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作品名:MHK事件簿 1 作者:きんぎょ

最終回   新任部長刑事 松浦ケント
はじめに

 その夜、少年松浦ケントは、寝る前に刑事物のテレビを見ていた。

毎週この刑事物のドラマを見ないと・・・・・ケントは、学校で友達たちの話の輪に入れないのである。

しかし、毎週その刑事ドラマを見ると寝る時間が遅くなった。

「ケント、いつまでテレビを見ているの?テレビを見るのを止めて早く寝なさい」と、いつもケントは母に叱られた。
 
 ケントはその刑事ドラマを見終わると、「お休みなさい!」と母に言って、いつも通り離れの自室に戻り、掛け布団の敷いてあるベッドに手足を伸ばして仰向けに寝るのだ。

ケントの掛け布団には「イクオ」と言う名前が付けられていた。

 直ぐに、心地良い睡魔が襲って来た。

この掛け布団「イクオ」は、時空を超えてケントを色々な処へ連れて行ってくれるのである。

掛け布団「イクオ」は、ケントにとってタイムマシンのような存在であった。

今晩、ケントを乗せた掛け布団「イクオ」は、MHK警察署にケントを連れて行ってくれた。

ケントを乗せた今晩の掛け布団イクオは、よく揺れた。


星期日 (日曜日)

MHKそこでは、

 76歳の李雲如夫人が、MHKのウエストビレッジの自宅の玄関先で、これまで感じたことの無い・・・・・訳の分からない恐怖を感じて震えていた。

 李雲如夫人は、何年も前に息子に先立たれて・・・・・夫とも離婚していた。

今では、若い頃のように彼女を李夫人と呼ぶ人は誰もいなくなっていた。

 そして、彼女の麗(うるわ)しさも、年と共に衰えて来ていた。

今日、彼女は息子の墓参りをして・・・・・ちょうど竜泉寺の墓地から戻って来たところだった。

竜泉寺は、MHK市内から東へ15分ほどの位置にあった。

龍泉寺は、穀倉地帯を一望できる高台に建立されていて、周囲を松林に囲まれていた。

李雲如夫人は、天候が許す限り・・・・・息子の墓を掃除し、白磁の花瓶に活けてある花を活け直すために・・・・・毎日曜日ごとに墓参りに来ていた。

その白磁の花瓶は、以前、彼女の家のサイドボードの上に飾ってあったものを彼女が息子の墓に持って来たのである。

そのサイドボードは赤茶色のオーク材で作られていて、李雲如夫人が結婚した年に買ったものだった。

彼女が老いると共に・・・・・そのサイドボードも年々赤味が薄れて来て時代観が出て来ていた。

今日、彼女が花を持って、竜泉寺に墓参りに来ると、寺の住職が厳しい顔をして門前に立っていた。

「大変な出来事が起こりました。李雲如夫人、どうか気をお確かに・・・・・」と、住職が、李雲如夫人に声をかけて来た。

その言葉を聞いた彼女が、足早に息子の墓の前まで来ると、さっき門前で住職の言った言葉の意味が現実となり・・・・・李雲如夫人はショックで気を失いそうになった。

息子の墓は荒らされ、墓石が無残にも崩されていた。

その上、今まで、李雲如夫人が、大切に手入れしてきた息子の墓石が、色鮮やかな黄色のペイントを使った落書きで穢(けが)されていた。

黄色のペイントで描かれた髑髏(ドクロ)のマークと口にするのも憚られるような・・
・・・書かれた悍ましい言葉で・・・・・墓石に彫られた彼女の息子の名前は見えなくなっていた。

花が活けてあった白磁の花瓶は、李雲如の息子が、生前、チナへ旅行に行った時に買って来たものであった。
 
その白磁の花瓶は、無残にも墓石に叩き付けられ、破片が方々に飛び散っていた。

李雲如は、暫く息子の墓の前で呆然としていた・・・・・まるで強度の貧血患者のようにヘモグロビンが急減して・・・・・呼吸も苦しくなって動きたくとも動けなかったのである。

悲しすぎて、涙も出なかった。

そんな彼女に対して、龍泉寺の住職は渾身の気遣いを示した。

しかし、住職は、疲労困憊(こんぱい)を隠すことが出来なかった。

住職は、その日、朝から副住職と二人で・・・・・龍泉寺へ墓参りに訪れた人たちの怒りと嘆きを受け止め、なだめ続けていたからである。

悪行の限りを尽くした心無い狼藉者たちは、黄色いペイントで落書きをし、崩れた墓石と引き千切った花等を置き土産にして行ったのである。

「警察には、もちろん通報しました・・・・・」と、龍泉寺の住職は李雲如に言った。

「警察には、不埒者どもが二度と龍泉寺の境内に入り込まないように、再度蛮行に及ぶ現場を取り押さえる為に・・・・・24時間態勢で境内と墓地を監視してもらうことになりました」

「だから、もう心配は要りませんよ」と、住職は彼女に言った。

 その住職の言葉を聞いて、李雲如夫人は

「なぜ、竜泉寺の墓地だけが荒らされなければならないの!?・・・・・住職さん」

 彼女は、完全に気が動転していた。

李雲如が気がついた時には、昼前になっていた。

そして、彼女は、ウエストビレッジに在る自分の家の前に立っていた。

しかし、どのようにして家まで帰って来たのか!?・・・・・彼女の記憶には・・・・・その間の記憶が全く無かった。

李雲如は、錆(さ)びかかった古い門扉を押し開けた。

古い門扉の立てる懐かしい軋(きし)みを聞くと、少し落ち着いた気分になった。

ところが、彼女は狭いポーチで、新たな衝撃を受けたのである。

家の玄関の鍵を取り出そうとしてバッグに手を突っ込んだ時、彼女は玄関に敷いてあるドアマットの位置がずれていることに気がついた。

ドアマットの下に予備の鍵を置くと決めた時から、李雲如は慎重にドアマットの敷く位置を決めていたので・・・・・彼女には確信があった。

ドアマットの位置は、間違いなく誰かによって動かされていたのである。

彼女は、震える手でドアマットを慎重に持ち上げてから・・・・・ドアマットの下を覗き込んだ。

彼女の思った通り、ドアマットの下から家のスペアキーは無くなっていた。

「留守の間に、予備の鍵を盗んで、家の中に侵入した誰かがいるんだわ!?」と、彼女は思った。

 そう思った途端、彼女の顔から血の気が引いていた!?

彼女は、玄関から二、三歩後ろに下がり、二階の部屋の窓を注視した。

「気のせいか?」

二階の主寝室の大きな窓のブルーのカーテンが・・・・・微かに揺れているように見えた。

そのブルーのカーテンは、慌てて、今しがた誰かによって閉められたかのような様相を呈していた。

彼女は、何か?訳の分からない不安で鼓動が乱れ、胸のあたりが締め付けられるように痛くなっていた。

手袋をはめたままの手で・・・・・李雲如は痛みを押さえようと胸の辺りを押さえた。

「助けが欲しい!!誰か・・・・・」

「今の私を助けてくれるなら、誰でもかまわないわ!?」と、彼女は内心訴えていた。

隣には、オートバイを乗り回す、礼儀知らずの暴走族青年が住んでいる。

彼女は、隣家から人の気配を感じた。

窓からは、暖かそうな蛍光灯の光が漏れているのが見えた。

彼女は、動揺した・・・・・おぼつかない足取りで隣家までゆっくりと歩いて行き、隣家の呼び鈴を押した。

隣家の部屋の中から、呼び鈴の鳴る音が聞こえてきた。

しかし、隣家からは誰も出て来なかった。

「隣家の人・・・・・早く出てきて!!」と、内心祈った。

彼女は、もう一度隣家の呼び鈴をありったけの力で押した。

その頃、彼女の家の二階の主寝室では・・・・・鋭い刃物を握った男が怪しい笑みを浮かべながら・・・・・ブルーのカーテンの陰で彼女の帰りを辛抱強く待っていた。


星期一 (月曜日)

