綾奈の車が駐車場を出る。綾奈の胸にじわっと広がる温かい灯り。綾奈を見送る裕也の眼差しは優しさと愛おしさで溢れていた。 綾奈は舞い上がる気持ちをなんとかコントロールしながら車を運転した。 家に到着し、玄関のドアを開ける。 すると待ってましたとばかりに玄関口で待ち構えている家族たち。 「おかえり綾奈。」 「おかえり、お姉ちゃん。で、どうだった?」 多華子が待ちきれないとばかりに聞いてきた。 「ただいま。どうってなにが?」 「とぼけないでよ。タカッチどうだった?」 聞かれるであろうことを聞かれた綾奈は妙に気恥ずかしくなって急いで靴を脱ぎ台所に向かった。そのあとを多華子と父と母がコバンザメのようについていく。綾奈が水を一杯飲み干すと待ち構えていたように母が切り出す。 「ねぇどうだったの?その高土さんという人とはどうなったの?」 話すまで逃がさないぞという迫力で詰め寄ってくる家族たちに綾奈はとうとう観念した。 「まぁ・・・もうちょっと付き合ってみる。」 綾奈の思いがけない返答。多華子も父も母も目を皿のように丸くして驚いている。 「なにもそこまで驚かなくてもいいでしょ。」 綾奈は照れくさくなってきた。しかし多華子たちが驚くのも無理はない話だった。真二が亡くなって10年、いくら周りの人たちから男の人を紹介すると言われても綾奈は全く乗ってこなかった。いつも心に陰鬱としたものを抱えこの長い月日を過ごしてきた綾奈。それが今、高土と出会い、これからも付き合っていくという。これは今までの綾奈を間近で見てきた家族たちにしてみれば信じられないの変化だった。 「本当に!?本当に付き合っていくのか?」 父が念を押して聞いてくる。 「うん。」 綾奈が頷いた途端家族全員の喜びが爆発した。こともあろうに万歳三唱などを始めてしまった。 「バンザーイ!!バンザーイ!!」 「やめてよ、万歳三唱なんか。恥ずかしい!」 綾奈は抗議するが三人の喜びようの前では無力だった。とはいえ綾奈も内心嬉しいのだ。こんなにも家族を喜ばせることが出来ることに。 「着替えてくるね。」 綾奈は照れくささを隠すように二階へと駆け上がった。多華子たちはそんな綾奈の後姿を見守る。 「やっとこれで綾奈も幸せになれるんだわ。」 母が感慨深げに呟いた。その目には涙が浮かんでいる。 「真二君も天国でほっと胸をなでおろしているだろうな。」 父も感極まって涙声だ。 「ちょっとお父さんもお母さんも泣かないでよ。」 「そういうお前だって泣いているだろうが。」 「泣いてないよ!」 多華子は否定したがその瞬間、瞳から一粒の涙がこぼれた。父は多華子の頭に手を置き、ぽんぽんと優しく叩く。 「でかしたぞ、多華子。」 「うん。私もやる時はやるのだ。」 多華子は誇らしげに胸を張った。 「まったくこの子は。」 母は嬉しそうに笑った。多華子と父と母はお互いに顔を見合わせ安堵の笑みを浮かべる。 長い冬がようやく終わり、暖かい春が綾奈の元に訪れることを三人は予感していたのだ。 家族がそんな感慨に更けているとは知らない綾奈は裕也と過ごした時間を思い起こしていた。 裕也に会うまでの緊張、初めて裕也の顔見た時の緊張、裕也のおっちょこちょいな行動に笑ったこと、裕也の言葉に癒されたこと、裕也の気遣い、優しさ、笑顔、その全てを思い出すたび綾奈の胸が高鳴った。こんな気持ちは十年ぶりだ。羽の生えたピンク色のピンポン玉のようにどこかへ飛んでいきたくなる気持ちをなんとか抑え携帯電話を握りしめた。 その瞬間。携帯電話の電子音が鳴った。 ドキッ!! 心臓の鼓動が激しく波打つ。綾奈はおそるおそるディスプレイを見た。裕也からだった。綾奈は嬉しくて一瞬飛び上がった。はやる気持ちを抑えメールを見る。 