弐-13
「あの、あたし涼香さんのこと怒らせるようなことしちゃいましたか?」
洗面所に向かう途中、不安になって清才様に聞いてみる。
清才様のさっきの思案顔も気になるが、それよりも涼香の態度の方が上をいった。
涼香の態度は、明らかに昨日と比べて冷たい。
やっぱり、勝手に部屋に入って寝たこと怒ってるのかな。
そんなあたしの心配はよそに、清才様はへらりと笑って手を横に振った。
「ああ、違う違う。あの子はね、僕のことが嫌いなんですよ。昔、ちょっと色々ありましてね。まあ、僕のことが嫌いじゃない人間の方が少ないです」
清才様は笑いながら自分を卑下する。
それが、平安の頃の寂しげに笑う清才様と重なって、なんだか悲しくなった。
「あ、あたしは、少なくとも嫌いじゃないです!」
お願いだから、そんな笑顔を浮かべて卑下しないで。
そう思っていると、あたしの願いに応えるように清才様はくすくすと笑いだした。
笑ってくれるのは嬉しいけど、そんなに変なことを言った覚えはない。
しかし、清才様にとってはさっきのあたしの発言はおかしかったらしい。
「君は、面白い子ですね」
「そ、そうですか?」
「はい。それに、どうやら君は自分が妖だという認識が薄いようです」 どうして結論がそうなったのか分からず、首を傾げる。
前を歩く清才様は沈黙した背後から様子を悟ったようで、結論に至った理由を少し厳しい口調で告げた。
「僕はこう言ったんですよ。僕のことが好きな“人間”の方が少ない、と」
「……あっ」
はっとして口を噤んだ。
思えば、あたしはこれまでパパや龍壬さんに人間と同様になるように躾けられてきた。
妖術は人間の姿に化けること以外は禁止だったし、本当の姿である狸の恰好も自分の部屋の外では見せてはいけないと言われてきたのだ。
どうやらその躾けの結果が、表に出てしまったようだ。
あまり考えたくないけれど、人間の清才様にとってはそれが気に入らなかったのかもしれない。
妖と人間。
共存主義の陰陽隊であったとしても、この関係はやっぱり溝が深いのかな。
「何をしょげているんですか」
洗面所の前に着き、清才様は振り返えるとあたしの顔を覗き込んだ。
「自分と人間を一緒にしちゃって、失礼だったかなって……」
思ったことを素直に言うと、清才様は「あぁ」と納得してからすかさず諭し始めた。
「そういう意味で言ったんじゃありませんよ。ただ、妖であることは恥ではないと教えたかったんです。君がどんなふうに育てられてきたかは知りませんが、君が妖であることには変わりません。それに対して、人間がどうこう言える立場ではないはずです。君は、君らしくありなさい」
そう言われて、ふいに胸が熱くなる。
清才様はあの時のように――妖のあたしを受け入れてくれたあの時と同じ顔をしていた。
あの時の夢を見たからか、妙なくらい鮮明に思い出せる。
あの夢は、こうなることを予測して誰かが故意にあたしに見せたかのようにさえ思える。
「さて、少しお喋りが過ぎましたね」
清才様は壁に掛けられた、今時珍しい鳩時計を見上げてから洗面所の扉を開けた。
時計の針は朝の七時五分を示していた。
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