「ローレイ様、二人だけでちょっと話がしたいのですが。」 ティアが風が薙いだ湖面のような静かな瞳で嘆願した。 「・・・分かった。皆、ちょっと部屋を出てくれ。ティアと二人きりで話がしたい。」 「分かりました。」 ティアがローレイに何を話すか分からない不安はあるが二人で妙案をひねり出してくれることを期待して皆部屋を出た。 ティアとローレイだけがこの部屋に残った。 「ローレイ様・・・。」 「なんだ。」 「その魔剣を私にください。」 「これか?しかしこんな魔剣では魔王を倒せないぞ。刺すことに成功しても魔王はびくともしない。」 「いいえ、その魔剣は私の胸に刺します。」 「!!!!」 ローレイはあまりに衝撃的なティアの言葉に心臓が破裂しそうになった。 「なっ・・・いきなり何を言いだすのだ!!」 「これしか方法はないのです。私が死ねばこの世界から永遠に魔王の器は失われる。そうすればこの世界の平和はこれからも続いていくのです。」 「そんなこと私が許すわけないであろう!自暴自棄になっているのは分かるが死ぬなんて冗談でもそんなこというな!」 「冗談でも自暴自棄でもありません。ではローレイ様はこの先何十年、いや一生、魔物たちから私を守り通すつもりですか?そんなこと出来ると本気で思っておいでですか。」 「出来る!!」 「今までならそれも可能だったかもしれません。でも今は魔王の知ることとなった。魔王は私の体を手に入れる為にありとあらゆる手段を使うでしょう。たくさんの人々の命を人質にして私の体との交換を持ち出すのは目に見えています。」 「しかし今、皆でティアを渡さない道を模索している。答えをだすのは早計過ぎる!!」 「いいえ事は一刻を争うのです。私は皆を愛しています。犠牲にしたくない。誰の人生も犠牲にしたくないのです。」 「魔術師たちは己の人生を犠牲にする為に生まれてきた。だからそんなことティアが気に病むことではない。」 「私は魔王になりたくないのです!」 「!!」 「人間の心を失い魔王となって人間を殺戮しろと言うのですか!この手で大切な人たちを!」 「しかし仮にそうなってもそれはティアの意志ではない。魔王の意志だ。」 「いいえ私の意志です。この世界を守ることが出来る唯一の手立てが私の死であると知りながら我が身可愛さでおめおめと生き抜いて、あげく魔王に乗っ取られたら私は自らの意志で魔王になったのも同じ!」 「それは違う!」 「お願いです!私を人間として生かせてください。人間として死なせてください。最後の最後まで人間でありたいのです。お願い・・・!」 ティアはローレイに縋りついて必死に頼み込んだ。溢れる涙がローレイの服を濡らしていく。ローレイはもはや返す言葉がなかった。その時。 「ティアは間違っている。」 突然響き渡る声。アルクの声だった。二人が驚いて振り向くとアルクがふらふらと立ち上がった。そして覚束ない足取りでティアの前に辿り着いた。 「アルク・・・。」 「話は聞いていた。ティア、どうか死なないでくれ!俺はティアなしでは生きていけない。例えお前が魔王になろうと俺はお前を愛している。魔王になったからなんだと言うのだ!」 「なんてことを言うの!」 「これは俺の偽らざる本音だ。お前以外の大勢の人間が死んだからってなんだというのだ。そんなのどうたっていい!」 「・・・。」 ティアはもうなんて返していいか分からない。ただただそこまで自分を愛してくれることが嬉しくて幸せで。 「ティアも俺が死ぬ時、他の誰がどうなってもいい、俺に生きていて欲しいと言っただろう?あれは嘘だったのか?」 ティアは首を横に振った。 「お前は俺に生きろと言っておきながら自分は死のうとするのか。そんなのあまりに身勝手だ!」 「アルク、私はアルクがいるこの世界を守りたいの。アルクがいない世界なんて守りたいと思わないけど。アルクがいるから。」 「だったら俺も死ぬ!」 「アルク!なんてことを言うの!」 「俺がこの世からいなくなればこの世界を守る義務がなくなるんだろう?だったら守らなくてもいい。魔王になって生き続けろ。俺はお前のいないこの世界になんて興味ないんだ。」
ローレイはもはや黙って二人を見ていることしか出来なかった。こぶしをぎゅっと握りしめるだけが今の自分に唯一出来ること。こんなにも愛し合っている恋人たちを引き裂くことしか出来ない自分の不甲斐なさ、無力さ。 悔やんでも悔やんでも悔やみきれない。すべてが無意味に思えた。
ティアはアルクにそっと近づき踵をあげた。そしてアルクに優しく口づけをする。驚いたアルクが一瞬目を見開いたが胸が切なく震えてたまらくなった。 ティアの背中にそっと腕を回し自分の体に抱き寄せた。あの時のようにティアの気持ちを無視した強引なやり方ではなく心の底から愛おしくてたまらないというかのように優しく深い抱擁。二人の口づけは角度を変えてお互いを求めあった。二人とも分かってる、これが最後の口づけだと。 唇が愛を求めて満たされて、その温かさと柔らかさを貪欲に自分の心に刻む時間がどれくらい流れただろう。 やがて二人の唇は離れた。ティアの瞳からもアルクの瞳からも涙がこぼれている。 「アルク、私を愛してくれてありがとう。でも本当は分かっているんでしょう?私が一度言い出したら聞かないことを。」 「あぁ分かっているさ。10歳の時からずっとそばにいたんだから。ティアは世界一の頑固者だ。」 アルクの言葉を聞いてティアはふっと優し気に微笑んだ。 「アルク、これからは幸せな人生を歩んで。私の分まで生きると誓って。」 「・・・誓うよ。」 アルクはそうは言ってみたものの、心の中ではすぐにティアの後を追うと密かに固く決意していた。 「嘘つき。私の後を追うなんてそんなことしたらあなたがあの世に来た時、蹴り飛ばして追い返してやるから。」 ティアはアルクの決意を見抜いていた。アルクはやれやれと苦笑いをした。しかしその瞳から涙があふれ止まらない。 「分かったよ、生きるよ。最後まで生き抜いて爺さんになってティアに会いにいく。」 「うん。」 ティアが心からの笑顔をアルクに向けた。そしてローレイに向き直った。 「ローレイ様、その魔剣を私に。」 もはやローレイにはどうすることも出来なかった。抗う力も気力もない。罪悪感に押し潰れそうなりながら震える手で魔剣を渡した。 ティアが魔剣を握りしめる。アルクが苦しそうに顔をそむけた。その時だ。 凄まじい轟音と共に激しく建物が揺れ始めた。 「なぜだ!?」 ティアの結界は鉄壁の守りを崩すはずがない。それなのに神殿はますます激しく揺さぶられ柱が崩壊し始める。魔物たちのけたたましい鳴き声が耳をつんざく。そこへジョルジュたちが血相をかかえてローレイたちの元に駆け込んできた。
|
|