その場にいる全員がティアの赤紫の瞳を見て愕然とした。剣を胸に刺したまま平然と立ち上がるなんてありえない。そこから導き出される答えは一つ。 ティアの体は魔王に乗っ取られてしまった。ティアの心臓が止まる寸前に魔王が体をのっとりティアの心を破壊してしまったのだ。 「そんな・・・。」 塵一つ残さず絶望が支配する。人間たちは魔王の手によって残酷に殺されていくだろう。ローレイたちはこの絶大な魔力の前でなす術がない。 「ティア?」 アルクはこの事態が飲み込めなくてティアの体に触れようとした。しかしティアは見向きもせずにローレイたちの前へ進み出た。 「まずは貴様らを始末する。」 ティアが残忍な笑みを浮かべ言い切った。ジョルジュたちは我に返った。 「そうはさせるか!」 「皆!あれはティアであってティアではないわ!この世界を滅ぼそうとする魔王よ。ティアは死んでしまった。闘うしかない!」 「そうだ、コナーの言う通り!例え魔王には適わなくても一矢報いてやる。ティアの仇を打つんだ!」 「おぁ!!」 皆が雄たけを上げた。これはティアの弔い合戦だ。
闘いは壮絶さを極めた。双方一進一退を繰り返す。魔王が地面を大きく揺らし膨大なかまいたちを繰り出せば、コナーがすかさず結界を作り身を守る。間髪置かずローレイが剣を振りかざし魔王に突進していく。 魔王はそうはさせまいと甚大な魔力を放出してローレイの体を跳ね飛ばした。ローレイは木の葉のように宙を舞い地面に叩きつけられた。 「「ローレイ様!!」」 皆の悲痛な叫び声があたりにこだまする。 「糞っ!!」 トレイは怒りのままに弓を構えた。魔力が込められた矢を魔王に向けて怒涛の如く解き放つ。三日三晩ローレイが寝ずに呪文を唱え魔力をこめた矢だ。大抵の魔物ならその矢の姿を目で捉えることさえかなわない。 しかし魔王は飛んできた矢を体に到達寸前で掴んでみせた。 「なっ!?」 そして驚愕するトレイたちに見せつけるかのように矢をへし折る。 「負けるか!」 ジュルジュやトーマスが諦めずに次から次へと攻撃をする。しかしそのどれもが魔王に届かず弾き飛ばされてしまうのだ。すると魔王がおもむろに手をあげた。 「なにかくる!」 皆が警戒したその時だ。魔王が払いのけるしぐさをした途端、目に見えぬ衝撃波がジョルジュたちを襲った。 「ぐあっ!」 「ぎゃあ!!」 トレイやジョルジュたちが薙ぎ飛ばされた。木や地面に叩きつけられる。次々に負傷していく人間たち。アルクはその地獄絵図をただ茫然と見ていることしか出来ない。 相手が普通の魔物ならまだ闘いようはある。なんなら素手でも戦える。しかし相手は魔王、しかもティアの姿をしている。 アルクは魔力を持たないおのれの無力さを嘆いた。 呆然としているアルクの横をすり抜けたローレイが再び攻撃に打ってでた。魔王を白き炎で焼きつくそうと幾度も試みる。だが魔王はそれを華麗な身のこなしでことごとく避けてしまうのだ。 だが、ローレイは技を繰り出しながらも奇妙な感覚を覚えていた。 『おかしい、魔王はこれで本気を出しているのか・・・。本気を出した魔王はこんなものではないはず。それに魔王が降臨しているというのになぜ他の魔物がここに駆けつけない?本来なら魔物たちは魔王の復活で魔力を倍増させて我々を攻撃してくるはず・・・。なのになぜ・・・。』 確かに不可思議な現象だ。よく注意して見ていると時折魔王の動きがぎこちなくなる瞬間があるのだ。この不可解な現象にローレイの心が捉われた一瞬。その隙を突いて魔王がローレイの間合いに入りこんできた。 「しまった!!」 「終わりだな、人間。」 魔王ティアの声がローレイの耳元に響く。それはとてつもなく冷徹で残忍な声。 「終わりではない!!」 ローレイは魔王の声を振り払って炎の一撃を繰り出した。しかし魔王はそれをするりとかわした。 「!!」 魔王はローレイの腕を掴んで捻り体を翻した。地面に叩きつけられるローレイの体。それと同時に魔力で抑えつける。ローレイは金縛りにあったように動けなくなってしまった。 「ぐっ・・・!」 「「ローレイ様!!」」 その場にいた全員が戦慄し体を強張らせた。 ローレイが魔王に囚われてしまった。この絶望、焦燥感は想像に絶する。しかも魔王は己の体に刺さっていた剣を引き抜き高く掲げた。それでローレイを殺すつもりだ。 「「やめろ!!」」 トレイたちは壮絶な最悪の出来事に顔面蒼白だ。ジョルジュやコナーたちは膝から崩れ落ちた。ローレイほどの力を持っていたとしてもこうも簡単にねじ伏せられてしまうとは・・・。もうおしまいだ。この世の終わりの幕開けだ。 「ティア・・・。」 ローレイは悔し気に魔王ティアを仰ぎ見た。魔王は氷のように冷たい目でローレイを見下ろすばかり。その時。 「ティア!!」 突如アルクが叫んだ。一瞬魔王の体がぴくりと反応する。しかしそれは一瞬だけのことだった。 「ティア!ローレイさんは殺すな!殺すなら俺を殺せ!」 アルクの懸命な訴えが辺りに響く。そして魔王の目の前に歩み寄った。魔王は魔力を持たないこの無力な人間を道端の塵以下と思っているのだろう、何もせずにアルクを見下したような目で見ている。 「さっきも言ったじゃないか。俺はティアがいないこの世界に興味はないって。ティアのいないこの世界がどうなろうと構わない。でもローレイさんは俺とは違うんだ。他の人たちもそう。みんな家族を愛し、恋人を愛し、友人や仲間を大切にしている。この世界が必要なんだ。だからローレイさんやたくさんの人間からこの世界を奪わないでやってくれ。俺は死んでもいいから。」 しかしティアは何も語らず、やがてその口元に残忍な笑みを浮かべた。それはアルクの知らないティアの顔だった。 するとアルクは臆することなくティアの頬に手を添えた。そして 「ティア、お前が魔王でもいい。お前を愛している。」 告白をするアルクの瞳に嘘も偽りも打算もなかった。ただまっすぐにティアを愛おしげに見つめる。
