中森修先生 羅々見朴情
一章 在り方
主人公の元村多一は小学生である。 多一に兄弟はいない。 多一の生家は元村製作所という小さな鍛冶屋を営んでいる。 元村製作所は多一の祖父の藤蔵が裸一貫で起こしたものである。 多一はいつも大きな音がしている自分の家の工場が大好きであった。 多一の家族は藤蔵と祖母のゆき、藤蔵と同じ鍛冶屋職人で多一の父の利隆と義母の美紀子、利隆の妹で多一の叔母の芙美子、そして多一の六人である。
多一は背が高いこと以外、特に目立つ子供ではなかった。 そして、鍛冶屋のせがれ、だからであろうか、物を作ることが好きだった。 だが肝心の勉強にはまったく興味が無く、物を作るとき以外はいつも日が暮れるまで外で遊んでいた。 そんな多一が通う長早小学校には中森修という老教諭がいた。
現在六十四歳の多一は自分の人生の中でこの中森先生のことを何かにつけてよく思い出していた。 しかし、中森先生から何か特別な教えを授かったとか、殊更に心身を鍛えられたというようなことがあったわけではない。 そのようなことは何もなかった。 ただ、遠い昔にお世話になった中森先生の日常の言動や立居振舞い、つまり在り方そのものが忘れられないのだ。
小学生のとき、多一は中森先生の年齢が幾つなのか知らなかった。 中森先生に聞いてみようとも思わなかった。 中森先生の年齢は六十歳になる自分の祖父の藤蔵と同じぐらいだろうと多一は思っていた。 だが世間には実年齢に比べて、老けて見える人もいれば、反対に若く見える人もいるものである。 つまり、中森先生は見た目よりも本当はもっと若かったのかもしれない。
一人の孫がいる現在の多一は時たま、これからの人生で自分はどう在ろうかな、などと考えることがある。 そのようなとき、多一の脳裏に浮かんでくるのは遠い昔にお世話になった中森先生の姿であった。
二章 渾名 中森先生は小柄であった。 でも肩幅は広かった。 中森先生はいつもゆっくりと喋った。 授業中も生徒たちが良く理解できるようにと授業内容をゆっくりと喋った。 中森先生は笑うときはワッハッハと大きく笑った。 時に両手で腹を抱える仕草を交えて笑うこともあった。 でも、怒るととても怖い顔になった。 そんな中森先生に付いた渾名はやはり「おじいちゃん先生」であった。
三章 入学式 澄んだ青空の所々に白い雲が浮かんでいた。 今日は多一の入学式である。 家族が見送るなか、入学式に遅れないよう、多一と母の美紀子は時間に余裕を持って家を出た。 二人は工場の前の路地を表通りに向かった。 商店街がある表通りは人通りも少なく静かであった。 二人は商店街の道を長早小学校に向けて歩いた。 兄弟がいない多一の学帽、学童服、ランドセル、運動靴等はどれも新品だ。 多一が歩くとカタカタと筆箱の揺れる音がランドセルの中から聞こえてきた。
やがて二人は商店街から住宅街へと歩を進めた。 二人が歩いていると暖かで、そしてどこか気だるい感じがする春の風が吹いてきた。 「春の風か。 良いなぁ。 お母ちゃんは春が一番好きだな。 多一は?」 「うん、僕も」 春の風はやさしく二人を包み込んでから、家々の庭の幼い芽を見ることができる木々の梢を小さく揺らし、いずこかへと去って行った。 二人はそれから五分ほどで長早小学校の校舎が見えるところまでやってきた。 壁が灰色のスレート板で覆われた校舎は多一にはとても大きなものに見えた。 そして学校が近づくにつれて多一は次第に緊張し始めた。 多一は自分でも次第に緊張が高まっていくのを感じていた。 新しい環境の中に入ろうとするとき、人は誰でも緊張するものだ。 次第に緊張が高まっていく多一と母の美紀子は、やがて、校庭の桜が満開になっている長早小学校の正門の前に着いた。
いつもは静かな正門周辺だが、今朝は普段と違い明るく華やいだ雰囲気に包まれていた。 きっと知り合い同士なのであろう、それぞれの子供が新入生になったことを共に祝い、和やかに談笑する父兄たちがいた。 校名が読める正門の門柱を背景にして記念写真を撮る新入生とその父兄もいた。 それを見た多一は自分も記念写真を撮りたくなったのだが、あいにく美紀子は写真機を家に置いてきてしまった。 「おかあちゃん、写真機持ってくればよかったね」 「そうだね。 でも家で撮ったからここではいいよ」 写真機がないのだから仕方がない。 それに、美紀子が言うように、今朝、家を出るときに家族全員で多一を中心にして記念写真を撮ってあったのだ。 仕方ないなと、多一は諦めた。 「さぁ、行くよ」 「うん」 美紀子は多一の手を引いて入学式の会場となっている体育館の入口まで歩いて行った。 二人は体育館の入口で上履きに履き替えてから受付に向かった。 受付では何組もの親子が並んでいてそれぞれ受付の順番を待っていた。 暫くすると多一と美紀子の番になった。 受付で手続きをしていくうちに、多一は三組であることが分かった。 何故か自分は一組になるものとばかり思っていた多一は、三組と聞いてやや拍子抜けしてしまった。 その後、二人は案内係の先生の説明で、多一はクラスごとに生徒の名前がひらがなで書かれた紙が置かれた椅子に座り、美紀子は生徒たちの席の後方に用意された父兄席の一番前に座った。 多一は自分の席に座って他の新入生たちが続々と会場に入ってくる様子を眺めていた。 新入生は多一が想像していたよりもずっと多かった。 それで多一の緊張は更に増していった。
