リキン村が近づいてきているのは大気の匂いで分かった。大気の中に焦げ臭いが混じっているのに気づいたからだ。 「これは酷いことになってそうね。」 「あぁ・・・。」 ティアとアルクは警戒心を強めた。 それから5分ほど走った頃だろうか、ヒヒヒンという馬のいななきと共に馬車が突然止まった。思わず二人がつんのめった。 「どうしたんですか!?」 御者になにかあったのかと焦って聞けば御者は申し訳なさそうな表情をしている。 「悪いが案内出来るのはここまでだ。俺だって命は惜しいさ。それに馬も怖がってこの先へは行きたがらない。ここからは歩いていってくれ。」 「ここまでで十分だわ、ありがとう。」 ティアは颯爽と立ち上がり馬車から降りた。それにアルクも続く。道の消失点にある空が赤く染まっている。リキン村はそこにあるに違いない。 「行くわよ。アルク。」 「了解!」 二人は怯えることなく前に歩き出した。御者はそれを見て安心したのかホッとため息をついた。馬車は来た道を引き返していく。
リキン村の入り口に辿り着いた。それはそれは酷いありさまだ。家という家が焼かれ、炭と変わり果てていた。焦げ臭い匂いが辺りに充満している。黒い煙がそこら中から立ち上り視界をいっそう悪くしている。 「魔毒は吐いてないようね。」 「あぁ、それに炎自体は人間界のものと同じだ。これで考えられるのはおそらく『ヒハイエナ』か。」 「おそらく。」 ティアもアルクの考えに同意した。そこへどこかに隠れていた村人が一斉に飛び出してきてティアたちの元へ駆け寄って来た。 「あんたたちも魔術師かい!?」 「はい、私がティア・アムス。隣にいるのがアルク・サ・・・。」 「自己紹介はいいから早く!早くあの魔物を退治してくれ!このままでは村は全滅だ!」 村人たちは憔悴しきっている。はたまた怒りで打ち震えている者もいる。 「村の人たちは大丈夫ですか?怪我は?」 ティアが落ち着いた様子で尋ねると 「10人ほどひどい火傷を負っている。だが今のところすぐに避難させたので死者は出ていない。」 死者は出ていないと言う報告にティアとアルクはひとまず安堵した。しかしすぐに気を引き締める。 「あなたたちは出来るだけ遠くに避難していてください。退治が終わったと同時に鎮火を開始したいので出来るだけ大量の水を用意していてください。」 ティアの指令に村人たちは強く頷いた。それを見届けたアルクが。 「行くぞティア!」 「OK!」 二人は炎で燃え盛る村の中へと足を踏み入れた。しかし体中がとても熱い。炎に直接触れていなくても肌が焼けてしまいそうだ。 「熱いな・・・。」 アルクが呟いた。するとすかさずティアが体中から魔力を立ち上らせ 「零度結界発動。」 次の瞬間結界が二人の体を包み込んだ。おかげで火の粉もかからないし火も届かない。それどころか熱さがだいぶ和らいだ気がする。 「結界の表面の温度を下げたのか。」 「えぇ。出来るだけ下げてみたわ。攻撃系ではないから水は操れないけど。」 「いや、これだけ温度が下がれば十分だ。零度くらいにはなっているようだ。」 「でもこの炎の中ではこれ以上温度を下げるのは無理よ。火が中に入ってこれないようには出来るけど、温度はこれ以上どうしようも出来ない。」 「じゃあ、早急にかたをつけるか。」 「頼んだわ。」 アルクがきっぱりと言い切り、それに当たり前のように受け止めるティア。二人は今まで何度もこのような死線を共に超えてきたのだ。
