病院に到着し、裕也は早速検査を受ける。その間ずっと綾奈は待合室で検査結果を待っていた。 裕也は正直たいしたことないとたかをくくっていた。しかしMRIを受けたと思ったらすぐに処置室に運ばれすぐに点滴投薬をされた。 診察室。裕也は医師から診断結果を聞かされた。 「診断結果は脳梗塞です。」 裕也は唖然とした。まさか!?と思い、耳を疑った。背中を冷たい汗が伝う。到底信じ難いことを言われて、頭が混乱し視線が宙を彷徨う。 「脳梗塞!?」 「でも軽度の脳梗塞です。発症してからすぐに治療出来たのが幸いしました。」 医師の心強い言葉が裕也に平常心を取り戻させた。 「軽度ですか。」 「はい。あなたの場合は兆候が出てから一時間以内に病院に来たのが良かった。発症してから三時間以内に治療を受ければ軽度で済むこともあるんです。しかし、痺れやめまいをたいしたことがないと言って放置する人も少なくないですから。その点あなたは若いのにしっかりしている。」 「・・・・。」 「軽度の脳梗塞で早期治療なので後遺症もそれほど残らないと思います。」 医師の説明は裕也にとってありがたいことこの上なかった。そしてそれ以上に綾奈に心から感謝した。綾奈があれほどまでに必死に病院に今すぐ行けと言ってくれなかったら自分は間違いなく病院には行かなかった。そしてその結果取り返しがつかないことになっていただろう。 これからの治療方法を説明され、裕也はお願いしますと頭を下げてから車いすに乗って診察室を出た。車いすは看護師が押してくれている。無機質な廊下を進みながらあらためて自分の身の上に起こった奇跡を思う。 もし綾奈と出会わなかったら、綾奈が傍にいてくれなかったら、綾奈が病院に行けと勧めてくれなかったら、自分はもう二度と大好きなピアノを弾けなくなっていただろう。それどころか日常生活にも支障をきたしていたはずだ。だからではないが今すぐ綾奈に会いたくなった。 「看護師さん、ちょっと寄りたいところがあるのですがいいですか?」 「構いませんよ。どこですか?」 「待合室にお願いします。」 アルコールの消毒液の匂いが漂う冷えた廊下を歩み、綾奈が待つ待合室に向かった。入口から室内を覗くと綾奈がいた。 綾奈はとても心配そうな顔をしていて祈るように指をくみながら裕也が来るのを待っている。裕也は感謝しきれないほどの感謝の思いを込めて綾奈の元に歩み寄った。 裕也から説明を受けた綾奈は心の底から安堵して椅子に崩れ落ちた。張り詰めていた緊張が解かれたのだ。 「本当にありがとう、綾奈。君のおかげだ。」 「ううん。でも良かった。」 綾奈は涙を浮かべ裕也に寄り添う。裕也はそんな綾奈を愛おしく抱き寄せた。
白い壁に明るい陽射しが落ちて暖房が効いた病室をより確かに暖めている。それとは正反対に窓の外は冬景色。落ち葉も姿を消し、か細い枝が北風に震えている。 裕也は入院した。軽度の脳梗塞ということもあり期間は五日間程度だ。点滴による投薬治療が定期的に行われる。めまいはとれたが左腕の痺れはまだ残っている。だがそれもほとんど気にするほどのことではないぐらい。 裕也の病室は大部屋。裕也の症状は落ち着いている方だから他の患者さんと会話することが出来た。投薬をする時間だけベッドに縛られるがそれ以外の時間は自由なので時間を持て余している裕也。 裕也は綾奈がくるのをひたすら待ちわびていた。綾奈は仕事が終わると毎日見舞いに来てくれた。裕也はそれが嬉しかった。仕事帰りで疲れていないかと心配もしたが綾奈は「ここに来ない方が心配で体に悪い」と言って毎日欠かさず来てくれた。 しかしそれも明日で退院。これからは定期的な通院に変わる。 病院の夕食は早い。夕方5時には食事が配膳される。入院する前は夜の8時頃に夕飯だったので入院した当初は夕方の5時ではお腹が空かなかった。しかも病院の食事は味付けが薄い。でも人間とは不思議なもので適応力が働いたおかげか今では5時でも食べられるようになった。 夕食を終えて暫くした頃、綾奈が見舞いに訪れた。裕也は綾奈の顔を見た途端ほっと胸をなでおろす。綾奈は周りの患者に会釈し、笑顔で裕也のベッドの脇の丸椅子に座った。 「具合はどう?」 「うん、だいぶいいよ。」 裕也は左手をかざして、にぎにぎしてみせた。綾奈はそれを見て安心したのかそっと肩をなでおろす。 「仕事、ご苦労様。毎日わざわざ来てもらって悪いな。」 「そんなことないよ。私も裕也の顔見たら安心するし。」 綾奈がそう言ってくれて裕也は照れた。病室での綾奈は素直に自分の気持ちを話してくれるから裕也も照れくさくなったり嬉しくなったりで忙しい。そして他愛のない話を三十分ほどした。いつものことだ。 「明日退院だよね?迎えに来ようか?」 「いや、綾奈は仕事だろ。この通り大丈夫だから心配しないでいいよ。一人で退院出来るよ。」 裕也はにこやかに答えた。しかし綾奈は心配そうだ。 「でも車の運転は心配だわ。」 「明日は念の為にタクシーで帰るよ。会社からもあと3日は休み貰っているからそれまでは家で大人しくしている。」 「そう・・・。でも心配だから退院してからも家に様子を見にいってもいい?」 綾奈は当たり前のように言ってきたが裕也は内心焦った。 綾奈が自分の家に来る。今までも自宅に綾奈が遊びに来たことはあった。でもそれは自分の気持ちを押し殺していたので綾奈に手も出さずに、DVDを観たり、ゲームをやったりで健全な友人同士の時間を過ごした。といっても心の中は健全ではなかったが表向きは健全だった。 しかし海辺で綾奈を思わず抱きしめてしまった時から何かが変わった。もっと綾奈に触れたい、綾奈が欲しいという欲望が渦巻く。そんな時に自宅に招いて平然としていられる自信が全然ない。裕也は戸惑った。しかし綾奈の厚意を断る言葉も思いつかない。裕也は半ばやけくそになってもうどうにでもなれという気持ちになった。 「うん、じゃあ、お願いしようかな。」 裕也が了解すると綾奈は裕也の気持ちを知ってか知らずか満面の笑顔を浮かべた。裕也はやれやれとため息をつく。 「じゃあ、今日はこれで帰るね。」 「あぁ。気を付けて。」 名残惜しげに立ち上がった綾奈を裕也は笑顔で見送った。 「これから僕たちどうなるのかな。」 そんなかすかな疑問が裕也の頭に浮かんだ。
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