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作品名:あれ、どうしたんだろう 作者:雲のみなと

第8回   8
日曜日の昼過ぎ、多華子はそわそわしていた。綾奈が部屋から出てくるのを待っているのだ。
綾奈が階段を下りてきた。しかし多華子は綾奈を見たとたん大袈裟に肩を落とした。
「お姉ちゃんなにその恰好!?」
「なにって?」
「なにそのふらっと近くのコンビニまで行ってきま〜す的な格好。ラフ過ぎるよ。そんな恰好でタカッチと会うつもり!?」
多華子が呆れ気味に言った。確かに綾奈はラフな格好だ。着倒してちょっとヨレヨレのブラウスに夏用の薄いカーディガン。おまけに色気のないジーパン。
「20代なら若さでカバー出来るけど30半ばのおばさんなんだからそれなりに気合入れてよ。メイクだって全然おざなりじゃないの。」
「ちょっと失礼ね。言い過ぎよ、まったく。」
綾奈は一瞬むっとして反論したが言われてみれば多華子の言う通り、ちょっとラフ過ぎたかと反省した。始めはもっと気合を入れるつもりだったが服選びにあれやこれやと時間をかけている内に張り切っている自分に嫌気がさしてこの格好に至ったのだ。
「どうせ会うのは今日の一回だけだもの。多華子の顔を立てただけよ。」
「どうせ顔を立てるならもうちょっとちゃんと立てて欲しかったよ。」
しかしもうそろそろ出かけないと待ち合わせの時間に遅れてしまう。仕方がないからその恰好でよしとした。だが綾奈には一つ気がかりなことがあった。
「それより私が断ったら多華子はこれからタカッチと顔合わせづらくならない?」
「あぁそれなら大丈夫よ。タカッチはそういう人じゃないから。」


