その日の朝はいつもと同じように始まった。 ティアとアルクは日の出が上がる前から愛馬の世話をし、それが終わると畑仕事を始めた。朝の生まれたての新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込むと体まで洗われるようで清々しい。 二人は畑仕事に没頭し、それを終える頃にはお昼近くになっていた。アルクは額の汗を拭いながら 「そろそろ昼飯の時間だな。今日の昼飯は俺が作るよ。ティアの大好物のガーリックたっぷりパスタだ。」 「本当?楽しみ!」 ティアは満面の笑顔を向けた。それを見ただけでアルクの心が温まる。二人は早速家の中に入った。アルクはキッチンに向かいティアも料理の手伝いをしようとパスタを茹でるお湯を沸かし始める。 「あっ?」 野菜棚を探っていたアルクが突如素っ頓狂な声を上げた。 「どうしたの?」 「肝心のガーリックがない。そういえばこの前、酒のつまみにガーリック焼きを作ったんだっけ。」 「そういえばそうね。私ちょっと買ってくる。」 「いや俺が買ってくるよ。ティアは適当にサラダでも作っていてくれ。」 「分かった。」 アルクは急いで上着を身に着け出かけた。レタスを洗い始めたティアが何気にテーブルの方を振り返った。テーブルの上にはアルクが置き忘れた財布がある。 「全くもう、お金を持っていくのを忘れるなんて。」 ティアは半分呆れながらエプロンを外し急いでアルクの後を追った。 アルクは町の商店街に到着すると一目散に八百屋に向かう。早くティアの喜ぶ顔が見たくてそわそわしながら先を急いだ。 「もしかしてあなたアルク?」 突然呼び止められた。アルクが驚いて声の方を振り向くと一人の女性がこちらを見て微笑んでいる。 「あなたは?」 「私はナタリー・ミサよ。覚えていないの?」 そうは言われても全くこの女性に見覚えがない。 このナタリーという女性は女らしさをこれでもかと醸し出していて道をゆく男たちの視線を独り占めにしている。こぼれんばかりの豊満なバストを見せつけるように大きく胸の開いた服を着ている。ボディーラインも男好きしそうなカーブを描き匂い立つような色気だ。 旦那や彼氏がナタリーに視線を釘付けにするものだから隣にいる女房や彼女が嫉妬している。 でもこれはナタリーにとっては毎度おなじみの風景。長い金髪を揺らしながらアルクに近づいていく。ナタリーは身長がそれほど高くなく155cmくらいなので190cmのアルクとはだいぶ身長差がある。ナタリーは塔のようなアルクを上目遣いで見つめた。 一方アルクはいうと名前を聞いても思い出せない。それどころかすごい身長差だなぁとぼんやりと考えていた。ティアは171cmあるのでアルクと並んでもちょうど釣り合いが取れているのだ。 「本当に覚えていないのね。まぁ仕方ないか。騎士学校にいた時に隣の席にいただけですもの。」 「騎士学校・・・。」 そのキーワードで思い出した。隣の席がナタリーという女の子だった。当時8歳、覚えているもなにもその頃の面影さえないのにどうやって思い出せというのだろう。 ナタリーは女でありながら騎士学校に入門してきたのだ。でもそれはナタリーの意志ではなく親に無理やり入学させられた。代々優秀な騎士を輩出する名門の家に生まれてきたというだけで男も女も関係なく騎士見習いをさせられる。 しかしナタリーは運動神経が悪く、また騎士という職に全く興味がないので訓練もまったく身に入らず学校を卒業することなく14歳で中退した。 「アルクは8歳にして騎士の才能を開花させていたわよね、でもいきなり魔法学校に転校していったのでびっくりしたわよ。あなた魔法なんて全然使えないのによく行く気になったわよね。」 アルクは入学当初の思い出したくないあの頃のことを持ち出されていい気はしない。もっともナタリーは魔術学校でアルクがどのように過ごしていたかは知らないだろう。アルクは一刻も早くこの場から離れたくて 「それじゃあ・・・。」と行こうとした。だがナタリーはそうはさせまいといきなりアルクの腕に自分の腕を絡ませる。 「何を・・・?」 