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作品名:相対心理パラドクス 作者:ソロタカ

第1回   1
「おめでとうございます、蔵屋敷様。こちらが現物になります」
 恭しく頭を下げた支店長以下銀行員の目には、驚きの色があった。この中で一番驚いていないのは、実際当選した秋親だけだろう。
「是非、我が篁銀行に預金頂ければと存じます」
「いや、全部現金でもらいます」
「……ですが、一千万円の大金をそのままお持ちになられる方は稀でございまして」
 当惑した銀行員たちをよそに、少し強い口調でもう一度はっきりと言った。
「全部現金でもらいます」
 有無を言わさぬ秋親の態度に、銀行員たちはお互いの顔を一瞬見合わせてから、慌てて現金を鞄に詰め始めた。
 その様子を上から眺めながら、秋親は顎をなぞった。
 いっそ一攫千金とばかりに億単位の金額を当ててしまえば、この注目は一度で済んだのだ。ちまちまと何度も宝くじを当選させ、何度も銀行に足を運べば、彼らから好奇の目で見られるだけだと気付いた。今度は一億円単位を当てた方が効率良さそうだ。
「次はサッカーくじにしてみるか」
 昔はあまりサッカーに興味がなかったが、友人がプロサッカー選手になった際、ルールを覚えたりするようになった。その流れでサッカーくじにも興味を持った。
 一千万円を現金に詰めた袋を渡され担いでみたが、一億円単位で当ててしまったら現金で持って帰ることにも限度があると気付く。一千万円なら怪しまれないが、一億円など一人で怪しまれずに持てないような気もする。やはり少量ずつ稼ぐしかない。
 銀行を出るとすでに日が傾き始めていた。懐かしい光景に思わず見とれながら目を細めて歩きつつ、新緑が終わりを告げる頃の季節なのだと肌で感じた。頬を撫でる優しい風は、いずれ木枯らしとなって人々の頬に冷たくあたるのだろう。
日が落ちる前に急いで帰路に着きたいところだ。普段と少し変わった町並みを歩き、全部で六世帯ある小さなアパートを発見し、秋親は足を踏み入れた。
 腕時計を見ると、すでに午後の四時を回っている。明日までに終えなければならない実技試験の採点が、あと三十点ほど残っている。秋親は焦りながら玄関を開けた。
「ただいま」
 一歩アパートに足を踏み入れた瞬間、爽やかな空気がふわりと流れ込んできた。まるで掃除をしたかような清浄さだ。秋親は悪い予感がして、急いでリビングへと向かった。
 廊下には可愛らしいウサギの大きなヌイグルミが無造作に置いてあった。大きな化粧台には口紅や香水、化粧品の類が溢れんばかりに置いてある。男性である秋親からは考えられない配置だ。自分なら、ヌイグルミなんて生活に必要のないものはまず置かない。
 鞄を置くのも忘れてパソコンを起動させようとした。しようとしてふと気付く。どうやら電源をつけたまま出掛けてしまっていたようだ。頭をかきながらスタンバイ状態から起動をする。機械音が静かな部屋に響き渡る。
「おかえり」
 パソコン画面の中から現れたのは、同年代くらいの女性だ。まるでテレビ電話をかけているような錯覚に陥るが、そうではない。単純にモニターの向こう側にここと違う世界が広がっているのだ。彼女は長い髪をふわりと垂らし、無防備な下着姿で棒状のアイスキャンディーを舐めていた。
「お前、こっちの世界にきて部屋の掃除した?」
 画面を覗き込んで言う秋親に、女性はアイスキャンディーを口から出して大きく頷いた。
「したわ。一人で画面の中に飛び込むのって、意外と大変なのね。飛び込んだとき肘を打ってしまったの。掃除したけれど、終わったら暑くなっちゃって、冷たいものを食べたくなったの。冷凍庫、勝手に開けて頂いているわよ。ごちそうさま」
「一人のときは世界を移動するなと、あれほど言ったのに、人の話を聞かない女だな」
 秋親はガックリと肩を落とし、脱力したと同時に鞄を地面に落とした。その様子を見た女性は、口を尖らせて反論する。
「パソコンの電源を切り忘れたあなたが悪いし、大体今あなたがいるのは私の部屋なのだから、私の好きにしたって良いじゃない。あなたと違って、毎日掃除しないと気が済まないのよ」