しかしティアは構わずに魔剣を高く振りげアルクに向かって振り下ろした。アルクは死を覚悟した。穏やかな表情。 これでいい、アルクは目を閉じた。 「アルク!!」 ローレイの叫び声。 魔剣の鋭い切っ先がアルクの胸に突き刺さろうとした瞬間。 魔王の動きがハタっと止まった。魔王は魔剣を握ったまま体を固まらせている。瞬き一つしない。突如訪れる静寂。 「??」 一同、何が起こったか分からず唖然としている。 「一体どうしたんだ?」 ローレイがおもむろに立ち上がりうんともすんとも言わない魔王の顔を覗き込む。すると突然魔王の体が力をなくしたかのようにその場に倒れこんだ。アルクは慌ててその体を受け止める。 「ティア!」 しかしティアは答えない。ただ瞼を固く閉じたままアルクの胸の中で眠っている。ジョルジュたちがティアの周りに集まって来た。 「これはどういうことですか。何が起こったのですか、ローレイ様。」 ローレイはティアの胸にそっと手を当てた。そして驚愕し目を見開く。 「ティアの中に魔王がいる。」 「え!?」 「ティアが自分の体の中に魔王を封印したんだ。」 「で・・・でもそんなことは出来ないってローレイ様が言っていたではないですか。」 「本来なら出来るはずがない。魔王に乗っ取られた瞬間から人間としての心は壊され消失するからな。でもティアは違った。最後の最後まで魔王に抵抗し人間の心を守ったのだ。人を想う気持ち、守りたいと思う気持ちが最後まで失われることはなかった。魔王に対抗出来るのは魔王のみ。魔王を封印出来るのも魔王自身しかいない。ティアは魔王となって魔王を封印したんだ。」 「人間の心を持ったままで魔王の力を得て我らを救ったということか。」 トレイが感動に打ち震えながら尋ねた。 「そうだ。闘っている時もおかしいとは思っていた。本来なら魔王の力はあんなものではない。一瞬で我らを皆殺しに出来たはずなのにしなかった。いや、出来なかったんだ。ティアが魔王にのっとられまいと必死に抵抗してくれたおかげだ。結果、手加減している状態になった。」 「魔物たちが加勢にこなかったのもティアがそうさせたからですか。」 「おそらく、魔王になったティアが魔物たちに闘いに加わるなと命令したのだろう。魔物たちにとって魔王の命令は絶対だからな。」 なんという強靭な心だろう。魔王でさえもティアの心は支配出来なかった。 その場にいる全員がこの奇跡にむせび泣いた。ティアにどんなに感謝しても感謝しきれない。己の身を犠牲にしてこの世界を守ってみせたのだ。 しかしそうは言ってみても胸の痛みは増すばかりだ。ティア一人を犠牲にしてしまった。自分たちは何も出来ずにいた。この罪悪感と無力さは計り知れない。コナーたちは罪悪感と悲しみで押し潰されそうになっている。それはローレイだとて同じ。 しかしコナーたちに罪悪感を抱かせたままこの先の長い人生を歩かせるのはあまりに酷だと思ったローレイはその場にいる全員に言い聞かせるように切り出した。 「悲しむのも苦しむのも今は好きなだけすればいい。今日は泣きたいだけ泣いて悔やみたいだけ悔やめ。しかしそれは今日までだ。明日からはティアのことは忘れて自分の人生を生きなさい。」 「え!?」 耳を疑いたくなるようなローレイの言葉に思わず絶句するコナーたち。それはすぐに怒りに変わった。 「そんなことローレイ様は本気で言っているのですか!?」 「忘れろなんて言われても忘れられるわけがないではないですか!僕らの目の前でこんなことになったのに!!」 コナーたちはローレイを次々と責め立てた。しかしローレイは動じない。 「あぁ本気だ。そなたたちがそうやっていつまでも悲しんでいたり苦しんでいたらティアはもっと悲しむし苦しむぞ。ティアはそなたたちにそんな思いをさせる為にこんなことをしたのではない。そなたたちに幸せな人生を歩んで欲しいからしたことなのだ。そんなティアの思いをそなたたちは台無しにするつもりか。」 「しかし・・・。」 「お前たちは強く生きろ。強く生きてティアがくれた人生を最後の最後までまっとうしろ。ティアのことは忘れて精一杯人生を楽しみながら生きろ。それがそなたたちがティアにしてあげられる唯一のことだ。」 「・・・。」 「そなたたちの喜びはティアの喜びだからな。ティアを笑顔に出来るかどうかはこれからのそなたたちの生き方次第だ。」 ローレイにそう言われコナーたちは眠るティアを見た。その表情はどことなく安堵しているかのように見える。 『ティアを笑顔に出来る生き方をする。』 コナーたちは新しい人生の目標を与えられた。目標がその場にいる皆の心を救ったのだった。 「ありがとう、ティア・・・。」 ティアに声を掛けるコナーたちの瞳に光が戻った。
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