その後、暫くして入学式が始まった。 式は厳粛な雰囲気のなかで始まった。 「開会の言葉」「国歌斉唱」に続き式次第は一年生の担任紹介へと進んだ。 「それではこれより各学級の担任教諭をご紹介いたします」 司会の先生の言葉が終わると演壇の上手側に設えた階段の手前に四人の先生が一列に並んだ。 四人の先生はこれから階段を昇ろうとしていた。 その順番は、すらっと背が高く、紺のスーツが良く似合う女の先生を先頭に、若くて綺麗な女の先生、怖そうな顔をした多一の祖父と同年代のように見える男の先生、そして、運動選手のように動きがきびきびとした女の先生であった。 多一はその様子を見て、四人の先生はきっと一組から四組までのクラス順に並んでいるんだろうなと推理を働かせてみたのだが、その推理は正しかった。 先頭の女の先生が一組の担任の先生なのかな。 そうだとすると三組の先生はおじいさんの先生になるな。 でも、逆に一番後ろの女の先生が一組の先生だとすると、三組の先生はあの若くて綺麗な女の先生になるな。 でも、一番後ろの先生が一組の担任の先生ということはまずないな。 多一の推理はまだ続いていた。 担任の先生はやっぱり女の先生が良いな。 だって、あの男の先生はうちのおじいちゃんと同じぐらいの年で顔を見るとなんだかとても怖そうだ。 ああいう怖そうな顔をした先生は嫌だな。 どうか三組の担任の先生は女の先生でありますように。 と、言う具合に多一の推理はその後、願望に代わった。
多一が心の中でそんなことを思っていると、階段を昇った四人の先生は演壇の中央までやってきた。 そして、演台を背にして一列に並んだ。 さぁ、多一を担任する先生は前から二番目の女の先生なのか、それとも、三番目の男の、それも、おじいさんの先生なのか、どちらだろう。 「それでは各学級を担任される先生を一組から順番にご紹介いたします」 司会の先生の言葉で場内の空気がピンと張りつめた。 「ええ、まず一組ですが、一組は松木道代先生がご担任されます」 司会の先生の言葉が終わると先頭で登壇した女の先生が一歩前に出て丁寧にお辞儀をした。 その光景を目にした途端、多一は落ち込んでしまった。 あぁ、やっぱりなぁ……。 三組の先生はあのおじいさんだ……。 多一の推理は正しかったのだが、悲しいことに願望は叶わなかった。 松木先生かぁ……。 良いなあ。 頭も良さそうだしなぁ……。 これは、このときの多一の素直な心境である。 そして、松木先生がお辞儀をすると新入生の後方の席に座っている父兄たちもその場で軽くお辞儀をした。 お辞儀が済むと松木先生は一歩下がって元の位置に戻った。 続いて二組の先生が紹介された。 「二組は嶋岡明美先生がご担任されます」 嶋岡先生もその場から一歩前に出て丁寧にお辞儀をした。 嶋岡先生も良いなぁ……。 嶋岡先生のクラスなら学校に行くのも楽しくなるだろうなぁ……。 これも、このときの多一の素直な心境である。 お辞儀が済むと嶋岡先生も一歩下がって元の位置に戻った。
そしていよいよ三組の先生が紹介される番になった。 多一はそれまで、校長先生は別として、小学校には若い先生しかいないものだとばかり思っていた。 そして、年を取った先生は大学にしかいないものだと思っていた。 だから、多一は担任の先生が自分の祖父と同じような年齢に見える人であることが不思議でならなかった。 と、ここで司会の先生は一つ小さな咳払いをした。 それからおもむろに三組の先生の名前を発表した。 「三組は中森修先生がご担任されます」 多一の祖父と同年代のように見える先生の名前は中森修であった。 緊張の為か、怖い顔が更に怖くなっている中森先生も松木先生や嶋岡先生と同じように一歩前に出て丁寧にお辞儀をした。 ふうん、中森先生かぁ……。 怖くて頑固そうだなぁ……。 これも、このときの多一の素直な心境である。 お辞儀が済むと中森先生も一歩下がって元の位置に戻った。 司会の先生は最後の四組の先生を紹介しようとしていた。 「四組は山崎葉子先生がご担任されます」 山崎先生は他の三人の先生より少々元気よく一歩前に出て丁寧にお辞儀をした。 これは後から分かったことだが、山崎先生は大学三年の時に水泳で国体に出場していた。 その時の成績は成年女子百メートル自由形で第四位という大変に立派なものであった。 二十代後半に見える山崎先生は如何にも運動選手という感じがする先生だ。 今でも時たま母校の大学で水泳部の後輩たちを指導しているそうだ。 お辞儀が済むと山崎先生は、やはり、元気よく一歩下がって元の位置に戻った。 山崎先生ってかっこ良いなぁ……。 これも、このときの多一の素直な心境である。
