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作品名:あれ、どうしたんだろう 作者:雲のみなと

第15回   15
 それからまた時計の針は容赦なく動き出した。綾奈は裕也と出会う前の自分に戻り、裕也もまた仕事に没頭する日々。
綾奈はことあるごとに携帯電話を取り出し裕也からの着信がないか確かめた。別れを切り出したのは自分の方なのに尚もまだ裕也を求めてしまう。自分勝手過ぎると分かっていても着信を確認せずにはいられない。そして画面を確認するたびに落ち込んだ。
「私って本当最低だな。」
胸がズキズキと痛む。その度に苦笑いしまた仕事に戻る。
あの日以来、裕也からのメールも電話も途絶えた。当然と言えば当然の話だが。
そして裕也からの連絡がないまま二週間が過ぎた。
始めの一週間は裕也からの連絡がないことを知るたびに胸が締め付けられるように痛み、恋しさが流す涙も止められずぽろぽろとこぼれ落ちた。
しかし、一週間を過ぎたあたりから徐々にではあるが痛みが引くのがほんの少しづつ早くなっていった。いわゆる諦めの境地というやつだ。自分から別れを切り出したのだからこうなるのは仕方がないと自分を説得し、波がうねり荒れる心の湖面を深呼吸してなんとか落ち着かせる、そんなやり方ばかり繰り返した。