 秋親は腰に手をあてて俯き、ため息をついた。何を言っても反論されそうな勢いだ。
「何かハプニングがあったらどうするんだ。二人同時に同じ世界にきていて、もし一方の世界で停電なんかあったりしたら、どちらかが一生自分の世界に戻れなくなるんだぞ。俺がお前の世界にきているときは、頼むから俺の世界でおとなしくしていてくれませんか」
 ものすごい剣幕で、最後は懇願するようにパソコンに向かってマシンガントークを繰り広げた秋親を見向きもせず、女性はツンと横を向いて頬を膨らませた。
「嫌よ。私、あなたの操り人形じゃないもの。自分の意志で動きたいわ。あなたこそ、命令しないで頂戴」
「命令じゃない。懇願だ。ああ、しかも俺の部屋も勝手に掃除しただろう」
 スーツを脱ぎネクタイを緩めながら、女性のいる後方を見て、朝までは床に散乱していた本がきちんと本棚に納まっていることに気付き、秋親は苦言した。女性はパソコンの画面から綺麗になった部屋の左右後方を見渡してから満足気に微笑んだ。
「あなたの部屋、汚いんだもの。お礼を言って欲しいくらいだわ。私、散らかっている部屋に何時間もいられないわよ」
 真っ赤な口紅に濃い化粧をしている彼女は、細かい部分にうるさく、口でやり込めてくるから厄介だ。
「あなたの仕事道具には触れなかったから、感謝してね」
「そんなことは当たり前だ。大体お前、パソコンに向かう際は服くらい着てくれ。勝手に俺の部屋で服脱いで寛ぐな。軽々しく男に肌を見せるな。目のやり場に困る」
 この不可思議な現象が起こったのは、今から三日前のことだった。

 パソコンを起動させたら突然画面に現れたこの無防備な女性は、画面の向こう側からこちらに語りかけてきた。初めはパソコンが壊れたのかと思ったが、そうでもないらしい。触ってみると、画面を突き抜けて手がパソコンの中へと入ってしまった。パソコンの画面同士がどうやら繋がってしまったようだ。俄かに信じ難いことだが、お互いの電源が入っていればパソコンを媒体にどちらの世界にも往来が可能らしい。
 話をしているうちに、彼女は十年前、このアパートの同じ一〇二号室に住んでいた人間だと判明した。その十年後に、秋親が同じ部屋に契約して住んでいるわけだ。
 つまり、秋親のいる世界と、彼女のいる世界は、鏡合わせになった十年前と十年後の世界なのではないかと二人は推測した。
 たまたま電源を入れた際にシンクロした両者のパソコンが繋がってしまったのか、電源が入っているときに限りこうやって画面同士で会話をしたり、物を移動することが可能になるとわかった。つまり秋親は十年前へ、彼女は十年後へと飛び込めるようになったのだ。
「先ほどからお前お前と、失礼な人ね。私には紅子という立派な名前があるのよ」
「それは失礼」
 内ポケットから取り出した煙草に火を点けると、深く煙をはき出しながら秋親は言った。そんな彼の態度が少々気に触ったのか、紅子はアイスキャンディーを振り回しながら突然声を張り上げる。
「ちょっと、煙草! 部屋に匂いがつくのよ。やめて」
 思わずいつもの癖で点けてしまったのだが、秋親は慌てて煙草の火を消した。家具は別だが部屋の構造は変わりないので、ここは紅子の時代の部屋だということを忘れていた。
「すまない、わざとじゃないんだ」
「当たり前よ! わざとであればどれだけ性格悪いのよ、あなた」
「怒るなよ。十年後には俺が契約している部屋になっているんだから、今吸ったって変わらないじゃないか」
 笑顔を見せる秋親に対して、紅子は大げさに驚きを露にして額に手を当てて宙を仰いだ。欧米人のような大げさなリアクションだ。
「煙草、やらないのか?」
 濃い紫色の下着をこれ見よがしに着て、パソコンの前で足を組んでこちらに向き合う紅子は、きょとんと目を瞬きさせて秋親を見た。
「私を外見で判断してない? 昔はやっていたけれど、やめたのよ。彼が嫌がるしね」
「へえ、そうだったのか」
 力のこもっていない声で呟くと、思いついたように再び声を上げた。
「だったら、なおさら服を着るんだ。彼氏に大層怒られてしまうぞ、俺が」