他のクラスの先生に比べると中森先生にはかっこ良さというものがないなぁ……。 おじいさんだから仕様がないかな……。 三組かぁ、なんだかつまらなそうなクラスだなぁ……。 これも、このときの多一の素直な心境であった。
入学式はそれから間もなく終了した。 入学式が終わると新入生と父兄は記念写真を撮るためにクラスごとにまとまって体育館から校庭に出た。 各クラスの新入生とその父兄を引率するのはそれぞれの担任の先生である。 体育館から校庭に出てみると空の青さと午前の陽光がとても眩しかった。 四章 記念写真 一組と二組の生徒と父兄は東西に長い校舎の中央部に向けて歩き出していた。 「では皆さん、私について来てください」 中森先生がゆっくりと、しゃがれた声で生徒と父兄に声を掛けた。 南向きの校舎から数メートル離れたところには校舎に並ぶようにして、ほぼ十メートルおきに銀杏の木が植えられてある。 長早小学校では入学式や六年生の卒業アルバムの集合写真を撮るような場合は東西に長い校舎の中央にある銀杏を背景とすることが慣例になっていた。
一組と二組の撮影は終わった。 いよいよこれから三組の記念写真の撮影が始まる。 中森先生ともう一人別の男の先生の案内で三組の生徒と父兄は写真機の前のひな壇に並んだ。 中森先生は全員が並び終えるのを確認すると、最前列中央の椅子に座っている校長先生の右隣に座った。
「あっ、一番右で立っている父兄の方、もうすこし左に寄ってください」 「前から二列目の一番左の生徒さん、帽子がちょっと横を向いていますね。 そうそう、 はい、良いですよ」 写真屋さんが身振り手振りを交えて生徒や父兄の姿勢や顔の向きなどを、なるべく良い状態にしようとしていた。 だが、なかなか上手い具合にいかなかった。 「皆さん、何もそんなに固くならなくても良いんですよ。 自然な感じで良いんですからね……」 中森先生は椅子に座ったまま、生徒や父兄にそう言ってくれた。 中森先生には生徒や父兄の緊張が手に取るように分かっていたのだろう。 だから、しゃがれた声でそう声を掛けたのだろうが、その言い回しがどこか可笑しくてみんなはどっと笑いだしてしまった。 だが、この中森先生の言葉には充分な効き目があったようだ。
「はぁい、皆さん。 表情がとても良くなりましたぁ。 それでは撮りますよぅ……。 二枚撮りますからねぇ。 みなさん、目はレンズを見ていてくださいねぇ……」 生徒や父兄たちの様子を確認しながら、写真屋さんはシャッターレリーズを握る手を少しばかり上に上げた。 すると次の瞬間、シャッターの切れるバシャッという音がした。 写真は二枚撮るということなので、みんなそのままポーズを崩さずにいた。 「はい、もう一枚撮りますねぇ……」 バシャッ。 再びシャッターの音がした。 その音で生徒や父兄は短い間の緊張から解き放され、その場はほっと和んだ空気に包まれた。 やれやれである。 「皆さんお疲れ様でした」 中森先生は椅子からゆっくりと立ち上がって生徒と父兄の様子を見ると、そう言ってみんなを労うのであった。 父兄たちも誰に向かって言うというのではなく、互いにお疲れ様でしたと労いの言葉を掛けあうのであった。 これで三組の記念写真の撮影は終わった。 その後、新入生と父兄たちは教室に向かい、そこで翌日以降のことについて中森先生から細かな指示を受けた。 そして、それが済んだところで、この日の予定はすべて終了となった。 こうして多一の小学校での第一日は無事終了した。
「あぁ、疲れた。 多一も疲れたろう」 「うぅん、ぜんぜん」 「へぇ、凄いね。 お母ちゃんはもうぐったりだよ」 そんなことを話しながら多一と美紀子は家族が待つ我が家に帰って行くのであった。 そしてその夜、多一は入学式の様子や担任の中森先生のことなどを家族に話して聞かせるのであった。
五章 怪我 入学式から一ヶ月が過ぎた。 一年三組の生徒たちは今ではもうすっかり打ち解けていた。 そして、一人一人の生徒の個性も次第にはっきりとしてきた。 中森先生は多一が心配したほど怖い先生ではなかったが、それでも怒ると、とても怖い先生になった。
