新幹線の高架下、寄り添うように伸びる道の上をゆっくりと歩いていく。 あの日と同じ歩幅、同じ角度で空を見上げてみる。 青い。 やっぱりあの日となんら変わりない優しい青空が広がっている。 しかし青の奥深さも太陽の輝きも雲が流れていく速度も思い出に残っているものそのままなのに 心に湧いてきた感情はあの日のものとは違っていた。 気ままに旅する雲に頑張れば追いつけそうな気がしたあの日と あの雲には一生追いつけない、追いつけないどころか置いて行かれるばかりだと悟った今。 この差が年を取るということなのか。 諦めるということなのか。 諦めるということは雲のしっぽは掴めないと自覚をすることだ。 雲の正体を知り雲は掴めないという知識を身につけた大人は、雲の上で飛び跳ねたり寝転がりたいという憧れを抱いたままの子供には敵わない。 雲を掴むには子供のような無謀さが必要だから。
あぁでも私は諦めが悪く今日まで願ってきた。 夢が現実になるようにと毎日願ってきて出た結果は 「叶わない。」 叶わないまま何千回、何万回と太陽は東から上り西へと沈んでいく。 私が今見上げているのは雲の形をしたこれまでの勘違いの残骸なのだ。 しかしその一方で仮に私が特殊な能力者だったら夢が叶ったのかもなんてまた勘違いなことを考えている。 そんなことを考える前にもっと努力していればよかった。 努力するのに手遅れなんてことはないけれど。
雲は私のことなどちっとも振り返らず今この時も進んでいく。 努力するのに手遅れなんてことはないはずだという理想的な言葉だけを青空の中に描きながら。 でもまぁせっかくだからもうちょっと勘違いを続けてみますか。 勘違いでも諦めずに積み重ねていけばいつかあの雲に追いつけるかもしれない。 勘違いの下駄でも履けば少しは背も高くなりあの雲に近づける。
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