その夜からアルクはユイハの家に泊めてもらうことになった。ティアの体も異変が始まった時にすぐに駆け付けることが出来るようにとユイハの屋敷の一部屋に置かれた。魔王との対決の時までユイハの家で世話になるつもりだ。
ユイハは広い屋敷に住んでいる。質素ながらも品の良い家具が並び、どこからかともなくとても良い匂いがする。書庫には天井まで魔術に関する本が飾られていた。 アルクは客室に案内され用意されたシルクの寝間着に着替えた。 さっそく来たる魔王との対決の為の作戦会議といきたいところだが、今夜は寝床に入った方がいいとユイハが勧めてくれた。アルクはその言葉に甘えることにした。 ベッドのすぐそばにある大きな窓から月明かりが忍び込んでくる。電気をつけなくても月明かりだけで十分本が読める。アルクはベッドに横たわり夜空を見上げた。 「ティア、俺はなんという不届き者なのだろう。魔王封じが失敗すれは人類は滅亡するというのにティアに会える喜びで満ち溢れている。失敗して魔王になってしまったティアさえも俺は愛せる自信があるんだ。ティア、愛している。」 アルクは誰に聞かせるでもなくそう呟くと深い眠りに落ちて行った。
翌朝、小鳥のさえずりで起こされたアルクはなにげなくサイドテーブルにある時計を見た。時計の針は10時を指している。 「なんと!」 アルクは飛び起きた。こんなに朝遅くまで寝ていたことはここ数十年なかった。それほどまでに気を緩めていたのか、昨日今日でこの緊張感のなさ。朝寝坊という失態を犯したアルクはすぐさま着替えて部屋を飛び出た。 廊下に出た途端、使用人がにこやかな笑顔を向けて挨拶してきた。 「おはようございます、アルク様。」 「お・・・おはようございます。すみません。こんな遅くまで寝てしまって。」 アルクは顔を赤くして恥じた。 「いいえ、お気になさらないでください。アルク様はよほど疲れているのだからそっとしておきなさいとユイハ様に言われているのです。」 それを聞いてアルクはますます恥ずかしくなった。それほどまでに皆に気を遣わせてしまっているのだ。 「ユイハ殿はどちらに?」 「ユイハ様なら書斎におります。しかし書斎に出向く前に食事をとってくださいませ。アルク様に食事をとらせるようにユイハ様から申し付けておりますゆえ。」 「なにからなにまでかたじけない。」 「いいえ、ごゆっくりしていってください。」 アルクは赤く染まった顔でリビングへと案内する使用人の後についていった。 食事はとてもおいしかった。焼きたてのパンに彩り豊かな果物。生みたての卵で作ったスクランブルエッグにカリカリに焼いたベーコン。搾りたてのミルクは人肌に温められていた。このような豪華なおもてなしを受けるのは随分久方ぶりな気がする。147年ぶりに食事というものを味わった。 美味しい朝食、いや昼食に舌鼓をうったアルクはコックと使用人に丁寧に挨拶をしてユウハのいる書斎へと向かった。書斎の場所、この家の間取りは使用人から丁寧に教えてもらったので迷わずに行けた。 書斎のドアの前に立つと厳かにノックをした。 トントン。 「どうぞ。」 中から声がしたと思ったらすかさず扉が開いた。アルクはユイハに促され書斎に入る。 「わたしとしたことがすみません。恥ずかしながら寝坊してしまいました。」 アルクはいの一番に失態を詫びたがユイハはまったく気に留めてないようだ。 「良いのです。それだけわたしどもに気を許していただけた証。この数百年ゆっくりと眠れることは少なかったでしょう?だからむしろ光栄なのです。アルク殿に信頼していただけたことが。」 それを聞いたアルクはつい最近まで魔術師たちに不信感を持っていたことを見透かされたようでバツが悪くなった。 「何もかもお見通しなのですね。」 アルクは半ばあきれたように肩を竦めた。 「ローレイも今頃天国でほっとしていると思います。」 「ローレイさんが?」 「ローレイは死の間際まであなたとティアのことを気にかけていました。ティアを犠牲にしてこの世界を守ったこと、あなたを不老不死にしてしまった罪悪感を生涯ずっと抱えていたそうです。」 「ローレイさん・・・。」 アルクの胸が痛む。 