ところで、いつの時代でもクラスの中には悪ガキと評される生徒がいるものである。 一年三組にも数人の悪ガキがいた。 彼らは授業中に先生の話を大人しく聞くことができず、いつも何事かを小声でひそひそと話して、時々笑い合ったりもしていた。 そして、その話し声や笑い声は次第に大きくなってくるのが常であった。 中森先生はその度に彼らを注意した。 注意された生徒たちは少しの間は大人しくしているのだが、そういう生徒の中には懲りることを知らない者もいた。 で、彼らはまたふざけ出した。 中森先生はまたまた彼らを注意した。 一年三組ではこのようなことが日に何度となく繰り返されていた。
入学式から二ヶ月が経ったある日のことである。 二時間目の休み時間が終わり三時間目の授業の開始を告げるベルが鳴った。 だが、中森先生は教室に来ない。 いつもなら授業の開始を告げるベルが鳴るとすぐに教室に来る中森先生にしては珍しいことである。 まだ職員室にいるのだろうか。 多一は何かあったのだろうかと思い、教室の中をそれとなく見渡してみた。 すると気のせいだろうか、生徒の数が普段より少ないようである。 あれ、変だぞ、何かあったなと多一は感じた。 教室にいる他の生徒たちも何かあったと感づき始めたようだった。 すると、急に廊下が騒がしくなった。 どうしたんだろうと多一が廊下に出て様子を見てみると、中森先生が高畠勝という生徒を両腕に抱いて必死の形相で保健室に向かって走って行くところであった。 中森先生の後ろには何人かの生徒たちがいて中森先生の後を一緒になって走っていた。
後から分かったことであるが、高畠勝は休み時間がもうすぐ終わるというときに、高さが一メートル三十センチほどの学校の塀の上を綱渡りでもするかのように得意になって歩いていたそうだ。 勿論、学校ではそのような行為は禁止されている。 だが、この高畠勝は危なっかしい遊びをして、みんなから注目されることが好きな生徒であった。 そのときも、授業中にいつも一緒にふざけあっている仲間の前で、かっこ良いところを見せようとしたのであった。 でも、このときはうっかり脚を踏み外して学校の外の道路に落ちてしまったのだ。 ちょうどそのとき、中森先生はたまたま校庭で高畠勝が塀の上から落ちるところを目撃した。 中森先生はすぐさま道路に通じる門を開け、高畠勝が倒れている場所に駆けつけた。 中森先生が駆けつけたとき、高畠勝は声を立てずに、しかし、激しく泣いていた。 高畠勝は右肘を擦りむいていて、そこから出血していた。 高畠、大丈夫かと、中森先生が声を掛けても高畠勝は声を出さずにただ泣いてばかりいた。 小学一年生とはいえ高畠勝も男である。 仲間の前で泣くことには強い抵抗があった。 でも、このときばかりは高畠勝も泣かずにはいられなかった。 中森先生は声を立てずに泣き続ける高畠勝に再び声を掛けた。 「おい、高畠」 高畠から返事はなかった。 「おい、君たち、高畠はどこから地面に落ちた?」 中森先生は塀の中から様子を見ている生徒たちに聞いてみた。 「腕」 「どっちの腕だった?」 「こっちの腕」 いつも高畠勝とふざけ合っている桜井速男が自分の右腕を小さく上げた。 どうやら頭は打っていないようだと判断した中森先生は高畠勝を両腕に抱いて保健室に向けて一目散に走りだした。 高畠勝が怪我をしたときの様子を保健室の先生に説明する為、いつもふざけ合っている生徒たちもそれに続いた。 幸いなことに高畠勝の腕に大きな怪我は無かった。 念の為に町の病院でレントゲン撮影もしたのだが骨折もしていなかった。 まずは一安心だ。
ところで、この高畠勝という生徒はクラスの中でも一番の悪ガキであった。 授業中もしょっちゅう周囲の生徒にふざけて話しかけていた。 周囲にいる生徒はいつも高畠勝に勉強の邪魔をされていたのだ。 その為、高畠勝は中森先生から注意されてばかりいた。 授業中にいつもふざけてばかりいる生徒なんか、中森先生はきっと嫌いだろうと多一は思っていた。 しかし、さっきの中森先生のあの真剣な表情は多一のその考えを微妙に変化させた。 学校の中でまだ幼い自分の教え子が怪我をしたのだ。 教師にしてみれば一刻も早く手当てをしなければならない。 それは教師として当然の責務である。 その生徒を好きか嫌いかなどということは問題ではない。 だが、多一はその辺のことがまだよく分かっていなかった。 そして、大人があれほど真剣な表情になっているのをこれまでに見たこともなかった。 中森先生のあのときの表情は祖父や父が工場の中で物を作る際にみせる真剣な表情とは明らかに違っていた。 中森先生の表情には切羽詰まったものがあった。 高畠勝を両腕に抱いて保健室に走って行ったときの中森先生の表情は何かを祈っているようにも見えた。 多一は幼いながらも中森先生のあのときの真剣な表情から先生の優しさを感じ取ることができたのであった。 多一は六十四歳になるまで、あのときの中森先生の表情を忘れたことはなかった。