充満する煙で視界はだいぶ悪いが、煙の向こうに魔物の姿が浮かび上がった。 やはりヒハイエナだ。ヒハイエナとはこの世界のハイエナとよく似た姿をしている。違いといえば口元から大きくはみ出た鋭く太い牙くらいだ。体格差もさほどない。でもそれは姿形だけのこと。中身は大いに違っている。 このヒハイエナは体の中に火を作り出しそれを口から噴射することが出来るのだ。だから火ハイエナと呼ばれている。ヒハイエナは手当たりしだいにそこらじゅうの物に火を吹き付け燃え上がらせていたが、ティアたちの姿がふと目に入り、ひとまず火を噴くのをやめた。 「ヒハイエナ!なぜこんなことをする!こんなことをしてもお前になんの得もないはずだ!」 アルクが諭すように叫んだ。ヒハイエナは答えない。ただ殺意に満ちた目でアルクとティアを睨むばかりだ。 「ここを焼け野原にしてどうするつもり?あなたにとっても誰にとっても得にもならないわ。」 今度はティアが説得を試みる。ようやくヒハイエナが口を開いた。 「得だと?そんなものはなから欲しくない!これは人間たちへの鬱晴らしだ!」 「また鬱憤晴らしか・・・。」 二人はそれを聞いてまたか・・・とうんざりした。数か月前に退治したドムナも同じようなことを言っていたからだ。ヒハイエナはそれに構わず続けた。 「魔王さえ人間界に降臨出来れば貴様ら人間たちなど一瞬で灰に出来るものを・・・・!」 「魔王が・・・。」 ティアがそう呟いた時だ。なんの前触れもなくヒハイエナは二人めがけて飛び掛かって来た。 「!!」 ティアとアルクは身構えた。しかしヒハイエナは突如急ブレーキをかけ二人の前で止まった。 「結界か!こざかしい!」 ヒハイエナは忌々し気に吐き捨てた。そして結界に向かって火を噴射し始めたのである。もちろん火は結界の中に入ってこられない。だが熱となると別だ。結界の中の温度が急上昇していく。 「このままではまずいな。ふたりとも燻製になってしまうぞ。」 「冗談言っていないで!ヒハイエナが火を噴き続けることが出来るのはせいぜい一分よ。火が途切れた時が反撃のチャンスだわ。」 「分かっているさ。火が途切れたらすぐに結界を解いてくれ。」 「了解!」 ヒハイエナが火を吐き続けて一分が経過した時だ。 ケホッ・・・。 火を出し切ってむせたようだ。 「今よ!!」 ティアがすぐさま結界を解いた。それと同時にアルクが飛び出す。 「なっ・・・!?」 ヒハイエナが驚き目を剥いた瞬間、アルクは魔剣でヒハイエナの喉元を突き刺した。 グアウアアア・・・!! ヒハイエナはのたうち回る。ヒハイエナの一瞬の隙をついてここしかないという場所を的確に狙い魔剣を突き刺すアルクの腕前は相当なものだ。 ヒハイエナは喉元を破壊されたらもう火を噴くことが出来ない。こうなったら人間界のハイエナとなんら変わらなくなってしまうのだ。アルクはおもむろにヒハイエナに近づき魔剣を引き抜いた。喉元から緑色の血が噴き出す。 「貴様・・・ら・・・!」 ヒハイエナは恨めしそうにアルクを睨みつけた。だがアルクは動じない。 「お前はもうただのハイエナだ。大人しく魔界へ帰れ。ここにはもうお前の居場所はない。」 「そうは行くか・・・!!」 ヒハイエナは渾身の力を振り絞って再び攻撃に転じた。 「アルク!」 ティアが驚いて声を上げた。だがアルクは落ち着き払っている。しかも 「大丈夫だ、結界は必要ない。」 アルクの言う通りだった。ヒハイエナは牙を剥きだしにしてアルクに襲いかかるが牙はアルクの肌どころか服にさえかすらない。アルクは華麗にヒハイエナの攻撃をかわしている。 それでも諦めずに襲いかかろうとするヒハイエナの姿が二人の目には哀れな生き物のように映った。 緑色の血を辺りに散らかしながら必死に飛び掛かるヒハイエナと最小限の動きでそれを見事にかわすアルクではあまりに力の差が歴然だ。 