それからひと月の月日が流れた。ローレイたちによってティアの体は広大なヘロン魔法学校の敷地内にある教会に運ばれた。ここが世界中で一番安全な場所なのだ。 なぜなら世界各国から才能ある魔術師たちが集まって来るから。それに何よりローレイもいる。万が一、魔王の封印が解けた時、迅速に対応出来る。そうならないことを信じているが。
ステンドグラスを通ってきた柔らかな色の日差しが祭壇で温もる。その祭壇のある部屋のすぐ隣の部屋でティアは眠っている。 アルクは片時もティアから離れようとしない。魂が抜けたような無表情でティアを見守るばかりでその姿はまるで廃人だ。ローレイとポールとトレイはアルクの背中を悲し気に見つめている。 「アルクはいつまであぁしているつもりなんだろう。アルクは食事をとっているのか?随分痩せたように見えるが。」 「一日三度ここへ食事を運んできますがなかなか口をつけたがらないようです。無理やりにでも食べさせていますが。」 「そうか・・・。」 「なぁローレイ、ティアはいつか目覚める時が来るのか?あのままではあまりにアルクがかわいそう過ぎる。」 「分からない。1年後に目覚めるかもしれないが10年後かもしれない。あるいはもっと。100年後か一千年後か。」 「ティアの体はどうなる。ずっとこのままか?」 「ティアの魂は魔王の魂と一緒にいる。魔王の影響は受けるだろう。魔王は不老不死、ティアも今のままの姿で眠り続けるだろう。」 「アルクはティアが目覚めるまで待ち続けるつもりか。この先何年も何十年も・・・。なんとかしてやれないのか。このままではアルクは気をおかしくしてしまう、いやもうなっているかもしれんが。」 するとローレイはそんなこと言われなくても分かっていると言いたげな目でトレイを見た。アルクの人生はこれからも続いていく。それなのにここでずっと廃人のように生き続けるなんてそんなことあっていいはすはないのだ。ローレイはアルクの傍にそっと歩み寄った。 「アルク、そろそろお前自身の人生を歩み始めたらどうだ。お前がそんな風ではティアは安心して眠れないだろう。ティアのことは心配するな。我々どもが全身全霊をかけてティアを見守り続けるから。」 しかしアルクは首を縦に振らない。 「俺はティアが目覚めた時、何よりも真っ先にティアが見るであろう風景でありたいんです。誰よりも真っ先に声を掛けるのも俺でありたいんです。」 「しかしティアはいつ目が覚めるか分からない。10年先、20年先、あるいはもっと・・・。いや、永遠に目を覚まさないかもしれない。それでも待つといのか。」 「はい。」 そう答えたアルクの声に一陣の揺らぎも迷いもなかった。ローレイたちはひそかにため息をついた。 「せめて食事だけでもちゃんと取ってくれ。何も食べなかったら死んでしまう。そうなったらティアが目覚めた時に傍にいてやれないだろう?」 「分かりました。食事はちゃんと摂ります。だけどその他のことは放っておいてください。」 「分かった・・・。」 今のアルクに何を言っても無駄なのだ。ローレイは己の無力さを嘆いた。これほどにも残酷で悲しい試練をアルクとティアに与えてしまった無力さ。 そこでトレイはふと、黒魔術の矢のことを思い出しローレイに尋ねてみた。 「そういえば黒魔術の矢はどうなったんだ。一か月前にお前に渡したはずだが。」 「あぁあれならあの矢にかけられた呪いを解読し、今度は矢が見えるようになる逆呪文を編み出したよ。その護符を世界中の白魔術師に渡している。もうあの矢は使い物にならんだろう。」 使い物にならんだろうと言い切ったローレイの顔には黒魔術師への憎悪が滲み出ていた。あの矢がティアの封印を解くきっかけになったのだから仕方がない。 ローレイの中にある憎悪を垣間見た瞬間、トレイの背中に寒気が走ったがローレイのそれもティアとアルクを思うがゆえのことだ。トレイはローレイが背負っているであろう罪悪感に思いを馳せる。 「そうか・・・。それは良かったな。」 トレイは今はその一言を言うのが精いっぱいだった。
その頃、ティアの故郷のチャオロでは町民の皆が皆、ティアとアルクの帰りを待ちわびていた。 「ティアとアルクはいったいいつになったら戻ってくるんだろうね。もう一か月になるよ。」 「それにしても私たちに黙って魔術師の修行に行ってしまうなんてティアもアルクも水臭いね。」 「それは私たちの顔をみたら離れがたくなって修行に行く決心が鈍るから黙って行くってティアが言っていたとホゼ様が教えてくれたでしょう。」 「ホゼ様はいつの間にここに帰ってきていたの?タイラ国王から治療しに来てくれと呼ばれたとあれほど自慢していたのに。」 「予定を切り上げてつい最近帰ってきたみたいよ。でもなんだか元気ないみたい。」 「きっとティアとアルクはもっと強くたくましくなってこの町へ帰ってきてくれるね。それまで私たちでこの町を守ろう。」 「そうだな、皆で力を合わせて守ろう。」 「ティアたちが帰ってきたらたくさん土産話を聞こうぜ。本人がもう勘弁してくれと言うまでさ。」 「おぉ、それは楽しみだ。」 町民たちはティアとアルクの不在を寂しがりながらも明るく振る舞った。
それからまた三か月の月日が流れた。季節はどんどん移り変わっていく。 しかしアルクだけは相変わらずティアの傍に居続けた。まるでこの場所だけが時間が止まってしまっているかのようだ。 ある日、厳かな空気が漂う静かなこの部屋の扉が開いた。男が一人入ってきてそっとアルクの隣に座る。男はラッセルだった。アルクは隣に座ったラッセルを見ようともせず嫌そうに口を開いた。 「なぜ貴様がここにいる。」 「なぜって魔術師に聞いたんだよ。ティアとお前に起こったこと、魔王のこと。ティアがここで眠り続けていることも。」 「・・・。」 「いやぁ魔術師というのは口が堅いな。ティアの居場所を誰に聞いても何も話そうとしない。だが、ベッドの上では別だ。魔術師とはいえ所詮は女。マリーという女を知っているか?ピロートークで色々聞きだしたさ。ティアとお前の力になりたいから教えてくれって頼んだらすぐに教えてくれた。俺の演技力も中々のものだろう?」 「よく貴様がこの学校の敷地に入れたな。」 「アルクの友達だと言ったら入れてくれたぞ。」 アルクの眉間に皺が寄った。だいぶ機嫌を損ねたようだ。 「まぁそう怒るなって。お前とティアの役に立ちたいというのは本音なんだぜ?」 「貴様に何が出来る。」 「・・・何も出来ないが、別れの挨拶くらいは出来るだろう?」 「別れの挨拶?」 「あぁ、俺はチャオロを離れることにした。また根無し草の暮らしをするさ。」
|
|