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作品名:あれ、どうしたんだろう 作者:雲のみなと

第22回   22
時計の針が真夜中の零時を回ったところだろうか。
綾奈はひたすら布団の中で真二の帰りを待っていた。
「まったく・・・。今日入籍だというのにいつまで飲んでいるつもりなのよ。」
綾奈は不満げに呟いた。
「もしかして本当に私との結婚が嫌なのかな。それでヤケ酒しているのかな・・・。」
彼の帰りが遅いせいで余計なことまで考えてしまう。友人と飲んで騒いで私との結婚を忘れたいとかだったらどうしよう・・・。綾奈のマイナス思考に拍車がかかる。綾奈が眉を顰めた時だ。
ピンポーン。
家のインターホンが鳴った。
「真二だ!」
綾奈は待ってましたとばかりに跳ね起きた。パジャマの上から急いでカーディガンを羽織り玄関へと飛んで行った。
「おかえりー。」
喜びいっぱいでドアを開けるとそこに立っていたのは真二ではなく真二の友人、田中篤だった。
「夜分遅くごめん。」
篤は申し訳なさそうに謝った。
「篤さん、どうしたの。」
不思議に思ってよくよく見ると篤は背中に真二を背負っていた。
「真二?」
綾奈はびっくりした。
「いやぁ、真二の奴、酒場で酷く酔っぱらっちゃってさ。フラフラして危ないから連れてきたよ。今日入籍するこいつをこんなに酔わせてごめんな。」
篤がばつ悪そうに謝った。
「ううん。わざわざ送ってきてくれてありがとうございます。」
大の男をおんぶして来てくれて、その上謝られたらかえってこっちが申し訳ないと綾奈も慌てて謝った。篤はよっこらしょっと真二を背中からおろした。
真二は酷く酔っぱらっているようだった。足元がふらふらしておぼつかない。ふにゃふにゃして実に頼りない感じだ。綾奈はその姿を見て情けなくなった。
「ちょっと飲み過ぎよ。」
綾奈はたしなめるが真二はスルーした。焦点が定まらない感じでぼぉーとしている。重心が定まらないのか壁に寄り掛かっている。真二は飲まなくなると酒に弱くなるだのと言い訳して毎日飲んでいるがこんなに酔っぱらって醜態をさらしているのは今までなかった。そこまで酔いたかったのかと思うと綾奈はいささか腹が立った。そんな綾奈の気持ちを知ってか知らずか真二はふらふらと奥の部屋に向かって歩き出した。綾奈は真二を支えようと肩に手をまわした。酒臭い息がかかる。
「まったく・・・。」
綾奈は半ば呆れ気味に真二を補助した。
「じゃあ、俺はこれで。」
篤が玄関口から声を掛ける。ここはアパート、しかも真夜中だから大きな声を出すわけにもいかず綾奈は真二をその場に座らせて、篤にお礼を言おうと玄関に向かった。
その時だ。ふと、綾奈の耳に真二の声が届いた。
「あれ、どうしたんだろう・・・。」
真二が己自身に向けた疑問の声だった。
その言葉を聞いた綾奈はなんとも言えない不安を覚えた。いくらなんでもこんなに酔っぱらうなんて・・・。例えようのない不安に駆られ振り返れば真二がふらふらと立ち上がって自分のベッドに向かおうとしている。
「結婚式、楽しみにしているよ。」
突然篤が声をかけてきた。綾奈は我に返った。
「ありがとう。篤さんも帰り道気を付けて下さいね。」
ふと横を見るとタクシーが見えた。どうやらタクシーを待たせているらしい。篤はにこやかに手を振りながらタクシーへと消えていった。
「やれやれ。」
綾奈は肩をすぼめ真二の元へ戻った。
「もう、しっかりしてよ。」
綾奈は相変わらずふらふらしている真二をベッドの所まで導いた。ふにゃふにゃと力が入らない身体から無理矢理服を脱がせ横たわらせる。
「何もここまで飲まなくてもいいじゃないの!」
軽く小言を言っても真二は聞いているのかいないのか目をつぶってすぐに寝てしまった。
じきに真二はいびきをかき始める。大きないびきだ。日頃から人並みのいびきはかいている真二だが今夜はやけに大きい。酔っぱらうといびきが大きくなるとは聞いているけどここまで大きないびきはなかなか聞いたことがない。綾奈は苦笑いした。そして真二の隣に寝転がった。