 言い回しがおかしかったのか、紅子は肩を上げて面白そうに「ふふ」と笑った。服を着る気はないようだ。秋親は一千万円が入った袋を紅子に見えるよう画面の前に掲げた。
「見ろよ。幸運の戦利品だ」
 得意気に口元を綻ばせる秋親を紅子は呆れた目で睨む。
「まさか本当にやったの? 私の時代で宝くじを当選させるなんてこと」
「まあな。この中にはクジ∞で当てた一千万円が入っている」
 自分の時代で過去の当選番号十桁をチェックし、過去十年前に戻り、十桁を選んで買う。これで楽に高額当選するという寸法だ。数ある宝くじの中からクジ∞を選んだのは、当選金額に関わらず払い戻し可能だったところに魅力を感じたからだ。他のくじは大抵払い戻し出来ずに、振込みのみしか受け付けていないものが多い。さらに、即日払い戻し可能だったことも大きな理由だ。もちろん、次に当てようとしているサッカーくじについても、銀行によっては即日払い戻し可能ということをチェック済みだ。
 過去の記事を調べ、競馬で大穴狙いという手も考えたが、競馬で一発当てて、仕事をせずに遊び歩き、やがて借金をして自己破産、今は精神を病んで病院に入り浸っているという、隣の家のおじさんのことを強烈に覚えているので、何となく敬遠したかった。
 株は十年スパンで考えれば儲けている会社もあるだろうが、基本的にここ十年は不景気で、しかもそこまで手間をかけたくなかった。結局秋親の金稼ぎは、専ら宝くじとサッカーくじに絞られた。
「次は今週のサッカーくじにする。そのときにまた世界の交代を頼むよ」
 紅子は困ったように眉を潜めて画面に額を付けた。
「やめなさいよ。世界の理に逆らい、時間旅行を有功活用するどころか悪用するなんて、アインシュタインが知ったら嘆いてしまうわ」
 秋親もそれに応えるようにこちらの画面に額をくっつけた。紅子の顔が大きく映る。
「大丈夫だ。アインシュタインは幸いこの時代には存在していない。俺が何をしようと、彼が嘆けることなどない。第一、宝くじを当てたことが犯罪になるなんて聞いたことがないぞ」
 紅子は困惑した表情を見せた。
「道徳の問題でしょう。普通の人は過去に戻れるはずがないから、その犯罪は成立しないけれど、あなたは過去に戻って宝くじを故意に当選させることが出来るのよ。それは立派な犯罪だと思うわ」
 秋親は紅子の意見を真剣に聞いていたが、やがてゆっくりと大きく頷いた。
「お前の言いたいことはわかる。確かに、有功活用することを考える方が遥かに素晴らしい。例えば、自然災害や事件事故を未然に防ぎ、被害を最小限に食い止めることが今の俺には出来るのだからな」
「そうよ。そういう方向に使うべきだわ」
 紅子は嬉しそうに手を合わせて微笑んだが、秋親はただ静かに首を振っただけだった。
「悪いが、俺は自分自身の歴史は変えても、他人の未来を変えようとは思わない。過去の人間に未来の出来事を教えるつもりもない」
 ぺろりと乾いた唇を舐め、秋親はパソコン画面に向かって手を当て、何度か撫でた。紅子の額が当たっている部分だった。
「人を見殺しに出来るのね。ひどい人」
「どう取られても構わない。お前と俺の考えは根本的に違うということだよ。俺が宝くじを何度当てようが、誰も法で裁くことは出来ない。こんな愉快なことはないよな」
 秋親は耳を塞いだ紅子を見ながらおかしそうにケラケラと笑った。紅子にしたら、全然笑えない。
「きちんと働いてお金を稼いでいる人たちに失礼だと思わないの?」
「いや、特に。稼ぎたくても稼げない人、現状を打破しようとしている人に対しては罪悪感を覚えるけどな」
「本当にひどい人ね」
 紅子は画面から額を離して首を傾げた。
「どうしてそんなにお金が欲しいの? あなた、高校教師と言っていたわよね? 一定の金銭は稼いでいるようじゃない。そのスーツ、ブランドものでしょう?」
 イタリア製のスーツを指差して紅子が尋ねた。秋親は緩めたネクタイを触って「まあ」と曖昧に頷いた。
「それに、この部屋の様子を見る限り結婚もしていないんじゃない? 独身貴族のくせに、楽してさらにお金を稼ごうなんて、私の中で結構最低の人間にランクするわよ」