ナタリーの図々しい行動に対しアルクは怪訝そうに眉をしかめた。 そこへちょうどティアが息を切らせてやってきた。アルクに追いついたのだ。 「アル・・・。」 呼びかけようとしたが思わず足が止まった。アルクが見知らぬ女性と腕を組んでいるのを目撃してしまったからだ。途端にティアの胸がズキッと音を立てた。どうしていいか分からずその場に立ちすくむ。アルクはティアが見ていることに全く気付いていない。するとナタリーは 「ちょっと大事な話があるのよ。その為に遥々ここまでやってきたんだから。これからあなたの家に向かおうと思っていたけどここで会えるなんて運命を感じちゃう。」 ナタリーは浮足立ちながらぐいぐいとアルクを路地裏に引っ張っていく。 「何をする!」 アルクはいささか苛立ってナタリーを咎めた。 「いいからいいから。他人にこの話を聞かれたくないのよ。」 ナタリーに引っ張られながら路地裏に入っていくアルクを見たティアは心中穏やかではない。もやもやする気持ちを抑えながら思わず二人の後を追いかけてしまった。アルクたちはティアの存在にまだ気づかずにいる。狭い路地裏に入った途端ナタリーは早速話を始めた。 「あなたの噂は聞いてるわ。優秀な結界師と組んで魔物退治をしているんですってね。腕が立つともっぱらの評判よ。」 「そりゃあどうも。」 アルクは全く興味なさに返した。それよりも一刻も早くガーリックを買ってティアの所へ帰りたい、頭の中はそればかりだ。 「話はそれだけか?それなら俺はもう行く。」 「ちょっと待ってよ。私はあなたをスカウトに来たのよ。」 「スカウト?」 アルクはナタリーを怪訝そうに見下ろす。 「アルク、あなたソダム騎士団に入隊する気はない?」 「ソダム騎士団に?」 ソダム騎士団とは世界でも有数な勇敢さを誇る騎士団だ。ソダム国お抱えの騎士団だが並みいる列強国の騎士団を退け騎士団のトップに立つ。 さらに魔物退治も引き受けるのでその勇敢さと名誉は世界中に知られるところとなっている。ソダム騎士団所属というだけで皆から尊敬のまなざしで見られ鼻高々になれるのである。ナタリーはその騎士団への入隊を勧めてきたのだ。 「なぜ俺に?」 アルクが不思議に思うのも仕方がない。ソダム騎士団の入隊希望者は後を絶たないのだ。入隊しただけで地位と名誉が手に入るのだから無理もない。 しかしソダム騎士団に入隊するのは難関中の難関。並みの騎士は門前払い、よその騎士団長を務めていた者でさえ入隊を拒まれるほど。それほどに狭き門になっている。 「ソダム王の意向よ。」 「ソダム王の?」 「さっきも言った通り、あなたの腕の確かさは世界中に広まっているのよ。ソダム王の耳に入ってもおかしくないわ。王はあなたを騎士団に入隊させたいと指名したのよ。」 「仮に俺が有名なのだとしたらそれはティアのおかげだ。ティアが常に俺の傍にいて守ってくれるから俺は安心して戦える。」 ナタリーはティアという名を聞いて目の色を変えた。明らかに敵意を燃やしている。 「ティアね、知っているわよ。素晴らしい結界師で数々の魔物を退治してきたんでしょう。」 「知っているなら話は早い。俺はティアと離れるつもりは全くないし、騎士団にも入らない。」 アルクは言い切った。ナタリーの表情が曇る。 ソダム国は海の向こうの遠い国だ。汽車と船に乗って5日間はかかる。それにソダム騎士団が出向く戦場に女は連れていけないのは当然として両性体でさえその場にいることを禁止されているのだ。もとより戦場なんて危険な場所にティアを連れて行くなんてとんでもないと思っているが。 「第一、ソダム騎士団に入って何をしろというのだ。戦争でもしろというのか。」 アルクは意味がないことにこれ以上時間は潰せないと言いたげにその場から立ち去ろうとした。しかしナタリーがそれを許すはずがなく。 「それならティアも一緒に連れていけばいいじゃない?」 ナタリーが意味深な表情で勧めてきた。アルクはムッとした表情になる。 「それが出来ないことぐらいあんたも知っているはずだが?」
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