しかしなかなか寝られない。真二のいびきが大きいせいもあるが今夜真二が初めて見せた酷い酔っ払いぶりに一抹の不安を覚えたからだ。
綾奈はその不安を打ち消したくてベッドから這い出て部屋を出た。真二は結婚に躊躇しているのかな・・・。湧き上がる疑念。一人になって冷静になってこの不安が気のせいだと思いたかった。
綾奈は無理矢理ソファーに横たわり目を閉じた。目を閉じると余計に自分の心が波立っているのが分かる。それを鎮めようとクッションをぎゅっと握った。
数時間経った。どうやらなんとか綾奈は眠れたらしい。カーテンの隙間から薄明かりが見えた。
夜が明けた。時計を見る5時ちょっと前。綾奈は真二が眠っている寝室に向かった。
真二はまだ眠っているようだ。
しかしなにかがおかしい。なにかただならぬものを感じた。それがなにかは分からない。ただ普通ではない何かを感じたのだ。綾奈の心臓が一瞬ドキッと鳴る。
「真二。」
綾奈は恐る恐る声をかけた。真二は起きない。その時、布団が濡れているのに気づいた。綾奈は慌てて布団をはがした。思った通り布団は濡れていた。しかも黄色い。
おしっこだ。真二が寝小便したのだ。大の男が寝小便するなんて。
普通なら苦笑いするところだ。
しかし、綾奈は違った。綾奈の背中に戦慄が走る。
「真二!?」
真二を起こそうと大きな声で名前を呼んだ。しかし真二は返事をしない。
「真二!!」
体を揺するがそれでも真二は目を覚まさない。綾奈の体が大きく震えはじめた。見る間に綾奈の顔から血の気が引いていく。脂汗が滝のように背中を伝う。動揺しまくって震える指で真二の瞼を無理矢理開くと真二は白目を向いていた。綾奈は愕然とした。
綾奈の心臓は潰れてしまうのではないかという尋常ではない速さで脈打っていた。しかしそんなのどうでもいいと振り切るように真二の鼻あたりに耳を近づけた。
呼吸はある。次に胸のあたりを見る。胸は上下運動を繰り返している。
「大丈夫!!」
綾奈は絶望の中に一縷の望みを見つけ次の瞬間119番に電話した。
救急車はサイレンを鳴らしながら約10分後には到着した。
どうしよう・・・。どうしよう・・・。
全身の血が凍っていくのを感じた。
「どうしました!?」
救急隊は早速真二の元に駆け寄り具合を聞いてきた。だが真二が答えることはなく。救急隊員はてきぱきと状況を確かめる。
「どうしましたか。」
今度は綾奈に聞いてくる。綾奈は茫然自失としながらもなんとか答えた。
「朝、起きたらこうなっていて・・・。」
救急隊は真二に酸素マスクをし、担架で運んだ。
「一緒に来ますか。」
救急隊員が問いかけてくる。綾奈は頷いた。救急車は真二と綾奈を乗せ、サイレンを鳴らしながら病院に向かって駆け込んでいく。
救急隊員が尋ねてきた。
「状況を説明してください。いつ様子がおかしいと気づきましたか。」
綾奈は今にも気絶しまいそうな自分をどうにかおさえつけ説明をし始めた。
「救急車を呼ぶちょっと前です。」
「倒れたのはいつですか。」
「真二がおかしくなったのは多分夜の零時前だと思います。友人と飲み会をしていて酔っぱらった真二を友人が家まで送ってきてくれたので・・・。」
「外で飲んでいたのですか。」
「はい。」
「それで友人が家までこの方を送ってきてくれた?」
「はい、おんぶして運んできてくれました。」
「おかしいと気づいた時になぜすぐに救急車を呼ばなかったのですか。」
その質問に綾奈は愕然とした。そして自分がとんでもないことをしでかしてしまったと気づかされた。すぐに救急車を呼んでいれば・・・。
あの時の真二の言葉。
『あれ、どうしたんだろ。』
真二の疑念を帯びた声が脳裏に浮かび上がってくる。あれはいうことをきかない自分の体への疑問だったのだ。そして綾奈があの時感じた不安。あの時感じた違和感。
もしあの時の真二の「あれ、どうしたんだろう。」という言葉を受け流さずにすぐに病院に連れていけば真二はこんなことにはならずに済んだんだ!!