「はは、これは手厳しい」
 秋親は銀縁の眼鏡を外してデスクに置きながら笑った。
「きっと罰を受けるわ。時空を歪め、時間軸のずれた私とあなたがこうやって会話をしているだけでも、私は罪悪感でいっぱいだというのに」
「覚悟は出来ているから。三億円稼いだら、もうお前の世界にはこないよ」
「何の覚悟よ。私は今だって十年後なんかにきたくないのよ。未来のことを知ったら善意に悖りそうで、恐ろしくてテレビすら見られないわ」
 そう言いながらも、アイスキャンディーを食べ終わった紅子は、棒をゴミ箱に投げ捨てた。「ストライク」と弾んだ声を上げ、パチンと鳴らす小気味の良い指の音が秋親まで聞こえてきた。同時に近くにあった棚から震動を受けて何かが滑り落ち、棒と一緒にゴミ箱に入ってしまった。慌てて紅子はそれらを取り出す。宝くじの券が大量、銀行の通帳が数点、図書カード、鉄道のICカード、ドナーカード、身分証明書などのカード類が視界に入った。紅子はそれらを棚に戻しながら、怒りの感情が湧いてきた。ご丁寧に、新しい通帳をいくつも開設していたのだ。紅子の世界で稼いだお金を貯金するためのものだろう。秋親の行為は、紅子の癇に障る最低のものだった。
「善意に悖るから、十年後の世界を外出もしないで、燻ぶって一日中掃除をしていたのか。未来を知ることが恐ろしいから。安心しろよ、俺は過去十年に起こった出来事をお前に話すつもりはないし、俺が過去にきたからって未来を大きく変えたりはしない」
「良く言うわ。もうすでに、あなたの過去は改ざんしているような気がするけれど?」
 紅子はデスクに置かれてある一千万円が入った袋を恐ろしげに見ながら呟いた。
「自分の歴史を変えたところで、どうだっていいことだからな」
秋親は興味なさそうに肩を竦め、「それに」と続ける。
「俺はタイムワープなんか信じていない」
 紅子はきょとんと目を丸くする。
「私だって俄かに信じられないけれど、事実あなたと私は十年の時を経て会話をしているわ。入念に確認したから、間違いないでしょう?」
 確かに何度もカレンダーや新聞で確認したから間違いはないのだ。日付は同じだったが、年数が十年ずれている。
「初めは俺もアインシュタインの一般相対性理論を疑ってみたんだが」
 秋親は、しばらく考え込むように自分の顎をさすっていたが、やがて考えがまとまったのか、眼鏡を掛け直して紅子に向かった。 
「相対性原理に基づくならば、俺の世界とお前の世界の重力が極端に違っていなければならない。質量が時空間を大きく歪ませ、重力がより大きく生じている方が時間の進みが遅いという物理の天才の理論を拝借するならば、お前の世界の重力が、俺の世界の重力よりも遥かに強く働いていると仮定出来る。だが、お前の世界に俺が飛び込んだとき、とくに居心地の悪さや身体の重さを感じなかったから、重力は同等に働いていると考えられる。したがって、この現象における一般相対性理論の可能性は消滅する」
 紅子は、物理学はあまり得意ではなかったし、興味もなく生きてきたので、聞き流す程度に頷いておいた。
「さらに、特殊相対性理論を拝借してみると」
 まだ続けるのだろうか。紅子は驚いて目を大きくさせた。秋親はそんな紅子の仕草に気付かずに訥々と言葉を続ける。
「運動量とエネルギーの差があるほど時間の遅れが生じるはずだから、もしかしたらお前の世界の地球の自転が、俺の世界の地球の自転を遥かに凌ぐほどの速さで回っていることが考えられる。だがそれもあり得ない。俺がお前の世界に飛び込めたからだ。自転が速ければ、恐らく俺は飛び込んだと同時に空気抵抗にさらされて肉体が消滅していたはずだからな」
 紅子はとうとう深いため息をついて秋親をじろりと見た。
「あなたの頭は、理屈で出来ているのね」
 彼女の皮肉を気にも留めず、秋親は画面に詰め寄った。
「いいか。アインシュタインは、時間旅行やタイムワープの可能性を示唆してはいるが、成功してはいない。いくら立証出来たからとその公式を発表したところで、未来の人間を実際に誰も見ていないからだ。お前は未来の人間を見たことがあるか?」