ケントは、まだ、部長刑事に昇進したばかりだった。

今回の昇進と同時に、ケントはMHKに転勤して来たのである。

今日は、部長刑事になったケントの初めての出社日だった。

冬場、MHKに雨が降るのは珍しいが、外は、陰気な雨が降っていた。

 ケントは、窓から外を見て何とも言えぬ嫌な予感を感じていた。

「今日一日、何も起こらなければ好いが・・・・・」と、ケントは思った。

「新しい赴任先は、少しでも活気の有る・・・・・華(はな)やかな香りのする街でありますように!!」と、ケントはずっと祈っていた。

 しかし、配属された任地のMHKは、人口60万人の何も無い片田舎のちっぽけな街だった。

MHKの繁華街には、本格的な喫茶店兼パン屋が一軒しかなく、書店もほとんどなく、ビリヤード場と雀荘だけは数え切れないほどあった。

携帯電話は、普及している・・・・・パソコンも普及しているように見えたが、エクセルとワードがインストールされていないパソコンがほとんどだった・・・・・パソコンはインターネットテレビを見たり、パソコンゲームをするためのパソコンのようだ。

ケントは、こんなパソコンの使い方もあったのだと思った。

もっとケントを驚かすものがあった。

MHKで洋食と言えば「KFC」とみんなが答える街なのだ。

ボーリング場も無い。

映画館も、先月倒産したばかりだった。

ケントは、MHKへ来たくて来た訳では無かったのである。

住まいは、MHK警察署借上げのテラスハウスで2LDKの面積は86u、広さには満足しているが・・・・・ボロ家だった。

 MHKのこのボロ家へ引っ越して来てから三日目の朝、ケントには部長刑事の初任務が待っていた。

一週間前、ケントのもとには、MHK警察署署長の名前で、新任の部長刑事の為に組まれたほぼ10分刻みの任務スケジュール表が送られて来ていた。

「もう、仕事で早朝から深夜までずっとこき使われるようなことはなさそうだ・・・・・ラッキー!!」

「この送られて来た任務スケジュール表が、なによりも、MHK警察署が効率的に統率の取れた署である証しだ」と、ケントは確信していたのである。

出勤はスケジュール通り、8時40分に、ケントの家の前にMHK警察署の迎えの車が来ていた。

「この調子なら大丈夫・・・・・幸先いいぞ」と思った。

15分後には、MHK警察署の署長のもとに出頭し、着任の挨拶と報告をすることになっている。

「新任の部長刑事の第一印象は、立場上・・・・・あとあと仕事の上で、大きくものを言うので軽視してはいけない!!」と、ケントは内心、自分自身に言い聞かせた。

MHKは、ちっぽけで地味な地方都市であるが、ケントにとっては昇進のための重要なワンステップなのだ。

「しかし、MHKには、絶対に長期間、留(とど)まらない」と、ケントは自分自身に言い聞かせていた。

「警察で出世したいなら、何事にも・・・・・勢いとタイミングが大事なのだ!?」と、先輩の警部が言っていた。

 特に、新任の部長刑事は、一挙一動に注意を払わなければならないのだ。

だから、あまり早く迎えの車に乗り込むのも得策とは言えないのである。

なぜなら、新任部長刑事の不安の表れと受け取られかねないからだった。

新米の部長刑事は、不安そうな印象を断じて与えてはならないのだ・・・・・それがこの社会では鉄則になっていた!?

ケントは・・・・・9時3分前に颯爽(さっそう)とMHK警察署の正面玄関を通り抜け、速やかに署長執務室に通されることを望んでいた。

マイカルで新調したチャコールグレーのスーツの上に、レインコートを着こんで襟を立て、ケントは雨の中を迎えの車まで走った。

 ケントは、素早くドアを開け、車に乗りこみ、シートベルトを絞めて新聞を手に取ると迎えの車が走り出した。

「MHKでは、インフルエンザが猛威を振るっている」

「MHK警察署の署員の半数以上が、インフルエンザでダウン」という新聞の記事の見出しをケントが見つけたと同時に、車がMHK警察署の駐車場に着いた。

「新聞の記事によるとMHK警察署の署員の半数以上が、インフルエンザでダウンしているのならば・・・・・どうも、現在のMHK警察署は、私の期待していた理想の模範的な警察署の機能が崩壊しているようだ!?」と、、ケントの脳裏を悪夢が掠(かす)めた。

 出社初日なので、MHK警察署の正面玄関からケントは中に入った。

一階ロビーには、受付があった。

 しかし、受付係は不在だった。

つい先ほどモップ掛けをしたと思しきフロアーは濡れていた。

モップ掛けに使われた消毒剤の臭いが、ケントの鼻をついた。

「モップ掛けに使われた消毒剤にはインフルエンザの消毒剤も含まれているのだろう!?・
・・・・だとすれば・・・・・MHK警察署の署員の半数以上が、インフルエンザでダウンしているのは本当かもしれない」と、ケントは思った。

署内で電話が鳴っているのに、それに応える署員もいない様子だった。

受付のデスク付近で、男が一人で息巻いていた。

「車が盗まれた!!」

彼は、オンと言う名で、車の盗難届けにMHK署にやって来ていた。

「警察は、車の盗難届を電話で受け付けないと言うので・・・・・今日、会社を休んで自宅からタクシーで盗難届を出すために出頭して来たのに誰もいない・・・・・」

「もう随分、待たされている」

「やっぱり、インフルエンザの影響か?」と、ケントは思った。

「警察は、どうなっているんだ!?」と、その男が言った途端、ドアが開いて、

「お待たせしました・・・・・車の盗難届は完了しました」
 
「オンさん、今日のところは、これで、どうぞお引き取りください」と、禿げあがった額(ひたい)のどこか悲しそうな顔をした巡査部長が言った。

「で、どのように警察では、盗難された私の車を見つけてくれるのですか?」

「盗難届を出された車の特徴およびその他の情報は、既に、MHK署の全パトカーとパトロールに流してありますので・・・・・ご安心ください」

「それから、一般市民からの通報で車が見つかった場合は、お知らせしますので、そちらでお引き取りください」

「つまり、警察でしてくれるのは、この程度のことか・・・・・」

「偶々(たまたま)、誰かが、盗難届を出した私の車を見つけたら知らせてもらえると言う訳だ。実に、合理的で素晴らしい警察のサービースだ」と言いながら、これ以上、警察にかまっている暇は無いといった調子で軽蔑の念を表すると、男は足早にロビーを出て行った。

 禿げあがった額(ひたい)のどこか悲しそうな顔をした巡査部長は、「トン」という名前だった。

「おーい・・・・・誰か、電話に出られるやつはいないのか?」と怒鳴ると、ケントの方を向いた。

「ご用件は・・・・・?」と、その巡査部長はケントに尋ねた。

「新任の部長刑事の松浦ケントだ。マーロン署長にお会いしたい!!」

 ケントが言うのと同時に、ケントの後方にある正面玄関のドアが軋(きし)みながら開いた。

 そして、傘の滴(しずく)を切りながら、僧服を着た男ふたりと女ひとりの三人組が入って来た。入って来るや否や・・・・・「龍泉寺の件で・・・・・今日の朝一番にマーロン署長とお会いすることになっているんだがね」と、僧服を着た住職風の男がトン巡査部長に言った。

「どうぞこちらへ、住職さん・・・・・朝からマーロン署長がお待ちです」と、トン巡査部長が答えた。

「初出勤の部長刑事が、こんなことでは先が思いやられるな・・・・・やっぱり嫌な予感が当たったのかな!?」と、ケントは思った。

 そして、ケントは彼らの間に割って入った。

「マーロン署長と私の約束は、午前9時ジャストだ・・・・・署長から聞いて無いのか?トン巡査部長」と、マーロン署長名義のスケジュール表を見せながら、ケントは恨みの籠(こも)ったような押し殺した声でその巡査部長に向かって言った。