「ティアは人類を守るためにご自分の魂と共に魔王の魂を結界に閉じ込めた。それによって魔王の力は封印され人間は滅亡の危機を逃れることが出来た。それが147年前のこと。そしてアルク、あなたはティアを敬愛し常に眠り続けるティアのそばにいた。そばに居続ける為には不老不死になるしかない。不死身の体になったあなたはティアに再び会うことを生きがいにして気が遠くなるような月日を孤独を抱えながら生きてきた。」 「・・・随分とお詳しい。しかし間違っている部分があります。」 「はたしてどんな?」 ユイハは不思議そうにアルクに尋ねた。 「ユイハ殿はわたしがティアを敬愛しているとおっしゃいましたがそれは違います。そんな綺麗なものではないのです。わたしはティアを愛している。その身も心も自分だけのものにしたい。敬愛などという綺麗で生易しいものではない。」 「・・・・」 「ティアに会いたい。封印が失敗し魔王が復活しこの世界が魔の手に落ちても構わない。人類が滅亡したっていい、目覚めたティアをこの手で抱きしめることが出来るなら。」 アルクの言葉が矢のようにユイハの胸に刺さった。一方、アルクは自分のこの気持ちを否定されると覚悟していた。ティアと会う為なら人類が滅びてもいいと言っているのだから。しかし 「あなたは愛するティアに会いたい、会える、それでいいのです。それが人が人を愛するということです。あなたはこれまで十分に魔物からこの世界を守る盾としての役目を果たしてきた。ティアがご自分を犠牲にしてでもこの世界を守りたいと思ったのはあなたがいたからです。愛するあなたを守りたいという想いがこの世界を救った。その功績は計り知れないものです。今日私どもがこうして生きていられるのはあなたとティアのおかげ。これほどまでに多くのものを与えてもらったのにこれ以上何を望むというのでしょう。あなたがティア以外はどうでもいいと思う、そのことを責める資格がある者などこの世のどこにもいません。」 「ユイハ殿・・・。」 「だからあなたは誰に遠慮することなく堂々とティアを愛し受け止めてください。」 「はなからそのつもりです。」 気丈に答えるアルクだがその声は震えている。目には涙が滲んでいる。 「封印に失敗しても我々魔術師たちが命をかけてでもティアをあなたの元へお返しします。それが私たちのせめてもの恩返しですから。だから安心してください。」 「ユイハ殿・・・!!」 とうとうアルクは膝を崩しその場に泣き崩れた。堰を切ったように涙があふれてくる。 アルクは何百年という月日をティアに再び会いたいという想いだけで生き抜いてきたのだ。その想いを誰かに理解された時、他人に言えない本音が受け入れられた時、それが今なのだ。 ユイハは嗚咽するアルクの背中をそっと撫でた。そしてユイハはより決意を新たにした。 魔王からティアを取り戻す闘いが始まろうとしている。
ここのところ、大気に不穏な雰囲気が滲んでいることに人々は気づいていた。それは魔術師だけでなく魔力を持たない人々も同じだ。 行きかう人々が口々に囁く。 「なんだか最近、妙な悪い予感がするんだよ。ここのところ大人しくしていた魔物たちが急に行動を起こしているという噂だ。つい先日もナンサ国では魔物が大暴れして魔術師たちが取り押さえたらしいが。何かの前振れか?」 「不気味だね。今までこんなことなかったよね?」 「なぁに、気にすることないさ、魔術師たちがなんとかしてくれるだろう。」 魔王が結界されている場所がすぐそばにあることを知らないヘロン国民はたいして気にも留めない。 しかし世界中の魔術師たちはこの世が終末を迎えるかもしれない異常事態が近づいてきていることを知っていた。しかし知っていてもどうすることも出来ない。アルクが魔王の封印に成功しますようにと祈ることしか出来ない。
アルクは眠り続けるティアの傍でその寝顔を見守り続けている。魔王が結界を破って出てこようとしているのをひしひしと感じる。その頃ユイハは部屋の入り口に立ち、天を仰いだ。 「いよいよ運命の時が来る。覚悟せねば。」
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