 紅子は目を細め、呆れた素振りを見せてから秋親の目をジッと覗き込んだ。
「あなたを見たわ」
 紅子は画面を指差して秋親を差した。「ああ、そうか……」秋親はこめかみに指を当ててコツコツと叩き、何か考えをまとめているようだった。
「これくらいならば、過去の人間に教えても大丈夫だろうか」
「なによ?」
 前置きをした後、秋親はコホンと咳払いをしてから口を開いた。
「俺の時代、つまりお前の時代から十年後は、まだ時間旅行やタイムワープといったものは確立されていないんだよ」
「つまり?」
 紅子が首を傾げたが、秋親は顎を手でなぞっただけで曖昧に首を振った。
「タイムワープが確立されていない時代にタイムワープの媒体、ここで言うと俺とお前のパソコンだが、それを作ることは必然的に不可能だろう? もしも未来人がこのパソコンを作ったと仮定した場合、当然俺の時代よりも未来の時代にいる誰かがこのパソコンを作ったことになる。過去の人間は時間旅行の装置を開発出来ていないからな。でも、俺より未来の人間は、俺のパソコンとお前のパソコンをここに設置すること自体が不可能なはずだ。そういう不可逆的なタイムパラドクスが生じてしまうため、同じ時間軸にいる存在が作っているとは思えないんだよ」  複雑そうに歪んだ笑いを振り撒いた秋親は、その後気まずそうに小さく呟いた。
「……変に長く語ってしまったな。退屈だったろう」
「いえ、なかなか面白い仮説だったわ」
紅子はゆっくりと頭の中を整理し、頷いた。秋親は彼女の様子を伺いながら口を開いた。
「つまりこの現象は、パソコンを媒体に使い、鏡合わせの世界にきているだけに過ぎないのではないか? 要するにタイムワープではなくて、むしろ別世界……パラレルワールドのようなものではないだろうか」
 紅子は大層驚いて息を大きく吸い込んだ。
「さんざん理屈をこねていたくせに、結局行き着いたのはファンタジーなパラレルワールド? あなた、どういう思考しているのよ」
 それならば、多少の矛盾が生じる。紅子はそれについて口を開いた。
「パラレルワールドなら、私たちは別世界の人間なわけでしょう? あなたの宝くじが当たったのは偶然なのかしら?」
「いや……十年前のこの回の『クジ∞』は、確かにこの十桁番号で当たりだった」
 今回当選した宝くじ『クジ∞』は、十一年前から始まった宝くじで、その話題性に便乗して秋親も記念すべき第一回目を、親にねだって一度買ってもらったことがあった。後日発表される十桁番号全て当たれば一千万円獲得出来るというシンプルなものだ。何故親にねだったのかというと、クジ∞は高校生が買うことは出来なかったためだ。
「パラレルワールドの線は消えるのか? いや、タイムワープなどあり得ないはず……」
「色々考えたら頭が痛くなってきたわね」
 紅子がこめかみを押さえながら唸った。秋親は身を乗り出して紅子に向かって人差し指と中指の二本を差し、口を開く。
「そんな格好で冷たいものを食べるからだ」
「結論を言うとあなたの仮説では、私とあなたは同じ歴史を歩んできた違う世界の住人ということでよろしいかしら?」
 頭痛がしたため、早くこの話を切り上げたかった紅子は、そう早口で捲くし立てた。
「それとも、神の悪戯か悪魔の気まぐれか、そうでなければ地球外生命体の試みか……」
 あくまでタイムワープの存在を信じてはいないようだ。紅子は理論的な思考かと思いきや、神や悪魔、宇宙人の存在を信じている秋親のギャップをおかしく思うと同時に、彼の少年らしい心に少しの母性を感じた。
「カルトじみた話になってきてしまったわね。生憎私は神も悪魔も宇宙人も、そんなものはこの世に存在していないと考えているの。まだ未来の技術が発達して、タイムワープ装置を作り、試作として私とあなたが未来人に選ばれたという仮説の方が現実味があると思うけれど」
 秋親は紅子を見て納得したように頷いた。
「無神論者なのか?」
「そういう大層な話ではないけれど、もしも神様がいるのなら、不条理な病や死はないと思うのよ。神は平等に人間を幸せにする素晴らしい存在なはずだから」
「……なるほど。だから神などいない、か」