六章 プール 多一は三年生に進級した。 当時、長早小学校のクラス替えは三年生から四年生になるときだけ行われていた。 担任の先生方も多一たちの学年は三年間、代わることはなかった。 そして、一学期の始業式で長早小学校の生徒たちにはとても嬉しいことがあった。 それは、去年の春から作っていた二十五メートルのプールが、今年の三月にやっと完成したことを校長先生が正式に発表したことだ。 毎日学校に来る度に工事の進み具合を目の当たりにしていた生徒たちであるから、工事が終わっていたことは分かっていた。 それでも校長先生から正式にそのことを伝えられると、生徒たちはみんな歓声をあげて喜んだ。 これで今年の夏から体育の授業に新たに水泳が加わることになる。 それだけではない。 夏休みの間、ほぼ毎日のように学校のプールで水泳教室が開かれるのだ。 学校の新しいプールで思い切り水泳が出来る。 多一はそう思うとわくわくせずにはいられなかった。 多一は出来たばかりのプールを見るたびに早く夏にならないかなぁ、と思うのであった。
そして季節は夏になった。 朝から強烈な日差しが降り注ぐ七月のある日のことである。 その日の朝、多一はいつもと違って喜び勇んで家を出た。 何故かと言えば、その日の五時間目と六時間目の授業が体育、つまり水泳となっているからである。 やっとプールに入れることが多一は嬉しくて仕方がなかった。 その日、多一は時間が進むのをとても遅く感じていたのだが、それでも五時間目の授業はいつもどおりの時間に始まった。
水泳の授業はクラスごとではなく学年ごとに行われた。 水着に着替えた三年生全員が校庭に整列した。 真夏の太陽に照らされて裸足では歩けないほどに熱くなった校庭で、生徒たちは上履きを履いて準備運動のラジオ体操をした。 準備運動で汗をかいた生徒たちはクラスごとにまとまってプールに向かった。 プールの入り口を入るとすぐに、そこだけ天井がある通路になっている。 天井には当時はまだ珍しかったシャワーが取り付けてあった。 今は一組の生徒たちがキャアキャア騒ぎながらシャワーから噴き出す冷たい水を頭から浴びていた。 校庭でシャワーの順番を待っている生徒たちは、その光景を見ているだけで、なんだか自分たちもとても嬉しく、楽しくなってしまうのであった。 多一もシャワーの水をかぶったときは、その冷たさに思わず大きな声で冷たいと叫んでいた。 冷たいシャワーを充分に浴びた生徒たちはプールの周りに移動しその場に腰を下ろした。 各担任の先生は自分のクラスの生徒がすべてプールサイドに移動したことを確認し終えると、それを中森先生に報告した。 すると中森先生は手に笛を持ってスタート台に立った。 「それではこれから君たちが待ちに待った水泳の授業を行います。 でもいきなり水に入っては駄目でしたね。 どうすれば良いんだっけ。 秦野、答えてみなさい」 中森先生は三組で学級委員をしている秦野剛志にそう質問してみた。 「はい。 冷たい水の中に急に飛び込むと心臓麻痺を起こすかもしれないので、そうならないよう、始めに手でプールの水をすくい、それを充分に胸にかけます。 そして脚から静かにプールに入るようにします」 秦野剛志はその場に立って大きな声でそう答えた。 「はい、良く分かっているね。 みんなも秦野君が今言ったことをきちんと守るんだよ。 良いね」 生徒たちは、はぁい、と返事をした。 「じゃ、先生が笛を吹いたらプールに入っていいからね。 その次に先生が笛を吹いたらプールから出ること。 そこで休憩時間をとるからね、分かりましたか?」 中森先生がすぐに笛を吹いてくれることを期待する生徒たちは、前よりも一層大きな声で、はぁい、と返事をした。 そして、中森先生はピーッと笛を吹いた。 すると次の瞬間、生徒たちが胸にかける水をすくうバシャバシャという音と、生徒たちの大きな歓声がほぼ同時にプールサイドに響き渡った。 胸に充分に水をかけた生徒たちは一人一人、脚から水の中に入っていった。 泳げる生徒はさっそく泳ぎ出したが、ほとんどの生徒は互いに水をかけあったりして水遊びを楽しんでいた。 それほど泳げない多一はそれでも十メートルほど泳ぐことを何度も繰り返していた。 どの生徒の顔もじつに嬉しそうで、楽しそうである。 先生方も生徒たちと同じような表情をしていた。 スタート台の近くの深いところでは中森先生と四組の山崎先生がプールサイドから生徒たちを見守っていた。 出来たばかりの自分たちの学校のプールでの水泳の授業は最高に楽しいものになった。 そして二〇分ほどすると再び笛の音がした。 生徒たちはまだまだ水の中にいたかったのだが規則は規則だ。 生徒たちは水から一旦出るとプールサイドに腰を下ろし、休憩を取り始めた。 