「もう諦めなさい、ヒハイエナ。アルクには敵わないわ。」 ティアは同情したのか宥めるような優しさで声を掛けた。 ヒハイエナ自身も分かっていること。火を吐けなくなったらもうおしまいだ。このままただのハイエナとなって人間界に残り、ライオンなどが食べ残した草食動物の肉の欠片を食い漁るか、魔界に帰って魔物たちに蔑まされながら八つ裂きにされるか、二つに一つしか道はない。 そんなヒハイエナの心境を察したのか、アルクは 「人間界で生きていくのも悪くはないぜ?ライオンの食べ残しを漁る暮らしになってもこの世界のハイエナはそうやって生きているんだ。生きていく為に必要なことをやることは決して恥ではない。どんな生き方でも生きていくのにそれが必要ならそれに従え。ただし人間を殺したり傷つけたりすることだけは許さん。そんなのはハイエナの生き方に組み込まれていないからな。興味本位でやってはいけないことをしたら今度こそ俺たちはお前を抹殺する。」 アルクの覚悟めいた芯のある眼差しがヒハイエナの胸を貫く。
ヒハイエナの喉からひゅうひゅと息が漏れる音がする。ヒハイエナは迷っていた。このままここで人間を傷つけずにハイエナのように暮らすか、はたまた魔界に帰ってみせしめのように殺されるか。 ヒハイエナは結論を出した。例え殺されようとこの人間界で自分より弱い動物たちのおこぼれを貰いながら生き延びるのはまっぴらごめんだ。ヒハイエナとしてのプライドがそれを許さなかった。 「人間から情けなど受けない!!」 そう叫ぶとヒハイエナはティアに向かって飛び掛かった。間髪入れずにアルクの魔剣がヒハイエナの心臓を貫いた。 「グッ・・・・!」 ヒハイエナの口から大量の血が溢れた。体は力なく落ちていき地面に叩きつけられる。もはやヒハイエナは虫の息だ。 「なんて愚かなことを・・・。」 アルクは沈痛な面持ちで呟き魔剣を体から引き抜いた。ヒハイエナは息も絶え絶えに 「これで・・・いい。これが俺の死に方・・・だ。人間の情けなど無用。・・・魔王の器さえ見つかればお前ら人間は・・・終わり・・・。それを見届けられないのはざん・・・。」 ヒハイエナはそう言い残して息絶えた。 アルクとティアは悲しい気持ちでヒハイエナの最期を見届けた。
ヒハイエナは自害したのだ。ティアを攻撃した所で結界を張られて終わりなのは分かり切っていた。でも攻撃すれば必ずアルクがとどめを刺しにくるだろう、ヒハイエナはそれを狙ったのだ。人間界でハイエナのように生きることよりも最期まで人間を敵とする魔物でいることを選んだヒハイエナ。 それはカウナやヨハイと全く対照的な生きざまだ。 カウナとヨハイは愛する者を魔物によって理不尽に殺された過去がある。だからその復讐の為に人間に協力している。それはいわば魔物としての自分を捨てたのだ。
一方ヒハイエナは魔物であることにこだわり続け、死を選んだ。同じ魔物でもこうも違う。 いや同じか。捨てたくないものが違うだけ。ヒハイエナは魔物としての自分を捨てたくなかった、カウナとヨハイは母親としての自分を、恋人としての自分を捨てたくない。そしてどちらの生き方を選ぼうが個人の勝手だ。 しかしティアとアルクは人間だ。人間だからこそこの世界を守りたい。この世界が魔物たちのおもちゃにされることなくいつまでも平和であり続けることこそが一番の願い。 ヒハイエナの遺体は崩れ、砂となり熱風に煽られ舞い上がった。そして炎で赤く染まった空へと消えていく。その姿をティアとアルクは切ない気持ちで見送った。
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