自分一人しかいない家の中、ティアは魂の抜け殻になってソファーに倒れこんでいた。アルクを失った喪失感はことのほか大きく何もやる気が起きない。そんな時。 ポトン・・・。 玄関の方から音がした。郵便物が届いたのだ。ティアは仕方なく立ち上がり郵便受けを覗く。そこには一通の手紙が入っていた。 「誰からだろう・・・。」 無気力なまま手紙の封を切った。 『ティア・アムス殿 あなたが優秀な魔術師と知りこのような手紙を差し出しました。どうか助けてください。ダリジャン国のブロンの森の東側にある神殿に魔物が集結しています。とても不気味です。どうか魔物を退治してください。すぐに来て下さい。お願いします。ブロン市民より。』 手紙にはそう書かれているだけだった。魔物退治の依頼には違いない。 しかしこの手紙を読んでティアは違和感を持った。その違和感がなんであるかは上手く説明出来ないが、今まで度々手紙でも魔物退治の依頼を受けてきた経験上から言うと、この手紙からは切迫感が伝わってこないのだ。どこが他人事のような印象を受ける。 「なんかおかしい・・・。」 しかし依頼が来た以上は出向かないわけにもいかない。 「アルク、依頼がき・・・。」 言いかけてハッとした。アルクはもうここにはいなのにいつもの習性でつい声を掛けてしまった。ティアは苦笑いをした。アルクがいないという現実を思い知らされ胸がしめつけられる。 しかしいつまでもこうして悲しんでいるわけにもいかない。これからは自分一人で生きていかなければならないし、魔物退治も自分一人で行わなければならない。いつまでもくよくよしていても仕方がない。こうしている間にもこの世界のどこかに魔物に苦しめられている人々がいるのだから。その人たちを救うのが私の使命。 ティアの体に力が沸き上がってきた。心が生き甲斐を取り戻せば体もそれについてくる。ティアはブロンの森に行くことにした。 だが攻撃はほとんどはアルクにまかせていたのでティアは攻撃する術を持たない。そこでまず手はじめに魔剣を手に入れることにした。 魔剣や魔道具の使い方は魔法学校時代に授業で嫌というほど教わった。授業だけでなく卒業してから実践として幾度かは魔剣を使ったことはある。 アルクと闘う魔物は勝ち目がないと分かるとティアに攻撃の矛先を向けてくることも少なくない。ティアは即座に自らの周りに結界を張ったり魔物を封印したりして凌いできたがそれだけでは間に合わない場合もある。その時は魔剣を手にし闘ったこともある。 アルクと比べれば戦闘能力はまだまだだがそれでも十分に戦えるくらいのレベルではあった。なので自分一人で戦おうと思えば出来る。ティアはそう考えた。 「まずはローレイ様の所で魔剣を手に入れないと。」 ティアはすぐさま出発する準備を整えた。 この町にも世界各地にも魔剣、魔道具を取り扱う店はある。しかし出来合いのものが多い。魔術師一人一人の個性に合わせて作られていない。それに『世界一の魔術師が精魂込めて魔力を注ぎ込んだ魔剣』と宣伝していたわりにはたいしたことがないのがほとんど。まがいものも多かった。なのでいまいち信用出来ない。ここはやはりローレイの元に行って自分の魔力に合った魔剣を作ってもらった方がよさそうだ。 いざ出発という時だ。 「アルク、行く・・・。」 そう言いかけてティアはまたしてもハッとした。またか・・・と自嘲気味に笑う。 ふと周りを見渡す。アルクのいない家にアルクの残り香だけが居続けている。胸が切なくなった。もうここにアルクは戻ってくることはないと何度も自分に言い聞かせているのに往生際が悪い自分が嫌になってくる。 せめて最後にもう一回、もう一度だけアルクの笑顔が見られたら・・・。ティアはアルクに会いたいと思う気持ちに踏ん切りをつける為にキッチンに向かった。 最後にもう一度だけあの笑顔が見たかったなぁ・・・そんな思いで小麦粉を手に取った。アルクが大好物だったスコーンを作り始める。アルクの笑顔を思い浮かべながら。スーコンを作り終える頃にやっとティアの決意は固まった。これで未練なくダリジャンに行ける。でもその前にどうしてもアルクに伝えたい思いがある。それを手紙に綴った。書き終えるとそっとペンを置いた。文字が涙で滲む。 だがいつまでも悲しんではいられない。自分にはやるべきことがあるのだ。ティアは無理矢理奮い立った。 これで未練なくダリジャンに行ける。 家の鍵を閉め、ローレイがいるヘロン魔法学校に向かう。 「私一人でもやれるわ。」 ティアは道中ずっとそう自分自身に強く言い聞かせていた。
