途中から鈴木センター長も加わり、どうという事のないお喋りは際限なく続いた。勤め人には会社ネタを肴に酒を楽しむ習わしがあるようだ。 (しかし、まだ何かありそうだ。) たあいない会話はストレスを解消し職場の人間関係を良好に保つためのもの・・・でも果たしてそれだけなのだろうか。祐太には三人の飲み会に自分が組み込まれている理由が今一つ分からなかった。
だが、答えの糸口は突然現われた。
「おい、鈴木ッ!なんで私をクビにしたんだよッ。」 小一時間経ったところで睦子がセンター長に絡みはじめたのだ。慌てる祐太をよそに、やす子が手馴れた手つきで睦子からオチョコとトックリを取り上げ、冷たいウーロン茶に換える。
ユックリ諭すように、鈴木センター長が話し始めた。 「佐藤さん、私は鈴木ではなく「鈴木さん」ですよ。・・三年前、孤立し失意のどん底にあったあなたを救い出した、いわば恩人じゃないですか。お隣の文具会社に再就職を斡旋したのも私だったでしょ。」
「佐藤さんの部品や作業に対する情熱はすばらしい。ネジの知識なんか社内一、いや日本一だった。でもコダワリが強過ぎたんですよね。あっちにツッ掛かたかと思えば、こっちで喧嘩、終いには自分からつぶれちゃった。」
「はい、お父さん、じゃなくて鈴木センター長、おっしゃる通りです。」 急に素直になる睦子。 「お酒もほどほどにしなくちゃね。」 「ええ、分かってます。だからアルコール飛ばした熱燗で夏も乗り切る覚悟です。」 センター長もやす子も笑っている。
「山野さん、ビックリしたでしょ。センター長と睦子さんはクサレ縁なの。睦子さん、幼い頃父親を亡くしたからフアザコンでね、こうやって鈴木センター長から説教されたり慰められるのが大好き、だからわざと絡むみたいナ・・」 褒められた性向でないと思いながらも、やす子の解説に納得する祐太だった。
「いやァ、本当にこの娘(コ)は優秀でした。頼まれもしないのに仕事の合間に、マニュアル作っちゃったんだから。「パーツセンター作業手順書」と「ネジマニュアル」が代表作。」 「私、ネジとかパーツセンターの仕事長くやってたでしょ。色々知ってるからみんなが「教えて頂戴」って聞いてくるんだ。初めの内は嬉しかったけど、だんだんめんどくさくなってきてね。それでマニュアルにしたんです。」 睦子が話す。声の調子は相変わらずネガディブ、だがマニアルを完成させただけの事はあって説明は的確かつ丁寧。初対面の祐太にも分かり易い話しになっている。
「でも、それが原因で色々あったんでしょ。」 やす子がキワドイところに水を向ける。 「そう、作業手順書。みんなに見せて了解もらったのに、その通りやらないヤツがいるのよ。許せなかったね〜。ネジにしたって書いてあることを聞いてくる。マニュアルちゃんと読めば分かるのに。それで喧嘩が絶えなかった。」
「極めつけが本社のコンセプト・ソリューション・エンジニアリング部との確執でしたね。」 センター長が何やら難しいことを話し出す。コンセプト(概念/発想)+ソリューション(解決方法)+エンジニアリング(技術)+部、略してCSE。何をしてる部門なのかは実のところ誰にも分からない。
「会社法が改正されましてね、組織の内部統制が厳しくなったんですよ。業務プロセスを整備し、その通り運用することが求められる時代になったんです。ま、私たちの会社では以前から品質マネジメント機関の監査を受けていたから、同じことなんですけどね」 社員が思い思い我流にやったんでは経営効率が悪く統制も効かない。仕事の質にバラツキが生じるし、不正が起こる可能性だってある・・・だから仕事の手順をキチンと決めておかなければならない。ま、そう言う事のようだ。
「全ての業務プロセスを文書化しておく必要が起きたんです。でも残念ながら、前任者からそんな文書は引き継いでいません。そこで皆んなに聞いたんですよ。」 案の定、作業の仕方は人によってテンデンバラバラだった。
「「マズイな」と焦っていたところ、佐藤さんがキャビネットから大きなバインダーを取り出し、私に見せてくれたんです。」 なんとそれは睦子が一人でコツコツ書き留め完成させたマニュアルだった。パーツセンターの作業手順にネジのマニュアルまでついた大作。 「よしこれでいこうッテね。社員なら誰でもアクセスできるよう、社内サーバーにアップロードしました。」
ここまでは良かったのだが、その先が酷かった。睦子が話しの続きを引き受ける。 「ところが、CSEの奴らがコンナンじゃだめだってケチつけてきやがった。こっちは「皆の役に立てば」「無いよりはマシ」位の軽い気持ちでサーバーに載せたのに。」 「本社のやつ、暇に任せて私の文章チェックしてたんだよ。」