 しかし、トン巡査部長の年の功には及ばなかった。

「それでは、ここで少しお待ちください・・・・・新任の部長刑事殿」と言うと、その巡査部長はケントを押しのけるように受付デスクを離れて行った。

 そして、その巡査部長は、署長執務室へ向かう三人組を案内して脇のドアから出て行ってしまったのである。

ケントは、憤慨して腕時計を見た。

彼の腕時計は、午前9時1分前を指していた。

「ヤバい」

ケントの一番恐れていた「出勤初日・・・・・遅刻」と言うパターンの泥沼にはまっていた。

部長刑事として第一日目だというのに・・・・・禿げあがった額(ひたい)のどこか悲しそうな顔をしたトン巡査部長が、後から来た三人組の来訪者を先に通してしまったお陰で、ケントは着任早々遅刻する羽目になったのである。

 仕方が無いので、ロビーの隅に有った硬(かた)そうな木製のベンチに座って・・・・
・ケントはトン巡査部長が戻ってくるのを待つことにした。

 待っている間もロビーの壁時計の針は、新任部長刑事の遅刻時間を1分また1分と刻んでいた。
「若禿は嫌だな!?」と思った途端・・・・・ケントは、初出勤のMHK署で最初に会ったトン巡査部長の頭を思い出して吹き出すように笑った。

巡査部長は、年齢的には40歳に手が届こうとしていた。

「ギー」という音と同時に脇のドアが開いて、トン巡査部長が戻って来た。

ケントは・・・・・慌てて笑い顔を部長刑事の顔に戻した。

「私は、何時にマーロン署長とお会いできるのですか?・・・・・トン巡査部長」と言いながら、ケントはベンチから勢いよく立ちあがった。

「マーロン署長に会って貰うとしても・・・・・新任の部長刑事さんには・・・・・もう少し待ってもらうことになると思うよ!?」

その巡査部長は、新任の成り上がり者を相手にしているような時間は無いというような様子だった。

「うーん!?マーロン署長が多忙なら・・・・・誰かに・・・・・着任したことを報告しなければならない」と、ケントは考えた。

 新任の部長刑事は、少々焦っていた。

 大きく息を吸い込むと、マーロン署長から送られて来たスケジュール表を見た。

「では、リム警部に、新任の松浦ケント部長刑事が着任したので、面会したい旨を連絡してもらいたい!!トン巡査部長」

「今朝の新聞を読まれましたか?ケント部長刑事」と、ニヤニヤしながらトン巡査部長はけんとに尋ねた。

「朝刊は読んだ。それがどうかしたのかねトン巡査部長?」と、ケントは言った。

「残念でしたね。リム警部は・・・・・目下大流行しているインフルエンザで入院中なので、どうされますか?」

「うーん、困った・・・・・じゃあ誰に、着任の報告をすれば好いのだ!?」

「マーロン署長は、時間にうるさそうなタイプなのに!?」と、ケントは思いながらマーロン署長から送られて来たスケジュール表を見直した。

 知り合いも居ない・・・・・新しい任地MHKで・・・・・アクシデントのために・・
・・・スケジュール通りに着任の報告が出来ないケントは、パニック状態に陥ってイライラしていた。

その時突然、勢いよく正面玄関のドアが開き・・・・・びしょ濡れのヨレヨレのレインコートを着た風体の悪い男がロビーに飛び込んで来た。

その風体の悪い男は、首から紺色のマフラーを外して、マフラーの水を絞ってから鼻をヒクヒクさせた。

男の名前はワンローと言い、MHK署の名物警部だった。

「ワンロー警部、早く濡れたコートを脱いで乾かさないと・・・・・風邪引きますよ」
と、トン巡査部長がその風体の悪い警部に向かって言った。

トン巡査部長の言うことには、耳を貸さず、

「消毒剤と香水が混ざると、怪しげな臭いするな!?どうも、馴染めない・・・・・この種の臭いは、MHK警察署の品格を落とすぞ」と、ワンロー警部は訳の分からないことを言っている。

「消毒剤の臭いは、清掃係の小母さんの置き土産だ。洒落た匂いの正体は・・・・・新顔の部長刑事さんの使っているアフターシェーブローションの匂いだ」と、禿げあがった額(ひたい)のどこか悲しそうな顔をした巡査部長がワンロー警部に説明をした。

「どこの署にも、余計なことを言う奴が居るもんだ!?」と思いながら、ケントは二人の遣り取りを見ていた。

「マーロン署長が、朝からあんたのことを探しているぞ。ワンロー警部」

「あいつは、どこの警察署にも居る・・・・・部下に小言を言うのを日課としている嫌味なおっさんなのさ」と言うと、その男は、ケントの方を振り向いてニコチン色した手を差し出した。

「ワンロー警部だ」

 煙草を吸ったことのないケントは・・・・・ニコチン色した手を差し出されて一瞬慌(あわ)てた。

胸糞が、少し悪くなった。

このタイプの刑事は、ケントにとって一番苦手な部類に属した。

「だが、新任の部長刑事にとって、第一印象はだいじだ・・・・・このむさ苦しい親爺と握手ぐらいはしておこう!?」と、ケントは思った。

「新任のおまえさんは、オレと組んで仕事をすることになったんだ」と、真顔でワンロー警部は言った。

「マーロン署長から頂いたスケジュール表では、リム警部の下で働くことになっていますが・・・・・」と、ケントは、スケジュール表を見せながら確認するようにワンロー警部に言った。

「新聞にも書いてある通り、今、MHK署はこの署始まって以来の窮地に立たされているんだよ。ケント部長刑事・・・・・」

「署員の半分は、インフルエンザでダウンしているその上・・・・・追い打ちを駆けるように先週の金曜の夜、本通りのクラブで乱闘事件が有って、傷病休暇を取っている者たちもいるんだ」