ティアは寝台列車の固いベッドの上で幼い頃の夢を見た。あの日の事が夢に出てくるのは初めてである。忘れたくても忘れられないあの出来事。 あれはティアが6歳の誕生日を迎えたその日、窓の外には雪が降っていた。ティアは母親からの誕生日プレゼントを楽しみに待ちわびている。 父親の顔は知らない。ティアが1歳になった頃、病気で死んでしまったからだ。それからは母親が女手一つでティアを育てていた。生活は決して楽ではなかった。 母親は世界でも有数な結界師であった為、幼いティアを連れて世界中を旅し依頼を受け、封印や封印の解除などをしていた。それが生活の糧となっていたのだ。 その一方で、魔物の封印などは頑なに引き受けなかった。それは自分にもしものことがあった場合、娘が独りぼっちになってしまうことを案じていたのだと思う。 そんな母心を知らない他の魔術師たちは、あれほどの結界封印力を持ちながら魔物退治に関わろうとしない母親に対して「臆病者」だの「卑怯者」だの「魔術師の風上にも置けない」と辛らつに言い放った。 唇を噛みしめながら耐えている母親のスカートの裾をティアは小さい手で掴みながら心細げに母親の顔を見あげる日々。この頃の体験が自分を犠牲にしても人々を守りたいというティアの強い使命感を作り上げたのかもしれない。 いつも優しい母がくれる温かい笑顔とささやかな誕生日プレゼントを心待ちにしていたティア。 しかし6歳の誕生日のその日は違った。プレゼントはまだかと無邪気に待ちわびるティアの元に母親が近づいてきた。その顔はいつもの優しい母親の顔ではなかった。酷く深刻でとても怖い顔をしている。ティアは恐ろしさのあまり体を強張らせた。 「ママ?」 しかし母親は何も答えない。しかもよくよく見ると母親は真っ赤に色を変えた焼きごてを持っている。 ティアは得たいの知れない恐怖に襲われこの場から逃れようと踵を返した。だが母親はいきなりティアの体を掴み床に押し倒した。そしてすかさずティアの服をたくし上げ太ももを露わにしたのである。 「ママ!何をするの!」 ティアが目を見開いた瞬間、母親は真っ赤に焼けた焼きごてをティアの太ももに押し付けたのである。 「ぎゃあああああ!!」 ティアは壮絶な痛みと熱さに悲鳴を上げた。 「ママ!!やめて!!」 泣き叫びながら必死で抵抗するが母親はティアの小さな体を押さえつけ焼きごて見たこともない象形文字を刻んでいく。 「ぎゃあああああ。」 ティアの壮絶な悲鳴が響く。しかし母親はその行為をやめようとしない。ティアは気絶寸前になった。薄れゆく視界の中に映ったのは辛そうに涙を流している母親の顔だった。 「ママ・・・?」
ティアはここでハッと目を覚ました。体中に脂汗を掻いている。 「夢か・・・。」 それにしても嫌な思い出だ。いつも優しかった母があの日だけは豹変し別人のようだった。しかもあの日気絶から目覚めたら母親はいつもの母親に戻りティアの体をぎゅっと抱きしめ 「ごめんねごめんね。お母さんを許してね。」と泣きながら謝ってきたのだ。 当時のティアにも今もティアにもあの時母親がなんであんな非道なことをしたのか分からない。ティアはそっと服をたくし上げ太ももを見た。あの時受けた火傷の傷は今でも消えずに残ってしまっている。なんらかの文字の形をした傷。今のティアならこれが何かを封印するものだと分かっている。だが何を封印したのか分からない。知りたくもない、ティアはそう思っている。
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