昔からあるパン屋のクリームパンみたいな夏の午後。 クリーム色の甘く柔らかな日差しが萱に降り注ぎ どこか懐かしい香りがする風がきらきらと輝く川の水面をざわめかせる。 夏のとある日、大切な人と川辺を散歩した。 この小さな心の器では収まり切れず体の外まで溢れてくる幸せをかみしめる。 こんなに穏やかでこれほどまでに幸福な時間はこれから先も続いてくれるのだろうか。 あまりに幸せ過ぎてふと不安になる。
私は理由は分からないけれど思春期からずっと自分に言い聞かせていることがある。 私は誰からも愛される資格がない。 なぜそう思うのか、なぜそう思わなければならないのか分からない。 分からないけれどそう思ってしまうのだ。 だからどんなに生きてもいつまで経っても消えない不安と孤独。 でもこうして生きる意志に満ちた青々とした川辺を二人で歩いていると こびりついた不安や孤独をいつか拭い去ることが出来る気がしてくる。 引き返さなくても大丈夫だと思えるくらいに強くなれる。
とはいえ分かっている。 幸せというものは手で作る影絵みたいなもの。 犬や鳥、ウサギ、花、様々な形を作って見る者を楽しませるけれど影絵は本来そこにあってそこにはないもの。 種を明かしてしまえば、手をほどいてしまえば、途端に消えてしまう幻。 だから今、大切な人の隣で抱きしめているこの幸せもいつか消えてしまうものなのかもしれない。 でもそれでもいい。 大切な人とこれからの人生を歩んでいきたい。 いつか種が明かされあっけなく消える影絵のような幸せでもいいから 終わりを迎えるその瞬間まで大切な人を思って生きていく。
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