もちろんナタリーも魔力を持つ者がソダム国に入国出来ないのは知っていた。知っていたからこそ意地悪を言ってみたくなった。そしてここから肝心の話が始まる。 「アルクはこのまま一生、魔物退治で終わるつもりなの?」 突如ナタリーはアルクを軽蔑するような目で見て切り出してきた。 「それはどういう意味だ。」 アルクの瞳の奥に不穏な色が浮かび上がる。しかしナタリーは動じない。 「近頃の魔物は魔力を減らしているそうじゃないの。知り合いの魔術師が教えてくれたわ。ここのところ魔物たちがその魔力を半減させていて人間たちに危害を加えることが出来なくなっているって。」 「だからなんだ?確かに魔力は減らしている、だが魔物は魔物だ。人間界に危害を加えようと水資源を汚染したり森を破壊したり火を放ったり、力の弱い人間をさらったりしているんだぞ。今この時でも魔物が人間を傷つけている。中には死んでしまう人間もいる。魔物が力を弱めようが人間たちにとっては脅威だ。」 「人間の方が脅威よ。」 「!」 ナタリーは言い放った。 「魔物は一度にせいぜい一人か二人傷つけるだけだけど、人間は人間を殺すときたった三日間で何万人と殺すのよ。」 「・・・・。」 「ついこの間ソダム国とタイラ国との戦争が終結したのはあなたも知っているわよね。ソダム騎士団率いるソダム国が圧倒的な勝利を収めたけれどそれでも両国民の犠牲者は一万人よ。しかも敗戦国のタイラ国ではソダム国への恨みがくすぶっていていつまた戦争の火種がつくか分からない。そうなったらまた大勢の人の命が犠牲になるのよ。」 「言いたいことは分かる。しかし一人死のうが何万人死のうが大切な人を失った遺族の悲しみは等しく大きく深いものだ。魔物にやられようが人間にやられようが同じ。遺族の悲しみの深さに死者の数なんて関係ない。失ってしまった大切な人はこの世に一人しかいないのだから。」 「だからってあなたは死ななくていい人間を見捨てるの?魔物が人間を一人殺している間に人間は何百人という人間を殺すのよ。そのことを知りながらあなたは何もしないの。」 「俺がソダムに行ったからってなんになる!!」 「なるわよ!あなたがソダム騎士団にいるというだけで抑止力になるの。タイラ国も反乱を起こすのをやめようと思うかもしれない。」 「・・・。」 アルクは戸惑った。ナタリーは自分のことを買いかぶりすぎだと思った。 アルクの名だけで戦争が止まるほど世界は甘くないのだ。 実はそれはナタリーも分かっていることだった。アルクがソダム騎士団に入隊したところで戦争が止まることはない、ナタリーにアルクの勧誘を任せたソダム王だとて期待していない。 ソダム王が欲しいのはソダム騎士団の新しい顔、新しい風なのだ。
近頃のソダム騎士団は権力を肥大させ傲慢になってきている。我々が国を守っているという自負がいつの間にか国民や王の命を守ってやっているという傲慢にすり替わり、国民や王に対して横暴な態度をとるようになっていた。 ソダム国民はソダム騎士団への不信感を露わにして騎士団を解散させろとまで国王に嘆願してくる始末だ。王は困り果てた。確かにソダム騎士団の横暴さは目に余る。 しかしだからといって解散させた瞬間他国が攻め入って来る。ソダム騎士団という名が抑止力になっていることは確かなのだ。 そこで王は考えた。騎士団を解散させるのではなく騎士団の顔とも言える団長を変えようと。団長も副団長も今のソダム騎士団の色に染まり切って高飛車でとても国王の命令を聞きそうにもない。 ならばと国王である自分の命令に従順に従い、なおかつ国民の憤る気持ちを抑えられる有望な騎士を知らないかと愛人であるナタリーに聞いてみたら 「アルクという優秀な騎士を知っているわ。その者を団長にしたらどう?」と言ってきたのだ。 かくして国王はナタリーにアルク勧誘の命を下したのである。