『綾奈さん、今日は本当にありがとう。とても楽しかったです。もし良かったら今度映画に行きませんか?』 感激のあまり綾奈の指が震えてくる。なんとかその震えを抑えながら返信を打つ。 『私も今日はとても楽しい時間を過ごせました。こんなに楽しいのは久しぶりです。ありがとうございました。映画はもちろん行きます。いつですか?』 すぐに返信が来た。 『綾奈さんにそう言ってもらえるととても嬉しいです。映画は次の日曜日いかがですか。綾奈さんの家に朝の10時に迎えに行きたいと思っています。』 『はい。よろしくお願いします。わざわざ迎えに来てくれるなんてすみません。楽しみにしています。』 『こちらこそとても楽しみです。楽しみ過ぎて今夜は眠れないかも(汗)今日は本当にありがとうございました。』 メールのやりとりはここで終えた。メールを送信するたび、メールが着信するたび綾奈の胸の鼓動がいちいち激しく高鳴り、自分でもこの早鐘の鼓動がうっとおしいと思ったがこうしてメールのやりとりを終えると一抹の寂しさも覚えた。 この年になっても少女のようにときめくことが出来る自分に驚き。また裕也に会えることに喜び。今日は、人生に二度とこないと思っていたことが一度にやって来た日だった。 小躍りする心のまま、机にふと目をやった。写真立ての中の真二は変わらない笑顔で佇んでいる。 その瞬間、綾奈の胸がズキッと鳴った。ときめきとか緊張ではない。これは痛みだ。すると今までの喜びが引き潮のように一気に引いてしまった。ズキズキと胸が痛み始める。綾奈の眉間に苦痛の皺が浮かぶ。 綾奈はその痛みをごまかすかのように真二の写真に向かって呟いた。 「裕也さんはただの友達だから。」 ただの言い訳だと分かっていてもそうせずにいられなかった。真二への罪悪感は言い訳をしたところで消えたりしない、そんなことは痛い程分かっていた。でも裕也ともう一度会いたいという気持ちを消し去ることは出来なかったのだ。 「ごめんなさい、真二・・・。」 綾奈は少しでも罪悪感を薄めようとしたのか、写真の向きをそっと変え、真二と目を合わせないようにした。 裕也と会う日がいよいよ明日へと迫った。 今日までの一週間、毎日のように裕也とメールのやりとりや電話したりした。綾奈はまるで中学生の初恋のように裕也の声を待ち、仕事中もそれ待ちでそわそわしていた。 さすがに職場で携帯電話を開いてメールをしたり電話したりは出来ないので、密かに着信を確認するぐらいしか出来なかったが。自分の浮ついた気持ちが同僚に悟られないかと内心冷や冷やしていた。 それにしても裕也と出会ってからまだ数日しか経っていないのにこんなにも裕也と打ち解けている自分自身が良い意味で信じられなかった。なぜこんなにも自然に話すことが出来るんだろう・・・それが不思議でしかたがない。 帰宅して夕飯を済ませてから早速明日の服選びに取り掛かった。この前はかなりラフな格好で行ってしまったから今度は頑張るつもりだ、もちろんメイクも念入りにするつもり。 「どれにしようかな・・・。」 綾奈は弾む心を抑えることなくあれやこれやと服を選ぶ。 その時、いきなり携帯電話の着信音が鳴った。 「あっ。」 綾奈は喜んだ。裕也からだと思ったからだ。だいたいこの時間に裕也からメールか電話がくる。残念ながらもう一歩の勇気が出ない綾奈は自分から電話をかけることは出来なかったが。 綾奈はわくわくしながら画面を見た。由美からだった。 「なんだ・・・。」 ぼそっと言い放つ。期待はずれでがっかりする。 「もしもし。」 「あ、綾奈?私。」 「うん分かるよ、由美。何か用?」 「なにその言い方。ちょっと冷たいんじゃない?」 綾奈はしまったと思った。