その夜、ベッドに潜りいつものように瞼を閉じた。 しかしどうにも多華子から綾奈のことを聞かれたせいで寝付けない。 このままでいいのか?このまま本当に終わりしていいのかと幾度となく自問自答する。 もう二度と綾奈と会えなくてもいいのか、それで後悔しないか。本当に亡くなった人には敵わないのか。リングに立つ前から試合を放棄している自分を情けないと思わないのか。 そんな簡単に諦めるくらいなら始めから綾奈に会わなければ良かったのだ。 なぜ会ってみたいと思った?なぜ死んでしまった恋人を十年経っても忘れられない女性に会おうと決心したんだ?好奇心からか?実在する美咲に会ってみたかったからか?
いや!違う!!
綾奈に会ってみたいと思ったのは見たこともない綾奈という女性を救いたいと思ったからだ!過去に囚われ前に進めない女性をこの手で救いたい!!そう思ったから。 自分なら救えるという自信があったわけではない。今まで付き合ってきた女性は「あなたは良い人だけど、ただそれだけ」という言葉を残して去って行った。だから自分に自信があったわけではない。でも多華子から綾奈の話を聞いた時、その人を救いたいと猛烈に思った。どうしてそう思ったのか理由は分からない。 そして綾奈に実際に会ってひと目見て恋に落ちた。運命というものがあるならこれがまさしく運命だと思った。綾奈と一緒にこれからの人生を生きていきたいという願い、これは誰に真贋を問われても誰に見られても嘘偽りのない願いだ。 裕也はハッとして飛び起きた。 そして自分は今までなにをやっていたんだろうと頬にげんこつを一発食らわせる。 生半可な覚悟で綾奈にぶつかっても綾奈が応えてくれるわけがない。本気でぶつかっていかなければ綾奈は自分の存在に気づいてくれはしないのだ。なにより本気でぶつかっていこうとしない自分自身に嫌気がさした。 「真二さん。僕は覚悟を決めました。いいですよね?」 裕也は朝が来るのが待ち遠しい。こんな気持ちになるのは綾奈と出会ったからだ。 残暑が今年の夏を総括している。つまり今年の夏も暑かった。 9月の半ば。半袖の人々は猛暑の終わりにほっとしながらもどこか寂しがっている。 土曜日の午後、綾奈は何もする気が起きなくてベッドの上でぼんやりしていた。多華子は友達とドライブに行っている。両親はデパートの催しものに出掛けていた。綾奈は一人天井を見つめなんとなく裕也の顔を思い出していた。こんな時にさえ真二の顔ではなく裕也の顔を思い浮かべる自分に苦笑いする。ぼそっと独り言を呟いた。 「往生際が悪いなぁ・・・、私。」 裕也からの連絡が途絶えてから二週間以上経つ。少しずつだが裕也と出会う前の自分に戻っていく。しかしこうして裕也のことを思い出すたびまた一歩後退、胸がチクッと痛んだ。 「会いたいな・・・。」 綾奈は机の上の携帯電話に視線を向けた。その時だった。 「チュルルルル。」 携帯の着信音が鳴った。 「由美かな。」 綾奈は携帯に手を伸ばす。ディスプレイを見る。 「!!」 一瞬にして高揚感。裕也からだ。 綾奈は跳ね起きた。速まる胸の鼓動。どうして裕也から電話が来たのか分からなかったが電話に出ないという選択肢は綾奈にはなかった。かすかに震える指でキーを押す。 「もしもし。」 綾奈は恐る恐る出た。すると電話の向こうから 「もしもし綾奈さん?裕也です。」 恋しかった裕也の声を聞いたとたん綾奈は切なくなる。 「はい。お久しぶりです。」 綾奈は切ない気持ちにのまれないようにやっとの思いで返事をした。裕也は綾奈に避けられていないか手探りで会話を続ける。 「突然電話してすみません。綾奈さんに怒られないかドキドキなんだけど。」 裕也は冗談っぽく言った。すると綾奈はくすっと笑った。その小さな笑い声が裕也にも伝わり避けられていないと分かりほっとする。内心、綾奈に電話に出て貰えない、あるいは出てもすぐに切られるのでないかとびくびくしていたのだ。 一方、綾奈は言うべきか迷っていたがこのままではいけないと思い、言うことを決心した。 「あの・・・私、ずっと裕也さんに謝りたくて・・・。」 「謝る?」 「はい。この前裕也さんに酷いことを言ってしまって。あれからずっと後悔していたんです。」 綾奈は胸の内を正直に打ち明けた。 「あ、そのことならいいんですよ。それに僕も綾奈さんの気持ちも考えないで言いたいことを言ってしまってこちらこそごめんなさい。」 