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作品名:あれ、どうしたんだろう 作者:雲のみなと

第10回   10
「まったく多華子ったらいつも勝手なんだから。」
綾奈は半ばあきれ顔、半ば苛立ち気味に言うと隣にいる高土はまぁまぁと綾奈を宥めるかのように優しく微笑みながら
「まぁ、多華ちゃんらしいですよ。それより他にもいろんな店ありますね、ちょっと覗いていきますか。」
「はい。」
店先に並ぶ色鮮やかな小物や服が二人の目を引いた。あれかわいい、これいいねと会話しているうちに緊張感にも慣れていき距離感が見る間に縮まっていった。流れるインストのBGMが雑踏をすり抜けて二人の耳を癒す。そして綾奈と高土は自然とこうして隣り合っていることに居心地の良さを感じていた。楽器店の前にさしかかった時だ。
「高土さんはピアノをやっているんですよね。」
綾奈はなにげなく聞いてみた。
「裕也でいいですよ。」
「えっ・・・。」
綾奈はドキッとした。会ったその日に男の人の名前を下で呼ぶなんてと図々し過ぎると狼狽したが。
「僕も綾奈さんのこと名前で呼ばせてもらっているんでお互い様という事で。」
高土が爽やかに言う。綾奈はその爽やかさに思わずのまれてしまった。
「ゆ・・・裕也さんはピアノやっているんですよね。」
裕也と言われてよっぽど嬉しかったのか裕也は密かに小さくガッツポーズをした。それを綾奈は見逃さなかった。綾奈は急に気恥ずかしくなってこの場から逃げたしたくなったがもう少し裕也と一緒にいたいと思う気持ちの方がそれを凌駕した。
「三歳の頃からピアノやっています。母親がピアノ講師だったので家の中は一年中ピアノの音色が鳴っていました。」
「そうですか。」
綾奈はふと多華子が言っていたことを思い出した。裕也さんは確か幼い頃に母親を亡くしたって言っていたなぁ・・・。
「裕也さんがピアノがお好きなのはお母様の影響もあるんですね・・・。」
綾奈は何気なく言ったつもりだった。しかしその瞬間、裕也は懐かしげな、どこか寂しげな表情を見せた。
それは綾奈がここで見るとは予想もしなかった表情だった。だって今まで裕也はひとのよさそうな笑顔か緊張で失敗している姿のどちらかしか見せなかった。
でも今見せているのはおどけている時とは明らかに違う、もう一つの裕也の顔。もしかしてこの顔が本当の裕也の顔なのかと思うと綾奈の胸がズキっと傷んだ。
「私ったらごめんなさい。余計なことを聞いてしまって・・・。」
綾奈は心から申し訳なく思い謝った。だが裕也は不思議そうな顔をして
「綾奈さんが謝ることはないですよ。余計なことなんてなにもないですよ。」
「でも・・・。」
「あ、もしかして多華ちゃんから僕の両親のことでなにか聞いています?」
「・・・はい。」
綾奈は躊躇しながらも正直に答えた。隠すのはなにか違うと思ったからだ。裕也は綾奈が落ち込んでいるのを見て悲しげな笑みを浮かべた。しかしそれは一瞬のこと。すぐに柔らかな笑みに戻り
「僕の母親は僕が小学校五年生の時に病気で亡くなりました。母はプロのピアニストになりたかったみたいだけど夢叶わず、その夢を僕に託すかのように毎日厳しく僕を指導しました。その厳しさも今となっては良き思い出です。それに母はピアノ以外ではとても優しい人でした。その母が亡くなってから父は男手一つで必死で僕を育ててくれた。その父も五年前に病気で亡くなってしまった。僕にとっては最高の両親でした。僕が親孝行出来る年になるまで長生きして欲しかった。」
綾奈はなんと言っていいか分からず俯いてしまう。
「大切な人を奪っていく死はとても悲しく恐ろしい。でもね、綾奈さん。それでも人はいつか必ず死ぬんです。どんなに拒絶しようがどんなに科学が進もうが死は避けようがない。誰かの言葉にあったとおり、死は金持ちにも貧乏人にも等しくやってくる、世界で唯一平等なものだって。」
綾奈はハッとして裕也を見上げた。
「だから死をこの世の終わりかのように恐れるのは違う気がするんです。もちろん生きたいと思うことはとても大切だしその気持ちを捨ててはいけない。でもどうやったって命には終わりが来る、逆に終わりがこない命を果たして命と名付けていいものなのかどうか僕には分からない。だからこそ与えられた命を精いっぱい生き、いつか来る死を覚悟しながら今日いち日を大切に過ごすことが大事だと思うんです。誰もが限られた命だから一生懸命生きる。亡くなった父も母も僕にそうして欲しいと望んでいる、僕はそう思う事にしているんです。死は当たり前にあるものだからこそ、その当たり前を受け入れながら精一杯生きたい。」
「当たり前にある死を受け入れながら・・・。」
裕也の言葉を反芻する綾奈の胸にその一言一言が突き刺さっていく。それが決して嫌な思いをもたらすものではなくむしろ癒しさえ与えてくれる。それは家族という愛すべき人の死に何度も触れてきた裕也の言葉だからだろうか。
