き替えて、左右に分かれロバを探し始めた。

三仙の森の周囲は田んぼで、積雪が40cm以上あった。

 ケントが、最初に頭に赤いリボンを付けてもらったロバを見つけた。

「大手柄だ。ケント、ロバを見つけたな」と、暫らくすると、ローワン警部が、銜(くわ)え煙草で森の反対側から顔を出した。

「しかし・・・・・どうも、ロバの状態がおかしいのです。警部」

「どんな風に、ロバがおかしいのだ?」

「ロバが、何かを発見したようなのです!?」

「そこの雪の下に・・・・・何かあるようです。警部」と、ケントは、ロバが何かを掘っている場所を指差した。

 ケントも、ロバと一緒に雪を掘り出した。

女性の死体の一部が出てきたので、二人ともびっくりした。

ローワン警部は、ロバをその場所から引き離し、松の木に繋いだ。

ケントは、大急ぎで車に戻った。

「こちらケント部長刑事、三仙の森で、女性の死体とロバを発見しました。至急、応援頼む!!」と、指令本部に無線連絡した。

「応援が着くまで、現状確保頼む」

「諒解」と、ケントは、無線を置いて、ローワン警部の居る三仙の森へ戻った。

 10分ほどすると、パトカーで、カン巡査が駆けつけて来た。

ローワン警部とケントは、現状確保をカン巡査と交代して、車に戻り、スーパーマーケットへ向かった。

 スーパーマーケットに着くと、裏の立体駐車場を一回りして3階に車を停めた。

「あそこから、双眼鏡でアパートメントを覗いている男が、覗き魔のバリーだ」と、ローワン警部が指を指した。

「前と後ろから迫って、バリーを一網打尽にするぞ」と、二人は車を降りると、その男の前後に分かれて詰め寄った。
 
 バリーは、双眼鏡で覗くのに夢中だった。

ケントが、警察の身分証明書を見せた。

「13時7分、覗き魔バリー確保」と、ケントが言うまで、バリーは気づかなかった。

「爺さん、尋ねたいことがあるんだ?」と、ローワン警部が言った。

「話してくれれば、今日のところは見逃してやるよ。爺さん」

「何が、聞きたいんだ?刑事さん」

「ビル・ギブソンを知ってるだろう!?」

「知ってるよ・・・・・だが、話はしたことない」

「ビル・ギブソンが、誰とデートしていたのか知りたいんだ?」

「ビル・ギブソンが付き合っていたのは、ジェシー・ウエストと言う女性だよ」

「何処に、住んでいるんだ?」

「向かいのアパートの3階の308号室に住んでいる・・・・・いつも、窓は開けたまま、カーテンも閉めないんだ」

「ジェシー・ウエスト、彼女の何か、特徴は無いか?」

「彼女の鳩尾(みぞおち)に、小さなハート型の痣(あざ)があるんだよ」

「髪の毛の色は、黒」

 今は、ビル・ギブソンの事件が第一で、覗き魔バリーの件は後回しにした。

 二人は急いで、立体駐車場を出て、裏のアパートメントへ向かった。

アパートメントの玄関の受付で、ケント部長刑事が、警察の身分証明証を見せて中に入った。

入り口から見えない正面右手に、2基のエレベーターがあった。

掃除も、行き届いている。

ローワン警部とケントは、3階でエレベーターを降りて、308号室に向かった。

廊下は、チャコールの毛足の長い絨毯が敷かれ、全く足音がしなかった。

一番奥から2番目が、308号室だ。

一人住まいには珍しく、ドアの横に、3個の大きなゴミ袋が置かれていた。

ローワン警部は、そのうちの一つのゴミ袋をのぞいた。

中には、リーダーズ・ダイジェストが、数冊入っていた。

ローワン警部は、ゴミ袋から一冊のリーダーズ・ダイジェストを取り上げてめくって見た。

リーダーズ・ダイジェストは、単語が切り抜かれていた。

ケントが、右手の人差し指で308号室のベルを押した。

足音がして、ドアが開いた。

ドアを開けた女は推定27歳前後、身体にぴったりしたブルーのニット地の薄いワンピ
ースを着ていた。

体形は、ぽっちゃりしている。

ローワン警部は、身分証明書を出すのに手間取った。

ケントのほうは、スムーズに身分証明書を取り出した。

「警察の者です、よろしければ、お邪魔して、お話をお聞きしたいのですが!?」

