サキと熊さんが、食堂から帰ってくると、紋次郎が立ちすくんで旅人のように遠くの山々を見ていた。サキが声をかけた。 「紋ちゃん、ただいま〜!」 紋次郎は長い爪楊枝(つまようじ)を斜めに咥えていた。 「これが、峠の向こうでござんす。おタエさん…」 「紋ちゃん、何言ってるの?」 紋次郎は、サキに向いた。 「あっ、ごめんなさい!」 「大丈夫?」 「すみません。帰って木枯し紋次郎のビデオを見てたもので。」 「なあんだ、そういうことか。」 熊さんが叱咤した。 「紋次郎、しっかりしろよ。まだ仕事は終わっていないぞ。」 「はい!」 「じゃあ、始めるか!」 「はい!」 「サキちゃん、もういいよ。紋次郎が帰ってきたから。」 「あっ、そうね。じゃあ、紋ちゃん、頑張って!」 「はい!」 サキは集会所に戻って行った。 「紋次郎、そこの出っ張りを、鋸で切ってくれ!」 「はい!」 ギギっ!っと妙な音がした。紋次郎が叫んだ。 「いたたたたた!」 「どうした、紋次郎?」 「間違って、指を切ってしまいました。」 「なにやってんだよ〜、ちょっと見せてみろ。」 紋次郎は「はい!」と言って、左手の人差し指を見せた。 「あ〜〜あ、傷ついちゃって。人間だったら大怪我だぞ!」 「大丈夫です、ロボットですから。」 「ロボットが、いたたたって痛がるのかよ?」 「ただのプログラムなんです。感覚はあるんですけど、痛くはないんです。」 「そうか、紛らわしいなあ。とにかく気をつけてやれよ。」 「はい!」 「魂を入れてな!」 「たましい?」 「根性だよ。」 「こんじょう?」 「あ〜〜、面倒くさいなあ〜。心を入れるんだよ。」 「心を入れる?」 「思いやりを入れるってことですか?」 「思いやりを入れる?」 「心は思いやりだと、大先生は言いました。」 「…そうだよ。思いやりを持って仕事をするんだよ。思いやりを持って道具を使い、思いやりを持って、使う人のことを考えて仕事をする。」 「使うニワトリですけど?」 「そうだよ、ニワトリだよ。ここでは、ニワトリ!」 「物も人間の付き合いと同じ、思いやりをもって付き合わないと、直ぐに壊れる!」 「なるほど!さすが大先生!」 「おまえ、ちょっとオーバーだよ。」 「よ〜〜く分かりました大先生!今、プログラムに新たな認識を加えます!」 「新たな認識?まったく、いちいち面倒くさいなあ。」 職人の熊さんは、少しいらいらしていた。 「何か?」 「何でもないよ。」 紋次郎は熊さんの顔を見ていた。熊さんは、ロボットの相手をするのが面倒になって「独り言だよ。」と言って逃げた。 「ああ、そうですか。」 紋次郎は、熊さんから教わった新たな認識で仕事を始めた。 「仕事は思いやり、仕事は思いやり…」 「最近は、金儲けだけで、思いやりもへったくれもないけどな。虚しい人間ばっかだよ。」 「何か言いました?」 「何でもねえよ。独り言だよ。」 紋次郎は、新たな目の光で燃えていた。 「まったく、単純なやつだな〜。」 「何か言いました?」 「何でもねえよ。独り言だよ。」 ロボットはロボットなりに、一所懸命に頑張っていた。 「ロボットも、まだまだ改良の余地があるな〜。」 「何か言いました?」 「何でもねえよ。独り言だよ。」 「大先生は、独り言が多いんですねえ。独り言は、ボケの始まりですよ。」 「ああ、そうかよ。」 紋次郎は、思いやったつもりだった。 「紋次郎!」 「はい。」 「思ってることを、ぽんぽん言うと、人に嫌われて損するぞ。」 「どういうことですか?」 「…例えばだな、目の不自由な人間に、いくら気の毒だと思っても、目が不自由で大変ですねえ〜とか言ったら、その人間は傷つくだろう。そういうことを言っちゃあ駄目なんだよ。」 「どうしてですか?」 「相手が気にしてること言ったら駄目なんだよ。」 「あ〜〜、そうなんですか。」 「そういうのを思いやりって言うんだよ。分かったか。」 「…分かりました!」
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