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作品名:睦子のマニュアル 作者:松韻萬里

最終回   第三章 それでもやる
「山野さん「なんで携帯とかトランシーバー使わないんだろう」と言ってましたよね。「提案してみようか」とも。でもそれってマズイかも知れません。」
 やす子が言う。

 広大なスペースに大小100万点もの部品を収納するパーツセンター、手押車が活躍する職場だが、重量物の運搬には専らフォークリフトが使用される。
 ただ、部品を見て初めて
「アツ、フォークが必要だ!」
となる事も。そんな時はフォークが置いてある事務室の横まで引き返すのだが、夏暑く冬寒い職場環境だから体力の消耗は馬鹿にならない。

 しかもフォークの運転には資格が必要。祐太のようなアルバイトは手空きの従業員に運転をお願いするしかない。
(部品を見てその場から携帯やトランシーバーで連絡すれば事務所迄戻る手間が省ける。それに連絡を受けた人が運転する事にすれば、手空きの人を探す手間もいらない。)
 作業効率が格段に向上すると祐太は考えた。

「制度があるから提案しても良いとは限らない? 僕のアイディアは会社にとって「好ましくないイラヌ提案」なんでしょうか?」
 祐太の提案に睦子のマニュアルと同じ構図があると言うことか。祐太が飲み会に誘われた理由はどうやらこの辺にあったようだ。
「私、難しいことは分らないですけど・・・」
 やす子は言葉を濁した。

 後を受けて睦子が話す。
「違う、逆だッてば! 真逆にヒットしてるんだ。」
「え??」
「CSEの奴らが書いた作業手順書には「パーツを見てホークリフトの出動が必要と判断した場合は、事務所にトランシーバーで連絡する。」と書いてあるんだ。」
「僕が考えたのと同じだ。??どういうことですか。」

「奴ら、現場を知らず頭だけで考えたんだよ。ガチガチの作業効率至上主義者だから「こうした方がいい。こうすべきだ。」ってね。実際やってないことまでマニュアルに書き込んじまった。その挙句「お前らこの通りにしとくんだゾッ」って。傲慢だよね。」
「それでどうされたんですか?」
「仕方ないからトランシーバー何台も買ったよ。本格的なやつ、重くてデカイからポケットにも入らない。」

 伝票のパーツ名や品番を見ただけで、ベテランの作業者にはホークリフトの要不要が分かってしまう。それがプロというもの。
「部品を見てからホークリフトの出動を連絡」
なんて有り得ないのだ。万が一そうなった場合は、自分の経験不足を恥じ誰にも気付かれないよう黙って事務所に引き返すのがオチ。
 さらに、祐太のようなアルバイトが正規従業員をトランシーバーで呼びつけるなんて出来っこない。丁寧にお願いするしかないし、それが嫌ならホークリフトの資格を取ればいい。

「俺達には必要ない!」
 結局、トランシーバーを持つ者はいなかった。
 現場では作業者の心意気が重要。それを無視し、論理だけで物事を進めるとこういう結果になるようだ。


「山野さんが提案を考えてるって聞いたので、何の事だか田中さんに教えてもらったんです。・・・内容に問題はありましたが、別の意味でピンと来ました。」
 センター長が切り出す。
「今後私たちの世代の人達が次々と定年を迎えます。新卒で入社し、幾度となく繰り返されたリストラにもめげず生き残った連中です。最小限の人数だけが残りましたから、次々退職してしまうと、二十四時間・年中無休を誇るパーツセンターは維持できなくなります。」

 定年になったら、いくら優秀で必要な人材でも一律辞めさせてしまうのが日本の会社。「組織の若さと健全性を維持するため」。寿命が延びるなか、老いの程度に個人差が大きいことは周知の事実だが、「定年制度」は頑なまで一律に実施される。

 日本の典型的な労務慣行と言われる「終身雇用」や「年功序列」は既に崩壊している。でもこれだって定年迄の限定付き、寿命が尽きるまでの雇用や昇進なんていうのは断じてなかった。