「アノゥ、先程から皆さんの話しにでてくるCSEってなんですか?」 祐太の質問は睦子の不快感を増すものでしかなかった。 「私に聞かれても分からないわよ。とにかく優秀な大学出た技術者の集団。やたら理屈っぽくて、冷たくって、私たちを小馬鹿にする。「ああでもないこうでもない」とケチつけた挙句「未熟だから書き直せ」と言う。頭に来たから「そんなこと、私には出来ません。そんなに言うなら自分でやったら!」って怒鳴り返してやった。」
「コンセプト・ソリューション・エンジニアリング部、略してCSEは全社の技術を統括する部署です。普通の設計部は製品BU毎にありますが、CSEはその上位に位置付けられる本社組織です。あの時は全社あげて業務プロセスの整備をやっていたのですが、その旗振り役を担う部署でもありました。」 センター長が補足する。アルバイトの祐太にここまで詳しく説明する理由は後で分かる。
「やつら、喜々としてセンターにやってきたよ。ヒヤリングと称し全員から作業内容を聞いてたな。それから僅か一週間でやつら流の作業手順書が出来上がっていた。」 哀れ、睦子の作業手順書はサーバーから抹消され、彼らの作文に換えられた。
やす子が補足する。 「ところが出来上がった手順書、やたら難しい英語やカタカナが並んでるの。言い回しも難解でセンターの連中にはチンプンカンプン、自分の仕事なのにね。実際と違うとこも沢山あって、誰にも使えない代物だったんです。」
格調高いが難解、論理に隙のない完璧な文書は、他者からの批判を寄せ付けない。「触らぬ神にたたりなし」、下手にケチつけたら馬鹿にされかねないから、誰も関わろうとしない。 かくて、精鋭が寄ってタカって完成させた作業手順書は、神棚に祭り上げられたままの存在となってしまった。手順書は、移りゆく実態にあわせ「随時更新」され、「都度参照」されるものだというのに。
「彼らは、私たちのために書いたんじゃないのよ。自分たちが担当する「業務プロセスの文書化」を完璧にしておきたかった。つまり自分と自分の部署を守りたかっただけなの。」 高級官僚ともいえる本社エリートによくある構図だった。
「ただ、彼らの手順書は監査の時に役立ちました。社外からきた品質マネジメントの監査管から「実に良く書けてますね、分かり易いし」と絶賛された位ですから。」 センター長が言うように、見る人が見れば良く書けていることになるのだ。
「佐藤さんのマニュアルには、「ああやって、こうやって」と作業の手順が、実に詳しく丁寧に書いてありました。正に「作業手順書」。でもそもそもの「作業目的」や「意義」に触れてないから、初めて作業につく人や、部外から監査にくる人には分かりにくい。」 「CSEの奴らにもそう言われました。でもねえ、「部品ピッキング作業」の「目的や意義」と言われても、私らには分からない。会社に命じられ、やってるだけ。これでお給料もらってるわけだし。」
「しかし、「お客様やサービス部門からの要請にもとづき、物品棚にある部品を迅速に間違いなく取り出し、運送にまわす作業」ぐらいのことは冒頭に書いとく必要があるでしょう。」 睦子のマニュアルでは、「伝票を出荷担当から受け取り、伝票に記された部品を倉庫から出して、トラックヤードに置く」となっている。これでは「何をやるのか」は分かっても「何のためにやるのか」が分からない。
「「壊れた機械の修復を急ぐお客様のため」「一刻も早く確実にお客様の手元に部品を届ける」。これが24時間年中無休を誇るパーツセンターの使命なんです。」 やす子が模範解答を披露する。会社や上司・先輩から繰り返し聞かされる言葉。 「機械の故障でお客様の製造ラインが止まった時の損害は莫大だそうです。・・・そこで私達の迅速な対応がキーになる。これが私達社員のヤリガイでもあります。」
「どんな仕事にも「目的や意義」があり会社や社会に役立っている。そこんとこをチャント書いとかないと、社員に肝心なところが伝わらずモチベーションも上がらない。」 調子に乗って祐太が纏める。
「ところで、作業手順書とマニュアルってどう違うんですか?」 妙なところに気がつく祐太。 「そこよッ! 私が作ったのはマニュアルなんだけど、CSEの奴らのカチカチ頭には作業手順書しかなかった。」 「?」 睦子の答えに目を白黒させる祐太。センター長が解説する。
