ティアとアルクは町並みを抜け草原の中を一陣の風のように駆け抜けていく。二人が向かっているタクトの湖はチャオロ国の南の端にあってとても美しい湖だ。大きさこそはそれほどでもないが森林の淵にあって鳥や草食動物の憩いの場になっている。それだけではなくここら辺一帯の住民たちの貴重な水資源になっているのだ。 タクトの湖が見えて来た。ティアが空気の中にとある魔物が持つ独特の匂いが混じっていることに気づき警戒する。 「アルク!この匂いは・・・!」 「あぁ、奴に違いない。」 アルクも分かっているようだ。 数十人の町民はどうすればいいか分からず狼狽しながら湖の岸の藪の茂みの中から湖を覗き込んでいる。 「皆!危険だから今すぐここから離れて!!なるべく遠くに!!」 ティアが叫んだ。その声を聞いた皆が一斉に振り向き喜びに沸き立つ。 「ティア!!アルク!!」 「おぉ二人がくれば大丈夫だ。」 「ティア!アルク!早く!」 町民たちの横を駆け抜けていく二人。 「早く避難して!!」 ティアが命じると皆は我先にと一斉に避難しはじめた。 湖に辿り着いた。岸辺には魔物がいた。トカゲをグロテスクに巨大化したような姿形で二本足で立っていて鋭い牙も見える。口から黒い液体のようなものを湖の中に吐き出している。いつもなら透明感あふれる綺麗な湖面が黒く汚されていくのが見えた。ティアとアルクは馬から飛び降りて魔物に近づく。 「やめなさい!!」 ティアが魔物に向かって叫んだ。しかし魔物は一瞥しただけで吐くことをやめない。 「やっぱりドムナか。となるとあの液体は魔毒だな。」 「アルク、魔毒が体にかからないように気を付けて。」 「分かっている。」 アルクとティアは警戒しながらドムナににじり寄った。魔毒とはドムナと呼ばれる魔物の吐しゃ物で、それは人間や動物にとって毒なのだ。肌に触れただけでそこからただれ細胞が溶けていく。とても危険な液体だ。 湖を住処にしている小魚たちが腹を上にしてぷかぷか浮いている。死んでいるのだ。 ティアの表情がたちまち険しくなった。 「ドムナはこの湖を汚染して使いものにならなくさせる気だ。許せない!!」 ティアの体から魔力が立ち上る。 「アルク、これ以上被害が広がらないように魔毒を結界の中に閉じ込めるわ。」 「了解!俺は奴を仕留める。でも水中にも結界張れるか?」 「もちろん!」 ティアは自信満々にドムナを見据えながら言い切った。それを見たアルクはニヤリと口角を上げる。そして 「行くぞ!!」 「OK!」 アルクは腰に下げている鞘から魔剣を抜くと一気に踏み込んだ。光のような速さでドムナの懐に入り込む。 「!!?」 ドムナはアルクのあまりの動きの速さに驚愕し目を見開いたまま固まってしまった。アルクはすかさず魔剣で斬りつけた。 しかしドムナは間一髪のところで魔剣をかわす。アルクはすかさず次の攻撃に出た。ドムナが魔剣をよけてよろめいたところに強烈な蹴りを入れた。蹴りはドムナの体にヒットし、ドムナは地面に叩きつけられ石ころのように転がった。魔物とアルクの力の差は歴然だ。アルクは間髪入れずに跳びあがりドムナの胸めがけて魔剣を突き刺した。 「グァアアアァ・・・!」 この世のものとは思えないほどの薄気味悪い呻き声があがる。 一方ティアは魔毒がこれ以上拡散しないように結界の中に閉じ込めた。水中を漂う魔毒も行き場をなくして結界の中に留まっている。アルクは噴火しそうな怒りを抑えながらドムナを問い詰める。 「なぜこんなことをした。」 「はぁはぁ・・・魔王の器さえ見つかれば・・・!ぐっ・・!人間ごときにやられは・・・しないのに・・・はぁはぁ。」 今度はドムナの口から魔毒ではなく緑色の血が零れだした。息苦しそうにしながらも恨み言を吐いた。 「魔王の器?」 アルクは一考えこんでしまった。それが油断に繋がってしまう。一瞬の隙をついたドムナの刃のような鋭い尻尾がアルクめがけて突っ込んできた。 「しまっ・・・」 アルクの魔剣はドムナの体に突き刺さっていてすぐには抜けない。次の瞬間、アルクの体の周りに閃光が走った。 「なっ・・・!?」 ドムナの驚きの声が上がったと思ったとたんドムナの体は何かに弾かれたように吹き飛んだ。ティアの仕業だ。ドムナの尻尾がアルクの体に到達する寸前にアルクの周りに瞬時に結界を張ったのだ。 アルクはほっと胸をなでおろした。 「サンキュー、ティア。」 「どういたしまして。」 アルクは吹き飛んだドムナの体の上にまたがった。そして胸に刺さったままの魔剣の鞘に手を添える。 「何か言い残すことは。」 ドムナは恨めしそうにアルクを見上げ 「もうすぐ人間どもは・・・終わり・・・だ。」 「終わりなのは貴様だ。」 アルクは冷たく言い放つと渾身の力を込めて魔剣をさらに奥へ突き刺した。 「ぐわあああああぁああ・・・・」 ドムナの断末魔。やがて魔物の体はどんどん化石化し砂となって風に乗って消え去った。ティアはアルクの傍に駆け寄った。アルクは地面に突き刺さった魔剣を引き抜き鞘に納めた。 「水資源の汚染か・・・。人間への嫌がらせにしても悪趣味過ぎるな。」 「なんかもう追い込まれて切羽詰まっている感じ。