 秋親はフッと目を細めた。
「それと、私は未来など知りたくないわ。知らないからこそ、そこにあるのは明るい世界だと希望が持てるんじゃない」
 両手を前方に広げて宙を仰いだ紅子を見て、秋親は表面上頷いた。彼女の言うことは正論だ。だが、秋親はどんなに素晴らしい演説をされたところで、宝くじ当選の件をやめる気にはならなかった。こんなに楽に稼げる行為、神が与えてくれたチャンスを今更やめられるわけがないと、彼女が正論を唱える度に秋親の信念は反比例して強くなるばかりだった。
「未来を知ることを恐れる女と、過去を変えたい男か。はは」
 何がおかしいのか、秋親は肩を震わせて笑った。紅子はふと彼の目の奥に潜む歪んだ何かを感じ取って、少々恐ろしくなった。この人は、どこか普通の感覚ではないような気がする。恐ろしかったが、その気持ちを悟られる方が恐ろしかったので、紅子は顔色を変えなかった。
 秋親は眼鏡を掛け直した。その奥には冷たい目がこちらを見据えている。紅子はこれ以上踏み込んではならないと本能で感じ取る。
「もしもタイムワープだとしたら、俺が十年前の世界をうろついていたときに、過去の自分に出会ってしまうジレンマが発生するかもしれない」
「それ知ってる。ドッペルゲンガーね」
 自分の分身に対面してしまったら、数日のうちに死が訪れるというドイツの言い伝えだ。
「驚くだろうな。過去の俺は、十年後の老けた俺を見てどう思うだろうか」
「そうね、過去であろうとあなたの性格だから、きっと驚くより先に、何とかビジネスに繋げられないか考えるかもしれないわよ」
 秋親は「そうかもな」と笑った。
「そろそろ戻ろう。そっちに金を渡すから、受け取ってくれる?」
秋親は一千万円をパソコンの画面から向こう側に入れる。画面がゆらりと波紋のように揺らめいて、向こう側に秋親の手が入った。
 熱さも冷たさも感じない。ただ水圧のようなものが秋親の感覚を襲っただけである。
金は向こう側にいる紅子の元に届き、紅子はそれを両手で受け取り、袋の中身を覗き込む。大金が入っているのを確認すると、あからさまに眉を潜めた。
「本当にひどい男。笑いながら不正を働くなんて」
「良く言われるよ」
 眼鏡を掛け直した秋親は、天井を見ながら感情を見せずに呟いた。
「あなたの計画に加担するのも気が引けるけれど、現金払い戻しなどせずに、私の時代で預金しておいたらどう? 利息が付くわよ」
 秋親は首を振った。
「確実に現金が手に入ったという証拠が欲しい。現金を過去で持ち込み、未来で銀行に預ける予定だ。お前の時代で預金して、もし別世界だったら、俺の世界では預金したこと自体がなくなっているかもしれない。利息分を差し引いてもくじで稼げる分、こちらの方が確実に入手出来ると考えた結果だ」
 ますます理屈っぽい男だ。紅子は呆れて心の中でため息をついた。
「ほら、こっちに。今日一日、交代させて悪かった。三日後にまた交代してくれ」
 秋親は画面の向こう側に両手を突っ込んだ。紅子は画面から突然ニョキッと生えてきた両腕に少し驚いたが、その腕に身体を預けた。
 紅子を元の世界へ手繰り寄せてやると、今度は秋親が自分の世界へ帰る番だ。
「じゃあ、また」
 額に手をあて敬礼のようなポーズを取ると、秋親はまるで泥棒のように画面の向こうへと足を掛けて飛び込んだ。
 自分が下着姿だということに気付いた紅子は、慌てて十年後の世界に戻っていった秋親に向かって叫んだ。
「ねえ、棚に私の洋服置いてきちゃった。取って」
 秋親は面倒そうに周囲を見渡し、棚を見て紅子の洋服を掴むと、画面の向こうへと投げた。投げた洋服は紅子の顔面に命中し、重力に従って落下した。
「痛いわ。何するのよ」
 秋親は少し怒った表情で紅子を見た。
「暖かくして寝ろよ。それから、冷たいものを裸で食うな。身体は資本だ。少しは体力つけておいた方が良い」
 心配しているのだろうか、と紅子は意外に思い、思わず穏やかな表情を見せて素直に「はい」と頷くと、回線を切った。


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