女は、じっとケントの身分証明書を見つめていた。

「警察?誰か・・・・・苦情を持ち込んだの」

「いいえ、別件です」と、ケント部長刑事が答えた。

「お邪魔しますよ。いいですね」と、ケントは、彼女の返事を待たず、スッと玄関ホールに入った。

 ケントの態度が気に入らなかったのか、彼女は少し不機嫌顔になった。

 女は、仕方なく二人を居間に通した。

 内装は、居心地良さそうなブルーの濃淡の仕様で施(ほどこ)してあり、大きな嵌め殺しの窓がある。

 ローワン警部は、窓際に立って立体駐車場とスーパーマーケットの方を見ていた。

「座らせてもらってもいいかな!?」

「私、急いでいるのよ」

「お嬢さん、貴女の名前?」

「ジェシー・ウエストよ」と言うと、彼女は腕時計を見た。

「何度も言うようだけど、早く用件を言ってくれる」

「幾つか、聞かせてください」と、ローワン警部は言って、周囲を見回した。

 ドアの横に、ピンクのスーツケースが置いてあるのが眼に入った。

「家賃が切れたから、京東に帰るのよ」

「おれたちは、いいタイミングでお邪魔したわけだ」と、ケント部長刑事とローワン警部は笑みを浮かべた。

「ビル・ギブソンと言う名の紳士を知らないかな?」

 ケントは、ローワン警部に、自分の担当事件であることを思い出してもらうべく、ポケットから1枚のカラー写真を出して彼女に見せた。

「全然、知らない」というように、彼女は首を振った。

「今すぐ、出て行ってちょうだい」と、彼女は、パニック状態の様相で居間のドアを開け放った。

「おれたちは、おっしゃるとおり出ていくよ」

「しかし、貴女も一緒に来てもらうことになるよ」

「ケント部長刑事、彼女にコートを着せて差し上げろ」

「私にコートを着せて、どこに連れて行くのよ」

「もちろん、警察署だよ」

「婦人警察官に、身体検査をしてもらうんだから」

「どうして、身体検査なの!?」

「あなたの鳩尾(みぞおち)に、小さなハート形の痣(あざ)があるようだから」

「警察が、そんなことまで、どうして知っているのよ」

「それは、あなたがたの一部始終を見ていた見物人が居たんですよ」

「立体駐車場の3階から、双眼鏡で、爺さんが覗(のぞ)いていたんだ」

「そう、2ヶ月ほど前、京東で出会ったの」

「それ以来、ビル・ギブソンと付き合っていたわ。愛し合ってもいたわ」

「それが、罪になるの!?」

「両方とも、過去形だね」

「別れたのよ」

「言い出したのは、あいつよ」

「あいつは、奥さんと別れて私と結婚するって会うたびに言ってたの」

「あいつを簡単に信用し過ぎたの・・・・・お金まで貸してたのよ。刑事さん」

「お金は、幾ら貸してやったんだい」

「けっこう、無理したのよ」

「貸したのは、10000ジャパドルよ」

 ローワン警部は、彼女の薬指に結婚指輪をはめていることに気づいていた。

「ご主人は、このことをご存知ですか?」

「いいえ」と、彼女は首を横に振った。

「ウエストというのは、旧姓なの。結婚して、キムになったの」

「主人が、私たち二人のことを知ったら、殺しに来かねないような乱暴で、嫉妬深い人なのよ」

「だから、名前を旧姓に戻したの」

 ケントは、手帳から顔を上げた

 これで、不貞を働いた妻ジェシー+暴力を振るう夫キム=死せる恋人ビル・ギブソンという方程式が成り立った。

 ケント部長刑事の出番が来たなと思った。

「昨夜、ウインドミル邸で火災が発生したことをご存知ですか?」

「その話は、今、初めて聞いたわ」

「ビル・ギブソンは、焼け跡から焼死体で発見されました」

「現在、警察は、殺人の線で捜査を進めています」

「もしかして、私の夫が、ビルを殺したの?それなら、次は、私の・・・」

「我々がついている限り、あなたを殺させたりさせないよ」と、ローワン警部は、請け負った。

「いずれにしても、あなたのご主人を見つけだす必要があるね」

「旦那が、居そうな場所をご存知ですか」

「興味無いから、知らないわ」

 タイミングよく、ローワン警部のポケットの中の携帯電話が唸り出した。

