人間村研究所は、天野の高地で舞姫という品種の米を作っていた。クリスタル・ヨコタンは、稲作担当の村田と、荻野目洋子そっくりのオギノメに尋ねた。 「今年の舞姫は、どうだった?」 中肉中背の髭の濃い村田が答えた。 「やっぱり乳白米や胴割米が沢山ありました。」 「ぱっぱり。」 「どうしても、温度が昼間三十五度、夜間三十度を越えると、稲に高温障害が発生します。水を流して冷やしたんですけど、焼け石に水でした。」 「あの暑さじゃねえ。熱中症で一万人以上死んだ暑さでしたからねえ。」 「オギノメちゃんも、短時間の農作業中にダンチングヒーローを歌いながら、二度も倒れましたから。」 オギノメが答えた。 「ダンチングヒーローじゃなくって、ダンシングヒーロー!」 「どっちでもいいじゃない、そんなの。」 「よくないわよ。」 ヨコタンは少し笑った。 「枯れないだけでも良かったわ。」 村田が諭すように、ヨコタンに言った。 「三十五度を越えると、どうしてもこうなりますねえ。」 「天野は、どのくらいだったの?」 「毎日、四十度近かったです。」 「それじゃあねえ…」 「暑くても、今までだったら、雨が降って冷やされるんですけど、降ったら短時間のゲリラ豪雨で、被害ばかりで。これじゃあ、来年は、もう無理かも知れません。」 「そうねえ…、もう日本じゃあ、日本米は無理かも知れないわねえ。困ったなあ〜。」 「乳白米は、まずくてとても食べられないし、割れ米やひびの入った米も、炊飯すると割れ目からデンプンが溶け出して、粥(かゆ)のように水っぽくなって、とてもとても食べられません。」 「そうよねえ。」 「こういう気象的条件は来年以降も続くと予想されます。」 「高温障害の基本的メカニズムを教えて。」 「高温になると、吸水が蒸散に追いつかずに、しおれて枯れます。また、蒸散を防ぐために葉の気孔が閉じます。気孔が閉じると光合成も停止し、生育が止まって、やがて枯れてしまいます。また、夜間の高温は、稲の呼吸作用を増加させます。日中に生産したデンプンが呼吸で消費されてしまい、穂に送り込む量が少なくなり、登熟歩合の低下、乳白米発生の原因となります。」 「なるほど。」 「イネも生き物ですから、暑いときには自分の体温を下げないと 生きていけません。」 「なるほど。」 「こう暑くては、稲に日傘でも差さないと。」 「稲に日傘かあ…、でも、日傘くらいじゃあ無理でしょう。」 「田全体に日傘を差すのは、かなり無理です。風対策も必要だし。」 「そう言えば、今年の夏は、男用の日傘が売れたんですってねえ。」 「はい。」 「どうしましょう。困りましたねえ…」 「もう、日本米は諦めて、暑さに強いタイ米でも改良したらどうでしょう?」 「タイ米ねえ…」 「タイ米も、水に長く浸しておけば、少しは柔らかくなるそうです。」 「へ〜〜〜え、そうなの?」 「はい。」 「日本米みたいに?」 「そこまではいきませんけど。」 「タイ米の改良ねえ…」 「タイ米は、ヌカ臭くなくって、カロリーも少ないので、若い人には受けるかも知しれません。」 「そうですかね〜?」 「これからは、工場内で管理栽培しないと、とても日本米は無理です。」 「でも、工場では沢山は栽培できないでしょう…」 村田は米を持って来た。 「ちょっと、この舞姫を炊いてみます。」 「そうねえ…、味見をしてみないとね。」 村田は炊事場に入って行った。ウメさんはコンピュータの前に座っていた。ヨコタンが声を掛けた。 「どう、工場の調子は?」 「今、ちょっとプログラムを手直ししています。」 「なにかあったの?」 「ちょっとしたバグです。すぐに終わります。」 「ああ、そう。」 プログラムが得意じゃないヨコタンは、頷くだけだった。 「じゃあ、わたし、工場をちょっと見てくるわ。」 「はい。」 野菜の工場は、研究所の裏にあった。小高い土手の上に、見慣れない女性が二人見えていた。 「あれっ、見かけない人だけど、誰だろう?」 ヨコタンが、じろじろ見ていると、二人は絵を描き始めた。 「なあんだ、スケッチか。」 ヨコタンは、工場に入って行った。
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