その男は、にこにこ笑いながら、二人の絵を見ていた。 「抽象画かな?」 二人は、なぜか黙っていた。 「何を描いているんですか?」 姉さんが、ぶっきらぼうに答えた。 「見れば分かるでしょう。」 「さっぱり分からないなあ?」 「雲と山々と木ですよ。」 「ふ〜〜〜ん…」 「見えません?」 男は指差した。 「ひょっとして、これが雲?」 「それは山です!」 「山?変な山だな〜〜。水平線は、どこですか?」 「水平線?水なんかありませんけど?」 「先ず、水平線を決めなきゃあ。」 「水平線ねえ…」 「どこから、どこまでを描いているんですか?」 「右端から左端ですよ。」 「まるまる?」 「まるまるって?」 「ぜ〜〜んぶ描いてるの?」 「そうですよ。」 「パノラマの抽象絵画だ?」 「パノラマの抽象絵画?」 「それじゃあ、紙に入らないでしょう?」 「そうかなあ?」 「縮小するか、省略しないと。」 「そうですか?」 「先ず、構図を決めるの。こうやってね、景色を切り取るんですよ。」 「景色を切り取る?」 男は、やってみせた。両手の親指と人差し指を使って長方形を作り、目の前に当てた。 「こうやって、切り取るんです。やってごらんなさい。」 姉さんはやってみた。 「なるほど。」 「それを描くんですよ。」 「なるほど。」 姉さんは、スケッチブックをめくった。 「よし、描き直しだ!」 アニーも、スケチブックをめくった。 「わたしも、描き直そうっと!」 男のアドバイスは続いた。 「先ず、軽く線を引いて、水平線を決めるの。」 姉さんが質問した。 「何色でもいいんですか?」 「いいですよ、見えれば何色でも。」 二人は描き始めた。男は黙って観ていた。姉さんは、ひとまず描くと質問した。 「どうですか?」 「いいですねえ。ベリーグッドです。」 アニーも見せた。男は、親指を立てた。 「いいです、いいです!」 「あなた、ひょっとして画家ですか?」 「はい。じゃあ、わたしは多忙で美貌なので、これで。」 男は、名前も告げずに立ち去ろうとした。 アニーが呼び止めた。 「あの〜〜〜、お名前を教えていただけますか?」 「…小峰です、知ってます?」 「小峰さん…」 どこかで聞いたような名前だった。 「以前、水木しげる先生のアシスタントをやっていて、お墓の近くの公園で、先生に拾われた小峰です。こんなことを初めて会った人に言うなんて恥ずかしいなあ〜。じゃあ、わたしは多忙で美貌なので、これで!」 男は、いたずらっぽく笑っていた。 「え〜〜〜、まさか〜!?」 男は去って行った。 姉さんも驚いていた。 「今朝、朝ドラで観た、ゲゲゲの女房に出てきた、あの小峰さん?」 「まさか?」 「アシスタントを辞めて、放浪の画家になるって言ってた、あの小峰さん?」 「まさか?」 「いたずらっぽい笑い方は、そっくりだったわ。」 「そうですねえ…」 「多忙多忙って、妖怪いそがしが憑いているじゃないかしら?」 「そうですねえ…」 「あの人、美貌だった?」 「そうですねえ…」 二人は、去り行く小峰さんを、いつまでも見ていた。でも、妖怪いそがしは見えてはいなかった。
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