「セシル・キムの居所が分かりました。ローワン警部」と、バートン巡査部長から情報が入った。

「必ず、身柄を拘束しろ」と、ローワン警部は携帯電話に向かって怒鳴った。

「その必要はありません。やつは、どこへもいけないのです」

「飲酒運転、警察官に対する暴行、傷害で、京東センター署の拘置所に収監されて2週間になるそうです。警部」

「くそっ」と、ケントは、たった一人しか居ない容疑者に完璧のアリバイが成立したので、思い切り空の屑篭(くずかご)を蹴飛ばしていた。

「シマッタ!!警察官で有るまじき行為をしてしまった」と、思った。

あわてて、ケントは、平静をつくろおうとした。

「あと一つだけ、質問させてください」と、ケントは言った。

「車は、お持ちですか?キム夫人」

「ええ」と、彼女は頷(うなず)いた。

「では、昨夜はどちらに?」

「京東へ帰るので一人で荷造りをして、早めに寝たわ」

「もしかして、ウインドミル邸まで行って、恋人に捨てられた恨みを晴らしたのではありませんか?」

「刑事さんの言っている意味が、さっぱり分からないわ」と、ジェシー・キムは、変な物を見るような眼でケントを注視した。

「一方的に、別れ話を持ち出したビル・ギブソンに、嫌がらせの電話を掛け、殺人の脅迫状を送りつけたのではありませんか?」と、ケント部長刑事が言った。

「そんなこと、絶対、あり得ないは・・・・・」と、泣きそうな顔になった彼女は、助けを求めるような眼をローワン警部の方に向けてきた。

「しかし、何も言葉が出て来ない!?」

 ローワン警部は、自分の筋書きには無い展開になり、意外な方向にストーリーが向かい沈思黙考状態に入っていた。

ローワン警部は、静観するより仕方がなかった。

「刑事さん、もし、私が犯人なら・・・・・脅迫状を送るなんて、そんなかったるい真似(まね)しないわよ!!」

「だから、貴女はウインドミル邸に火を放った!?その時、ビル・ギブソンに見つかった・
・・・・」

「それで、ビル・ギブソンの頭を殴打して、火の中に置き去りにした」

「ウインドミル邸に送りつけられた脅迫状は、この家のリーダーズ・ダイジェストの単語を切り抜いて作られているんだ」

 さっき、ゴミ箱から抜き取ったリーダーズ・ダイジェストを広げて見せたのである。

「私を犯人に仕立て上げようとしてるのね」

「いや、今の段階では容疑者だ」

「そんなのどっちでも構わないわ!?早く弁護士を呼んで!!」

「電話なら、警察署からでもできるよ」

 ケント部長刑事の話を聞いて、そのリーダ
ーズ・ダイジェストを見せられて、彼女の顔から血の気が引いていた。

「ローワン警部、スーツケースをお願いします・・・・・鑑識で、衣類を調べたいと言ってくるでしょうから」

 ドアを蹴って閉めたローワン警部は、後からスーツケースを運んだ。

ケントは、コートを着終えた彼女の腕をしっかり押さえながら、一足先に部屋を出てエレベーターに乗った。

「ケント部長刑事が、新しい手掛かりを掴(つか)んだかもしれないと思ったが・・・・
・これでは1本の細い藁(わら)にしがみ付いているだけのようだ」

「しかし、今の自分自身の立場は、ケント部長刑事に表舞台から追い落とされた主演俳優のようだ」と、ローワン警部は感じた。

 

一方、ケントは、彼女を車に押し込めて、アパートメントの居住者用の彼女の車庫の前から、ローワン警部を呼んでいた。

 コンクリートの車庫の床の所々に、黒い染みが出来ていて、鼻を近づけるとガソリンの臭いがした。

「放火に使われていたガソリンは、ここに保管していたように思われます。警部」

 ローワン警部は、無言で頷(うなづ)いた。

「よく遣(や)った。ケント部長刑事」と、今の段階では認めない訳にはいかなかった。

 しかし、ローワン警部の脳裏には、納得のいかない何かが残っていた。

 ローワン警部は、車庫の鍵を閉めて、彼女のスーツケースを後ろのトランクに入れて車に乗った。

三人は、トヨタ・スペースウッドでMHK署へ向かった。


金曜日(星期五)