「今、署に残ったのはオレ達みたいに、体力のある者や間抜けな奴だけだ・・・・・そんなメンバーが休みを返上して、MHK署の通常の勤務をこなしている状態なのさ」

「リム警部も、インフルエンザにやられたんだ・・・・・あと一週間は入院するらしい」と、別の内勤の巡査部長が、ニヤニヤしながらケントに説明してくれた。

 受付のデスクの上にある黒色の内線電話が、鳴りだした。

「マーロン署長からの電話だったら・・・・・取り次ぐな!!」と言いながらは、ワンロー警部は、正面玄関の方に後退(あとずさ)りし始めていた。

 生憎(あいにく)その電話は、署長からの電話では無く、司令室からワンロー警部に掛かって来たものであった。

「ウエストビレッジに、一人で住んでいる・・・・・李雲如夫人の家があったな!?」

「彼女の家で、殺人事件が発生したようだ?詳しいことは分からない」

「よし、直ちに現場に向かうぞ」と、ワンロー警部は、受話器を叩きつけるように架台に戻した。

 ケントの方を向いて「一緒に、行こうぜ」というように顎をしゃくった。

「素晴らしいね!着任早々・・・・・大当たりだ!?」

「着いて来いよ。新任部長刑事殿!!」

「でも、困りますよ・・・・・自分は、マーロン署長に着任の報告をしなければなりませんから」と、声を詰まらせながらケントは、ワンロー警部との同行を必死に拒んだ。

「新任部長刑事殿、そんな報告は帰って来てからでもできるから」と、ワンロー警部が言うのと同時に、タイミングよく内線の電話が鳴り出した。

 今度は、ワンロー警部を探すマーロン署長からの電話だった。

ワンロー警部は、電話が鳴りだすと、その音に機敏に反応した。

すかさずケントの腕を掴むと引っ張るようにして二人で、そのまま雨が降る外へ飛び出して行った。

ワンロー警部の車は、MHK署の駐車場の角を曲がったところに停めてあった。

車種は、古ぼけた黒のトヨタ・スターウッドだった。

「MHK署の駐車場は空いているのに、警部は、なぜ駐車場の外に車を止めているのか?」

 ケントには理解できなかった。

ワンロー警部は運転手席に座って、助手席の足元に置いてあった長靴を後部座席に放り込んだ。

ケントが助手席に座った途端に、車が動き出したので・・・・・フロントガラスに頭をぶつけそうになった。

「目的地は・・・・・?警部」と、ケントは、ワンロー警部に尋ねながら、慌ててシートベルトを締めた。

「ウエストビレッジだ・・・・・一人住まいの老婦人が殺害されたんだ」

「現場には、8分ぐらいで着くよ」

「MHKでは、殺人事件が、よく起こるのですか?」と、ケントが尋ねた。

「MHKの殺人事件は、統計で、年間、約6件ぐらいだ」

「街が発展して大きくなるに従って・・・・・殺人事件も増えて来ているのがMHKの現状だ。ケント部長刑事」

 暫くすると・・・・・事件の起こったウエストビレッジのテラスハウスが見えて来た。
 家の前には、パトカー、救急車、警察関係の車が停まっていた。

 玄関には、警察と印刷された紺色のカッパを着た警官が立っていた。

 ワンロー警部の黒色のトヨタ・スターウッドを見つけると、

「警部、雨の中、ご苦労様です!!」と、カッパを着た警官が声を掛けてきた。

「やあ、カンチャン」

「現場は、どこだ?」

「現場は、2階の寝室です。惨(むご)い殺され方です」

「紹介しておこう。こちらさんは・・・・・新任部長刑事の松浦ケントだ」

カンチャンは、濡れた片手をケントの方に差し出した。

 男の濡れた手を触るのは嫌だったが、此処で握手を拒否してこれからの業務に支障が生じると困るので、「部長刑事の松浦ケントだ」と、少し上から目線でケントも手を差し出した。

 そして、

「警部、現場へ急ぎましょう!!」と言って、ケントは、ワンロー警部を急(せ)かせて2階の現場へ向かった。

家の中へ入ると、二人ともレインコートを脱いだ。

家の中は、医者、鑑識、現場係りがあわただしく行ったり来たりしていた。

2階の主寝室へ行くと、被害者の死体が運び出されるところだった。

「惨(むご)い・・・・・」

ケント部長刑事は、被害者の身体を見て目を背けた。

「これは、あまりにも酷(ひど)いな・・・・・部長刑事」

 ケントとは対照的にワンロー警部は、現場を楽しんでいるようだった。

ケントは殺人現場に慣れていないので、胃から苦いものが込み上げてきて、口から噴き出しそうになった。

「たぶん・・・・・犯人は、そこのブルーのカーテンの陰にでも隠れていて・・・・・墓参りから帰って来た被害者の背後から迫ったのだろう!?」

「そして、被害者の李雲如夫人は、鈍器(どんき)で後頭部を殴られてから、刃物で首の皮一枚を残して殺されたんだ」

「被害者の李雲如夫人は、8ジャパドルを手に握りしめていた。・・・・・これが、何かダイイングメッセージを意味しているのかもしれない・・・な!?」

事件現場の主寝室の床の絨毯は、被害者の血で染まっていた。

窓のブルーのカーテンにも、無数の血飛沫(ちしぶき)が飛び散っていた。

「よう、カッブ」と、ワンロー警部はその主寝室にいた警官に声を掛けた。

「ご苦労様です。ワンロー警部」

「こちらさんは、新任の松浦ケント部長刑事だ。よろしく頼むよ・・・・・今日が初出勤だ!!カッブ」

「じゃ、こちらの部長刑事さんは・・・・・初出勤でこんな大きなヤマに当たって・・・
・・本当に大当たりですね!?ワンロー警部」

「その通り・・・・・ケント部長刑事は、出世が早いから、君もゴマを擂っておくほうが
いいよ!!」

「このMHK署の人間は、何で同じことばかり言うのだ・・・・・だから、都会へ転勤したかったんだ!!」と、ケントは思った。

 ワンロー警部は、ゆっくりと室内を見回した。

「二人とも疲れただろう!?・・・・・ちょっと休憩しよう」

 廊下に出てから、ワンロー警部は煙草を取り出し、二人に煙草を勧めてから詳細な状況説明を求めた。

警官のカッブは、警察手帳を開いて、事件の経過報告を始めた。

「発見者からの事件の通報時間は、午前9時1分です」

「発見者は、被害者の李雲如夫人に頼まれて・・・・・この家の鍵の修理に来た送迎バスのキムと言う運転手という男です」

「司令本部から無線が入ったのが午前9時8分で、私がテラスハウスに到着したのが9時14分でした」

「死因は、鈍器による打撲と・・・・・鋭利な刃物・・・・・包丁あるいはナイフによる殺傷です・・・・・犯人は、返り血を浴びています」

「緊急配備は、発令されていますが・・・・・犯行は昨日行われていて、インフルエンザの流行の影響で、今のMHK署で動ける人員は通常の約半分の人数ですので・・・・・緊急配備に犯人が引っかかる確立は低いですね!?ワンロー警部」

「そうだな、この事件は・・・・・もう既に初動捜査の段階で後れを取っているということか!?」

「何か、証拠物件は?」

「今のところ、ありません」

「発見者はいないが・・・・・どこに行ったのか?」

「送迎バスの勤務時間なので、会社に返しました」

「発見者のキムさんは、バスの運転手をしてまして・・・・・被害者の李雲如夫人とは、少林送迎バスの客と運転手と言う関係で顔馴染みのようです」

「そのキム運転手が、なぜ、鍵の修理にこの家にきていたのかな?カッブ」と、ケントが尋ねた。

「キム運転手は、余暇にアルバイトで鍵の修理をしていたようです・・・・・老人たちの間では評判も良く、重宝(ちょうほう)がられていた好青年のようです」

「被害者の李雲如夫人の死亡時刻は、昨日の11時30分から13時の間です」

「土曜日の夜、龍泉寺に在る李雲如夫人の息子さんの墓が荒らされました・・・・・墓荒らしの犯人は、まだ、捕まっていません・・・・・墓荒らしとこの殺人事件の関連性のはありますか?」

