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作品名:あれ、どうしたんだろう 作者:雲のみなと

第5回   5
街路樹や建物の壁や店頭、アスファルトが雨に煙り、その存在を薄くしている。
だが濃いクリーム色の空の下、信号機の赤と青だけが色彩を鮮やかにし、自らの存在を主張している。
綾奈は待ち合わせの喫茶店に入った。アンティーク調の内装と温かいオレンジ色の明かりがなんともいえない居心地の良さを演出していた。焙煎コーヒーの香ばしい薫りが店内を包み込み鼻をくすぐる。
綾奈は由美の姿を探した。観葉植物の向こう側で由美がこっちを見て手招いている。
「ごめん、遅くなって。」
綾奈は謝りながら由美の前に座った。由美はお洒落さんでいつもセンスの良い服と小物を身に着けている。決して値段が張るものではないけど持ち主の高い美意識をしっかりと周りの者に訴えてくる。
「遅くなっていないよ。十一時ぴったり。」
由美にそう言われ綾奈は自分の腕時計を見た。ほれぼれするくらいにぴったりだった。
まもなく店員がやってきた。
「いらっしゃいませ。ご注文はいかがなさいますか。」
「ブレンドコーヒーを一つお願いします。」
「かしこまりました。」
店員がその場から去って綾奈は早速切り出した。
「で、金曜日の待ち合わせの場所のことなんだけど。」
するとなぜか由美はとたんに顔を曇らせた。明らかに戸惑っているようだ。何か言いたそうで言いだせないみたいな・・・。言い淀んでいるのが丸わかりだった。それに違和感を覚えた綾奈が由美の顔色を窺うように尋ねる。
「どうしたの?」
由美はしばらく沈黙していたがやがて話すことを決意したのか小さく頷き、そして
「ごめん!!綾奈!!」
いきなりだった。由美は突然両手を顔の前に合わせ謝ってきた。驚いた綾奈が目を見開いていると
「実は私、旅行キャンセルしたいの。」
「え!?」
あまりに突然のことで綾奈は愕然とした。キャンセルしたいと言われても旅行まで一週間を切っている今言いだすのはいくらなんでも急すぎる。綾奈は急転直下の出来事に面食らいながらもなんとかキャンセルの理由を問うた。
「突然キャンセルって・・・。なんで?」
「・・・・。」
由美はこれまた言いにくそうにしていたが、一方的にキャンセルしておいて理由を話すことも拒むというのはあまりに身勝手すぎると思ったので正直に話すことにした。
「じ・・・。」
「おまたせいたしました。」
タイミングが良いのか悪いのか店員が淹れたてのコーヒーを運んできた。綾奈は軽くおじぎをし、コーヒーを受け取った。
「それで?」
綾奈は先を促した。話の腰を折られた由美は話すことを戸惑ったがやはり説明責任からは逃れられない。
「実はね、海斗が旅行に行かないかと言ってきたのよ。」
綾奈は衝撃を受けた。そして瞬時にこの状況を理解した。海斗とは由美の彼氏だ。つまり彼氏との旅行を優先させたいということなのだろう。
「綾奈も知っている通り、海斗と付き合い始めてもう六年になるのに全然結婚しようと言ってこないのよ。私焦っちゃって・・・。ほら、私たちもう三十四歳でしょ。子供も欲しいし。それなのに海斗はそんなのどこ吹く風で。この男は結婚に興味ないのかと私も諦めかけていたんだけど一昨日、海斗が急に旅行に行かないかと言ってきたのよ。」
「・・・。」
綾奈は由美の説明に怒りを覚え始めた。眉間に皺を寄せて苛立ちを露わにしている。今すぐこの席を立って去ってしまおうかとも思った。だってそもそも旅行に行こうと誘ってきたのは由美の方なのに・・・。しかし由美はそんな綾奈の怒りを知ってか知らずか言い訳に終始した。
「綾奈と先に約束していたしどうしようかなとも思ったんだけど。でもこの旅行が結婚に繋がるような気がしてならないのよ。旅先で海斗がプロボーズしようとしているのじゃないかと思うの。」
「・・・どうしてそう思うの?根拠は?」
綾奈が怒りを抑えつつなんとか聞き返した。その口調に刺々しいものを充分に含ませたが由美はお構いなし。それどころか瞳を輝かせ
「予感よ!」
「予感・・・。」
「そう、予感。海斗は結婚したくないのかと思っていたんだけどこの前ね、一緒にテレビ観ていたら仲のいい夫婦の特集をやっていて。それを見て海斗がぼそっといいなと呟いたのよ!私はそれを聞き逃さなかったわ!」
「はぁ、そうなんだ・・・。」
綾奈はそれを聞いてなんとも言えない気持ちになった。由美がどんなに海斗と結婚したがっていたかは痛い程分かっている。会うたびに結婚しようとしない海斗の愚痴を聞かされていたからだ。
「プロポーズされるのは確実なの?」