 午前9時30分、ケントは、三仙の森の裏で、ロバが見つけてくれたご遺体の検死解剖に立ち会った。

ケントは、オフィスに戻る途中の廊下で、マーロン署長に出くわした。

ケントの顔を見ると、署長の口元がほころんだ。

「ビル・ギブソンの事件をみごと解決に導いたことを警察長にお知らせしたら、警察長も喜んでおられたよ。ケント部長刑事」と、輝くばかりの笑みを浮かべた。

ケントは、マーロン署長にお礼を言ってオフィスに戻った。

オフィスに戻ると、ケントはローワン警部に検死解剖の結果を報告した。

 ご遺体の身元は、捜索依頼の出ていたジュディ・リム夫人、53歳だった。

 交通事故等による打撲で、意識不明になり、深夜、零下25度から30度の酷寒の三仙の森の裏に置き去りにされた。

 彼女の体内からは、相当量のビールが検出された。

 交通事故等による打撲以外の外傷等は、見つからなかった。

検屍官は、最終的死因を凍死と断定した。

「現状では、手掛かりが全く無い」

「この件は、量販カラオケへ被害者の人相書きを配ってくれ・・・・・そして、インターネットは、QQの麻雀仲間の線に絞って洗い直してくれ。ケント部著刑事」

「諒解です。警部」と、ケントは、広報室へ向かった。

「忙しい?ノーマン巡査」と、ケントはニコニコしながら言った。

 広報室で、量販カラオケへの被害者の人相書きの手配とQQの麻雀仲間の線に絞って洗い直しすることについて、ケントは、ノーマン巡査と打ち合わせをした。

「じゃ、よろしく協力お願いします」と、ケントは広報室を出た。

「これから、お手伝いさんのアイダの家へギブソン夫人のお見舞いと事件の報告に行きます。ローワン警部」と言って、ケントはオフィスを出ようとした。

「おれも、付き合うよ。ケント部長刑事」

「どうも、スッキリしないんだよな!?」と、ローワン警部は、独り言のように呟(つぶや)いていた。

「それは、ご愁傷様です!!」と、ケントは言ってやりたい衝動を堪(こら)えた。

 この事件は自分の担当なので、ローワン警部に同行されるのは、ケントにとって有難迷惑だった。

「今日は、朝から一度も外出していないのでドライブしたいのさ」

 お手伝いさんのアイダの家で、患者さんとしてエナ・ギブソンを預かっている。

 アイダは、二人をあまり歓迎しなかった。

 しかし、患者のエナ・ギブソンのところに押しかけて来た二人を居間に通した。

 青ざめた元気の無い顔をしたエナ・ギブソンは厚手のガウンを着て、椅子に腰掛けて、音を立てて燃える暖炉の火を見ていた。

「起きられるようになって、よかった」と彼女に言うと、ローワン警部は、さっさと座り心地のよさそうな残りのもう一脚の椅子に腰を下ろした。

「その後、ご気分はいかがですか?ギブソン夫人」と、ケントは、キッチンから硬い椅子を持って来て、エナ・ギブソンと向かい合う形で座った。

「みなさんに、本当によくしてもらって・・・・・大夫楽になってきました」

 ケントは、彼女のそばに椅子を寄せた。

「お知らせしたいことがあります」

「昨日、ご主人を殺害した容疑で、ジェシー・キムという女を逮捕しました」

エナ・ギブソンは、ケントの顔を見つめた。

「キムって、スマホの発表会の会場で、ビルに喧嘩を売って来た男の奥さんですか?」

「そうです。彼女は、数週間前に京東からMHK市内へ引っ越して来ました」

「ビルとその女の人との関係は?」

 ケントは、ローワン警部の方を見た。

 ローワン警部は、相変わらず聞き役に徹するようなモーションで、座り心地の良さそうな椅子の背にもたれたままでギブソン夫人とケントとの話し合いを注視していた。

 ケントは、大きく深呼吸をした。

「言い難いのですが・・・・・ご主人は、その女と、関係を持っていました」

 一瞬、エナ・ギブソンは、おどろきで身を縮めた。

「残念ながら、真実です」と、ケントは粘り強く言った。

「ご主人は、あなたとは離婚するつもりで・・・・・その女と結婚の約束までしていたそうです」

「ところが、ご主人のほうから別れ話を切り出されたので、その女は腹いせに嫌がらせをした」

「昨夜、お宅に放火したのも、ご主人を殺したのもそのジェシー・キムという女だと警察は見ています」

「ビルが、私を裏切っていたなんて言われても・・・そんな事考えられないわ!?」

「私の主人は、他の女には眼もくれない人なのよ」

「耐えられないわ。私、どうすればいいの?刑事さん」

 ケントは、女に泣かれるのが苦手で、エナ・ギブソンから眼を逸(そ)らした。

 その時、タイミングよく、ローワン警部がエナ・ギブソンに話を始めた。

「ご主人が、あなたに伏せていた事が、他にもあったようです・・・・・」

「ご主人の手掛けていた事業が、破産していることはご存知でしたか?」

「うちの事業は、順調だったんだから、破産なんかありえないわ」

「しかし、事業の順調という線引きは、あってないような物だから・・・・・」

「御主人は、愛人から借りたわずかなお金を返すのに、小切手を振り出したが・・・・・小切手が不渡りで愛人のもとに帰って来ています」

「嘘です・・・・・。私たち夫婦の間に、隠し事は無かったと信じてます」と、エナは気丈に言った。

「残念ながら、本当なんだ!!」

「ウインドミル邸は、MHK商業銀行の抵当に入ってるし、当座貯金は超過振り出しになっている」

「超過振り出しの金額をお知りになりたければ、警察はMHK商業銀行へ問い合わせることが出来ますよ」

「事業の財務関係は、主人が一人で取り仕切っていたので、私は知りません」

「MHK商業銀行の担当者は、お宅の事業を再建する場合、1枚の保険証書と1件の派手な火災に頼るしかないというような冗談を言ってましたよ・・・・・」

「お宅の場合・・・・・その銀行員の冗談とストーリーが一致してますね!?不思議だと思いませんか?」と、ローワン警部が言った。

「しかし、スプリンクラーの制御弁が閉まっているような、そんな火災に保険金は下りませんよ」

「たぶん、お宅の場合、ご主人が頭をひねったんでしょう・・・・・自作自演ってやつだ
・・・・・火事が起こる前に、気味の悪い悪戯電話が掛かって来たり、脅迫状が送られて来たり、葬儀屋がやって来たりして仮想妄想癖を持つ頭のいかれた野郎像を巧妙に作り上げたんですよ」

