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作品名:あれ、どうしたんだろう 作者:雲のみなと

第12回   12
「真二・・・。」
喉に冷たいものが混み上がってきて上手く呼吸が出来ない。息苦しくてたまらない。それから逃れようと己の胸元を思いっきり掴んだ。足元がふらつく。トラウマが今まさに綾奈を飲み込もうとしていた。
綾奈はベッドの上に倒れこんだ。意識はある。力を振り絞ってなんとか仰向けになり、天井を見つめ呼吸を整えようと必死だ。そうして新幹線のように速かった鼓動もようやく落ち着いてきた。
思えば裕也と出会ってから今の今まで真二のことを思い出すことはほとんどなかった。その事実が激しい罪悪感を綾奈にもたらした。
「私なにやってるんだろう・・・。」
綾奈に覆いかぶさる自責の念。もはや身動きは出来なかった。自分の身勝手さに吐き気がしてくる。
「ごめんね・・・真二・・・。」
綾奈はこみ上げてくる涙を拭おうともしない。涙の深海に身も心も沈んでいく。
それからどれくらいの時間が経っただろう。綾奈は霞む視界の中に一つの結論を出した。
「裕也さんと会うのはやめよう・・・。」
どんなに自分に、真二に、裕也はただの友人として付き合っていくと言い聞かせてもそんなのは嘘だった。どんなに言いわけしても気持ちは正直。
綾奈は初めて裕也に会った瞬間から好きになってしまった。
思いがけなく、思い通りにならない恋をした。
だからこそこれ以上裕也に会うわけにはいかなかった。友人として付き合うなんて無理だと分かっているから。会うたびに好きになるに決まっている。
しかしそれは自分には許されないことだった。一生かかって真二に償わなければならないからだ。
綾奈はふらふらと起き上り携帯電話を手に取った。その瞬間から心がズキズキと痛みだす。苦しくて心が引き裂かれそうだ。あまりの苦しさになんでこんなことしなければならないの!?と自問自答した。真二だって私の幸せを願ってくれているはずなのに・・・。そう自分に言い聞かせてやっぱり電話するのを止めようと思った。苦し紛れに罪悪感などなかったことにしようとした。
しかし心に重くのしかかる「あれ、どうしたんだろ。」という真二の言葉。それを思い出すとあの日の出来事をなかったことなどには出来なかった。
綾奈は震える指で携帯電話のキーを押す。初めて裕也宛てにメールを打った時も指が震えたが、あの時と今ではまったく違った。脂汗が止まらない。
呼び出し音が綾奈を戸惑わせる。電話に出ないで!!という気持ちと別れを告げなければならないという覚悟の狭間で揺れる綾奈。
「もしもし。」
「!!」
裕也の声が聞こえた瞬間泣きたくなった。このまま電話を切ってしまおうかなと思った。でも伝えなければと自分を叱咤した。
「綾奈さん?綾奈さんから電話くれるなんて嬉しいな。」
なにも知らない裕也の明るい声。それが余計に綾奈を傷つける。
「・・・・。」
綾奈はなにを言っていいかわからなくなって声が出ない。
「どうしました?」
裕也の気遣う声がまた優しくて綾奈は激しく動揺した。もう会わないという一言を紡ぐことがこんなにも苦しく悲しいことだなんて。でもそれでも伝えなければならない。
「あの・・・明日のことなんですけど・・・。というかこれからのことなんですけど。あの・・・。」
綾奈はなんとか声を絞り出した。声が震えているのは自分にも分かった。
裕也はこの時、綾奈の尋常ではない緊張と狼狽に気づいた。裕也は何かを察したのか沈黙してしまう。綾奈がなにを言おうとしているか勘付いてしまったのだ。
裕也は予想もしなかった急転直下の暗転に胸を締め付けられ言葉を失った。
初めて会った時の綾奈の笑顔、滞りなく弾んだ会話、やりとりしたメールの数々、電話、そのどれもが少なくとも自分を嫌っていない、いやもしかして好いてくれていると思うには十分なものだった。
しかしそれはみんな自分の思い過ごし、うぬぼれだったなんて・・・。
目の前が暗くなって今すぐ電話を切りたくなった。しかしここで逃げては駄目だと思い直した。例えさよならの言葉でも綾奈が言ったことなら受け止めよう、それが綾奈に会おうと決めた自分の務めだと必死で言い聞かせる。そもそもこうなることは始めから覚悟しなければならなかったのだ。
「綾奈さん・・・。」
裕也は沈痛な面持ちで綾奈に声をかけた。綾奈の胸は張り裂けんばかりだった。どうしても「もう会わない」の一言が言えない。そして・・・
「裕也さん、ごめんなさい。明日、家に迎えに来てくれると言ってくれたけど、待ち合わせの場所を決めませんか?」
綾奈は今はそう告げるだけで精いっぱいだった。これからも付き合っていくというわけではない。この電話でさよならを言えないというだけのこと。
ちゃんと会ってさよならを言おう、そういう結論に無理矢理持って行った。本当はもう一度だけ裕也に会いたいという未練からなのにその未練は見てみないふりしてこれは礼儀だと思い込むことにした。