「多分!女の勘というやつよ!」
由美は夢見る乙女のように幸せそうに喜んでいる。まるでもうプロポーズされたかのようだ。
すると綾奈の気持ちに微妙な変化が起こった。こっちが先約していたのにそれを反故して彼氏と旅行か・・・。心の隅にどうにも腑に落ちないものがあるのは確かだがこんなことはよくあることだ。女の友情よりも男を優先させる。この世には腐るほどよくある話。
綾奈は仕方がないことのだと自分に言い聞かせた。それにやっぱり親友である由美には幸せになって欲しい。綾奈は諦めの境地に至った。そしてため息行きまじりに忠告する。
「一週間きってからのキャンセルにはキャンセル料がかかるよ。」
「もちろん、それは払うよ。で、綾奈はどうする?智香とか鈴音とか誘う?」
智香も鈴音も綾奈たちの友人である。由美もさすがに突然のキャンセルは申し訳ない思ったのかなんとか綾奈だけでも旅行に行ってほしいと思っているようだ。
しかし綾奈はすでに旅行に行く気を失くしていた。
「智香は家庭と仕事忙しそうだし、鈴音も家庭を持っているもの。いきなり六日前に海外旅行に誘っても駄目に決まっているよ。私のことは気にしないでいいよ。」
綾奈に気にするなと言われても由美はまだ気にしているようだ、眉尻が困惑して下がっている。
「大丈夫だって。実は私もここ最近旅行に行きたいというテンションが下がっていたんだ。仕事が急に忙しくなってきて旅行どころじゃなくなってきていたの。私もキャンセルするわ。」
もちろんこれは綾奈の嘘だ。こうでも言わなければ由美は気に病んだまま彼との旅行に行かなくてはならなくなる。
「そうなんだ?」
「うん。」
「・・・じゃあ、綾奈のキャンセル分も私に払わせて。元々私が誘った旅行なのに私の都合でキャンセルすることになってごめんね。」
「私の分のキャンセル料は自分で払うよ。」
「えっ・・・でも・・・。」
由美はそれではあまりに申し訳ないという気持ちをありありと顔に出している。それを見た綾奈はやれやれと密かにため息をついた。
「本当に気にしないで。グアムなら一人でも行こうと思えばいくらでも行けるもの。一人で旅行するのは慣れているし。でもあえてそうしないのは私も行きたい気持ちがなくなっていたからよ。だからこれは渡りに船なの。」
「そっか・・・。」
綾奈の芝居を芝居とは見抜けない由美はほっとしたのか眉の緊張を緩めた。罪悪感が薄れたのだろう。
本当は綾奈はここに来るまで旅行に行けるのが楽しみで仕方がなかった。一時間前まであんなに楽しそうにしていた自分が情けなくなるが仕方がない。人生とはこういうものだ。
「海斗さんがプロポーズしてくれるといいね。」
綾奈は嫌味でも何でもなく心からそう思った。由美は嬉しそうに頷いた。
「ところで綾奈は・・・。」
「え?」
由美は何かを言いかけて口を噤んだ。綾奈が不思議そうに由美を見ている。
「なに?」
綾奈は先を言うのを促したが由美は首を横に振った。
「ううん、なんでもない。それよりこのコーヒー美味しいね。」
由美は話を逸らした。綾奈はコーヒーを飲みながら軽くため息をついた。
「うん、美味しい。」
その後二人は他愛のない会話をしながらコーヒーを飲み続けた。やがて綾奈が伝票を自分に引き寄せた。
「そろそろ帰るわ。」
「あ、ここの代金は私に払わせて。せめてもの罪滅ぼし。」
由美の申し出を綾奈は引き受けた。そうでもしないと由美は納得しないだろうから。
「じゃあ。またあとで電話するね。」
綾奈は席を立った。店員に会計の旨を伝えて店を出る。傘を差しながら雨の中へ消えていく綾奈。その姿を窓越しで見つめている由美。
本当はさっき綾奈に言いたいことがあった。
それは「新しい彼を作らないの?」ということだった。由美もまた綾奈が真二のことを今だ忘れられずにいて新しい彼を作ろうとしないことに胸を痛めていたのだ。
でも言うのをやめた。このことを言うと決まって喧嘩になるからだ。
「いい加減真二さんのことは忘れて幸せになりなよ!!」と由美が言うたび
「私のことは放っておいて!!」と綾奈はきり返し喧嘩になる、ここ十年この繰り返しだ。
由美は寂しそうに残りのコーヒーを飲みほした。
「ちょっと苦いな・・・。」
雨はまだ降り続いている。

水曜日。夕食を終えた綾奈はお気に入りの小説を読んでいた。リビングには綾奈一人だけだ。父と母は町内会の集会に出ていて今夜はいない。多華子は残業らしくまだ帰宅していなかった。
「ただいまー。」
多華子がようやく帰ってきた。


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