「息子さんの墓が荒らされて、李雲如夫人は怯(おび)えていたようですと・・・・・龍泉寺の住職がマーロン署長に話していたそうです」

「被害者の李雲如夫人は、一人暮らしだったのかね?」

「はい!独り暮らしでした・・・・・彼女は、夫と、DV(夫婦間暴力)が原因で離婚しています」

「じゃあ、彼女の別れた夫にも容疑がかかるな!?・・・・・離婚の原因がDV(夫婦間暴力)だからな」

「別れた夫の身辺調査もしてもらってます・・・・・少し時間が掛かるようです。ワンロ
ー警部」

「どうして、時間が掛かるんだい?カッブ」

「彼女の別れた夫は、商社勤務で、今、海外出張中らしいです・・・・・勤務先の商社へ確認中です」

「盗まれたのは、現金3500ジャパドルです。他に盗まれた物はありません」

「今、分かっているのはここまでです。ワンロー警部」

「分かった。カッブ・・・・・新しい情報が入ったら、また連絡してくれ!!」

「おれたちは、これから、話を聞きに近所を廻ってくるよ」と、ワンロー警部が言うと、ケントと外へ出た。

陰気な雨は止んでいた。

空は灰色で、今にも雪が降りそうだった。

玄関には、警察と印刷された紺色のカッパを着た警官が立っていた。

MHK署は、インフルエンザが原因で、署員が不足しているため・・・・・ワンロー警部とケントは、二手に分かれて近所の事情聴取に廻った。

先ほどまで雨が降っていたにも拘わらず、周辺の家は留守の家が多くて、近所の事情聴取はあまり捗(はかど)らなかった。

事情聴取の結果、被害者の李雲如夫人の近所での評判はすこぶる悪かった。

被害者は、誰にでも文句を付けるようなタイプの・・・・・おせっかい焼の婆さんだったのである。

午後4時、ケントとワンロー警部は、トヨタ・スターウッドで合流した。

「収穫は、何か・・・・・有ったかい?ケント部長刑事」

「日曜の昼前に、李雲如夫人が、隣に住む暴走族の青年の家を訪ねたことを確認しました・・・・・多分、彼女が殺される直前だと思われます。ワンロー警部」

「しかし、その暴走族の青年は、彼女とお楽しみ中だったので、李雲如夫人とは会っていません・・・・・その暴走族の青年の彼女の連絡先は分かっています。警部、以上です」

「おれのほうは、別れた夫が李雲如夫人と別れてからも時々、李雲如夫人に会いに来ていたようだが、その夫は門前払いされていたと言うことだけだ。ケント」

「嫌な予感がする!?」と、ワンロー警部が言った。

 無線機の雑音が鳴り止んで、司令本部が、ワンロー警部の応答を求めて来た。

「現在位置は、どこですか?警部」

「ウエストビレッジの李雲如婦人殺しの現場にいる」

「ケント部長刑事も、一緒ですか」と、司令本部が聞いてきた。

「署長が・・・・・どうかしたのか?」

「マーロン署長が、大至急、ケント部長刑事に会いたいそうです」

「諒解」

「終わりよければ、全て好しだな!?ケント部長刑事」

「やっと、マーロン署長に、着任の報告が出来る」と、ケントは思った。

「それから、・・・・・ワンロー警部にも会いたいので、17時までに、必ず署長室に顔を出すようにとのことです」

「マーロン署長からのお呼び出しだ・・・・・今日は、冴えない一日になりそうだな!?」と、ワンロー警部が言うと、無線機の音量調節のつまみを元の位置に戻した。

 ワンロー警部の黒色のトヨタ・スターウッドが、警察の駐車場に停まるや否や、ケントは安全ベルトを外して車を降り、一目散にMHK署の正面玄関に飛び込んだ。

「マーロン署長が、お待ちかねです。署長執務室に案内します」と、受付のデスクに、ケントを待っていたというように、禿げあがった額(ひたい)のどこか悲しそうな顔をしたトン巡査部長が立っていた。

「さっきの額の禿げ上がった巡査部長だ・・・・・苦手だ・・・・・悪いことが起こりま
せんように!!」と、ケントは祈った。

 案内のトン巡査部長に続いてケントが署長の執務室に入いると、MHK警察署署長であるマーロン警視が待っていた。

トン巡査部長は、ケントが執務室に入ったのを確認すると部屋を出て行った。

マーロン署長は、顎で椅子の方を指し示し、ケントに座るように勧めた。

ケント部長刑事は、署長に赴任の報告を行なった。

マーロン署長は、MHK署の現状を説明し始めた。

「現在、MHK署の署員の大半が、インフルエンザでダウンしていて・・・・・この署、始まって以来の危機的な人手不足の状況に陥っている現状だ」

「リム刑事も、インフルエンザでダウンして病気休暇中だ・・・・・それで、新任のケント部長刑事には、ワンロー警部の下で働いてもらうことになった・・・・・ワンローも、優秀な警部だ」

「しかし、沢山の事件を担当しているので、どうしても・・・・・ワンロー警部の報告が私のところに上がって来るまでに時間が掛かる」

「だから、君がワンロー警部の下で任務に就いている間に、署長の私の耳に入れておいた方がよいと思われることに関しては・・・・・遠慮なく、私に報告してくれ、頼むよ!!」と、ニコニコしながらマーロン署長はケントに言った。

「諒解(りょうかい)」と、ケントは元気よく答えた。しかし、内心は、

「署長は私に、ワンロー警部のスパイもしてくれということなのか・・・・・警部は、署長に好かれていないようだな!?」と、ケントは感じた。

署長執務室は、たっぷり空間を持たせた広い部屋だった。

床は、濃紺の絨毯が敷かれていた。

「よくMHK署に来てくれたな・・・・・君・・・・・当にケント部長刑事こそ、MHK署が必要としていた人材だ」

「うん素晴らしい・・・・・文句なしだ」と、マーロン署長は、ケント部長刑事の人事記録を見ながら、有能で、熱意に溢れる彼の人物像を想像していた。

 一方、ケントは、

「署長執務室にも人が来ないな・・・・・やっぱり、これもインフルエンザの影響かもしれないな!?」と思った。

その時、ドアをノックする音で、マーロン署長は顔を上げた。

「やっと、助け舟が来てくれたらしいな!?・・・・・署長への着任の報告も済んだし、そろそろ退散のタイミングだ」と、ケントは内心微笑んだ。

「マーロン署長、失礼します!!」と言う声が聞こえた。

 そして、内勤の責任者であるアズマー巡査部長が、疲労困憊(こんぱい)でこれ以上働けないという顔をして、腕一杯に書類を抱えてせかせかとした足取りで入って来た。

その時を逃さず、

「よし、出ていくのは・・・・・このタイミングだ」と、ケントはスッと立ち上がった。

 そして、執務室に入って来たアズマー巡査部長にすれ違いざま・・・・・ケントは軽く挨拶をした。

「マーロン署長、これから健康診断に参ります・・・・・明日から、ワンロー警部と捜査にあたります」と、ケントはマーロン署長に言った。

「よし、じゃあ・・・・・明日からの君の働きに期待しているぞ!!ケント部長刑事」と、署長は上機嫌だった。

 アズマー巡査部長と入れ違いに、ケントは署長執務室を出てドアを静かに閉めて玄関の方に歩いた。

ケントの背中のほうでは、報告に来たアズマー巡査部長とマーロン署長の大きな話し声だけが聞こえているだけだった。

「やっぱり、さっきのタイミングで署長執務室を抜け出したのは正解だったな!?」と、ケントは微笑んだ。



星期二(火曜日)

