願いが叶う姿は味噌汁を味わうようなもの
願いが叶う瞬間を待ち焦がれて今日まで暮らしてきた。 その瞬間を想像するのが日課のように生きてきた。 毎朝人生の食卓に願いというものを並べてみる。 願いが叶う姿は味噌汁を味わうようなものだと思っている。 凍てつく朝に一杯の味噌汁をいただく時のように ごく自然にそこにあるものに当たり前のように手を伸ばして願いが叶う瞬間を味わう。 これほど毎日食卓に並べてきたのだから叶って当たり前だという気持ちと 叶ったことは大いなる奇跡なのだという感謝が見事に交差するひと時。 これは繰り返されてきた日々の中の極寒の朝、改めて味噌汁の温かさと優しさに気づかされるのと同じ 当たり前のように見えても願いが叶うということがどれほどの奇跡から出来ているのかを思い知る瞬間。
今までずっとじっとそんな風景を思い浮かべてきたのだけれど この頃はそんな風景に実際に出会うことは死ぬまでないのではないかと思い始めている。 諦めたくはない、諦めたくはないんだけど 願いが叶うということはとても遠いところにあるんだなと漠然と感じ始めている。 少なくとも今朝の食卓には並んでいなかった。 果たしてこの人生で奇跡の味噌汁にありつけるのか分からない、自信もなくなっていく。 でも諦めない。 願いを捨ててはいけない。 手を伸ばすことを諦めたら何も掴めない、何も手に入らない。 ここで諦めたら温かい湯気をただ指をくわえて眺めるだけの人生になってしまう。 だから諦めない。 必ず願いが叶う時はくる。 そう自分に言い聞かせて明日も食卓に味噌汁を並べて 明日も明後日もその先もはらわたに沁み渡るような当たり前の味噌汁を飲み続けるのだ。 いつか成就が溶け込んでいる奇跡の一杯を味わうために。
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