「作業手順書とマニュアルは同類のものなんでしょう、でも目的が違う。作業手順書は作業者を管理・統制する為のもので、マニュアルは「新人が作業を覚えるため」とか「忘れたり詳細を知りたい時に参照する」作業者用のもの。」 要は、作業に関し「良く書けたマニュアルは作業手順書にもなるし、その逆に優れた作業手順書はマニュアルにもなる」と言うことらしい。
マニュアルについては、センター長にも一家言あるようだ。話はドンドン飛躍して行く。 「「マニュアルは人の自由な発想を阻害するから作っちゃダメだ」という意見も根強くあります。さらに、「マニュアルがあると、それに頼って自分で調べたり考えたりしなくなる」ともね。」 「テンデンバラバラ自分勝手にやりたい」と言うのとは一味違う高レベルの話し。確かにオリジナリティーを重視するような仕事にはマニュアルは不要だし、邪魔かも知れない。
「でもマニュアルに依存し絶対視するような人達には元々オリジナリティーなんてない。マニュアルがいけないんじゃなく、彼らがマニュアルを神格化しそれに束縛される事が問題なだけですよ。」 要は作り方と使い方。マニュアルも、移りゆく実態にあわせ「随時更新」し、「都度参照」出来るようにしておけば、便利で使えるものになる。
「だいいいち、オリジナリティーを必要としない仕事だって沢山あります。業態によっては大部分がそうかもしれませんしね。」
「そりゃ好き勝手に仕事ができれば作業者は喜ぶでしょう。新人でもない限りね。でも職場全体の作業効率がコントロール出来なくなるし、品質にバラツキがでます。そして不正の入り込む余地を与えてしまう。・・・だから作業手順書の整備が必要なんです。」 話がマニュアルから作業手順書に戻ったようだ。
「アメリカでも日本でも財務報告の不正が大問題になっています。企業にとってコンプライアンス、法令遵守はとても大切なこと。・・・今、全てがこの流れになってるとも言えます。」 かくして、「作業手順を守ること」「社内ルールに従うこと」等が、社員に課せられた義務として重視されるようになったのだ。
「・・佐藤さんのマニュアルは、自分や職場の人たちによかれと自発的に作ったもの。でも当初上司からの指示はなく、時代や会社のニーズともズレた我流のものでした。」 「ところが「業務プロセスの文書化」という時代の要請が別の流れから起きてきました。その実現を急いだ私は取り敢えずそこにあった佐藤さんのマニュアルを追認し、作業手順書として社内サーバーに掲載したんです。」 内容よりスピードを優先。取り敢えず「有れ」ばいい、「無い」のが一番マズイのだから。
「センター長としては脇が甘かったかな。」 睦子がいらぬことを言う。 「確かにね、当事者の佐藤さんにも迷惑掛けました。あの時、一週間徹夜してでも私が書き直しておけば良かった。」 時代や本社の要求に沿った文章を書ける人はセンター長しかいなかった。もともとパーツセンターに人材は少なく、できる人がいない場合は組織長が自らやるしかない。・・・でも全ての業務がこんな調子だから、組織の全責任を負うセンター長は大変。
「でもあの時、中国からのU−MATが止まって大騒ぎだったじゃないですか。センター長はその対応で中国に出張したり超多忙だった。作業手順書の整備どころじゃないよ。」 U−MATとは多くの機械に使われている主要部品。中国の会社に生産を委託していたのだが、突如供給がストップしてしまったのだ。
「それもあったから、CSEの奴らが書き直しを求めてきた時、怒鳴り返してやったのよ。」 CSEの担当者にはU−MAT問題は関係なく、作業手順書の整備こそが喫緊の課題だった。一方、睦子は睦子なりに自部門が抱える問題の優先順位を考えていたから、CSEの「書き直し要請」は無視、センター長にも報告しなかった。
「あの時佐藤さんから報告を受けていたとしても、思うような対応は出来なかったでしょうね。でも、本社の要請に逆らっちゃダメだよ。だから潰された。」
睦子のマニュアルは、よかれと思った睦子が独自に編纂したもの。たまたま機会と優しい上司に恵まれ追認されたとしても、その生い立ちや完成度は会社の要請とズレていた。 それでも本社は修正の機会を与えてくれたのだが、睦子は激しく拒否。結果「功名心の余り業務時間内にイラヌコトをした」事になってしまった。
「大卒の新入社員には「どんどん会社や業務について意見を述べなさい」ってレポート書かせてる。従業員には業務改善についての制度があって、自由に提案できる・・・それなのに私のマニュアルはダメ。」
哀れ、これが睦子のマニアルにまつわる真相だった
|
|