時は流れ、綾奈と裕也がお互いの想いを確かめ合った日から冬春夏と季節がひと巡りしようとしている。 今は秋。空はどこまでも高く、果てがあるのかどうかでさえ定かではない。思慮深く空の高さを見つめていれば誰もが旅人になれるような季節。秋風がコートの裾を落ち葉色に染める。 綾奈と裕也は綾奈の実家にいた。半年くらい前から綾奈は裕也の家で同棲を始めたのだが今日は一緒に実家を訪れている。 お茶の間に綾奈たちと父、母、そして多華子がいた。皆楽しげに笑顔を浮かべている。 「それにしても綾奈、本当に結婚式は挙げないの?女の子にとってウェディングドレスは一生の夢よ。」 母が名残惜しげに切り出してきた。 「いいのよ。そんなお金があったらその後の生活費の足しにしたいの。裕也もそれでいいと言ってくれたし。」 綾奈は裕也の顔を見た。裕也はにっこりとほほ笑んだ。 「僕も構いませんよ。綾奈がそれでいいなら。」 「でも裕也さんも本当は綾奈のウェディングドレス姿見たいでしょう?今からでも遅くはないわよ。結婚式場予約しちゃいなさいよ。」 母はよっぽど娘のウェディング姿を見たいのか尚も食い下がる。 「はぁ、正直ちょっと見てみたいです。」 裕也が思わず本音を吐露した。 「ほら!!」 母親がそれみたことかと綾奈を見るが綾奈は 「あのね、お母さん。私が別にいいと言っているんだからいいのよ。」 「ウェディングドレスは一生に一度のことよ。せめて写真だけでも撮っておいていいんじゃない?」 母の催促は続く。綾奈は困惑して肩をすぼめた。そこへ多華子が助け舟を出す。 「そんなにウェディングドレスが見たいならお母さんが着たらいいじゃないの。今そういうの流行っているみたいよ?熟年夫婦が昔着れなかったウェディングドレスを着るという企画。」 すると今度は父が横から口を挟んだ。 「父さんと母さんは結婚式を挙げたから一度着ているぞ。それに今の母さんのウェディング姿はさすがにキツイだろう。あ、でも頭からドレスかぶればなんとかみられるか?」 「なんですってぇ?!」 父の意見に抗議する母。父はからかい気味で、母も半分冗談っぽく半分本気で。穏やかで明るい空気がここにあった。久しく忘れていた、陰のない純粋な明るさ。綾奈はそんな家族の様子を見て改めて思い知らされた。 確かに11年前、真二を亡くしてからこの家の灯は消えた。でも灯を消したのはこの私だったのだ。最後に灯を消したのが私なら、再び灯をともすのも私でなければならないんだ。裕也はその手伝いをしてくれたんだ、と。 だから覚悟を決めてもう一度灯をともそう。そして二度とその灯を消してはならない。私がいつまでも泣いていたら家族が、友人が、裕也が、誰よりも真二が悲しむから。 「入籍はもう済ませたのか?」 父が聞いてきた。 「はい。さっき婚姻届を二人で出してきました。」 裕也が襟を正して答えた。 「そうか。綾奈をよろしく頼む。」 父は改めて深く頭をさげた 「お父さん・・・。」 綾奈の目頭が熱くなった。 「頭を上げて下さい、お父さん。綾奈さんは僕が絶対幸せにします。」 そう答え裕也は父親の娘への想いをしっかりと受けとった。母と多華子は満足そうに二人を見ている。 「お姉ちゃんおめでとう。」 多華子が心からの笑顔を姉に手向けた。 「ありがとう、多華子。次はあんたの番よ。」 「うん、頑張る!!」 多華子が明るく返事した。多華子も彼氏がいて、おそらく来年辺りには結婚しそうな勢いだ。 「それはそうとこれから出かけるの?」 母が尋ねてきた。 「これから二人で真二のお墓に行って入籍の報告をしてこようと思っているの。」 綾奈が裕也の顔を見ながらそう答えれば裕也も綾奈の顔を見て深く頷いた。 「そうか。真二君によろしく伝えてくれ。」 父が言った。そこには悲哀はなかった。母も多華子も綾奈の新たな船出を祝福している。 「じゃあ、そろそろ行くね。」 綾奈が立ち上がり、裕也もそれに続いておじぎをした。今日から裕也という家族が出来た。皆が皆、あふれんばかりの幸せをかみしめている。 多華子が玄関まで見送りに来てくれた。 「お幸せに!!」 多華子は綾奈たちの姿が見えなくなるまでずっと手を振っていた。 街路樹の色づいた葉が風に揺れ、秋色の鈴を鳴らしている。爽やかに乾いた坂道を綾奈と裕也は並んで歩いていく。 「でも本当にいいのかい?式を挙げなくて。」 「うん。いいの。それに式よりも新婚旅行の方を充実させたいし。」 「そうだな。旅行どこがいい?」 「青空が濃くて綺麗な南の島がいいな。」 「賛成。」 二人は寄り添って笑い合った。幸せな空気に包まれ、お喋りするのももったいなくなる。穏やかで静かな時が流れる。 「ねぇ・・・。」 綾奈が突然口を開いた。 「なんだい?」 「真二、喜んでくれるよね、私たちのこと。」 綾奈が少し不安げに裕也を見上げて聞いてきた。裕也は力強く頷いた。 「喜んでくれるよ。綾奈が真二さんの幸せを願うように真二さんも綾奈の幸せを願っている。真二さんのこと、信じているだろう?」 「もちろん!」 綾奈はなにをいまさらと言いたげに口を尖らせた。それを見て裕也はほっとした。そしてきゅっと唇を噛みしめ生涯の覚悟を決める。 「僕も真二さんに約束しなければな。絶対に綾奈のことを幸せにするって。男と男の約束だ。それにな・・・。」 「それに?」 裕也は感慨深げに空を見上げながら 「今にして思えば真二さんが綾奈に会わせてくれたんじゃないかと思うんだよ。」 「そうかもしれないね・・・。」 綾奈も空を見上げた。 誓いと想いをその胸に抱えながら二人は銀杏の坂道を昇っていく。 「真二さんのお墓は玉葉墓苑だったよね。」 裕也が思い出したように聞いてきた。 「そうよ。とっても穏やかでたくさんの木々に囲まれていて、空気が澄んでいる所なの。」 「そうか。素晴らしいところなんだな。」 「うん、とっても。」 二人は駅に向かって歩いていく。駅の向こうにはどこまでも澄んだ青い空が広がっている。それはこの世界に生きるものの全ての人生の春夏秋冬を祝福しているかのように。そして雲はたくさんの人たちの命と憧れを乗せて果てしない空を旅していく。
END
|
|