「君たち、将棋はもうやらないの?」 「はい。」返事をしたのは、眼鏡の男だった。 「じゃあ、これちょっと貸してくれない。」 「どうぞ。」 龍次は振り返り、真由美を見た。 「じゃあ、真由美ちゃん。一番、やりましょうか?」 真由美は、不敵に笑っていた。 「いいわよ。」 龍次が、将棋盤と駒人形を、椅子の上に置いた。 「このほうが見やすいよね。真由美ちゃん?」 「あっ、このほうがいいわ。」 龍次と真由美は、椅子に座った。二人は黙って、駒人形を並べ始めた。 駒人形を作った男が、「これが、飛車です。これが、角です。これが金です。」と教えていた。 真由美は面白がっていた。 「わ〜〜、面白いなあ〜、これ。」 アラ還の龍次は、戸惑っていた。 「これ、何だったっけ?」 「銀です。」 「じゃあ、これが金ですね。」 「そうです。」 真由美は笑みを浮かべながら、龍次を見ていた。 「大丈夫ですか?」 「真由美ちゃん、もう覚えたの?」 「こんなの、すぐに覚えられるわ。」 「あっ、そう。」 「大丈夫ですか?」 「大丈夫!さあ、やろう。」 「どっちが、先ですか?」 「真由美ちゃんが、先でいいよ。」 「ほんとうに、いいんですか?」 「じゃあ、振り駒で決めようか?」 龍次は、駒人形を取ろうとした。 「あれ、これじゃあ出来ないねえ。」 眼鏡の男が口を出した。 「振り駒は出来ないんです。」 「しょうがない、ジャンケンで決めよう。」 ジャンケンは、真由美が勝った。真由美が先手になった。 「あっ、不吉な予感。」 真由美は、「お願いします!」と言って、頭をペコリと下げた。 龍次も、同じように「お願いします!」と言って、頭を下げた。真由美は、躊躇無く、飛車道を開けた。 龍次は思わず唸った。 「おっ、攻撃的!」 真由美は、にやにやしながら、龍次の顔を覗きこんでいた。 「さて、どうしますか?」 「いきなり居飛車かあ…、強引だなあ…」 龍次は、いつものように、右手の中指と人差し指で、駒人形を拾おうとしたが、拾えなかったので、薬指を加勢して三本の指で持ち上げ、器用に角道を開けた。指さばきだけは、プロだった。 真由美は、なおも飛車先を突いてきた。龍次は、たじろいだ。 「お〜〜〜、特攻飛車か〜!?」 特攻を角で防いだ。 真由美は、可愛い右手の親指と人差し指で人形をつまみ、角道を開けた。龍次は、思わず、眉間に皺を寄せた。 「お〜〜、やるね〜!角ミサイル!」 龍次は、慌てて角道を遮断し、角ミサイルを防いだ。真由美は、にやにやしながら言った。 「ふりふりの振り飛車ですねえ〜。」 真由美ちゃんは、にやにやと不気味に楽しそうに笑っていた。 「どうしようかな〜〜。」 龍次は、背筋を伸ばして身構えた。 真由美は、飛車をつまんだ。龍次は、びっくりした。 「ここで、飛車?」 真由美は、飛車を前に二つ進めた。龍次は、首をひねった。 「何だ、何だ!?」 老兵の龍次には、真由美の指し手が、まったく見えなかった。それは、今までの定跡にはない、未知の領域の指し手だった。龍次は、自分しか聞こえないような小さな声で呟いた。 「単なる、定跡外しか…」 だが、そうではないものを、龍次は、長年の経験と直感で鋭く感じていた。もしここで、何も考えずに、上段に構えたら、少女の鋭い突きが喉を射抜くだろう…、間違うと、ここで終わりだな…。 まさとが呟いた。 「真由美の得意の戦法だあ。」 その声に、龍次は動揺し、また同時に納得した。 「やはり、新しい戦法だったのか…」 龍次は、この戦法を知らなかった。時は、容赦なく流れていた。
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