綾奈は癒されていくなにかを感じていた。そして思ったのだ。この人は自分がずっと欲しがっていた言葉をくれる人なんだ、と。
責めるのではなく肯定してくれる人、それでいいんだと背中に優しく手を当ててくれる人。そう思えた途端、綾奈の気は緩み、泣きたくなった。
綾奈が今にも泣き出しそうなのに気づいた裕也はそっと囁いた。
「外の空気でも吸いますか。外も気持ちいいですよ。」
綾奈は頷くのが精いっぱいだった。
次に二人はショッピングモールを出て道を挟んで向かい側の公園に向かった。綾奈の心は外の新鮮な空気に触れている内に落ち着いてきた。
公園に入る。夏真っ盛りの緑葉が風に揺れ、まるでせせらぎのような涼やかな音を立てている。木々から生み出されたばかりの新鮮な空気が辺りを包み込んでここはなんとも爽やかだ。
「気持ちいいですね、緑が多くて。」
裕也はのびのびと深呼吸をした。
「はい。落ち着きますね。」
綾奈も同意した。二人は近くのベンチに座り他愛もないお喋りを続けた。綾奈は初対面の人間とここまで打ち解ける事が出来る自分自身に驚いている。初めて会ったような気がしない、まるで親しい友人に久しぶりにあったかのような居心地の良さ。
そうこうしているうちに時計の針が夕方の五時を回った。郷愁を誘うようなカラスの鳴き声が夕空を渡っていく。薄紅色に染まる雲、オレンジ色の大気の層の下にワインレッド色の黄昏が沈む。
「そろそろ帰りますか・・・。」
裕也は名残惜しげに尋ねてきた。その声にはもう少し一緒にいたいという願望が存分に含まれている。しかし今日初めて会った女性を夜遅く帰宅させるわけにもいかない。綾奈ももう少し裕也と一緒にいたいという気持ちはあったが、さすがに今日はここでおいとましないといけないのは分かっている。
「そうですね。帰ります。」
綾奈は寂しげに答えた。
「自宅まで送りますよ。」
裕也は申し出てきた。綾奈は驚いて裕也を見る。裕也は女性を家まで送るのは男の務めだと思っている節がある。だが綾奈は今日会ったばかりの人に家まで送ってもらうのは申し訳ないような気がした。いくら多華子の知り合いとはいえそこまでしてもらうのは・・・。いろいろ考えた綾奈だが、ふと思い出した。自分はここまで車で来ていたということを。
「お気持ちだけで。駐車場に車を停めてあるので。」
「あ、そうでしたか・・・。」
裕也はあてが外れたのか残念そうに答えた。でも車で帰るなら安心だと思ったのだろう、すぐに笑顔になって
「じゃあ、駐車場まで送りますよ。」
「はい。お願いします。」
綾奈も微笑みながら答えた。
二人は駐車場に戻った。
「裕也さんも車なんですか?」
「はい、僕も車で来たんですよ。」
綾奈の車の前に辿り着いた。チェリーパールクリスタル色のボディーが夕日色に映えて佇んでいる。
「かわいい車ですね。」
「そうですか?」
綾奈は自分の車を褒められ照れくさくなった。
すると突然沈黙が訪れた。やはりこのまま別れるのが名残惜しいのだ。裕也の顔が寂しげに揺れる。綾奈も切なくなって言葉を失った。初めて会った人にこんな気持ちになるなんて・・・。綾奈は戸惑った。暫くの沈黙の後、裕也は覚悟を決めたのか真剣な面持ちで綾奈に向き合った。
「綾奈さん、これからも会ってもらえますか。」
まるで玉砕を覚悟したかような決死の表情の裕也。裕也は綾奈と会う約束をした時から、今日が最初で最後の覚悟はしていたのだ。どんなに綾奈のことを気にいっても綾奈にもうこれきりだと言われればそれで終わり。だから玉砕覚悟の一言だった。
でも、こうして一緒にいて綾奈が楽しそうにしてくれているのをみているうちに脈ありと思ったのもまた事実で。玉砕覚悟のうちの四十%ぐらいは良い返事を貰える自信があった。
一方、綾奈は今日で最後のつもりでここに来たことをすっかり忘れていた。それだけ裕也とのひと時は楽しかったのだ。だから玉砕覚悟の表情で自分の返事を待つ裕也に申し訳なくもあり。綾奈は笑顔で即答した。
「はい。こちらこそよろしくお願います。」
綾奈から色よい返事を貰えた裕也は思わず喜びのガッツポーズ。嬉しさを前面に押し出している。綾奈もこんなに喜んでもらえることが嬉しくて仕方がなかった。長らく忘れていたこのむず痒い感情。
「あの!メールのアドレス交換してもいいですか?」
裕也が喜びいっぱいで聞いてくる。
「はい。是非私もお願いします。」
綾奈は急いで鞄から携帯電話を取り出した。裕也も慌てて携帯電話を取り出す。赤外線でアドレス交換をしてお互いにアドレスをゲット。喜びが湧き上がりそれを噛みしめるので精一杯。
「今日、綾奈さんが帰ったころにメールしますね。」
「はい。ありがとう。」
綾奈がハニカミながら答えれば裕也はにっこりと笑顔で頷いた。
二人の間に流れる初々しく麗しい空気。
「じゃあ、気を付けて帰ってください。」
「裕也さんも気を付けて。」
二人は微笑みあって手を振った。


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