生徒たちが一息ついた頃、中森先生がスタート台に立った。 「みんな、新しいプールは綺麗で気持ちが良いだろう。 それと今日のこの時間は、君たちの最初の水泳の授業となるね。 そこで、それを記念して今から四組の山崎先生に模範演技をしていただきます」 中森先生の言葉で山崎先生がスタート台に立った。 大学三年生の時、山崎先生は国体の成年女子百メートル自由形の決勝で四位になっていた。 国体で四位になった山崎先生の泳ぎとはどのようなものなのか、誰もが以前から興味を持っていた。 それに、これは長早小学校三年生の最初の水泳の授業にはもってこいの演出だ。 みんなの期待を感じて山崎先生はにこやかに微笑んでいる。 「山崎先生、がんばってぇ……」 「先生、カッコ良い……」 四組の生徒たちが送る熱い声援に手を振って応える山崎先生。 今でも月に数回は母校の大学の水泳部で後輩たちをコーチしている山崎先生の体は筋肉も引き締まっていて、まるで現役の水泳選手のようであった。 「ところで山崎先生。 模範演技はどういった内容になりますか?」 中森先生の言葉で生徒たちは静かになった。 山崎先生は果たして中森先生の言葉にどう応えるのか、生徒たちは山崎先生に注目した。 「はい、この時間は新しいプールでの最初の水泳の授業です。 ですから、それを記念して今日は百メート泳いでみましょう」 山崎先生が中森先生の問いかけにそう応えると生徒たちから、オォッ、という小さなどよめきが上がった。 当時、長早小学校の三年生で百メートルを泳げる者はまだいなかったのである。 「では山崎先生、お願いします」 「はい。 じゃあ、みんな良く見ていてね」 そう言うと山崎先生はスタートの姿勢をとり、そのままプールに飛び込んだ。 さすがに国体で四位になった山崎先生のスタートは綺麗だった。 山崎先生は飛び込むとそのまま潜水で十五メートルほど進み、そこから先をクロールで泳いだ。 山崎先生の泳ぎは綺麗で速かった。 生徒たちはスピード感溢れる山崎先生の泳ぎを、それこそ、目を皿のように丸くして見つめていた。 そして、山崎先生はあっという間に二十五メートルの折り返しに差しかかった。 その折り返しを山崎先生はクイックターンで折り返した。 すると今度は大きなどよめきが起こった。
この時代、つまり昭和三十年代の初めは、テレビもまだそれほど普及していなかったので、競技としての水泳を見たことがある生徒はそれほどいなかったのである。 だから、大部分の生徒はクイックターンを初めて目にしたのであった。 初めて見たクイックターンはダイナミックで謎に満ちたものであった。 ターンをするとき、山崎先生がどう体を動かしているのか、生徒たちにはさっぱり分からなかった。 山崎先生はその後もスピード感のあふれた泳ぎを見せてくれた。 特に最後の二十五メートルでは一段とピッチを上げたので、それにつられて生徒たちも大きな歓声で山崎先生を応援した。 そして、山崎先生がゴールすると先生や生徒たちの間からさらに大きな歓声が起こった。 山崎先生は水の中で一つ大きな息をすると手を振って生徒たちの歓声に応えていた。 山崎先生が水から出ると中森先生がスタート台に立った。 「山崎先生、有難うございました。 いやぁ凄かったねぇ。 先生も驚きました。 あれほど見事なクロールは見たことがありません。 本当に素晴らしい模範演技でした。 山崎先生から水泳の手ほどきを受けられる君たちは実に幸せです。 みんなも頑張って山崎先生のようになろうね。 では、みんなで山崎先生に御礼の拍手を贈りましょう」 中森先生の言葉が終わるとプールサイドに大きな拍手が起こった。 「山崎先生、すっごーい」 「かっこ良かったぁ」 「山崎先生、だぁい好き」 と、いう声が拍手と共にあちらこちらから聞こえてきた。 生徒や先生たちから拍手を贈られた山崎先生の表情はとても嬉しそうであった。
その後、暫くして再び笛が鳴った。 生徒たちはこのときも胸にプールの水を充分にかけてからプールに入った。 さっき模範演技をしてくれた山崎先生と中森先生はまたプールの深いところで水の事故が起きないように生徒たちを見守っていた。 やがて中森先生は二度目の休憩時間を告げる笛を吹いた。 生徒たちは水から出てプールサイドに腰をおろした。 休憩時間中も夏の午後の日差しは容赦なく生徒や先生に降り注いでいた。 五分ほどすると中森先生がスタート台に立った。 「みんな、さっきの山崎先生の模範演技はすごかったね。 で、今度はね、先生が模範演技をご披露します」 なんと中森先生は自ら模範演技をするというのである。 どこからか、 「エェ、大丈夫なの?」 と、いう生徒の声がした。 その一声でプールサイドには大爆笑が起こった。 「誰だ、そんなことを言うのは……」 中森先生は、ややお怒りのご様子であった。 