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作品名:言霊 作者:狸塚ぼたん

第35回   弐-11
弐-11

 気づけばあたしは、とある部屋の真ん中で茫然と立ち尽くしていた。

あたしがさっきいた部屋ではない。

というのも、あたしがいた部屋の造りとは明らかに大きく異なっているし、数少ない装飾品もおよそ現代の日本では美術館や宝物館などでしかお目にかかれないものばかりだった。

ここは過去の夢の中だ。

はっきりとした意識の中でそう思った。

ここは、かつてあたしが仕えていた主の部屋だった。

その証拠に、今あたしの目の前で清才様が筆を走らせている。

一度だって、忘れたことがないあの方が。

 縁側から差し込む日差しは、依頼人への文をお書きになっている清才様の手元を照らしていた。

「清才様……」

 声を掛けてみるも、清才様はこちらを一切向かず黙々と筆を走らせている。

多分、あたしのことは見えていないんだろう。

 やっと会えたのに、気づいてもらうことができないことに落胆していると、その落胆を吹っ飛ばすような大きな足音が聞こえてきた。

足音は近づくにつれて大きくなり、清才様の部屋の前までやって来る。

「なんですか、騒々しい」

 清才様は足音の主を、忌々しそうに見つめた。

この方は、清才様と一番初めに出会った時に一緒にいたお弟子の一人だった。

お弟子もまた、あたしの方を見ようともせず、清才様の方をじっと向いている。

表情からして、相当怒っているようだった。

「お頭、化け狸を女房として雇うというのは誠の話でございますか」

「誠です。それがどうかしたのですか」

「清才様、正気でございますか!? あれは妖ですぞ! あんな者を傍に置いておくなど、いつ寝首を掻かれるか分かったものではございません!」

 お弟子は清才様の目の前へ近づき、今にも掴み掛かりそうな剣幕で怒鳴り散らす。

あたしは弟子の台詞を聞いて、心が握り潰されるような感覚に陥った。

 この日、覚えてる。

あたしは、部屋の出入り口に置いてある華やかな几帳を見つめた。

「何を言い出すのかと思えば……あれはもう、うちの女房ですよ。その女房を雇えと言ったのは貴方ではないですか。妖といえども、あれはただの化け狸です。そう危惧するようなものではありません」

「しかし、我々は妖を退治する者。貴方様はその我々の長なのですぞ。そのような方が妖を連れているなど、下の者たちに示しがつきませぬ!」

 この時代、清才様は京に住みつき、人間に悪事を働く妖を退治することと、占いを生業にしていた。

妖退治としての腕も勿論良かったけれど、清才様の占いは貴族たちからよく当たると好評で、屋敷に呼び出されることもしばしばあった。

時には陰陽寮に所属する人並に依頼の数が多かったほどで、それくらい清才様は貴族の方から信頼されていた。

ただ、清才様は妖退治を嫌い、占いを優先するようなお方で、退治の依頼者や弟子とは口論になる事が度々あった。

この現状もその例外ではない。

「……何故、我々は妖と敵対しているのでしょうね」

 清才様は独り言のようにぽつりとこう仰った。

弟子はその独り言に対して、さも自信ありげに答える。

「それは、妖が人間の生活を脅かす存在であるからでございましょう」

「では彼女がいつ、人間の生活を脅かしましたか?」

 この台詞を聞いた瞬間、弟子は黙り込んだ。

確かに、あたしは人間に対して何も悪いことはしてなかったし、他の仲間のように悪戯を仕掛けたこともない。

「貴方が私の身を案じてくれていることには感謝します。しかし、私は彼女を信じたいのです。貴方たちと同じように」

 あたしはこの時、華やかな几帳の裏でたくさん泣いたのを覚えている。

人間に悪戯することを拒んだことによって仲間から弾かれ、何もしていないのに人間から蔑んだ目で見られ続けたあたしは、この言葉でやっと救われたような気がしたからだ。

「琴音、立ち聞きとは感心しませんね」

 清才様は、几帳に向かって声をかけた。

 あたしはこの時、この家の女房として、弟子に白湯をお出ししようと几帳の裏までお持ちしていた。

けれど、弟子の怒鳴り声を聞いてしまったために、几帳の裏からどうしても出て行けず、立ち聞きをする形になってしまったのである。

 少しすると、一匹の狸が几帳の裏から出てきて清才様に飛びついた。

その瞬間、弟子が少しだけ身構えたのをあたしは見逃さなかった。

それとは対照的に、清才様は拒絶することなく狸を受け入れる。


「……御免」

 お弟子はそれを見て苦々しく顔を歪めると、静かに清才様の部屋から去って行った。

 今考えても女性が――しかも女房の身分で主に抱き着くなど、とても恐れ多くはしたないことだと思うけれど、この時のあたしは、ただ誰かに信じてもらえたことが嬉しくて、抱き着かずにはいられなかった。

そんなあたしを察してくれたのか、清才様は咎めることなくあたしの頭を優しく大きな手の平で撫でてくれた。

その時の清才様の手の温もりや、袖から薫る白檀の匂いは、今でも覚えている。

 清才様は、いつでもあたしの味方だった。

 今考えてみれば、あの方は誰よりも妖と人間との共存を望んでいたかもしれない。

あたしはそんな清才様を、陰ながら支えていきたいと思った。

清才様が幸せになること、それがあたしにとって唯一の願いだった。

 そのことを改めて思い出すと、急に視界が揺らぎ始める。

空間が不安定となり、よろめきながらも必死に清才様に近づこうともがいた。

けれど、その姿は遠くなる一方で、やがてあたしは夢から目覚めた。


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