「そして、もう一歩のところで、ご主人の書いた筋書き通りに運ぶところだったんだ」

「着眼点としては、素晴らしい!?」

「仮説としても、理屈が通っている」

「よく、考えたもんだよ」

「私の夫のことを悪く言っても、私は信じないわよ」

「何もかも、執念深いその女の仕業よ!!」

「しかし、証拠が揃い過ぎているんですよ」

「お宅のご主人は、あの女のアパートメントの合鍵を持っていた」

「お宅に送られて来た脅迫状は、あの女のアパートメントで、お宅のご主人が雑誌を切り抜いて脅迫状を作っていたんだよ」

「切り抜いて脅迫状を作った後の雑誌が、あの女のアパートメントの部屋から見つかったんだ」

「そして、その雑誌から、お宅のご主人の指紋がいっぱい出て来た」

「それから、お宅のご主人が、ジェシー・キムのアパートメントの車庫へ、ガソリンの缶を運び込んでいるところを目撃した人物も出て来ている」

ローワン警部は、手をポケットに突っ込んで3種類の葉っぱを出して見せた。

「この3種類の葉は、お宅の居間で、うちの鑑識が見つけた葬式用の花輪に使われていた葉と同じ種類の葉です」

「この3種類の葉は、お宅のご主人の車の中から発見されたんだ」

「あの葬式用の花輪が、どこの墓から盗んで来たのかも明白になっている。なあ、ケント部長刑事」と、ローワン警部がケントに尋ねてきた。

 先ほどから、ローワン警部が、並べ立てた出鱈目(でたらめ)に、ケントは、最短の協力しかできなかった。

「はい」と、ケントは認めた。

 ケントには、それが精一杯だった。

 しかし、ローワン警部が、並べ立てた出鱈目(でたらめ)は、ケントを誤認逮捕から守ろうとして出たものの様に感じられた。 

「ご主人の考えたストーリーも、あなたの協力がなければ実現しない」

「だから、二人で口裏を合わせたんだ!?」

「例えば、走り去る人影と悪戯電話は、二人で口をそろえる。四阿(あずまや)の放火は、ご主人が不在なので貴女が火を点けると言う具合です」

「しかし、窓から、葬式用の花輪を投げ込むことは出来ない・・・・・なぜなら、葬式用の花輪は、ご主人が置いたからです」

エナ・ギブソンは、

「よくも、そんなことを言え・・・」と、口を開きかけて、その口を閉じて、少し考え込んだ。

 そして、彼女は、観念したように大きなため息をついた。

「隠し通せる、もんじゃないわね!?」

「おっしゃる通りよ。刑事さん」

「私は、彼を愛してたの!!」

「窮地を脱するには、これしか方法が無いんだと言われて・・・・・」

「だから、言われた通りにしたのよ」

「妻って、そういうもんでしょう?」

「妻の立場にある人なら、同じ事をしたと思うわ」

ローワン警部が、頷(うなづ)いた。

「しかし、あなたが、共犯であることに変わりはない」

「なんの共犯かしら?刑事さん」

「私は、保険金の請求をする気は無いわ」

「保険金を請求しなければ、保険金詐欺の共同謀議は成立しないわね」

「法律は、得意分野でないもんで!?」

「しかし、自分で自分の財産を破壊することを禁じた法律はなかったはずだ」

「どちらが、火をつけたのか・・・・・貴女かご主人か?」

「私・・・・・止めたのよ。でも、ビルが火を点けたの」

「残る問題は、あと一つだ」

 ローワン警部は、煙草の煙を深々と吸い込んだ。

「誰が、お宅のご主人を殺したのか?」

「ギブソン夫妻に、恨みを持った偏執狂は存在しないんだ!?」

