公園の前の道路の歩道を、汚いダンボールをかぶった、妖怪喘息小僧が歩いていた。 スミレちゃんは、一平に命令した。 「ストップ!」 ガソリン自動車が、ガソリン臭を吐きながら凄いスピードで道路を走って行った。 妖怪喘息小僧が、ダンボール箱のなかでゼエゼエと苦しそうに息をしながら、二人の前を通り過ぎて行った。交通事故で死んだ亡霊たちが、『痛いよ〜!痛いよ〜!』と言い合いながら血だらけの顔で歩いていた。 「自動車の走る道路は怖いわ。まるで地獄だわ!」 「そうだね!」 「まるで、戦争だわ〜。」 「そうだねえ。」 「みぎ、ひだり、オッケー!ゴ〜!」 一平は、力強くペダルを踏み込んだ。三輪自転車スミレちゃん号は、横断歩道を渡った。 「公園を回るよりも、公園の中を行ったほうが早くて安全だわ。」 「あっ、そう。じゃあ、そうしよう。」 自転車は、公園に入って行った。 大きなイチョウの木の下で、芸大出の画家のホームレスのおじさんが、キャンバスを持って座っていた。 一平は、自転車を止めた。 「ろうそうしそうの画家のおじさんだわ。」 「おお、スミレちゃん!」 昨日の、元大学の先生の絵描きのホームレスおじさんだった。 「おお、君は、昨日の!?」 「昨日は、どうも。何を描いてるんですか。」 「待ってるんだよ。」 「何を待ってるんですか?」 「それが分からないから、待ってるんだよ。」 「なるほどね。」 いつもの答えに、スミレちゃんの決断は早かった。 「わたしたち急ぎますので、また逢いましょう。さようなら!」 一平は走り出そうとした。おじさんが止めた。 「そんなに急いだら、電池が無くなるよ。」 「えっ?」 「寿命の電池がなくなっちゃうよ。」 「はあ?」 「早く動かすと、電池の消耗が早いぞ。」 「そうなんですか?」 「ゆっくりと、いろんな移り変わる時間を眺めて生きるんだよ。そしたら、いろんなものが見えてくる。」 「はい、そうします。」 スミレちゃんは、一平に促した。 「早く行きましょう!」 自転車は走り出した。走っていると、大きな蜂が飛んできた。一平は、自転車を止めた。 「スズメバチかなあ〜?怖いなあ〜」 ブ〜〜〜ン! スミレちゃんが叫んだ。 「危ない!」 一平は、頭を下げた。 スズメバチのようなものが、通り過ぎていった。胴体は金色に光っていた。 「ぅわっ、な〜にあれ!?蜂?」 「蜂じゃないわ。バチよ。」 「バチ!?」 「罰(ばち)が当たる、バチよ。」 「え〜〜!そんなのがいるの?」 「バチが当ると、大変なことになるわ。」 「あ〜〜、良かった!」 「心の汚れた人には見えないの。だから当るの。」 「え〜〜、そうなの!」 「きっと、どこかに、バチの巣があるんだわ。」 「バチの巣!?」 「ほら、あそこよ。」スミレちゃんは、指差した。 直径一メートルほどの金色の巣が、大きなポプラの枝にぶらさがっていた。 「バチたちが、ばちばち言ってるわ。」 「ぅわ〜〜〜!」 「バチが当るから、早く行きましょう!」
公園の中央にある広場には、ソフトドリンクの売り子がいた。 「豊かな心になれる、駒コーラの心緑茶はいかがですかあ〜。」 「あっ、昨日の売り子だ。」 「試飲たったの五十円ですよ〜!」 一平は、彼女の前で自転車を止めた。 「こんにちは、昨日はどうも。」 「あっ、高坂さん。」 「わ〜〜、僕の名前、覚えていてくれたんだ。嬉しいなあ〜!」 「勿論ですよ。この子は?」 「スミレちゃんって言うんです。」 スミレちゃんは、挨拶した。 「スミレです。よろしくね。」 「わたし、小野節子。よろしくね。どこに行くんですか?」 スミレちゃんは、不気味に笑っていた。 「地獄〜〜〜!」 「地獄?」 「なあに言ってるの、スミレちゃん?」 「綺麗な花には棘(とげ)があるわ。」 「えっ、ひょっとして、わたしのこと?」 スミレちゃんは、彼女を睨んでいた。 「急いでいるので、失礼します!」 「えっ、もう行くの?」 「れっつ、ご〜〜!」 一平は、仕方なく走り出した。 公園の掲示板の前だった。 「ちょっと待って!」 一平は、自転車を止めた。 「どうしたの?」 スミレちゃんは、掲示板に貼ってある張り紙を見ていた。 「この人、そこらへんを歩いている人とは違うわ。」 「えっ?」 「人の心を深く読める、鋭く澄んだ目をしてるわ。」 「そりゃあそうだよ。これは、将棋の羽生名人だもん。」 「…逢ってみたいわ。」 「それは無理だよ。こんなところにはいないよ。」 「残念だわあ。」
中年の男が、なにやらブツブツ言いながら歩いて来た。するとバチが飛んできて当った。バチの見えて
ない男はびっくりして見上げた。上空から鳩の糞が落ちてきて、その男の口に入った。 男は、思わず叫んだ。 「ぅわ〜〜〜!」 どこからか、およよ妖怪たちが出てきた。 右手を天にかざして、「およよ。」 左手を天にかざして、「およよ。」 と言いながら。 それはそれは、滑稽な五十センチほどの五体の妖怪たちだった。一平の前まで辿り着くと、奇妙な歌
を唄いだした。
幼い小さな心は 風任せ ひらひらひらひら 風任せ ゆらゆらゆらゆら 風任せ 漂うだけで 疲れ果てて 生きていく 漂うだけで 疲れ果てて 死んでいく
その奇妙な妖怪たちは、バチが当った男のところで足を揃えて止まった。そして静かに諭した。 「人生、生きるも八卦(はっけ)、死ぬも八卦(はっけ)。旦那、先を読んで生きないと、死にまっせ。」 と言い残し、去って行った。 風を感じる余裕の無い男には、妖怪たちの姿は見えていなかったし、声も聞こえてはいなかった。 その男は、 「くそ〜〜!」 と叫んで、どこかに去って行った。
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