午前8時45分に、ケントは、MHK警察署に出勤した。

ロビーで、禿げあがった額(ひたい)のどこか悲しそうな顔をしたトン巡査部長と会うことはなかった。

「お早うございます!アズマー巡査部長」

「やあ、お早う!ケント」

「昨日はあれから、署長が君のことを褒めていたよ。マーロン署長は、君を気に入ったようだな!!」

「ありがとうございます」

 今朝は、内勤の責任者アズマー巡査部長がケントを迎えてくれた。

 そして、内勤の責任者アズマー巡査部長が、ケントを連れて署内を案内してくれた。

最後に、ワンロー警部と共同で使うように支持された部屋まで連れて行ってくれた。

「用事があれば、言ってくれ。それと・・・・・インフルエンザには、くれぐれも注意しろよ」と、言うとアズマー巡査部長は、その部屋の前でケントと別れた。

部屋の中には、デスクが二つ並べて配置されていた。

ケントには、小さい方のデスクが割り当てられていた。

その小さい埃まみれの古びたデスクは、長い間、主人が居なかったようだった。

そのデスクの上には、いつ作成されたものとも分からない書類とファイルが山積みにされていて、電話の置き場所も分からないような状態であった。

「こんな部屋に居ると、インフルエンザが流行しなくとも・・・・・何か変な別の病気に掛かるような気がする!?完全にギブアップ・・・・・だ」

MHK署内において、ケント部長刑事の初仕事は、この豚小屋並みの仕事場である部屋を整理整頓し、スッキリした働き場所にすることであった。

整理整頓を促すように・・・・・突然、低い呻(うめ)き声のような内線電話が、容赦なく鳴り出した。

「この電話の音!?・・・・・うーん、なにか嫌な感じがするな!?」と思いながらケントは、書類の山を掻き分けて電話の受話器を握った。

「ケント部長刑事です」

「ワンロー警部はいるか?」

 電話の主は、マーロン署長だった。

「いいえ、ワンロー警部は、まだ来ていません。出勤次第、折り返し連絡いたします!!署長」と言うと、ケントは、受話器をそっと架台に戻した。

「もうMHK署には慣れたかね?ケント部長刑事」と言いながら、その日の午後1時過ぎに、ワンロー警部が睡眠不足のような顔付きでやって来た。

「マーロン署長がお探しでしたよ!?警部」

「ありがとう・・・・・今、署長と会って来たところだ・・・・・あっ、それから、君の評判は、至極良いようだ。署長も、上機嫌だったよ」

「有難うございます!」

「ケント部長刑事・・・・・君がこのMHK署に来る前・・・・・三週間の間に、この地区では高齢者宅ばかりを狙った侵入強盗事件が計18件起きている」

「犯人は、まだ、捕まっていない」

「犯人が、盗むのは現金に限られていた・・・・・今回のような殺人事件は初めてだ」

「手掛かりは・・・・・?警部」

「現状、事件の手掛かりは、限り無くゼロに近いと言える・・・・・その上、目撃者も無い。これでは、警察としてもまったく手の打ちようがない」

「随分、お疲れのようですね・・・・・ワンロー警部」

「本当に疲れたよ。昨夜は、マーロン署長の命令で、おれは、龍泉寺の墓地で夜警をしていたんだ」
「夜の龍泉寺の墓地は、寂しいね!!」

「それは、どうもお疲れ様でした。警部」

「ところで、ウエストビレッジの殺人事件の方は、進展がありましたか?」

「現在、李雲如夫人の別れたDV夫のアリバイを確認している・・・・・事件の起こった時間には、仕事でアメリカへ海外出張に行っていた。別れた夫は、たぶん白だ。ケント」

「では、殺人と墓場荒らしの不埒者との関係は、ありますか?警部」

「その関係は、まだ分からないね。現状、この事件が壁にぶち当たる一歩手前の状態にあるから・・・・・」

 退社時間の午後5時まで、ワンロー警部は外出する理由・根拠が無いので、部屋で苛々し始めていた。

 新任の部長刑事のケントは、苛々しているワンロー警部にはかまわず、黙々と部屋の整理整頓を続けていた。

 一方、苛々を解消しようとワンロー警部は、コンピューターで複数の事件に関する共通のパターンを見つけ出そうと画面を真剣に見つめていていた。

しかし、コンピューターからは、

「どこかの高齢者倶楽部に入っているという条件に該当しています」と言う答えしか返ってこなかった。

「高齢者が、どこかの高齢者倶楽部に入るのは・・・・・今の時代、ごく普通のことだから」と、考えたワンロー警部は、この高齢者倶楽部に入会するというパターンには反応しなかった。


星期三(水曜日)

 ウエストビレッジの李雲如殺人事件の別れたDV夫は、海外出張からMHKに帰って来て・・・・・今、流行しているインフルエンザで、MHK市立病院に入院しているので彼のアリバイは成立した。

「ケント部長刑事、ウエストビレッジの李雲如夫人のことで、龍泉寺の住職に話を聞きに行くと言っていたな・・・・・」

「それで、何か?収穫は・・・・・有ったのかい?」

「あのー・・・・・その件に関しては、詳しく報告書にしてデスクの上に置いてありますが!?ワンロー警部・・・・・」

「君はおれが、大の報告書嫌いだと言うことを知らなかったのか!?・・・・・そうだとしたら悪かったな!!ケント」

「どういたしまして・・・・・えっと、李雲如夫人は、8年前からあの龍泉寺と言うお寺が経営している・・・・・少林高齢者倶楽部のメンバーだったそうです」

「それと、龍泉寺の住職の知る限りでは、彼女の親族と言えるのは・・・・・亡くなった息子さんと別れたDVの夫だけだったらしいです」

「そのうえ、李雲如夫人は、あまり、人付き合いに積極的な人ではなくて、親しい友人と呼べるような人もほとんど居なかったそうです。警部」

「彼女は、相手かまわず誰とでも口論をして歩くようなタイプだったので・・・・・必要かどうか分かりませんが、その口論した相手のリストを作成しておきました」

「面倒だが、口論の程度に関わらず、その相手を最後まで当たってくれ!!ケント」と言うと、

「あっ、しまった」と、不意にワンロー警部が呟(つぶや)いた。

「どうかしましたか?警部」と、ケントが尋ねた。

「クリーニング屋の連中に、血のついた衣類が持ち込まれたら連絡してくれるように言うのを忘れてたよ!?」

「あのー・・・・・その件なら、とっくに手配済みですよ。警部」と、ケントは勝ち誇ったような口調で言った。

「ありがとう!!ケント部長刑事」と礼を言うと、

「トンボー巡査のところへ行って来る」と、何かを思いついた様子でワンロー警部は、突然、部屋を出て行った。

 トンボー巡査に、送迎バスの運転手であるキムの監視業務を依頼して、10分ほどすると、ワンロー警部は部屋に戻って来た。

「どうして・・・・・この事件の発見者で通報して来た送迎バスのキム運転手に監視を付けたのですか?警部」と、透かさずケントは尋ねた。

「犯人の検討が付かない状況で、トンボー巡査に監視業務を依頼したのは分からない相手
である・・・・・犯人にプレッシャーを与えるのが目的なんだ・・・・・だから、監視はオープンでしてもらっている」

「キム運転手を監視するだけで・・・・・分からない相手にプレッシャーを掛けるだけの効果はあるのですか?」

「効果があるかないかは・・・・・現状では分からん!?結果だ」

「それから、18件の高齢者住宅侵入強盗事件で、被害にあった高齢者が入会している少林高齢者倶楽部の名前を調べてくれ!!ケント部長刑事」

「おれは、マーロン署長に至急提出しなければならない書類作成業務が有るので同行できない」

「それから、被害にあった高齢者が鍵の修理をしていたかどうか?・・・・・誰に鍵の修理を頼んだのかも聞いてくれ。ケント」

「諒解」と、ケントは、18件分の事件ファイルを持って外回りに出て行った。


星期四(木曜日)

「ただいま、戻りました。ワンロー警部」

午後2時過ぎに、MHK警察署のオフィスに、ケントは戻って来た。

ワンロー警部は、相変わらず、署長の今日中に発送することとメモのついた書類を作成していた。

「ご苦労さん、ケント部長刑事」

「収穫は、どうだったかね?」

「18件の被害者のうち16件の高齢者は、少林高齢者倶楽部のメンバーで鍵の修理もしていました・・・・・残りの2件の高齢者は、不在でしたので、明日、訪問する予定です。鍵は、どの家も送迎バスのキム運転手が、アルバイトで修理をしていました」

 その時、机の上に山積みされた書類の下から、低く呻(うめ)くような内線電話が鳴り出した。

「ケント、電話を聞いてくれ」

「了解」と言うと、ケントは、架台から受話器を取った。

 電話は、司令室の連絡係からだった。

MHK南通りのクリーニング店に、黄色のペイントの付いたシャツがクリーニングに持ち込まれたと言う連絡であった。

「では、至急、そのシャツを確保して、鑑識にまわしてくれ」と言って、ケントは、電話を元の架台に置いた。

「ワンロー警部、黄色のペイントの付いたシャツが南通りのクリー二ング店に持ち込まれたようです」

「それは上々の守備だ・・・・・クリーニング屋の線で・・・・・何か別のものが、網に引っ掛かってきたようだな!?ケント」と話していると、

「失礼します」と言って、トンボー巡査が、監視任務の経過報告のために、ワンロー警部のオフィスに入って来た。

「キム運転手の動きは、どうだ?」

「今朝、彼は、仕事のために午前8時58分に家を出ました」

「病気の会員の家からMHK市民病院までの送迎(そうげい)を担当しています・・・・
・現在も、監視の方は継続中です」

「ああ、その調子だ・・・・・頼むぞ!!」

「キムの身辺を洗ってみて、何か出てきたかい?トンボー巡査」

「キム運転手は、父親に死なれてから母親と暮らしています。10年ほど前・・・・・ゴ
ールドビレッジから、二人でMHKへ引っ越してきました」

「職歴は、これまで一度も定職に付いたことが無いということです・・・・・臨時の運転手が一番多いですね・・・・・しかし、彼の近所での評判は上々です」

「それから、送迎バスの仕事が無い時は、MHK北通りのラム古着店でアルバイトをしています」

「キム運転手が、夜遅く出かけたり・・・・・夜遅く帰ってくるところを見たことがあるか?近所の連中に確認してみたか?」

「はい、警部・・・・・時々、深夜に近所の人がキム運転手を見たことがあるそうです。しかし、いずれの場合も・・・・・夜遅くの少林高齢者倶楽部の送迎(そうげい)バスの仕事だそうです」