「あの時、ウインドミル邸に居たのは二人だけで、そのうちの一人は殺された」

「殺したのは誰だろう?ギブソン夫人」

 ローワン警部は、一瞬、彼女の表情に自白調書のようなものを見ていた。

「奥さん、動機は?どうして殺ったの」

「ご主人と秘密の愛人との関係に気づいたのが原因かな!?」

「私には、夫を殺す理由がないし、夫の愛人関係も、今まで知らなかったのよ」と、エナ
・ギブソンは言い切った。

 ローワン警部は、腰を浮かせた。

「あなたは、夫の愛人関係を知っていたんだ」

「ご主人のしていることを克明に綴った匿名の手紙を・・・・・貴女は受け取っていたのさ」

「匿名の手紙の件は、こっちで確認が取れることだからね」と、ローワン警部は、腕時計を見ると立ち上がった。

「担当でもないのに、悪かったな!!ケント」

「あとは、ケント部長刑事に任せるよ」と言うと、ローワン警部は、さっと部屋を出て行った。

「ギブソン夫人、服に着替えてください」

「支度が出来たら、署まで同行願います」と、ケントは言った。

 ローワン警部は、生垣の前に立って、ポケットから残りの葉っぱを出して生垣に戻した。

 そして、これからは、出鱈目(でたらめ)を慎もうと反省していた。

「まあ、今回は・・・・・嘘も方便ということで許してもらおう!!」


土曜日(星期六)

 ブロック会議で、ケントはローワン警部と会った。

「エナ・ギブソンのウインドミル邸の件は、どうだい?進展しているかな」

「彼女は、犯行の事実を全て認めているのですが、ビル・ギブソンの死亡した件については・・・・・偶発的な事故による致死を主張しています」

「色々と助けていただいて、警部には、心から感謝しています」

「出鱈目(でたらめ)を言っただけだよ。感謝されるほどのことはしてないよ」

 今回は、ローワン警部の出鱈目(でたらめ)が、ケントを壊滅から救ってくれたのだ。

「もう一つ、報告しておくことがあります。警部」

「あの時、警部がポケットから葉を出されたのには吃驚しました」

「そして、ビル・ギブソンの車を鑑識の連中に調べてもらったら、葬式用の花輪に使われていた葉が2枚出て来ました」

「自然は、現実を模倣するってことだな!?」と、ローワン警部は、なにか訳の分からないことを言った。

 ジュディ・リム凍死事件は、QQの麻雀仲間からの反応と市内カラオケへ人相書きをまわしたのが功を奏して、早い解決に向かっていた。

ジュディ・リムは、QQの麻雀仲間に、ネルソンと夕食に行くことを告げていたのが決め手となったのである。

そして、量販カラオケ・ミキサーの店員が、ジュディとネルソンの顔を覚えていたのであった。

当夜、ネルソンがジュディを車で送っていく途中後方から追突されたのだった。

安全ベルトをしていなかったジュディは、頭部を強く打って意識不明のような状態になった。

ネルソンは、酔っていたし、ジュディの家も知らなかったので、送るのが面倒くさくなったらしい。

それで、三仙の森に置いてけぼりにしてしまった。

ネルソンは、酔っていたので、当夜のことは全然記憶に無い。

それを逃亡常習犯のロバが、見つけてくれたのであった。


絶好調のケントは、今日に限って、ローワン警部に何を言われても気にならなかった。

むしろ、ケントの耳には、剽軽(ひょうきん)で一風変わった冗談に聞こえた。  了


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