「そんな・・・。そんなことないです。私の方こそごめんなさい。」 二人はお互いの姿も見えないのに頭を下げて謝り倒した。それがそのうちおかしくなってきて思わず笑い出す裕也と綾奈。綾奈は裕也と話している内に心が穏やかになっていくのを感じていた。 「あの・・・綾奈さん。」 急に裕也の声が真剣になり綾奈は緊張する。電話の向こうでごくりと唾を飲み込む音がした。 「僕とこれからも会ってくれませんか。」 それはあまりにも予想出来なかった突然の告白。驚く綾奈。 「でも私あんな酷いこと言ったのに・・・。」 「それはもう言いっこなしです。僕はこれからも綾奈さんと一緒にいたいです。綾奈さんが望むなら友達としてでもいい。」 「そんな私に都合がいいことばかりで裕也さんに申し訳ないです。」 「僕がそうして欲しいからお願いしているんです。申し訳ないなんて思わないでください。」 「・・・。」 裕也の真摯な言葉が綾奈の胸に訴えかけてくる。綾奈の心は揺れながらも歓喜の感情が気球のように膨らんでいく。このまま幸せだけを抱えてどこかへ飛んでいきたい気持ちだ。 「僕は焦りません。友達でもそうじゃなくてもいい。茶飲み友達でもいいんです。これからの僕の人生に綾奈さんがいて欲しい。」 とはいえ裕也は内心複雑な心境を抱いていた。友達でもいいと言ったとはいえ本当はそれ以上の関係になりたい。 しかし綾奈の心には真二がいる。真二の存在はあまりに大きく、自分が真二と取って代わるのは至難の業だということは痛いほど分かっている。だからせめて傍にいて綾奈の心を癒せたらと考えたのだ。例え友人のまま一生を終えても綾奈と会えなくなるよりはずっとずっとマシだった。 裕也の思いが綾奈に伝わり綾奈の頬に涙が伝わった。どうして裕也さんはこれほどまでに優しいんだろう・・・。あまりの優しさに胸が締め付けられた。 「私って身勝手な女なんです。いつまでも昔の彼のことをひきずって。だからきっと裕也さんと付き合っても裕也さんを傷つけてしまうと思うんです。いや、絶対に傷つけてしまう。それが怖いんです。」 綾奈は裕也の優しさに甘え、本音を吐露した。裕也はふと寂しげに微笑み 「慌てないでゆっくりでいいんです。人生は長い。綾奈さんと一緒にいられるならその長さも楽しめる自信があります。」 「裕也さん・・・。」 綾奈はこらえきれなくなって嗚咽してしまう。裕也は泣きじゃくる綾奈の姿が見えた。そして綾奈が落ち着くのを待った。長い時間が経ち綾奈はようやく顔を上げた。 「裕也さん。」 「はい。」 「こちらこそお願いします。」 綾奈の返事に裕也は飛び上がらんばかりに喜んだ。良い返事を貰えるとは思っていなかったからだ。お願いしますの意味が友達としてなのかそれ以上になってもいいということなのかは分からないがそう焦らなくてもいい、とにかく綾奈とこれからも会えることが嬉しい。 「本当ですか!?」 「はい、私も裕也さんと食事したり映画見たりどこかへ出かけたりしたいです。」 綾奈が照れながらも自分の思いを率直に伝えた。裕也はそれを聞いて心底諦めないで良かったと思った。綾奈の気持ちをこうして知ることが出来て、自分と綾奈の間を隔てていた壁を一枚壊すことが出来た気がした。まだまだ壁は何枚もあるけれど一枚ずつ・・・。 「じゃあ、友達になったんだから敬語はやめにしませんか?」 突然裕也が提案した。綾奈は戸惑う。急に敬語をやめようと言われても出来るかどうか。 「友達同士で敬語はおかしいでしょ?だから敬語はやめ。いいよね?」 裕也の強引さに綾奈もいいかと思い始めた。それにいつまでも敬語でいるのはよそよそしすぎる。綾奈も承諾した。 「そうですね。・・・あっ。そうね。敬語はやめよう。」 裕也はまた綾奈との距離が一歩縮まった気がして喜ぶ。早速次のデートに誘った。 「それじゃあ綾奈さん、今度ドライブに行きませんか?」 「あれ、敬語はやめるんじゃなかった?」 綾奈が茶目っ気たっぷりに切り返した。裕也もしまったと笑いながら返す。 「そうだった。綾奈さんもなかなか言うね。今度ドライブに行こう。」 「うん。」 光が射して道が見えた。二人は今、先の見えない新しい道を歩き始めたのだ。
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