がっかりしたのが伝わってしまったのかと焦る。 「そんなことないよ。今ちょっと忙しかったものだから。」 「あ、そうなの?今大丈夫?」 「うん、大丈夫だよ。それより何かあった?」 「あ、あのね、実は・・・。」 電話の向こうで由美がそわそわしているのがこちら側にも伝わってきた。綾奈は記憶を辿る。確か旅行をキャンセルすると由美が言ってきた時、大事な話を聞いたような・・・。 「!」 そうだ!大事なことを忘れていた。親友の人生の一大事を忘れるなんて自分は酷い女だと反省する。それだけ裕也のことでいっぱいだったのだ。 「海斗さんからプロポーズされた?」 綾奈の期待を込めた問いかけ。由美は待ってましたとばかりに一段と高い声で返してくる。 「されたのよ!!やっとよ!!」 由美の喜びが距離を越えて綾奈の前で踊る。綾奈はとても嬉しくなった。由美の長年の夢がようやく叶う。親友として我がことのように喜ぶ綾奈。 「すごいじゃない!!やったね由美!おめでとう!!」 綾奈が心からの祝福を送ると由美の声が急に涙声になった。感極まっているのだろう。 「本当・・・やっとだよ。海斗の奴、ここまで待たせてさ。どうせ結婚するならもっと早くしたら良かった。この年まで待たせてさ。」 由美の愚痴が突如始まった。幸せなあまりの愚痴というところだろうか。 「まぁ、でも結婚出来るから結果オーライということで。」 綾奈はなんとかフォローするが 「そうだけど子供産む年齢を考えからもっと早く結婚したかったわ。出来っちゃった婚を狙えば良かったのかな・・・。だいたい海斗は気まぐれなのよ。旅行の時もどこ行こうか決めないで行きあたりばったりで・・・。」 由美の愚痴は続く。しかし愚痴りながらもその声に喜びが見え隠れしているのは気のせいではない。長々と愚痴った後に由美はほっとしたようなため息をついた。それは安堵のため息。 「でもなにはともあれこれでやっと海斗と一緒になれるんだから綾奈の言う通り結果良しかな。」 「そうだよ。幸せなことだよ。で、いつ結婚するの?」 「12月。寒い時期なんだけど私の誕生日に入籍しようということになって。」 「あと四か月ちょっとだね、おめでとう!」 「ありがとう。」 由美は今幸せをかみしめているのだろう。幸せオーラがこちら側にまで流れ込んでくる。 「そうことなので一応報告までに。今度会った時に詳しいこと話すよ。じゃあね〜。」 「うん、楽しみにしている。じゃあね。」 由美は嬉しそうに電話を切った。綾奈は由美から幸せのおすそわけをしてもらい、電話が切れたあとも喜びに浸っている。 「そうかぁ、あの由美もいよいよ奥さんか。」 綾奈はくすっと笑った。由美は海斗と喧嘩しながらも仲良くやっていくことだろう。 そしてふと思った。もし裕也との出会いがなかったらいくら親友の結婚とはいえ心の底からは喜べなかったかもしれない。もちろん由美には幸せになって欲しい。でも嘘偽りなく本音を言えば友人からも独り取り残される寂しさを感じたであろうことは想像出来る。 綾奈は裕也に感謝しながら服選び作業に戻った。 「勝負服は・・・と。」 綾奈はクローゼットの奥に長い間仕舞われていたワンピースに手を伸ばした。 その瞬間だ。
『あれ、どうしたんだろう』
突然この言葉が頭の中に響いた。 真二の声だ。 綾奈の心臓は驚きのあまり、一瞬止まった。激しく狼狽しながら写真立ての方に振り返る。 真二の笑顔は変わらずにそこにあった。 綾奈の動悸が激しくなる。猛烈な後悔と罪悪感が津波のように襲ってきた。綾奈の心が凍りつく。体が小刻みに震えてきた。
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