どんなちっぽけな人生にも生きる価値があるというけれど。
学生時代によく通った地元の歩行者天国に今日30年ぶりに行ってみた。 あの頃と違って今のこの通りは歩行者天国と呼べる代物ではなく、寂れたシャッター街と化していた。 通行人は立ち止まることなく通りを過ぎていく。通行人と通行人の間、ありあまる空間に 30年前の風景をふと重ねてみる。
あの頃の通りは帰宅途中の学生たちで溢れ、左右の道端からはお腹を空かせた人たちを飲食店の中へと誘う美味しそうな薫りが先を争って漂ってきた。 流行歌は留まることなく街に溢れ、CD屋の中を覗き込めば笑顔でCDを手に取る若い子たちがいる。 制服を着崩した男子学生や甲高い笑い声をたてる女子学生。その隣を他愛のない会話をしながらのんびりと歩く主婦たち。 喫茶店では外回りのサラリーマンがコーヒーを飲みながらくつろいでいた。中には仕事がうまくいかないのか眉間に皺を寄せ気難しい顔をしている人もいる。 様々な人たちの様々な人生。 どの人生も歴史に名を残すような偉大なものではなくいわば通行人Aの人生と呼ばれるようなものだろうけれど その本人にとって家族にとって友達にとっては生きる価値のある尊いもの。
あれほど繁栄していた歩行者天国を自由に闊歩していた人たちは今どこで何をしているのだろう。 いずれにしてもおそらくもうこの場所を訪れることはないのだろう。 あの時の通行人Aはきっと今でもどこかの通行人Aで私もそれは同じだ。 そして今このシャッター街にあるのは静かな時間の流れと音を忍ばせながら堅実に生き残った店だけ。
しかし寂れた表通りを抜け裏道に回ると30年前とそれほど変わらない風景があった。 申し訳程度に整備された側溝の真ん中を流れる小さな小さな川。その川から立ち上がる霧のようなささやかな恩恵を受けながらたおやかに生きる花々たち。 健気な花々を眺めていたらそれを止まり木にしている鮮やかな一匹のアゲハ蝶を見つけた。 アゲハ蝶はこの寂れたシャッター街とは不釣り合いなほどの艶やかな羽を広げてひらりひらりと飛んでいった。 目に焼き付くような艶やかな黒地と奇跡的なシンメトリーの黄色の紋様がシャッター街の裏通りで軽やかに羽ばたいている。 通行人Aの人生も貴重種のアゲハ蝶の人生もどれもこれも生きるに値するものだと改めて思う。
|
|