だが、生徒たちの笑い声など、まったく気にならないようでもあった。 「良いですか。 先生は日本に昔からある泳法で泳ぐからね。 よく見ておきなさい」 中森先生はそう言うと大きく深呼吸をした。 そして、大丈夫かなぁ、といった表情の生徒たちが注目する中、中森先生はスタートした。 多一の祖父と同じような年齢の中森先生だが、その時のスタートは山崎先生のそれと同じように綺麗なものであった。 そうは言っても、山崎先生のようにプールの途中まで潜水で泳いだりするようことはしなかった。 スタート後、水面に体が出ると中森先生は綺麗な平泳ぎを見せてくれた。 さっき大爆笑した生徒たちも中森先生の泳ぎを目にしていささか驚いたようだ。 そう言えばいつか中森先生は、若かった頃は水泳が得意だったと話していたことがあった。 そのときの言葉を証明するような見事な泳ぎで中森先生は泳いでいる。 やがて二十五メートルの折り返しである。 中森先生は元気に二十五メートルを折り返した。 だが、そのときプールサイドにはまたも大爆笑が起こった。 中森先生はターンをすると泳ぎ方を犬かきに変えたのであった。 犬かきで泳ぐ中森先生の表情はといえば大爆笑が起きたからであろう、笑顔だった。 見事な平泳ぎを披露して生徒たちを驚かせたかと思えば、今度は滑稽に見える犬かきで生徒たちを大笑いさせ、自分もそれを楽しんでいる中森先生。 中森先生はそのままプールの中央付近まで犬かきで泳ぐと、今度は泳ぎを日本古来の泳法である「のし」に変えた。 生徒たちの中には初めて「のし」を見る者も大勢いた。 へぇ、こんな泳ぎ方もあるんだ、という思いが込められた生徒たちの視線を感じながら中森先生はそのまま「のし」でゴールした。 すると生徒たちの間から山崎先生の模範演技が終わったときと同じような大きな歓声が起こった。 山崎先生を始めとする先生方もさかんに拍手をしていた。 五十メートルを泳ぎ切った中森先生はやや疲れた様子でプールの壁にもたれて肩で大きな息をしていた。 その後、中森先生はプールから出るとスタート台に立った。 「みんなぁ……良いですかぁ。 先生の最後の泳ぎ方はぁ……日本に昔からあるぅ……泳ぎ方の一つでぇ……名前を『のし』といいます。 スピードはぁ……遅いけれど疲れの少ない泳ぎ方です。 格好もぉ……あまり良くないかもしれないけれどぉ……みんな良く覚えておくように……」 中森先生は息を継ぎながら話していた。 山崎先生の泳ぎのような速さと凄さは無かったけれど、年を取ってもあれだけ泳げるとは凄いものだと、多一は感心してしまった。 夏休みになると学校では毎日のように水泳教室が開かれる。 水泳教室では長早小学校の先生方が交代で指導に当たることになっている。 中森先生を始めとする三年生を受け持つ先生方も指導に当たることになっている。 多一は夏休みの水泳教室が待ち遠しかった。
そして夏休みになった。 多一はすべての水泳教室に参加した。 その為、水泳教室が終わる頃には多一は真っ黒に日焼けしていた。 そして、あの素晴らしい模範演技を見せてくれた山崎先生は、水泳教室でも素晴らしい模範演技を何度も披露してくれた。 当然のことだが、山崎先生はたちまち長早小学校の全生徒の憧れの的になった。
七章 運動会 多一は六年生になった。 この年、中森先生は一年生を担任していた。 そして、中森先生はいつも、おい元村、と声を掛けてくれた。 多一はそれがとても嬉しかった。
そして、今日は長早小学校の秋の運動会である。 六年生の多一たちにすれば長早小学校での最後の運動会となる。 長早小学校の五年生と六年生は運動会で様々な係を担当することになっていた。 応援担当、場内放送担当、低学年生徒の誘導担当などである。 それを決めるのは各担任の先生である。 体が大きい多一は同じクラスの大門清一と共に用具係を担当するよう担任の木村先生から指示されていた。 用具係とは綱引きの綱や跳び箱などをプログラムの演目に従って校庭に揃え、演目が終われば素早く片付けるのが仕事である。 用具係は五年生と六年生の各クラスから二人ずつ選ばれた。 五年生と六年生はそれぞれ四クラスあるので用具係は一六人である。 用具係は体育用具小屋と校庭を行ったり来たりするので仕事としては、なかなか忙しいものであった。 今、校庭では一年生の徒競争が行われている。 多一は用具係の仕事が少々暇になったので、本部席となっているテントの後ろから一年生の徒競争の様子を眺めてみた。 そのときは目の前を可愛らしい一年生たちがゴールのテープを目指して一生懸命に駆け抜けて行くところであった。 一年生たちのゴールを見届けた多一はその後、スタート地点に目を向けてみた。 すると次に走る一年生たちがスタートの姿勢をとってピストルが鳴るのを待ちかまえていた。 多一はスターターを担当している先生は誰だろうと思い、更に目をスターターに向けてみた。 すると、このときのスターターは中森先生であった。 中森先生はゆっくりとしたテンポでスターターを努めていた。 位置について、ヨーイというスターターの掛け声も中森先生の場合はゆっくりとしたものであった。 そして、スタートした一年生の背中を目で追い、無事ゴールしたことを確かめる中森先生。 その様子を見ていた多一は、一年生のときに起きた高畠勝事件のときの中森先生の表情を、ふと思い出していた。