「ご苦労、人手が足りないので・・・・・続けて監視を頼むよ。トンボー巡査」


星期五(金曜日)

「ただいま、帰って来ました」

 残り2件の侵入強盗の高齢者宅を廻って、ケントは、オフィスに戻って来た。

 ワンロー警部は、相変わらず、不機嫌な顔で・・・・・終わりの無いような事務処理をしていた。

「ご苦労さん、収穫はあったかい?ケント部長刑事」

「残り2件の高齢者の被害者宅も、少林高齢者倶楽部のメンバーでした・・・・・キム運転手に、鍵の修理をしてもらっていましたよ。警部」

「今の段階で、キム運転手だけに、決め込んで捜査をしていいんですか?」

「他にも、条件に合う運転手は、数名いますので・・・・・」

「君の言うのも正論だ。だから・・・・・オープンで監視してもらっている」

「今、MHK署は署員が不足して、崩壊寸前だからこの線で行くしかないんだ」

「しかし、おれは、絶対、キム運転手が犯人だと思っている・・・・・キム運転手が犯人でなくても、運転手が犯人だ・・・・・絶対間違いないさ。ケント部長刑事」

 その時、ケントが、やっと整理した山積みの書類の間から顔を出した内線電話が鳴り出した。

「はい、ケント部長刑事」

 ケントが、受話器を取った。

鑑識からの電話だった。

「昨日、クリーニング店に持ち込まれたシャツに付着していた黄色いペイントと、龍泉寺の墓荒らしの使った黄色いペイントが一致しました」

「そうか」

「そして、シャツには微量の苔(こけ)がくっついていました・・・・・その苔(こけ)が、龍泉寺の墓石の苔(こけ)と一致しました。ケント部長刑事」

「諒解、ありがとう」と言って、ケントは受話器を架台に戻した。

「鑑識からの報告でした。クリーニング店に持ち込まれたシャツに付着していた黄色いペイントと付着していた苔(こけ)が、龍泉寺の墓石の黄色いペイントと苔と一致したとのことです。ワンロー警部殿」

「黄色いペイントと苔の付着したシャツの持ち主は、李雲如夫人の隣家の暴走族の青年でした」

「では、ケント部長刑事、マーロン署長に黄色いペイントの墓荒らしの件を報告して・・
・・・署員が不足しているので・・・・・その暴走族の青年のところへ行く署員の手配をしてもらってくれるかな!?」

「この事件は、警部が報告に行かれるのが、妥当だと思いますが・・・・・」

「いや、この事件は、君の初仕事だから、早く報告して来てくれ!!」

「ワンロー警部、では、署長に報告に行ってきます」

「警部は、なんと出世欲の無い人だ」と思いながら、ケントは署長に報告に向かった。

 署長執務室のドアをノックして、ケントが中に入ると「あっ!?」と・・・・・ケントは驚いた。

マーロン署長が、白いマスクをしていたのである。

「インフルエンザで、もう、MHK署はお終いか?」と、ケントは思った。

「マーロン署長、どうされました?」

「風邪だ・・・・・インフルエンザでは無いから安心してくれ!!ケント部長刑事」と言う署長の声を聴いてケントは少し安心した。

「報告に参りました」

「よし、報告頼むよ」

「龍泉寺の墓荒らしの件ですが、犯人が判明しました」

「やったな・・・・・君の初仕事だ!!」

「マーロン署長、署員の手配をお願いいたします」

「クリーニング店に持ち込まれたシャツから、龍泉寺の墓荒らしに使われた同じ黄色いペイントと苔(こけ)が一致しました」

「シャツの持ち主は、ウエストビレッジの李雲如夫人の隣家の暴走族の青年でした」

「分かった!至急、署員を手配する。ケント部長刑事」

「君のおかげで、やっと、あのうるさい龍泉寺の住職と市会議員に、墓地荒らしの事件の報告が出来るよ!!」

「それから、私が、インフルエンザで、ダウン寸前というようなことは、ワンロー警部に報告しないでくれ・・・・・あくまでも、私は風邪を引いているだけだ。これは、署長命令だ!!」

「諒解」と、ケントは言った。

「私が、インフルエンザで倒れると、署内の上級管理職で健在なのは、ワンロー警部一人になってしまうのだ・・・・・あのワンロー警部にだけは・・・・・インフルエンザで死んでもこのMHK署を任せたくないのだ」と、マーロン署長は言った。

「では、失礼します」と、ケントは、執務室のドアを静かに閉めて外に出た。

「なぜ、マーロン署長は、ワンロー警部をあそこまで好きになれないのだろう・・・・・何か原因が在るはずだ」と思いながら、ケントは自分のオフィスに戻った。

 オフィスでは、ワンロー警部が、相変わらず終わりの無いような事務処理を無心でしていた。

「あんなに現場で生き生きとしていた・・・・・ワンロー警部は何処に行ったのかな?」
と思った。

 ケントは、大人しく事務処理をしている警部を見ていると、インフルエンザで倒れかけている署長の姿を思い出して、思わず笑ってしまった。

そして、ケントは右手で口を押えた。

「署長執務室で、何か面白いことがあったのか?ケント」

「いいえ、なにもありません」

「マーロン署長に、龍泉寺墓荒らしの件を報告し、署員の手配を依頼して来ました。ワンロー警部」

「ご苦労!」

「ところで、ウエストビレッジの殺人事件だが、犯人は、絶対返り血を浴びているんだ・
・・・・凶器の刃物の血は、被害者の李雲如夫人のスカートで拭かれていた」

「では、犯人が、返り血を浴びた衣服をどのように処分したのだろうか?・・・・・君ならどう考えるかね!?ケント部長刑事」

「先ず、返り血を浴びた衣服を他の衣服に着替えて・・・・・それから、返り血を浴びた衣服を鞄か何かに詰め込んで現場から立ち去ります」

「18件の高齢者宅侵入強盗事件と1件の高齢者殺人事件の共通点は、高齢者のいずれもが少林高齢者倶楽部のメンバーで、鍵を修理していることだ」

「殺された李雲如夫人が握っていたのは、8ジャパドルだった」

「彼女が、残したダイイング・メッセージかもしれませんね!?」

「MHK地区の鍵の修理代は、いずれも、8ジャパドルだから・・・・・」

「李雲如夫人が握っていた8ジャパドルが、ダイイング・メッセージだとしても・・・・
・この事件のカギを握る決定的なものではない!!」

「そうですね!?それに19件の高齢者の被害者はいずれも、キム運転手と接触がありました。警部」

「19件の事件があった時間帯、キム運転手はいつも、母親と一緒に家に居たことになっている・・・・・少し、出来過ぎているような気がする」

「たぶん、母親が、息子のキム運転手をかばっているように思われる。母親は、心臓に病気を持っていて・・・・・近所では、息子を溺愛していると言う風評もある!?」

「指紋は、ウエストビレッジの殺人現場から1個だけしか出ていません。警部」

「キム運転手が、19件の高齢者宅の鍵の修理をしていたのなら、全ての家からキム運転手の指紋が出てもおかしくないし・・・・・それが普通だと思わないか?ケント」

「そうです・・・・・犯人は、逆の真実或いは心理を狙っているような気がします・・・
・・たぶん捜査を撹乱するために!?」

「それに、犯罪を犯すための準備として、キム運転手は、敢(あ)えて、指紋を残さなかったと考えれば全て納得できる・・・・・そう思わないかね?」

「はい、そう思います」

「それから・・・・・これはおれの感だが、この事件・・・・・明日が勝負になるような気がする」

「明朝、キム運転手の母親に話を聞きに行くので、同行してくれ。ケント部長刑事」


星期六(土曜日)