あまりいい兆候ではないわね。」 ティアが警戒心を募らせている。それにはアルクも同意だった。すると茂みの中から安堵した町民たちがわらわらと這い出てきた。ティアが驚く。 「危険だから避難してと言ったのに。」 ティアが呆れて言えば 「ティアとアルクがいれば大丈夫だから。」と涼しい顔で答える町民たち。 ティアとアルクは顔を見合わせて苦笑いした。しかしティアはすぐにキリっとした表情になる。 「魔毒は結界内に留めているけれどこのままにはしておけない。アルク、ホゼ様を呼んできて。浄化してもらおう。」 「分かった。」 アルクはすぐさま馬にまたがりホゼを呼びに町へと走っていった。 ホゼとは4年前にこの国にやってきた治癒系の魔術師だ。元々ヘロン学校の教師であったが定年退職をした機にティアたちがいるこの風光明媚な国で残りの人生を過ごすことにしたらしい。治癒系だから魔毒で汚された人や物を浄化することが出来るのだ。 30分も経たない内にアルクはホゼを連れて舞い戻って来た。ホゼは湖を目の前にして白い眉を顰めた。長いあごひげも白髪になっており結構な年齢なのは見て取れる。 「こりゃあまぁ魔物もだいそれたことをしたもんだ。魔毒がこの範囲で収まっているのはティアの結界のおかげだな。これ以上、魔毒が湖を浸食していたらいくらわしでも浄化は難しかったぞ。相変わらずティアが作り出す結界は素晴らしい。さすが我が生徒じゃ。まぁほとんどわしが育てたようなものじゃが。」 ホゼは感心したように自慢のあごひげを撫でながら呟いた。 「そんなことはいいから早く浄化してください、ホゼ様。」 ティアが急かした。 「分かっておるって。」 ホゼはやれやれとため息をついた後、目を閉じて集中し始めた。 その体から温かいオレンジ色の光があふれ出す。そしておもむろに手を湖の中に突っ込んだ。するとオレンジ色の光は湖面を光の速さで走り出した。光が湖全体を包み込む。 「うわぁ・・・。」 「すごい・・・。」 町民たちは感嘆の声を上げた。すると黒くなっていた部分がたちまち元の美しい透明感を取り戻していった。 「浄化完了。」 ホゼが宣言した。湖はすっかり元通りだ。町民たちは飛び上がって喜んだ。 「ホゼ様の治癒浄化力は相変わらず素晴らしいですね。」 ティアが感心しながら言った。アルクもそれに続く。 「ホゼ様なら国中の病人や怪我人をたちまち治してしまいそうですね。」 「褒めても何も出ないぞ。というのは冗談だが。まぁたいがいの怪我人や病人は治せるが治せない場合もあるぞ。」 「ホゼ様の力を持ってしてもですか。よっぽど重傷とか、まぁ死人は蘇らせられないだろうけど。」 「術師が魔力を発動させたいと思うかどうかじゃな。怪我した相手を救いたいと心から願えば大抵の傷を治せる。反対に傷を治すことを望まなければ自分自身のかすり傷さえ治せない。生きたいと思わなければいくら有能な治癒系だろうが生きられない、死ぬだけじゃ。」 「治癒系の魔力の発動には相手を救いたいと心から願うこと、自分自身が生きたいと心から願うことが必要なんですね。」 ティアは感慨深げに尋ねた。 「そうだ。生きる権利というものはそれを望む者に与えられるということじゃ。だから生きたいと思うことが大切なんだぞ。」 「はい。」 アルクとティアがホゼの言葉を心に留めた。 「それはそうとドムナは死ぬ間際何か言い残していったりしなかったかのう。大体は人間への恨み辛みなのは想像出来るが。」 「そういえば・・・。」 アルクが思い起こす。 「魔王の器がどうのこうのって。」 「!!」 アルクの言葉を聞いた途端ホゼの顔色が変わった。深刻な表情で考え込んでしまう。 「ホゼ?」 「いや、なんでもない。他には?」 「人間はもうすぐ終わりだとも言っていました。」 「そうか、それはいつものことじゃな。負け惜しみじゃ。」 「ホゼ、魔王の器とはなんのことですか?ホゼは何か知っているのですか?」 ティアが不安そうな表情で聞いてきた。魔王と聞けば見過ごせない。魔物たちの頂点に立ち魔物たちの力に多大な影響力を与えているのだから。 「いや、お前たちは案ずるな。治癒系の者にしか関わりのないことじゃ。お前たちは何の心配もせず魔物撃退に励んでくれ。」 「でも・・・。」 「この話は終わりじゃ。わしも年だから力を使うと腰にくるのじゃよ。早く家に帰ってじいさん相手にチェスをしたい。全くわしの周りにはくたばりぞこないの爺さんしかいない、華がなくて困ったもんだ。」 「ホゼ様もお爺さんじゃないですか。人のこと言えないですよ。」 アルクが言えば 「そうだった、わはは、いや失敬失敬。わしは帰るとする。みんなも家へ帰りなさい。」 「はーい。」 町民たちは安堵して町へと戻っていった。 だが二人はいまいち納得がいかない。 魔王の器とは一体なんなのか、治癒系が魔王とどんな関りがあるというのか。治癒系が関係あるというならホゼもそうだ。もしホゼに何かあったら・・・。疑念と不安は尽きない。しかし飄々としているホゼは最後まで茶化して教えてくれなかった。
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