 そして今流行りの「能力主義」だって定年迄のお約束ごとに過ぎない。定められた年齢に達すると皆一律に終わる。・・・「組織の若さと健全性を維持するため、年齢に達すると一律横並びで、後輩に仕事を譲る」。己の利益より全体の利益を優先するのが日本人。これに平等の原則が加わり、誰もが容認する制度となっているのだ。

 つまり「定年制度」こそが、時代を超え営々と続く究極の人事制度・労務慣行だった。新卒を大量に採用する体力のない企業にとって人材不足は深刻だが、定年制度だけは厳格に運用されてゆく。


「我社でも製造部門の多くを海外にシフト、これに伴い部品の調達も海外の比重が大きくなっています。ただ、「専門的で木目細かい作業が必要」との理由からパーツセンターだけは日本に置かれてきました。
 しかし、いよいよ拠点を海外に移す時がきたのかも知れません。製造部門は人件費や原価などの理由からでしたが、我々パーツセンターはそれに加え人材不足のためにね。」
 一息いれて、いよいよ話は核心に。

「体を動かすだけでいい時代は終わっています。我々現場の人間も頭を使わないと。
 後継者に仕事を伝承するには、これ迄の職人みたいに「俺のやる事を見て学べ」とか「師匠の技は盗むもの」では通用しません。教える側にも習う側にも時間がないのですから。
 作業手順書やマニュアルも絶対に必要です。もっともっと、使えるものに整備してゆかないと。」
 阿吽の呼吸、省略の妙、各自の裁量・・・この類の考え方は海外で働く人達には通用しないだろう。

「センター長はいつもみんなに、「バカじゃだめだ、頭を使え」って仰っています。」
 やす子がいう。
「言い方を変えると「漫然と仕事してないで問題意識を持とう」ということですかね。佐藤さんは、問題意識から作業やネジのマニュアルを書いたし、山野さんは、どうやったら作業の効率が上がるかを考えている。二人共、詰めが甘く未熟なところはありますけど心構えが違う。」
 そういうことで、センター長は睦子を可愛がり、祐太に注目したのだった。


「山野さん、今しばらくパーツセンターにいてくれませんか。正社員への登用は本社が決めることだから、私には約束できません。でも強く推薦したい。センターが海外にシフトするなら、海外の組織で山野さんを採用することだって考えられます。もしそれがお嫌でしたら佐藤さんみたいに、この流通センターの他の会社に推薦することも出来ますよ。」
 これが今日誘われた理由だった。

「よかったですね、山野さん。」 
 やす子が祝福する。
「センター長、私も雇ってくださいよ。シンガポールでもタイでも喜んで行きますから。」
 睦子の提案、だが一蹴された。
「だめですよ、佐藤さんには文具会社の仕事があるじゃないですか。鉛筆のパツシエとして欠かせない存在なんでしょ。」
「ああそうだった! またマニュアル書こうかなッ。」

 四人の楽しそうな会話は際限なく続いた。



************** お ま け **************

△ 新入社員レポートで自分の意見を述べる事
  会社にとって実行不可能な現実離れした意見はだめ。勿論単なる批判もだめ。
  所詮「新入社員にどこまで書けるか」分かっているクセに評価は厳しいゾ。

△ 提案制度への投稿
  その時々の会社の方向・ニーズに合ったものでなければならない。
  しかし、会社の方向・ニーズは分かりにくいから始末におえない。
  最低でも職場の上司・同僚がどう思ってるかは分かった上で投稿しよう。

× 会社・上司の指示によらない業務遂行、マニュアル作り
  ただ、上司の指示は都度・細かくあるわけでもないから、何がよくて
  何がいけないのかは状況次第。つまり良く分からないのだ。

◎ 上司との飲み会(本音の指導・助言をもらう)
  但し、洞察力があり社内に影響力のある上司でないと逆の結果を招くことも。
  上司に恵まれるか否かは運次第だから、上司の能力を見抜く力
  を培う方が先かも。


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