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作品名:あれ、どうしたんだろう 作者:雲のみなと

第14回   14
『あれ、どうしたんだろう』
突如、綾奈の頭の中にあの言葉が響いた。激しく狼狽する綾奈。
突然会話が止まってしまったとこを不思議に思った裕也は綾奈の顔を覗き込んだ。綾奈は顔を真っ青にして体を震わせている。
「どうしたんですか!?」
裕也は慌てて綾奈の肩を抱き寄せた。綾奈は尋常ではなかった。苦痛にもがき何かを呟いている。
「ごめんなさい真二・・・。ごめんなさい真二・・・。」
「!!」
裕也はハッとした。悲しみと痛みが胸にこみ上がってくる。
「しっかりしてください!綾奈さん!!」
裕也の呼びかけに気づいた綾奈は呼吸を深くし、ようやく落ち着きを取り戻した。しかし綾奈の瞳からは涙がとめどなくこぼれている。裕也は激しく動揺した。
真二と言っていたけどやはり綾奈さんの昔の彼氏のことだろうな・・・。裕也の心がギシギシと軋む。
どうしてこうなるだろう・・・さっきまであんなに上手く行っていたのに・・・。どうにも納得出来なくて綾奈に対してかすかな苛立ちも覚えた。
10年経っても亡くなった彼のことを忘れられない綾奈。確かに世の中には昔の彼のことを忘れられない人は他にもいるだろう。でもなぜよりによってそれが綾奈なのだろうという嘆きもある。いつまでも過去に縛られている綾奈に対する苛立ちもある。心があらぬ方向に複雑に渦を巻く。
綾奈の表情はすっかり曇り、先程までの屈託のない笑顔は完全になりを潜めてしまった。あっという間に映画館に入る前の暗い綾奈に戻ってしまった。いつ別れの言葉を口にしてもおかしくないぐらいだ。
裕也は先ほどのただならぬ綾奈の様子に引っ掛かるものがあった。重い荷物を抱えているような気がしたのだ。その荷物を下ろさなければこの女性は、綾奈は自由になれないと思った。裕也は覚悟を決めた。
「真二さんというのは昔の彼のことですよね。」
そう言われた綾奈はぎょっとして裕也を見る。真剣なまなざしの裕也、綾奈は逃れられない。
「・・・はい。そうです・・・。」
綾奈の頷きに裕也の胸は締め付けられる。それを必死でこらえながら。
「綾奈さん、そうやっていつまで過去に縛られているつもりですか。今の綾奈さんを見て真二さんが喜ぶと思いますか。」
「!!」
裕也の厳しい表情、そこに見え隠れする嫉妬。それは綾奈が初めてみる裕也のもう一つの顔だった。裕也が自分を立ち直らせようと真剣になってくれていることは嬉しかった。でもそれと同時にあなたに何が分かるの!?という反発の気持ちも頭をもたげてきて・・・。
「綾奈さんが彼のことを忘れられない気持ちは分かります。でも愛する人を失って悲しいのはあなただけではない、この世にはあなたと同じ思いをした人がどれほどいるか。でもみんな前を向いて歩いているんです。辛いからといって歩くことを諦めたらもっと悲しむ人がいるから。天国で悲しむ人がいるから。」
「!!」
綾奈の脳裏に浮かぶ家族や友人の顔。そして真二の顔。自分がいつまでも過去に縛られて歩き出せないせいで周りの人たちに悲しい思いをさせているということは綾奈だって分かっている。分かっているからこそ今改めてそれを言われることは苦痛だった。今までの人生とこれからの人生を責められることに腹が立った。好きな人に言われたから余計に腹が立ったのかもしれない。私のことを知らないくせに!!反発はやり場のない怒りに変わる。
「そんなことは分かっています!!でも裕也さんはお母さんやお父さんに対して罪悪感はないでしょう!?」
綾奈が突然怒りをぶつけてきたので裕也は唖然とした。それに罪悪感って・・・?
「でも私は違うの!!真二に対して罪悪感があるのよ。忘れられないとかじゃないの!!何も知らないくせに勝手なこと言わないで!!」
「綾奈さん?」
裕也は戸惑うばかりだった。綾奈の心が悲鳴を上げていることは分かった。己の傷や痛みを懸命に自分に訴えようとしていることも。だがその傷が、痛みが一体どこから来ているのかが分からない。罪悪感って一体・・・。裕也はどう答えていいか分からず途方に暮れる。
「・・・真二さんと何があったんですか。」
綾奈の罪悪感の理由が知りたくて裕也は思わず聞き返した。しかしその瞬間、綾奈の顔色が変わった。
綾奈は明らかに狼狽している。裕也は聞いてはいけない事を聞いてしまったのだと瞬時に悟った。後悔が裕也を襲う。綾奈の体が小刻みに震えはじめた。トラウマを突かれて言葉を失っている。
「綾奈さん・・・。」
裕也は不安になって綾奈の腕にそっと触れた。しかし綾奈はそれを乱暴に振りほどき立ち上がった。
「裕也さん、ごめんなさい。今日で終わりにしてください。メールも電話ももうやめます。だから裕也さんも・・・。」
「!!!」
裕也に衝撃が走る。背中に脂汗が流れる。恐れていたことが容赦なくやってきたのだ。
「綾奈さん!!」
しかし綾奈は裕也の必死の呼びかけに振りむくことなく、ふらふらと歩きだした。その姿には生気がまるで感じられなかった。魂が抜けた死者のように。
あまりの綾奈の変わりように裕也は茫然とし追いかけることが出来なかった。次第に例えようのない苦痛が裕也の体を駆け巡る。一人取り残された裕也はただそこに立ちすくみ途方に暮れるばかりだった。

