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作品名:陽だまりという名の喫茶店 作者:雲のみなと

第11回   Fの懺悔告白
Fの体は海を見るたびに波の方へと吸い寄せられる。
海が波の内側へとFを呼び込むからだ。
「もう一度やり直したいのなら・・・。」と波は囁きかける。
だから海の外へ、出来るだけ遠くの海の外へと連れ出して欲しいとFは願った。
もうあの日に帰りたいと思わないで済むように。

誰にでも墓場まで持っていきたい秘密はあると思う。家族や友達に知られたくない秘密。
Fが墓場まで持っていきたい秘密とは、過去に愛してもいない人と結婚したことだ。
なぜ愛してもない人と結婚したのか。

それは劣等感から逃れる為だった。
20年近く前、独身だったFには親友と呼べる女友達がいた。今にして思えば孤独なFは誰でもいいから親友という名前を人並に付けたかっただけなのかもしれない。

そんなある年、親友は結婚をした。
すると親友はそれまでと人が変わったかのようにFを見下し始めたのだ。毎日毎日Fにメールを送るのだがそれは決まって幸せ自慢だった。
自分がいかに旦那から愛されているかを延々と書き綴りFにそれを送る。
たまに時間が出来てFと会えば初っ端から繰り出される結婚生活の幸せの内訳。出会い頭の「お久しぶり。」と帰り際の「気をつけて帰ってとね」という会話以外はどんなに自分が旦那に愛されているかを事細かにFに聞かせた。
親友はそれだけでは飽き足らずFにこう言ったのだ。
「なぜFは結婚しないの?早く結婚すればいいのに。」
もちろん当時Fには付き合っている男性は愚か、好意を寄せている人もいなかった。そのことを親友も知っているはずなのに。Fは曖昧に「そのうちね・・・。」と言葉を濁すばかりであった。

言葉の端々に見え隠れするFを見下す親友の言葉にいつしかFの心は疲弊していった。毎日送られてくる幸せ自慢のメールにうんざりしていたし、会うたびに自分を見下してくる親友の存在を疎ましく思うようになっていった。

実をいうとFは結婚したいと思えるような男性と出会えないとかではなく、結婚しても長続きしないのではないかという不安がFを恋愛臆病にさせていたのだ。
なぜそんな臆病になっていたのか、それは女としての魅力に欠けることを自覚していたからだ。女としての魅力に欠けることがFの根強い劣等感へと変貌し、恋愛に対して臆病になっていた。
恋愛が出来ない自分自身の情けなさや親友が繰り出してくる見下しの連続パンチがFの心を徐々に壊していった。Fは親友に対して嫌悪感だけではなく憎しみさえも芽生えさせてしまった。

だがFはそういう自分が嫌だった。親友を憎んでしまう自分自身の顔を鏡で見るのが苦痛だった。
このままでは駄目だ。このままでは親友を憎む一方だ。
止めなくては。この憎悪を止めないと駄目だ。
その為にはどうすればいい?
考えに考えてあげく思いついたのは偽装結婚だった。
幸せ自慢をしてくる友人を憎んでしまうのはこの劣等感のせいだと思いこんだFは劣等感から逃れるために結婚してしまえばいいと思ったのだ。
親友と同じ立場になれば彼女がどれほど見下してこようがそれほどダメージを受けなくて済むと思った。
だって立場は同等なんだから・・・。

しかしそれはFの間違いだった。選択してはいけない道だったのだ。
しかし当時のFの頭の中を支配していた不正解の打算。それがFの真贋を曇らせていた。

誤った打算に飲み込まれてから三年後、Fは愛してもいない人と結婚をした。
もちろん結婚相手もFを愛してなどいない。
相手は正真正銘の性志向を隠す為、Fは劣等感から逃れる為にお互い偽装なのを承知で婚姻届けを役所に提出した。

そして愛のない結婚生活は3年で終止符を打った。情と打算はあっても愛のなかった結婚生活は離婚届によってあっけなく終わった。
それでFは劣等感から逃れられたのか。
答えは「逃れられなかった。」
それどころか新たに罪悪感を抱いてしまっている。愛してもいない人と結婚をしたという罪悪感だ。

親友はFが結婚してからは見下すことは少なくなったが、付き合いはどんどん疎遠になっていった。今では月に一度メールをやりとりするかしないかぐらいの遠い仲。
疎遠になった原因はFが離婚してから親友と距離を置くようになったせいだ。
結局消えなかった劣等感と罪悪感という重い荷物を抱え込んでしまった自分の姿を親友に見せたくなくて極力親友とは連絡を取らないようになってしまった。今では親友と呼べなくなり携帯電話の連絡先に登録されている人達の中の一人というところまで来てしまう始末。

Fは今とてつもなく後悔している。
愛のない結婚などするべきではなかった、と。
劣等感から逃れるのではなく、劣等感を抱きしめながらこれが私の本当の姿だと高らかに宣言すればよかったのだ。劣等感と共にお天道様の下を堂々を歩いていればそれでよかった。
例え誰から見下されようとも、自分で自分を見下さなければ強く生きていける。
誰かの言葉によって生かされているのではなく、自分がこれだと思った指針をもって歩む。
それが一番やるべきことだったのだとFは今気づいたのだ。
本当に愛する人に出会えた今、そのことに気づいた。
だからあの日に帰ってやり直したいと思う自分にさよならしたい。

愛する人が海の外へと連れ出してくれた。
汚してしまった戸籍はもう元には戻らない。
間違った選択をする前日に戻って人生をやり直したいがそれも叶わぬこと。
あの日に戻れないならもう二度と誤った道を行かぬように努力するしかない。
本当に愛する人が傍にいてくれるなら、消えぬ劣等感や降ろせない罪悪感もいつしか愛しい荷物になるから。


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