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作品名:シュールミント 作者:毬藻

第77回   ローリングストーン
森の公園の広場は、人々や彷徨(さまよ)える亡霊たちで賑わっていた。
看板持ち仕事の女性が立っていた。看板には、<8月45℃対策フェア>と、書かれてあった。
ベレー帽をかぶり、スケッチブックを持った初老の男が、その女性の近くのベンチに座った。
男は、「うん、いいぞ。」と言って、鉛筆を握った。それから、看板持ち仕事の女性に声をかけた。
「君、もうちょっと手前に寄ってくれないかな。」
その女性は、「はい。」と言って、下がった。
「そんなの持って、大変だねえ。ずっと、そうやって立ってるの?」
「はい。」
「ベンチに座ればいいじゃない。」
「駄目なんです。椅子はいいんですけど、ベンチは駄目なんです。」
「椅子はないの?」
「はい。」
「ケチな会社だねえ。」
「はい。」
「立ちっぱなしだと、血液が脚に溜まって、静脈がふくらんで血栓ができちゃうよ。」
「ええ、そうなんですか!?」
「その血栓が心臓や脳の毛細血管に行ったら、倒れちゃうよ。」
「え〜〜!いやだあ〜。」
「まったく、ひどい会社だなあ。」
男は、ショルダーバッグから、60センチほどのアルミの棒の先に布のついたものを取り出した。
それから、アルミの棒を固定してある中央のものを軸に開いた。
「じゃあ、これに座りたまえ。椅子なら、いいんだろう。」
男は、女性の後ろに、それを置いた。
「使いなさい。わたしもここで、日が暮れるまでいるから。」
「えっ、いいんですか。」
「いいよ。」
女性は、「ありがとうございます。」と言って、座った。
「これいいですね。お尻が痛くなくって。何なんですか?」
「それはね、野外スケッチ用の椅子なんです。長時間座っていても疲れないんです。それに、アルミだ

から持ち運びに便利なんですよ。」
「いいですねえ、これ。椅子っぽくなくって。高いんですか?」
「高くはないよ。千円あたりから売ってますよ、画材屋さんでね。ほんとうの椅子じゃないから、仕事しているみたいに見えますよ。」
「画材屋さんに売ってるんですか?」
「インターネットでも売ってますよ。それのほうがいいかな。いろんな椅子が売ってますよ。」
「ああ、そうなんですかあ〜。」
「スケッチ、椅子と検索すればいいのかな?」
「ああ、そうですか。やってみます。」
「立ち仕事のときには、弾性ストッキングをはいたほうがいいですよ。下肢静脈瘤になります。」
「下肢静脈瘤?」
「脚に流れる血液は重力に逆らって心臓に戻らなくてはなりません。足を運動させることで足の筋肉が収縮し、ポンプ作用となって静脈内の血液を心臓へ向けて押し上げてるんです。静脈の中にはいくつもの静脈弁があり、押し上げられた血液が逆流しないようになっています。ところが脚への圧力で、この弁が壊れると血流の逆流が起こり、下肢の静脈にたまって、静脈が浮き出てコブをつくります。これが下肢静脈瘤です。」
「わ〜、怖い!お医者さんなんですか?」
「はい。」
男と女性の前を、スミレちゃんと一平が通り過ぎて行った。

「スミレちゃん、幽霊って、ほんとうに足が無いんだねえ?」
「そうよ。幽霊が足で歩いたら、生きてるみたいで気持ち悪いわ。」
「そうかなあ?」
森の公園には、いろんな屋台が並んでいて、人々が群がっていた。
「見て、あの人、焼きそばを箸一本で食べてる。」
「ほんとだ。器用だなあ。」
「でも、にこにこしながら、柳屋の社長さんみたいに、楽しそうに食べてるわ。」
「やなぎや?」
「いろんな楽しい服を売ってるの。」
「どこにあるの?」
「平成町の隅っこ。あとで教えてあげるわ。」
スミレちゃんは、奇妙な歌を唄いだした。

 器用な手先は器用な頭脳 器用な手先は器用な心 ♪
  器用な頭脳は器用な手先 器用な頭脳は器用な心 ♪
   器用な心は器用な手先 器用な心は器用な頭脳 ♪

「不器用だと、心にコケが生えるわ。」
「なるほどねえ。」
「危ない!ローリングストーン!」
前方から、妖怪ローリングストーンが、ごろんごろんと転がってきた。
一平は、ハンドルを右往左往して、右に避けた。
「危ないなあ!』
妖怪ローリングストーンは、転がりながら怒鳴っていた。
「右往左往する前に、右脳左脳しようぜ、ベイビー!」
奇妙な歌を唄いながら、去って行った。

 転がる人生にはコケは生えない 転がる心にはコケは生えない ♪ 
   転がって生きろ 転がって生きろ 油断せずに転がって生きろ ♪ 

チャイナドレスを来た、妖艶な女性が歩いてきた。
「あっ、綺麗な妖怪だなあ。」
「あれは妖怪じゃないわ。人間よ。」
その女性は、にこにこしながらやって来た。
「ニー・ハオ・マ?」
「えっ?」
「お元気ですか?」
一平は、軽く返事をした。
「あっ、はい。」
「レッツ、スタディ、チャイニーズ。」
「はっ?」
「中国語講座、レッスン・ワン!」
「なんで、いきなり唐突にチャイナ服の中国人が現れて、中国語講座になるんだあ?」
スミレちゃんが、その質問に答えた。
「世の中を創作している神様は、気まぐれなのよ。きっと退屈だったのよ。」
彼女は、美人だった。
「時間がないので、ちょっとだけならいいですけど。」
スミレちゃんが、一平の右脇腹を抓(つね)った。
「いたっ!なんだよ、スミレちゃん?」
チャイナ服の美女は、スミレちゃんの方を見て笑っていた。それから、一平の方を振り返った。
「何か、中国語を御存知ですか?」
「…ニーハオ。こんにちはですか?」
「そうです。」
「さっき、ニーハオなんとかって言ってましたね?」
「ニー・ハオ・マです。」
「にー、はお、ま…」
「最後に、マをつけると、疑問文になるのです。日本語の、そうですかの<か>と同じです。」
「ふ〜〜ん。」
「ニー・ハオ・マで、お元気ですか?の意味になります。」
「ニー・ハオ・マ…」
「発音も、なかなかいいですよ。」
「じゃあ、『本当です。』は何と言うのですか?』
「ジェン・ダです。」
「じゃあ、疑問文にすると、ジェン・ダ・マ?ですね。」
「そうです!」
スミレちゃんは、口を尖らせて、つまらなそうに空を漂う雲を睨んでいた。

 浮気者の はぐれ雲
  どこに行くのか はぐれ雲
   いったいどこに行くのさ はぐれ雲
 ふわふわふわふわ はぐれ雲
   ゆらゆらゆらゆら はぐれ雲
 ふわふわふわふわ 風任せ
   ゆらゆらゆらゆら 風任せ
 やがてはどこかの青空に
   いつの間にか消えて行く


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