 待ち合わせの場所は県内で一番大きいショッピングモールだ。映画館も内包している。多華子の運転でここまで来た。車を降りると多華子はさっそく綾奈の腕を引っ張ってショッピングモールの中にズカスカ入っていく。日曜日の午後だから人出はかなり多く、店内はお客でごった返していた。家族連れ、恋人同士、友人同士、みんなニコニコしている。
「ちょっどこまで行くつもりよ。」
「いいからいいから。」
多華子に引っ張られながら綾奈は辺りを見渡した。人気の雑貨店、有名ブランド店、百円ショップ、化粧品、服、靴・・・様々なテナントが並んでいる。
すると多華子が急に立ち止まった。綾奈がなんだろうと目を凝らすと目の前に喫茶店が現れた。
「ここ?」
「そう。」
多華子が頷いたのを見て綾奈は急に緊張してきた。一度会うだけとはいえやはり見知らぬ男性と会うのは緊張する。
「お姉ちゃん、行くよ。」
「うん。」
二人は中へ入った。店内はごく普通の喫茶店。綾奈の行きつけの喫茶店と内装はほぼ変わらない。店内に空いている席はなかった。多華子はぐるっとまわりを見渡している。綾奈もなにげなく店内を見渡したがその中で一人、妙に背筋をのばして緊張の面持ちで座っている男性がいた。漠然と「あの人かな・・・。」と思った。
案の定、その人だった。
多華子はその男性を見つけたとたん声をかけた。
「タカッチ!」
タカッチと呼ばれたことにその男性は気づいた。そして緊張を露わにしながらこちらに顔を向けた。向く時に緊張のあまり首がかくかくしていた。まるでひと昔前のロボットのような動きだった。
「ちょっと今の見た?首かくかくしていたよね?」
綾奈が隣の多華子に囁くと
「タカッチ、相当緊張しているな。」
多華子は愉快そうに呟いた。
男性は多華子の姿を見てにこやかにほほ笑んだ。しかし隣にいる綾奈を見た途端男性は固まった。
「あ、固まった。」
これまた多華子が愉快そうに実況する。男性は慌てて立ち上がりお辞儀をした。そのお辞儀も緊張のせいでぎこちないが。綾奈も会釈をした。
店員が綾奈たちの元に席の案内に来たが、多華子があの男性の連れだということを説明すると店員はその場から離れた。
 二人は男性の席につく。この時綾奈は初めて男性の顔を間近で見た。誠実そうな人柄がにじみ出ている。
中肉中背。顔に派手さはなく、そこはかとなく柔和な感じが漂う。一言で言えば人が良さそうな人。男性はかなり緊張している。その緊張がテーブルを挟んでいるこちらにも伝わってきて綾奈は益々緊張してきた。
「初めまして。高土裕也と申します。」
説明する声が若干震えている。それがまた人柄の良さを感じさせた。
「始めまして。芹沢綾奈です。多華子の姉です。」
高土は緊張の面持ちで綾奈を見ている。綾奈は妙に気恥ずかしくなった。
「ちよっとタカッチ。そんなに緊張しないでよ、リラックスリラックス。」
多華子が横から励ましてきた。
「そうだね。」
高土は緊張を解きほぐそうとして目の前のコップに手を伸ばした。
しかしよっぽど緊張していたのだろう、席に着いてから水ばっかり飲んでいたらしくコップの中身は空っぽだった。高土はそれに気づかず相変わらずコップの水を飲もうとしている。だが水が落ちてこないことを不思議に思い
「あれ?」と呟いた。その様子があまりに自然であまりに素朴で。人の良さが滲み出ていた。綾奈は愉快な気持ちになった。少し気が緩んだのかくすっと笑みがこぼれた。
綾奈が笑ったことでその場の緊張がほぐれた。高土も綾奈が笑ってくれてほっとしたのか笑顔になった。そしてその笑顔を見た瞬間、綾奈の心臓が予想もせずドキッと高鳴った。
え、なに今の・・・。綾奈は突然訪れた自分の鼓動に戸惑う。
高土は水のおかわりを貰おうと手をあげて店員を呼ぼうとした。その時、服の袖がコップに引っ掛かった。
倒れるコップ。
「あ」
「あ」
「あ」
三人の視線がコップに注がれる。
「すみません。」
高土は焦りながらコップを起こした。幸い、水は入ってなかったのでこぼれることはなかったが高土はどぎまぎしている。
「もう、タカッチ。緊張しすぎだよ、落ち着いて。」
多華子はもう可笑しくて笑いだしていた。高土の慌てぶりを見ているうちに綾奈の早鐘の鼓動も徐々に落ち着きを取り戻していく。あぁこの人本当にいい人だ・・・。というか天然?
店員がテーブルまでやってきた。
「いらっしゃいませ、ご注文をお伺いします。」
「あ、コーヒーをお願いします。お二人は?」
「私もコーヒー。お姉ちゃんは?」
「私も同じので。」
すると高土は綾奈たちを気遣ったのか
「なにか食べませんか?もしお腹空いていたら遠慮なくどうぞ。会計は気にしないでください。」
柔和な笑みを浮かべながら高土が聞いてきた。
「じゃあ、なにかケーキ頼もうよ。せっかくだし。」
多華子は待ってましたとばかりにメニュー表を手に取った。
「ちょっと多華子!」
綾奈が遠慮を知らない多華子の腕をちょっと引っ張った。それを見ていた高土は少し笑いながら
「お姉さんも遠慮なさらずに。じゃあ僕もケーキ食べようかな。」
高土は綾奈も注文しやすいような空気を作る。綾奈は高土の優しさを垣間見た気がした。
結局高土はショートケーキ。多華子はモンブラン。綾奈はシフォンケーキを頼んだ。
注文を終えるとまたお互い向かい合う時間が出来て思わず緊張してしまう高土と綾奈。その緊張をときほぐそうと多華子が話を切り出す。
「タカッチはピアノ弾いているんだよ。これが上手いの。まぁ、三歳の頃からやっているんだから上手くなければおかしいんだけど。」
「こら、多華子、高土さんに失礼よ。」
綾奈は小声で多華子を窘めた。しかし高土はにこやかだ。
「いいんですよ。ピアノは物ごころついた頃からやっているんです。好きこそものの上手なれというんですかね、なんとか人様に聴かせられるぐらいにはなっていると思うんですが。」
謙遜して言うが瞳はきらきら輝いている。綾奈はそれを見て、あぁこの人は本当にピアノが好きなんだと思った。
「お姉ちゃんもフルートやっていたんだよ。」
突然、多華子がその話題を出してきて綾奈は動揺した。確かに高校までやっていたが卒業してから一度もフルートに触っていない。吹きたいという気持ちがなくなってしまったからだ。
一方高土はその話を聞いてますます瞳を輝かせている。それを見た綾奈はかすかに失望した。好きなものを捨てた自分と好きなことを続けている高土との間に距離を感じたのだ。しかし高土は興味津々に尋ねてくる。
「お姉さんはいつからフルート始めたんですか?」
「・・・小学校五年生からです。中学校、高校とやっていました。でも今はやっていません。高校を卒業したらなんかフルートに興味がなくなってしまって・・・。」
綾奈は隠しても仕方がないと思い正直に話した。そして高土にきっと呆れられるだろうと思った。
「そういうこともありますよ。僕にもそういう時期がありました。」
高土の意外な言葉に綾奈はハッとした。それは多華子も同じようだったようで
「タカッチにもそういう時があったの?初めて聞いた。」
「もちろん。どんなに好きなものだって、もういいや、充分だと思うことはあります。でもそれは飽きたとか嫌いになったとかじゃなくて好きな気持ちが満たされたんですよ。充分に満たされた、だからもういいやと思った。それでいいんだと思います。だって満たされたからもういいやなんて幸せなことですよ。」
高土の一言一言が綾奈の心にじわっと染みていく。綾奈は密かに多華子に引け目を感じていた。自分の影響を受けて中学校の時からフルートを始めた多華子は今も変わらずにフルートを愛している。
それなのにきっかけとなった自分は高校卒業と同時にあっけなくフルートを意味もなくあっさりと手放してしまった。そのことになんとなく引け目を感じていたのだ。
でも今、高土に好きな気持ちが満たされたから手放したんだ、それでいいんだと言われて心の片隅にあったわだかまりが薄れていくのを感じた。
「ふ〜ん、そんなものなのかな。私には分からないや。」
「それは多華ちゃんがまだ満たされてないからだよ。満たされるまでとことんやってみるといいよ。」
高土はすぐに答えを返した。その姿がやけに大人に見えて綾奈には眩しかった。優しげな高土の笑顔が綾奈にふいに向けられた。


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