そのどうしようもない事実が綾奈の目の前に容赦なく叩きつけられた。後頭部を鈍器で殴られたような衝撃が走る。
取り返しがつかないことをしてしまった!!激しい後悔と津波のような罪悪感が綾奈を襲った。
「酔っぱらっているだけだと思い込んでしまって・・・。」
救急隊員のどうしてすぐに救急車を呼ばなかったという問いにそう答えるだけで精いっぱいだった。止まらない後悔に打ちひしがれ嗚咽した。

救急車は脳神経外科に到着した。緊迫した空気の中、流れるような動線で担架に乗ったままの真二が緊急入口へと搬送されていく。
真二の体はレントゲン室に吸い込まれていった。レントゲン室のすぐ近くの廊下に長椅子があって綾奈はそこに座ってただひたすら祈るように結果を待った。
「どうか無事でいて!!」
血が滲むほど握りしめた手のひら。
朝の病院は人影もなく、酷く寂しく、廊下は氷のように冷たかった。
しかしその廊下よりもさらに冷たく底がなく綾奈の心も体も冷え込んでいた。いや、凍っていた。
レントゲン室から医師の声が漏れ聞こえてくる。
「これは酷いな。」
とたんに綾奈の心臓が激しく波打った。これほど残酷でこれほど悲しいことが世の中にあるのか。そんなことは昨日まで知らずにいた。綾奈は真っ暗な暗闇の底に突き落とされた。
真二はすぐに緊急処置室に運ばれた。ここで集中治療が行われるのだ。
医師がうな垂れる綾奈に声をかけた。これから真二の容態を説明するという。
「八重樫真二さんの病名は脳内出血です。」
「脳内出血・・・。」
医師の言葉を反芻すること以外、なにも出来なかった。
「八重樫さんは日ごろから高血圧でしたか。」
「・・・はい。」
「日頃から気を付けていましたか?高血圧の抑制剤を医者から処方されていませんでしたか?」
「医者には行っていませんでした。」
「お酒は好きですか?」
「はい。毎晩飲んでいました。お酒は控えるようにと注意はしていましたが・・・。」
「本人がいう事聞かなかった?」
「・・・はい。」
「タバコは吸っていましたか?」
「・・・はい・・・。」
「一日どれくらい吸っていました?」
「一箱ぐらい・・・。」
それを聞いた医師がため息をひとつついた。綾奈は泣き出したいのを必死でこらえる。確かに真二は27歳という若さなのに高血圧で、綾奈はそれが心配でお酒とタバコを控えるように何度も口を酸っぱくして言っていたのだが。
「計ったら血圧が200を超えていました。それが原因で脳内の血管が切れたのでしょう。」
「・・・。」
そこで医師は違う質問をしてきた。
「倒れたのは零時前ですよね。」
「多分・・・。」
「友人と酒場で飲んでて倒れた。それで友人が八重樫さんの自宅まで送ってきてくれたと。」
「はい。」
さきほど救急車で聞かれたことをもう一度聞かれている。罪悪感がこれでもかと闇と深みを増幅していく。
『あれ、どうしたんだろう。』
真二の声が、言葉が綾奈を責める。
綾奈の瞳から涙が溢れてきた。滝のように涙が零れ落ちる。綾奈には医師に聞きたいことがあった。この迷いに白か黒かの判決を出して欲しくて勇気を出して聞いてみた。
「もし私が・・・。もし私が彼がおかしいと思った時にすぐに病院に連れてくれば彼はこんなことにはならずに済んだのでしょうか。」
涙ながらに聞いた。その答え次第で、綾奈はこの先の人生、死ぬまで罪悪感を肩から降ろしてはいけないのか、いつか降ろしてもいい日がくるのかが決まる気がして。
でも本音は医師に「そんなことはないですよ。」と言って欲しかった。この罪悪感を少しでも和らげたかった。そうでもしないと罪の重さに身も心も押しつぶされてしまいそうで。
しかし医師の答えは簡単には綾奈を解放してくれなかった。
「・・・なんとも言えません。」
それでも医師の瞳は綾奈を労わるように優しかった。きっと先生も綾奈の苦しみに気づいていたのだろう。医師は綾奈を気遣ったのだ。
医師の答えは綾奈を突き放すでもなく、かといって許すでもなく、どうするべきかは全て綾奈に任された。
綾奈は緊急処置室で機械と管に繋がれた真二を見つめながら罪悪感と悲しみの海底に沈んでいた。
真二が発していたどんなささいなサインも見逃すべきではなかった。でも見逃してしまった。綾奈は一生償いきれない罪を背負ってしまったのだ。
それから綾奈は毎日病院に通った。真二が目を覚ましてくれるのをひたすら信じて通い続けた。
時にはもう死にたいと思った。気が付くと近くのマンションの階段を昇り続け、人影のない踊り場から何十メートル下のアスファルトを何時間も眺めていたこともあった。
時には駅のプラットホームで茫然自失で立ちすくみ、線路の中の死の誘惑に負けそうになったこともあった。
しかしその度に真二の笑顔を思い出した。屈託のない真二の笑顔。
もう一度あの笑顔に会いたい。もう一度真二の声が聞きたい。真二のぬくもりの中で眠りたい。なによりも真二に謝りたい。あの時はごめんなさいと心から謝りたい。
だからそれまでは死ねないと思い直した。
死にたい気持ちと謝りたい気持ちの間で右往左往しながら、目を覚まさない真二の手を握りしめ真二の声を待った。真二の優しいまなざしを待ち続けた。


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