そしてそれは裕也にも分かっていた。本当に待ち合わせの場所を変えるだけのことだったらあんな切羽詰まった沈んだ声をするわけがない、明日直接自分と会ってさよならを言うつもりなんだろうと悟っていた。
「いいですよ。待ち合わせの場所を決めましょう。どこがいいですか?」
裕也は悲しみと動揺を懸命に隠しながら尋ねた。
「・・・映画館の前で・・・。」
「分かりました。映画館の前に十一時でいいですか?」
「はい、それでお願いします。」
綾奈は消え入りそうな声で答えた。裕也は苦しげに頷いた。でもそれは綾奈には見えない。
「では明日。おやすみなさい。」
裕也はなんとか最後の言葉を搾りだした。
「はい・・・。明日・・・。おやすみなさい。」
綾奈は虚ろなまま電話を切った。
「ツー、ツー、ツー。」
電話から聞こえてくる一方通行の音。裕也は心ここにあらずのまま電話を握りしめている。
綾奈は一階へと降りて行く。家族がいるであろうことは分かっている。裕也と会うのは明日で終わりということは家族にも伝えなければならないことだ。裕也と付き合っていくと言った時の家族の顔を思い出したら心苦しいが避けては通れない。
リビングに入った。母がカステラをお皿に取りわけていて、父はテレビを見ながら多華子に何やら聞いている。
「多華子、この芸人はなんというんだ?なんか下品ではないか?」
「この芸人さん?この人は江頭なんとか。マニアには人気あるんだよ。」
「そういうものか?」
父が首を傾げた。世代間のギャップというものだろう。そこで母が綾奈がいることに気づいた。
「綾奈、ちょうどいいところに来たわ。これお隣から頂いたのよ。皆で食べようと思ってこれから呼びに行こうと思っていたのよ。」
「あ、お姉ちゃん、いよいよ明日だね。」
多華子は綾奈の顔を見た途端、待ってましたとばかりに言ってきた。
「おぉそうだな。いよいよだ。」
父も嬉しそうにそれに続く。家族は嬉しくてたまらない様子。だがそれがかえって綾奈にとっては重圧になった。また家族の期待を裏切らなければならない、そう思うと胸が痛む。何も知らない家族の前で綾奈は己の決意を話すタイミングを逃してしまった。
「あのね、明日裕也さんが家にくる予定だったけどそれが変わって外で待ち合わせすることになったから。」
「えっ?」
多華子が驚いた。多華子だけではない、父も母も驚いている。どうやら裕也が家に来るということで準備をしていたらしい。母が明日の為にと気合の入った料理を振る舞おうとしていたようだ。コンロの上に今から煮込もうとしていたビーフシチューの鍋がある。
父と母がどれだけ裕也さんに会うのを楽しみにしていたんだろうと考えると綾奈は自分が酷い親不孝をしているような気持ちになって気持ちがますます沈んでいく。
「そ・・・そうなんだ。まぁまだ会って二回目だもんね。さすがに家に来るのは重いか。」
多華子がフォローした。
「違うのよ。私が外で待ち合わせしようと頼んだの。裕也さんは家に来たがっていたわ。」
綾奈は慌てて説明した。自分から断ったのに裕也のせいにしては申し訳ない。
「そうか・・・。明日顔を見られないのは残念だが楽しみが先に延びたたけだな。」
父が自分に言い聞かせるように言った。
「そうね、何も慌てることはないわ。時間はたっぷりあるんだから。」
母もそう言いながらもがっかりしているのは容易に見て取れる。
「まぁタカッチの人柄は私も良く知っているからお父さんたちは安心していいよ。」
多華子が助け舟を出してくれた。
「そういうことだから、ごめんね。」
綾奈はこの場から一刻も早く立ち去りたくて踵を返した。すると慌てて母が呼び止める。
「あ、綾奈。カステラあるわよ。」
「ごめん、お腹空いてなくて・・・。パス。」
綾奈は本当にお腹が空いてなかった。家族に申し訳なくてこの場にいられないというのと明日で裕也とは終わりという精神的な負担が重くのしかかり食欲をすっかりなくしていたのだ。
「・・・そう。」
母はがっかりしている。多華子も父もなんとも言えない表情で綾奈を見つめている。
「おやすみなさい。」
綾奈は逃げるように自分の部屋へと引き返してしまった。後に取り残された多華子たちの間に重い空気が漂う。多華子たちも綾奈の異変に気が付いたのだ。三時間前に夕飯食べていた時とは打って変わって暗い表情、泣き腫らしたような瞼をしていた。一体夕飯の後に何があったのか。身に覚えのある不安が多華子たちの心に湧き上がった。
「大丈夫よね・・・。」
母が誰に言うでもなく呟いた。
「大丈夫さ。」
父は自分に言い聞かせるように返した。綾奈に感じた違和感。まるで裕也と会う前に戻ってしまったかのようだ。しかし多華子たちは必死でその不安を打ち消した。
ようやく綾奈が前向きになっていたのだ、それを自分たちが疑ってどうする!?と。
「大丈夫だよ。タカッチはお姉ちゃんにとって今までの誰とも違うから。」
多華子は父と母を励ました。


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