しかしナタリーはアルクが団長候補であることを隠した。そんなことを言えば名誉にも地位にも興味ないアルクが断るのは目に見えている。だから人間から人間を守るという大義をちらつかせアルクに了解させようとした。 だがアルクは。 「この話は聞かなかったことにする。悪いが他をあたってくれ。」 にべもなく断った。ナタリーは憤慨する。 「なぜよ!!ソダム騎士団という名誉が欲しくないの?!ソダム騎士団に入れば金も女も思いのままよ!」 ナタリーは思わず本音を漏らしてしまった。 「それがお前の本音か。」 アルクが軽蔑するようにナタリーを見ながら吐き捨てた。ナタリーはしまったと口を噤んだ。その時脳裏を掠めたのが自分はティアに守られているから安心して闘えると言った時のアルクの顔。 「ティアと離れるのが嫌なのね。情けない男。」 ナタリーの瞳に嫉妬の炎が燃え上がる。ナタリーの中に自分への侮蔑とティアに対する嫉妬を見出したアルクは危険を感じた。 「ティアは関係ない。ティアがいようがいまいが俺は入隊しない。ソダム騎士団に興味がないだけだ。」 ソダム騎士団に興味がないのは本音だ。とはいえティアと離れたくないというのが一番の理由だが。ナタリーはアルクの瞳の奥を覗き込むように見つめる。 一方、ティアは二人がどんな会話をしているのか分からない。ちょっと離れた柱の陰から二人を見ているので声がこちらまで届いてこないのだ。 「何を真剣な表情で話しているんだろう・・・。」 ティアは不安になった。 すると突然ナタリーがその場にしゃがみこんだ。驚くアルク。 「どうした?気分でも悪いのか?」 アルクもしゃがみこんでナタリーの顔を見ながら気遣った。それがあだになった。ナタリーはアルクの頬に手を添えたかと思うといきなりキスをしたのだ。 「!!」 アルクは瞬時に思考回路を停止してしまった。体が固まり愕然をしている。 その場面を見てしまったティアの心臓が飛び出さんばかりに高鳴った。胸がズキズキと痛みだす。血圧が上昇し涙があふれてくる。この動揺はただ事ではない。 自分の体の異変についていけなくなったティアはいたたまれなくなって慌ててその場を離れた。逃げるようにして家路を急ぐ。瞳には涙が滲んでいた。 アルクは生まれて初めての女性との口づけに酷く動揺していた。しかしちっとも気持ちいいとか嬉しいという気持ちが沸き上がらない。それどころか嫌悪感しかないのだ。 「離せ!!」 アルクはナタリーの肩を掴んで突き放した。ナタリーは何事もなかったような涼し気な顔でからかう。 「なによキスぐらいで動揺して。うぶねぇ。」 「なぜこんなことを!」 「アルクは私の初恋だったのよ。だからキスしたの。したかったから。」 もちろんこれはナタリーの嘘だ。 当時8歳のナタリーに初恋の認識はない。色仕掛けでアルクを堕とそうとしたのだ。これまでナタリーの色仕掛けに堕ちなかった男はいない。ソダム国王でさえ堕ちたのだ。ナタリーは男は皆自分の思い通りになると信じて疑わない。 だがアルクはそうではなかった。 「二度とこんな馬鹿な真似はするな!」 アルクはナタリーを激しく拒絶しながら軽蔑するようなまなざしを放った。 「二度と俺の前に姿を現すな!」 そう冷たく言い放ってナタリーを置き去りしてその場から立ち去ったのである。 残されたナタリーの女としてのプライドはズタズタだった。再び燃え上がるティアへの嫉妬の炎。ティアがいる限りアルクは騎士団には入らない。 だが裏を返せば騎士団に行けとティアに言わせればアルクはナタリーの思い通りになる。ナタリーの口角が嫌らしく陰険に上がった。
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