そして運動会は無事終了した。 多一たちは運動会で使われたすべての用具をきちんと整理して体育小屋に戻した。 「君たちのお陰で今年の運動会も無事終了した。 六年生は最後の運動会でみんな良くやってくれた。 ご苦労さんだったね。 では、これで解散」 用具係担当の峰岸先生が多一たちの役目の終了を告げてくれた。
役目を終えた多一が体育用具小屋から教室に戻ろうと校庭を歩いていくと反対方向から中森先生がこちらにやってきた。 先生も自分の担任するクラスの教室に向かうところだった。 「おい、元村」 「はい」 いつものしゃがれた声で中森先生は多一を呼び止めた。 このとき、多一は既に中森先生の身長を大きく上回っていた。 中森先生は多一を見上げながら話しだした。 「今日は用具係の仕事を一生懸命にやっていたな。 ご苦労さんだったな」 「はい、有難うございます」 中森先生は自分を見ていてくれた。 そう思うと多一は嬉しくなった。 「もうすぐ中学生だな。 中学では野球をやるのか」 「まだ決めていません」 「そうか、まぁ何でも良い。 元村は良い体をしているからなぁ……。 頑張るんだぞ」 「はい、分かりました」 「じゃあな」 「はい」 そう言って中森先生と多一はそれぞれの教室に向かったのであった。 そして多一が校庭から校舎に入ろうとしたとき、ワッハッハという中森先生のあの笑い声が小さく聞こえてきた。 多一が振り返って中森先生の方を見ると先生は図工の高田先生と何事か実に楽しそうに語り合っていた。 そして、またワッハッハと今度は両手で腹を抱えて笑いだした。 久しぶりに中森先生の豪快な笑いを目の当たりにした多一は中森先生の笑いにつられてハハハと笑いだしてしまった。 ちょうどそのとき、多一のそばに親友の滝山がやってきた。 滝山は、何笑ってんの、と聞いてきた。 だが多一は、何でもないよ、と応えるのであった。
八章 小学校卒業後 小学校を無事卒業した多一は中学校に進むと野球部ではなく陸上部に入った。 多一は中学一年の夏休みに中森先生に暑中見舞いを出し陸上部に入ったことを報告した。 するとすぐに中森先生から返事があった。 それには、怪我に注意して頑張るようにと励ましの言葉が書かれてあった。
それから十年後。 あるとき、多一は小学校時代の仲間数人と久しぶりに会う機会を設けた。 そこで多一は中森先生のその後のことを聞いてみた。 仲間たちは、あぁ、中森先生かぁ、と遠くを見つめるような表情になって先生のことを懐かしんだ。 そして、平岡という鮨屋の息子が中森先生は大分前に亡くなられたと教えてくれたのだった。 どのようにして亡くなったのかまでは分からなかったそうである。 多一と仲間たちは中森先生が亡くなっていたことに少なからぬ衝撃を受けた。 「なぁ、中森先生のご冥福を祈って献杯しようぜ」 多一の言葉に仲間は無言で頷いた。 仲間たちが酒をグラスに注ぎ終わったのを確かめると、多一は献杯の発声は自分にやらせてくれと仲間たちに頼んでみた。 それに異を唱える者はいなかった。 仲間たちはその場に起立した。 「じゃいくぞ……。 中森先生、長早小学校では大変にお世話になりました。 真に有難うございました。 不覚にも先生のご逝去を存じ上げませんでした。 申し訳ございません。 この場で先生のご冥福を祈ってみんなで献杯いたします。 献杯……」 多一の発声で仲間たちは杯を干した。 その後、仲間たちは中森先生の思い出話で大いに盛り上がった。 仲間たちの話の中には多一の知らなかった面白い話もたくさんあった。 多一たちは夜が更けるまで語り合い、涙を流し、そして大いに笑い合った。 やはり「おじいちゃん先生」はみんなから慕われていたのであった。
最終章 結び それにしても、五十数年以上も前に担任した自分の教え子が、ざっと五十数年後に自分をモデルにした小説を著そうなどとは中森先生も想像されてはいなかったことと思います。 今ここで改めて中森先生に感謝の言葉を述べさせていただきます。 中森修先生、長早小学校では大変お世話になりました。 真に有難うございました。 完
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