綾奈は激しく後悔していた。なぜあんな酷いこと言ってしまったのだろう。なぜあれほど裕也と一緒にいたいと思えたのに、あんな酷い別れ方をしてしまったのだろう。
自分の非情さと最悪さに吐き気がしてきた。後悔が、自分への怒りが、どうしようもなく綾奈を責めたて気が狂いそうだった。
しかし今さらどうすることも出来ない。今すぐ引き返して裕也に謝ってもきっと許してはくれないだろう、それぐらい裕也に酷いことをしたのだ。
それに綾奈には分かっていた。自分は罪悪感を乗り越えることが出来ないのだ、と。どんなに幸せに浸っていても真二のことを思い出すたびに先程みたいに取り乱し裕也に迷惑をかけてしまう。それがたまらなく嫌だった。あんなにいい人にこれ以上迷惑を掛けたくなかった。

綾奈はふらふらと家に辿り着いた。ここまでどうやって帰って来たのか覚えていない。力なく自分の部屋に直行しようとした。
すると多華子が目ざとく綾奈の姿を見つける。
「おかえり〜。タカッチとはど・・・。」
言いかけて多華子はハッとして言葉をとめた。綾奈の顔を見れば答えは一目瞭然だった。父も母もすぐに今日の結果が想像出来た。なんとも言えない重い空気が漂う。
駄目だったか・・・。多華子たちは心の中でその一言を呟くだけで精いっぱいだった。
こうなることは心のどこかで覚悟していた、昨晩から綾奈の様子がおかしかったからだ。
長い冬が終わりやっと春が訪れると期待した時もあった。しかし綾奈の真二を思う気持ちが春がくることを拒絶している。そして家族はそれを責める事は出来ない。綾奈の気持ちは綾奈にしか分からないからだ。多華子は無念さを滲ませながらも無理矢理笑顔を作り
「おかえり、お姉ちゃん。ご飯は食べてきた?」
「お腹空いてないの。ごめんね。多華子、お母さん、お父さん。」
綾奈は家族の期待に応えられない自分がたまらなく不甲斐なく思えて涙をこぼした。
「いいのよ、綾奈、気にしないで。食べたくなったら食べればいいわ。慌てなくていいのよ。ご飯はいつでもあるから。」
母が気遣って声を掛けた。
「そうだ綾奈。気にするな。無理して食べることはない。食べたくなったら下りてこい。」
父も内心がっかりしていたが気丈に振る舞い優しく諭す。
綾奈は家族の優しさにいたたまらなくなって自分の部屋へと駆け上がっていく。
「もう少し時間がかかりそうね・・・。」
母がため息をつきながら呟いた。
「仕方ない、あの子の傷が癒えるまで待とう。それが親に出来ることだ。」
父は母に言い聞かせるように言った。
多華子は何も言わずに肩を落とした。
綾奈は自分の部屋に飛び込んだ。上着も脱がずにベッドに倒れこむ。家族のことを思うと胸が痛い。何よりも裕也ともう会えないということが辛かった。グリグリと胸の真ん中をナイフでえぐられる感覚。そこから涙が噴き出す。罪悪感という先住民が新しく入ってこようとする恋心を追いだしてしまう。
しかしこれは自分が決めたことだ。どんなに苦しくても受け入れなければいけない。
真二は私の今の姿を見て喜んではいないはずだ、それどころか悲しんでいるだろう。でも綾奈にとってこれは真二がどうのこうのという問題ではない。これは贖罪なのだ。綾奈はそう自分に課すことしか出来なかった。
ふと携帯電話に手を伸ばす。裕也からの着信はなかった。当たり前だ。あんなに酷いことを言って別れてきたのだ、それでもなお裕也からの連絡を欲しがるのはあまりに身勝手過ぎる。
綾奈はこれでいいんだと自分に言い聞かせた。でもどんなに強く言い聞かせても裕也からの着信がないことに途方もない悲しみを感じた。後悔も消えることはない。
「私って本当最低・・・。」
自分に嫌気がさして携帯電話を見えないところに押しやった。元々一度だけ会う約束だったのだ、今日だって別れを言うつもりで会ったのだ、だからこれで良かったんだと何度も何度も自分に暗示をかけるように呟く。それでも心の痛みが軽減されることはなかった。まったく気休めにも薬にもならない。ひたすら自分の愚かさを思い知らされるだけ。
「別れの言葉は一度口にしたら、もう二度と取り消せない。」
この言葉が今日というこの日、綾奈の人生に痛みを伴って深く刻まれた。


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