保土ヶ谷龍次は、恐縮していた。 「橘さん、大変申し訳ない!とんだ迷惑をかけてしまって!」 橘順子は、いたって冷静だった。 「とんでもありませんわ。とても感謝してます。」 「ほんとうにすみませんねえ、こんなことになっちゃって!」 「保土ヶ谷さんも、指名手配されていらっしゃるんですか?」 「そうらしいですけど。もう何も物騒なことはやっていないんだけどなあ。」 「そうですよねえ。」 「ショーケンさんも?」 龍次は、ショーケンを見た。 「俺?」と言って、ショーケンは自分を指差した。 「なんか、そうみたい。」 苦笑いした。 「ショーケンさんは、何やったの?」 「何やったって、極秘のクローン人間逃亡で、極秘に指名手配されてるんらしんですよ?」 「極秘に指名手配?」 「そう、見たことないでしょう。そういう手配書とか?」 「そう言えば、そうですね。」 「クローン人間自体が秘密だから、まずいんでしょうね。」 「それはひどい話だなあ、勝手に作っておいて、逃げたら極秘裏に指名手配。」 橘順子もびっくりしていた。 「それはひどい話だわ。あなたって、クローン人間だったの?本物のショーケンの?」 「そうです。」 「物凄いそっくりさんと思ってたんだけど、クローン人間だったとは思いもよらなかったわ。」 母は、娘の歩(あゆみ)を見た。 「歩(あゆみ)、知ってた?」 「うん、なんとなくね。クローン人間の話は、学校でときどきやってたわ。」 「そうだったの。」 「マイケル聖(ひじり)は、マイケルジャクソンのクローンとか。」 「ああ、そう言えば、よく似てるわねえ。」 「あの人、わざと似ないように化粧してるわ。」 「そうなの〜!」 「そういう噂。」 ショーケンは、深刻な表情になっていた。 「だったら、やっぱり俺を探しているのかも知れないなあ。」 龍次は、自分の膝をぽんと叩いた。 「とにかく、しつこくって嫌な連中だなあ。」 歩(あゆみ)が右手を握って突き上げた。 「クローン人間にだって、自由に生きる権利はあるわ!」 龍次は納得したように頷いた。 「そうだ、そうだ!」 誰かが、停留所の小屋に入ってきた。高野町の町長だった。町長を知らないショーケン以外は驚いた。三人は一斉に声を出した。 「町長!」 「やあ、みなさん。猪レースの見物ですか?」 龍次が答えた。 「そうです。町長は?」 「わたしは、仕事です。保土ヶ谷さんは、肺は完全に治ったんですか?」 「はっ?」 「肺の病気で入院されてたんでしょう?」 「えっ、どうしてそれを?」 「地獄耳でしてねえ。」 「あ〜〜〜、あそこで寝てた人、町長!?」 「えっへへ〜。」 「なぁあんだ!」 「聞くつもりはなかったんですけどね。」 「昼寝ですか?」 「そうです。昨夜は、仕事でまったく寝てなかったもので。」 「大変ですねえ、町長も。」 「別荘を見に来たんですよ。」 「別荘ですか?」 「友人の別荘なんですけどね。ぜひ見て欲しいということで来たんですよ。」 「そうだったんですか。」 「これで、十件目ですよ。」 「別荘がですか?」 「はい。温暖化の影響でね。最近は、ここは避暑地なんですよ。」 「避暑地ですか。軽井沢化ですね。いいじゃないですか。」 「どういうもんですかねえ?」 「いいことですよ。」 バスのクラクションが鳴った。 「あっ、お母さん、バスが来たわ!」 みんなは小屋から出て、バスに乗り込んだ。龍次たちの他に、乗客はいなかった。後ろの席に座った。 龍次と町長は一緒の席に座った。その後ろに、ショーケンが座り、反対側の席に橘親子が座った。 町長は、大きくあくびをした。眠そうだった。 「高野山も野迫川村(のせがわむら)も、シェア別荘なんですよ。」 「シェア別荘?」 「夏場は日本人の避暑地で、冬場は外国人の雪別荘なんです。」 「外国人の雪別荘?」 「主に、台湾とか中国南部の雪の少ない人が来るんですけどね。」 「ああ、そうなんですか?」 「野迫川村(のせがわむら)の冬は、奈良県の北海道と呼ばれているくらいに、雪が多いんですよ。」 「それを目当てに来るんですか?」 「雪そのものが、面白いんでしょうね。」 「その方々は、雪を見てるだけなんですか?」 「雪だるまや雪合戦をして、はしゃいでますよ。子供のように。」 「きっと、楽しいんでしょうね。」 「まあ、雪を知らない人にとっては、新鮮なんでしょうねえ。」 「そうかも知れませんね。」 「わたしは、新潟生まれ新潟育ちなもので、雪は見たくないです。」 「ははは、そうですか。」 「大変なんですよ。雪国の屋根に登っての雪下ろしは。」 「そうなんですか。わたしは、鹿児島生まれの鹿児島育ちなもので、そういう経験がないもので。」 「保土ヶ谷さんは、鹿児島?」 「はい。」 「わざわざ外国まで雪を見に来るなんて、世に中って面白いもんですね。」 「高野山にも来るんですか?」 「はい、弘法大師に逢いに来る人もいます。」 「弘法大師に逢いに?」 「はい。台湾にも弘法大師の信仰があるんですよ。」 「え〜〜、そうなんですか?」 「台北の天后宮というところに、祀られています。」 「それは知りませんでした。」 バスは、次の猪レース場前で止まった。六人が乗り込んんで来た。 ショーケンが、窓の外を見ながら考えていると、橘順子が声をかけた。 「ショーケンさん、隣に座ってもいいかしら?」 「どうぞ。」 順子は、嬉しそうに顔で、丁寧に座った。お尻が少し触れたので、座りなおして離した。歩(あゆみ)はショーケンの後ろに席を移した。ショーケンは、相変わらず、窓の外を眺めていた。順子が質問した。 「何を見てるんですか?」 「猪です。」 「そんなに珍しいんですか?」 「珍しくはないんだけど、変な猪ですね。」 「変って?」 「猪って、知ってますけど、あんなに人に馴れるのかなあと思って。」 「不思議ですか?」 「とっても不思議。」
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