 場面は変わってここは多華子の会社。大手企業と言われる会社に多華子は勤めている。
就業時間が終わり多華子は音楽室に急いだ。音楽室といってもそれなりの規模の会議室に防音壁を張った簡素な部屋だが。
毎週金曜日に吹奏楽部に所属している数人が集まりセッションを楽しんでいる。大企業のオーケストラというよりは同好会に近いが音楽と楽器をこよなく愛する者同士が集まるこのひとときが多華子は楽しくてしかたがなかった。
しかしさすがに先週の金曜日は裕也と顔を合わせづらくて練習をさぼってしまった。今日もどうしようかと迷ったが今日も行かないとなるとこの先ずっと会うタイミングを逃してしまいそうで多華子は参加することに決めた。
音楽室のドアをおそるおそる開ける。
するとそこには一人先客がいた。裕也だった。裕也も多華子が来たことに気づき、一瞬気まずい雰囲気が漂う。いくら一度会うだけでもいいからという約束の上で多華子の姉と会ったとしても、あんな別れ方をしたあとではどうにも顔を合わせづらい。
しかし裕也はそれでは男らしくないと思い直したのかにこやかな笑顔を浮かべた。
「多華ちゃんそんなところに立っていないで中に入ってきなよ。」
裕也はつとめて明るく振る舞う。多華子はちょっとほっとした。とりあえず謝ろうと思い裕也の隣に座った。
「お姉ちゃんのことだけど・・・。なんかごめんね。」
裕也は驚いた顔をしたがすぐに笑顔に戻り
「多華ちゃんが謝ることではないよ。男と女のことは誰にも分からない。誰にも予測は出来ないさ。」
「でも一度は良い雰囲気になったんでしょう?」
多華子はこんなこと聞くのは裕也の傷口に塩を塗りこむようで申し訳ないと思ったが聞かずにはいられなかった。それが多華子という女性だ。裕也も変に気を遣われるのも嫌なので多華子の遠慮のなさは救いだった。
「多分ね。僕も一度は行けるとは思ったんだけど甘かったな。」
「タカッチってめちゃめちゃいい人なんだけどいい人で終わりそうだもんね。」
「容赦ないな、多華ちゃんは。」
裕也はハハハと笑った。実際そうなんだから反論のしようがない。でも多華子のこの言いたいことをズバスバ言うところが気の良い友人でいられる秘訣だとも思う。
「・・・でもお姉ちゃんの場合はタカッチだから駄目だったということではないと思うよ。」
多華子が遠い目をして呟いた。多華子なりにフォローしたのであろう。裕也はふっと自嘲気味に微笑み
「亡くなった人には敵わないなと思い知らされたよ。」
実感を込めて呟いた。沈黙が訪れる。重く固い空気がその場を支配する。
「お姉ちゃんは真二さんのこと忘れられないというわけじゃないと思うよ。」
突然多華子が意外過ぎることを言った。
「どういう意味?」
「以前お姉ちゃんが言っていたんだ。忘れないだけならまだまし、いつか忘れられるから、って。」
「・・・・。」
「私には幸せになる資格がないとも言っていた。」
「幸せになる資格がない?」
「うん。どうしてそう思うのか理由を聞いたんだけど教えてくれなくて・・・。」
その話を聞いて裕也はあの時綾奈が言った言葉を思い出した。
「そういえば綾奈さんは真二さんに対して罪悪感があると言っていた。」
「お姉ちゃんが?」
「あぁ。その時はなんのことか分からなかったけど多華ちゃんは心当たりない?」
裕也に聞かれた多華子は逡巡するが結局漠然としたものにしかたどり着けなかった。
「はっきりとしたことは言えないんだけど、お姉ちゃんが真二さんに対して罪悪感があるのは自分が真二さんを助けてあげられなかったという後悔からだと思う。」
「助けてあげられなかった・・・?」
「うん、一緒に暮らしていたのに真二さんがあんなことになってしまったという・・・。でも真二さんが倒れた時はお姉ちゃんは傍にいなかったんだよ。真二さんは外で倒れたから。」
「それなら綾奈さんに責任はないじゃないか。というかどこで倒れようとそれは本人の責任だよね?真二さんには酷なこと言うようだけど。」
「でもお姉ちゃんの性格だと自分に責任があると思ってしまうんだよ。常日頃から真二さんの身の回りに気を付けてあげていれば真二さんを助けてあげられたんじゃないかって思っているんだと思う。」
「・・・真二さんはなんで倒れたの?」
「脳内出血。突然だった。でも前々から高血圧だというのは分かっていたから真二さんに酒やたばこを控えるように口をすっぱくして言っていたんだけど真二さんがちっとも言うこと聞いてくれないとぼやいていたわ。」
「それだったらますます綾奈さんに責任はないんじゃないか?本人が酒やたばこをやめられないならどうすることも出来ないないじゃないか。」
「それでもやめさせることが出来なかったことを後悔しているんだと思う。」
「そんな・・・。」
「お姉ちゃんってそういう性格なの。変に背負ってしまうところがあって。もっと気楽に生きた方がいいと言ってもお姉ちゃん聞く耳持たないし。ああ見えて意外と頑固なところあるのよ。」
多華子はため息をつきながらぼやいた。確かに言われてみればそうだ。別れ際の綾奈は頑固な一面を露わにしていた。でもその意外な気の強さも好きだなと裕也は思っていた。
「お姉ちゃんとはもう会わないの?」
突然核心をついてきた多華子。裕也は困惑して話題を変えようとしたが多華子の真剣な眼差しがそれを許さなかった。
「お姉ちゃんのこともう好きじゃないの?」
多華子が畳み掛けてくる。裕也は一瞬本当のことを言おうかと思った。でも言ったところで綾奈が自分をもう一度見てくれるとは到底思えなかった。
「僕はフラれた身だよ。真二さんには勝てなかった、ただそれだけだ。はい。この話はもう終わり。そろそろみんな来る頃だよ。」
裕也が妙にさばさばした口調で言った。それはもうこれ以上この話は勘弁してくれという合図。
多華子はがっかりと肩を落とす。そこへ音楽仲間たちがぞろぞろとやってきた。
「おっ、もう来てたのか。タカッチ、多華ちゃん、おつかれーっす。」
「お疲れ様。営業課は大変だね。小耳に挟んだよ、今度営業課が大きな仕事持ってきそうだって。」
「あ、多華ちゃんから聞いた?この仕事獲れたらあとは技術課に全部おまかせ。頼みますよ、タカッチ。」
裕也は技術畑なのだ。
「了解、まかせて。」
音楽室はすっかり賑やかになった。それぞれが自前の楽器を取り出しウォーミングアップに入っていく。金楽器、銀楽器の音が重なり合い豊潤なメロディーを紡ぎだす。タカッチはピアノの前に座った。多華子もフルートを構える。もう綾奈との事を聞き出す雰囲気ではなくなり多華子はピアノを奏でる裕也を横目で見て仕方なしに諦めた。
裕也は乾いた心に己の身を刺さされながら家路につく。
夜の九時過ぎになっても明かりがついていない家。それはそこに誰もいないか、もう寝ているかのどちらかだ。
裕也の場合は前者だった。いつも明かりのついていない家に帰り、自らの手で明かりつける。今夜も鍵を開け、靴を脱ぎ、中に入り、スイッチを入れた。照明がついて家具やカーテンがおのおのの存在を主張し始める。
「ただいま。」
誰かにおかえりと言ってもらえるわけではないがいつもただいまと言う。裕也はとりあえずソファーに腰を下ろした。大好きなピアノを思う存分弾いてきたあとなのですこぶる気分が良い。家にもピアノはあるが一人で弾くのと仲間とセッションするのでは楽しさも倍増する。
ふと、多華子が言っていたことを思い出した。
「お姉ちゃんとはもう会わないの?」
会いたい。会いたいに決まっている。本当はそう叫びたかった。
裕也はずっと綾奈のことを想っていた。今でも想っている。初めて会った時から別れを言われた時まで、いや、別れた後もずっと。綾奈のことを思いだすと胸が苦しくなった。会いたい気持ちがあふれ切なくてたまらない。なんとか気を紛らわそうとピアノに没頭しようとするが鍵盤に上手く気持ちが乗らない。楽譜を見ていても窓の外を見ていても綾奈の顔が思い浮かんで離れなかった。
でもだからと言って綾奈を追えなかった。綾奈からのさよならを無かったものにして付き合おうということは出来なかった。
死んだ人には敵わないからだ。真二との思い出は綾奈の中で永遠に守られて、穢れることも色あせることもない。真二という男性の笑顔も交わした言葉もぬくもりも綾奈は決して手放さないだろう、今までそうしてきたように、これからもそうするだろう。それが裕也にはたまらなく辛かった。
確かに好きだからこそ諦めずに追いかける愛もあるだろう、そうすればいつか綾奈も自分を見てくれるかもしれない。恋のライバルと闘って勝利を勝ち取る。
でもそれは綾奈の心に住む愛しき人が生きていればこそだ。同じ土俵にいない人とどうやって闘えばいいと言うのか。
裕也は戸惑い、苦しみ、時に不甲斐ない自分を叱咤した。そしてそうするたびに綾奈への思いがいまだ不十分であることを思い知った。
見えない敵と闘って、愛しても愛しても手に入らなかった場合、自分はどこへ向かうのか。
いやそれよりも果たして綾奈を諦めきれるか。失恋に終わった時にそれを美しい思い出に変えられるのか。嫌悪感や嫉妬、そういった類のドロドロした思い出になったりしないか、裕也にはそれが想像出来なかった。
裕也には突き抜ける自信がなかった。だから綾奈に言われた通り、メールも電話もしなかった。
結局、今引き返すなら傷は浅い、そう結論付けたのだ。
裕也は自分の臆病さと卑怯さに情けなくもなったが綾奈に電話することは出来なかった。


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