その時だ。 綾奈の鼓動が高く鳴り出した。まただ・・!綾奈は自分自身に動揺した。 「お姉さん。」 意識している相手に突然声を掛けられた綾奈は狼狽しながらも高土の顔をなんとか見ることが出来た。 「はっ、はい。」 「お姉さんのことを綾奈さんと呼んでもいいですか。会ったばかりで図々しくてすみません。でもお姉さんと呼ぶのもの変な気がして。」 「あ、はい。もちろん名前で呼んでもらって結構です。」 綾奈は慌てて返した。すると高土はゴホンと小さく咳払いをし 「綾奈さん、好きなミュージシャンとか芸能人とかいますか?」 「!」 無難な世間話。それなのに高土に『綾奈さん』と呼ばれた瞬間、綾奈の心臓は尋常ではないくらいに高鳴った。 「え・・・ええと・・・。好きなミュージシャンはドリカムとかサザンとかです。ベタですけど。」 綾奈はしどろもどろになりながらもなんとか答えた。 「あ、そうなんですか。僕もサザン好きですよ。他にもジャズとか好きです。」 「私もシャズ好きです。」 「本当ですか?嬉しいな。」 高土は屈託のない笑顔を見せる。綾奈は別に高土の好みに合わせたわけではなく本当にジャズも好んで聴くのだ。 「今度ジャズ喫茶にでも行ってみませんか?とてもいい喫茶を知っているんです。」 高土のふいの誘いに綾奈の動悸は止まらなかった。どうしていいか分からずとりあえず頷いてみる。それを見た高土は了解をもらえたと思ってますます喜んでいる。多華子はそんな二人を見てこれは上手くいきそうな予感がしてきた。 「お待たせいたしました。」 店員がそれぞれのケーキセットを運んできた。 「ごゆっくりどうぞ。」 店員が去ると同時に多華子は感激の声を上げる。 「わお!思っていたよりもケーキがでかくて嬉しい〜。」 「そうだね、早速食べよう。」 高土がショートケーキのスポンジにフォークを刺した。 「あ、タカッチはイチゴは一番最後に食べるタイプなんだ?」 「そうだよ。楽しみは後にとっておく方。綾奈さんは?」 「私も後にとっておきます。」 「私は俄然先に食べる!楽しみはなるべく早く味わなければ鮮度が落ちる!お腹いっぱいになる前に食べなきゃ。」 「多華ちゃんはそうだろうね。」 高土がくすっと笑った。高土が笑顔を見せる度に綾奈の胸が高鳴る。 「お姉ちゃんのケーキも美味しそうだね。半分こしない?」 「いいわよ。」 多華子の申し出を綾奈は快く受けた。そのやりとりを見ていた高土が感心したように言う。 「本当に綾奈さんと多華ちゃんは仲がいいんですね。僕には兄弟がいないので羨ましいです。」 「まぁね。でも仲がいいからくだらないことで喧嘩もするよね?」 多華子が同意を求めてきた。綾奈は困ったように頷いた。なにもそんなこと高土さんの前で言わなくてもいいじゃないの・・・と思ったからだ。しかし高土は興味津々という顔で聞いてくる。 「へぇ〜例えば?」 「例えば漫画の貸し借りとかテレビのチャンネルの争奪戦とか。冷蔵庫に残っていた最後のプリン食べた食べないとか。この前も・・・。」 多華子が意気揚々に話し出した。綾奈の顔が見る間に赤くなっていく。恥ずかしくてしかたがない。一方、高土は嬉しそうに聞いている。 おかげで話は弾んで、見る間に時間が過ぎていく。ケーキも食べ進めていく。綾奈も高土が笑顔で話を聞いてくれているのでほっとした。 高土のケーキの残りがイチゴだけになった。いよいよ大本命。高土は子供のような笑顔でイチゴにフォークを刺した。その時だ。 つるん。 「!!」 イチゴがフォークに刺されるのを嫌がった。弾かれたイチゴは皿から飛び出しころんころんと転がりあっという間に床に落ちた。その間数秒。 オーマイゴット!!まさにこの言葉通り。三人の視線が床に落ちたイチゴに注がれる。高土はあっという間の出来事に驚き、失望で固まった。 次の瞬間。多華子が爆笑した。綾奈もいけないと思いつつも笑いを止める事は出来なかった。高土も仕方がないなぁといわば諦めの境地。それよりも綾奈が初めて心からの笑顔を見せてくれたのが嬉しかった。 「まぁこんなことよくありますよ。」 高土は内心楽しみにしていたイチゴが食べられなくてがっかりしたが綾奈の笑顔を見れたのでそれで良しと自分自身を納得させる。いやむしろ綾奈の笑顔見せてくれた床の上のイチゴに感謝さえしている。高土は微笑みながらおもむろにイチゴを拾いあげると自分の皿の上に置いた。 「あの・・・もう一つケーキ頼みますか?」 綾奈が一応気遣って尋ねたが高土は首を横に振った。 「もう一つケーキを食べるのはキツイかも。仕方ありません。諦めます。」 と言いつつ高土のイチゴを見る目は名残惜しそうだ。多華子はそれがどうにもおかしくてまだ笑っている。綾奈も笑いたいのを必死でこらえた。 和やかな時間が流れる。綾奈も始めのうちは緊張していたが高土の優しげな笑顔と人の好さに触れるにつれ緊張は徐々にほぐれ、居心地の良ささえ感じていた。 会話も滞りなく流れ、高土の緊張もすでに消えたように見える。綾奈と高土の間を隔てる壁が不思議と見当たらない。多華子は確信した。 これならいける!! 多華子はタイミングを見計らったように急に立ち上がった。 「多華子?」 「多華ちゃん?」 多華子は確信犯的な不敵な笑みを浮かべながら 「私、用事を思い出しちゃった。後はお二人でご自由にどうぞ。」 「え?」 「え?」 綾奈と高土が同時に驚き、それに呼応するように忘れていた緊張が二人の表情に蘇る。 「お代は私が払っておくから気にしないで。私はバスで帰るからお姉ちゃんは車で帰ってきていいよ。あ、タカッチに送ってもらうという手もあるね、家の住所はもうタカッチに教えてあるから知っているよね。じゃあね。」 多華子は口を挟ませない怒涛の勢いで喋り、颯爽とレシートを掴み呼び止める暇もなくレジの方へ行ってしまった。 「ちょっ・・・ちょっと多華子!」 「多華ちゃん、僕が払うよ!」 高土と綾奈が焦って呼びかけても時すでに遅し。多華子はレジの前からにこやかに手を振りさっさと店から出て行ってしまった。 「・・・・。」 「・・・・。」 いきなり二人きりにされてしまってさすがに気まずさが漂った。緊張がピークに達しようとしている。戸惑う綾奈。すると高土がそれを察したのか優しく声を掛けた。 「綾奈さん、僕らも出ますか。」 「・・・はい。」 場所を変えれば少しは緊張もほぐれるかもしれない、高土はそう思った。高土も本当はずっと緊張しっぱなしだったのだ。 二人は店の外に出た。
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