 午前10時、ケントは、ワンロー警部に同行して、キム運転手の家を訪問した。

 ワンロー警部が、ドアをノックすると、ドアチェーンを付けたままドアが半開きになった。そして、

「どちら様」と、キム運転手の母親が顔を出した。

「警察のものです」と、ワンロー警部は、警察手帳を見せながら言った。

 ワンロー警部が差し出した警察手帳を慎重に見ながら、キム運転手の母親は、ドアチェ
ーンを外(はず)してドアをゆっくりと開けた。

「今日は、息子さんの件で、お話をお聞きしたく訪問させていただきました」と、もう一度、ワンロー警部は、警察手帳をキム運転手の母親に見せた。

ワンロー警部の風体の悪いのが原因で、彼が警察官だと認められるまでには時間が掛かった。

ケントとワンロー警部は、キッチンに通された。

キム運転手の母親は、二人にコーヒーを入れてくれた。

「お宅の息子さんには、殺人と強盗の疑いが掛かっています・・・・・断定したと言う訳ではありませんので、少しお話を聞かせていただけますか?」

「先週の日曜日の午前10時頃から午後2頃まで、息子さんは、何処にいらっしゃたのか、ご存知ありませんか?」

「そのことについては先日来られた警察の方に申した通り、その時間帯、息子は私と一緒にこの家に居ました」

「私は、心臓が悪いので、その日は発作が起こったので、息子が私の看病をしてくれていました」

「そうですか!?」

「お母さんは・・・・・息子さんをかばっていませんか?」

 ケントは、驚いた。

 ワンロー警部が、単刀直入にこんなにストレートな話し方をするとは思っていなかったからだ。

「父親は、あの子の3歳の時に亡くなりしたので、私が働きに出ました・・・・・私に代わって、夫の祖母が、あの子の面倒を見てくれました」

「しかし、夫の祖母は、躾や行儀には厳しい人で、息子はよく祖母に叩かれたようです・
・・・・」

「息子は、やさしい子です。決して人を殺したり、強盗をするような子では有りません」と、母親は言った。

 それに対して、ワンロー警部は、

「厳しかった祖母へのリベンジとして、また、高齢者を殺すかもしれません!?」

「次の犯罪を起こす前に、犯罪を防ぐのも警察の仕事です」と、キム運転手の母親に言った。

「ワンロー警部が、何時、犯人の祖母へのリベンジと言う犯行の動機に気付いたのか?」
 ケントは内心、吃驚していた。

 キム運転手の母親からは、これと言った新しい情報は得られなかった。

一方では、警察官として優秀なワンロー警部に対する尊敬の念が生まれ始めていた。

ケントとワンロー警部は、そのままオフィスに戻った。

「キム運転手の母親から、何か気づいたことは無いか?ケント部長刑事」

「息子を溺愛している・・・・・あの母親からは、息子をかばっているように感じられました。警部」

 その時、低く唸るような内線電話の音が鳴り出した。

「はい、ケント部長刑事」と言って、ケントは電話を取った。

「キム運転手のアルバイト先のラムの古着屋で、彼のロッカーを見つけました」

「鍵が掛かっていて、開けることができません。どうしますか?」

「それから、この古着屋には、ボイラー室がありますので、何か証拠になるようなものが無いか確認してみます」と、古着屋へ行っているトンビー巡査からの電話だった。

「必ず、古着屋の主人に、訳を話してロッカーを開ける許可を取ってから、キム運転手のロッカー開けてくれよ」

「諒解」と言って、電話は切れた。

 トンビー巡査が、古着屋のキム運転手のロッカーを開けると、中には作業着がいっぱい詰まっていた。

 古着屋の主人のラムは、キムを信頼して店を任せていたので驚いた。

「キムは、お店の商品を盗んでいたようですね」と、トンビー巡査が言った。

「キムを信頼して・・・・・店をまかせていたのに」と、古着屋の主人のラムはびっくりしていた。

トンビー巡査は、小回りが利いて良く気が付く。

 巡査自身で、隣室のボイラー室も確認したが、ボイラーの中は、衣服を燃やした後の灰しか見つからなかった。

しかし、念のために、トンビー巡査は、鑑識に連絡して現場検証を頼んだ。

「うちの商品は、寄付されてくる古着がほとんどです。作業服の中には、汚れの酷(ひど)い物やダニや蚤(ノミ)の付いた物があります、そのような作業服は、商品になりませんので焼却処分にしています。その時に、ボイラーを使っています」と、古着屋の主人のラムが言った。

 トンビー巡査は、古着屋の件をワンロー警部に報告した後、またキムの監視任務に廻った。

「李雲如夫人殺人事件に関して・・・・・私たちのフォーカスはずれているのでしょうか?警部」

「心配、要らないよ!!おれたちのフォーカスは、全然間違っていないよ。正常だ!!ケント部長刑事」

「これから、キムに対する監視任務が・・・・・ジャブのようにゆっくりと効果を現してくるんだ」

「しかし、ワンロー警部、心配なのは、MHK署の現状では、監視任務に人を避けないので、監視任務を警官一名でおこなっていることです」

「まあ、監視はうまくやってくれるよ」

 午後9時、内線の電話が、いつものように鳴り出した。

「はい、ケント部長刑事」と言って、ケントは受話器を取った。
「先ほど、キムの母親が、心臓の痛みを訴えて、救急車で、MHK市民病院へ搬送されました」

「キムは、母親の付き添いで・・・・・その救急車に乗り込んでMHK市民病院へ行きました」

「トンビー巡査は、MHK市民病院の玄関でキムの監視任務を継続しています」

「やっと、幕が開いた・・・・・キムが行動に出たんだ!?」

「たぶん、今夜のキムの母親の心臓の痛みは狂言だろう・・・・・」

「何のための狂言ですか?ワンロー警部」

「母親が、自分の息子を逃すためさ!?」
「そろそろ、第二幕だ・・・・・キムが飛び出して来る頃だ」

「ケント部長刑事、もう少し待機していてくれ!!」

「諒解」とケントが言うと、至急コールが赤く点滅して内線電話が鳴り出した。

 司令室の通信係が出た。

「キムが、病院を出て来ました」

「出て来たキムに、トンビー巡査が職務質問をすると、鋭い刃物で、キムがトンビー巡査の腕を切りつけて、キムは、予め準備してあったバンで逃走しました」

「至急、署員を緊急配備して、キムをMHKから出すな!!」と、ケントが怒鳴った。

「ケント部長刑事、マーロン署長に、トンビー巡査が負傷したことを報告して、緊急配備を要請して来い。至急だ」

 MHKは、周囲を梅河と柳河(リュウハ)と言う大河に囲まれた街で、橋を渡らなければキムは逃げることができないのである。

 ケントは、マーロン署長にトンビー巡査が負傷したこととキムが李雲如夫人殺人事件の容疑者であることを報告した。

そして、キム容疑者を確保するための緊急配備をしてもらうよう、署長に要請した。

 現在、MHK署は、インフルエンザが原因で署員が不足しているので、事件の早期解決
・犯人の早期検挙のためにマーロン署長自(みずか)ら細かい署員の緊急配備の手配もしていた。

 キムは、柳河(リュウハ)の架橋工事現場の検問で、その夜のうちに捕まった。

MHK署は、徐々に、署員がインフルエンザから復帰し、通常の任務を通常の人員でこなしている。

「やっと、これでスケジュール表通りの仕事ができるようになった」と、安堵した途端、ケントの目が覚めたのである。

ケントは、冬休みが終わり、明日から学校が始まるので、手にはMHK署の任務スケジュール表の代わりに新学期の時間割を握っていた。                了






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