「龍次さんは、足腰が弱っているわ。」 「なんだって!?」 「老化は、足腰から始まるのよ。」 「そんなはずはない!」 龍次は、静かにスミレちゃんを地面に下した。 「それじゃあ、試しに砂浜まで走って、戻ってきましょうか。」 「やめたほうがいいわ。足腰がバラバラになって大変なことになるわ。」 「そんなことはないよ!」 「インテリは、頭脳で勝負すればいいじゃない。」 「僕は、インテリなんかじゃない!ただの蟻ん子労働者ですよ!」 龍次は、砂浜に向かって、全力で走りだした。そして、海辺の手前で倒れこんだ。 みんなは、龍次に向かって、それぞれにそれぞれの走り方で、それぞれの速さで走り出した。 最初に事故現場に到着したのは、美人漫画家の涌井いづみだった。 「龍次さん、だいじょうぶ!?」 次に到着したのは、キラキラ瞳の愛美(めぐみ)だった。 「龍次さん、ごめんなさい!」 次に到着したのは、スミレちゃんだった。 「龍次さ〜ん、どうしたの?」 龍次の目の前には、蟹が鋏(はさみ)を持ち上げて、横に歩いていた。龍次は、その蟹を睨みながら泣いていた。 「われ泣きぬれて、…蟹とたわむる。」 蟹の前に、百円硬貨が光っていた。 「あっ、お金だ!」 龍次は拾い上げて、よく見て確かめた。 「もとい!…われ泣きぬれて…、金(かね)とたわむる!」 すばらしい言葉に、みんんは大いなる心からの拍手を送った。 「ワンダフル、龍次さん!」 龍次を慰(なぐさ)めたのは、涌井いづみだった。龍次は、その言葉に答えた。 「なんて素敵な、セニュリータ!」 龍次には、蟹さえも拍手しているように見えた。 「人は、他人の不幸を平気で見ていられるほどに、強い。」 「なんなの、それ?」 「三島由紀夫の言葉だよ。」 「なんだか、深い言葉ね。」 「君たちみたいな人もいるんだね。」 「えっ?」 「…人は、他人の不幸を平気で見ていられないほどに弱いんだね。」 「そうかも知れないわ。人間ひとりひとりは弱いわ。ひとりでは生きて行かれないわ。」 「そうなんだよね。」 龍次の目の前にいた、事件を目撃した蟹は、もういなくなっていた。 波の音が、みんなを癒していた。 涌井いずみが手を差し伸べた。 「一緒に、人生を創作しましょうよ。」 「人生を創作!?」 「そうです!」 「そんなこと、今まで考えもしなかった。」 「じゃあ、どうやって生きてきたの?」 「ただ、流されるままに、蟻ん子のように…」 「それじゃあ、駄目よ。真っ白のままで死んでしまうわ。」 「ああ、そうだね。君の言葉で今、気がついたよ。」 「それなら、今から変えましょうよ。」 「そうだ、変えよう。僕は、考える人間なんだ。考えない蟻ん子なんかじゃないんだ。」 「そうよ。流されるだけじゃあ駄目よ。インテリのド根性を見せるのよ。」 「そうだ、まったく君の言うとおりだよ。」 「足腰が弱ったら、人生は終わりだわ。」 「そうだね。」 「足腰が弱ったら、血行が悪くなって、コレステロールがたまるわ。」 「そうだね。」 「足腰が弱ったら、血行が悪くなって、マネーよりも大切な心も働かなくなるわ。」 「マネーよりも大切な心も?」 「そうよ。」 「ビートルズの、マネーという曲を思い出したよ。」 「知らないわ。」 「おお、世代のギャップ!」 涌井いずみは、青い空を見上げた。 「大菩薩峠の別荘を見せてあげるわ。」 「えっ、ほんと。」 「そこで、叔父さんが陶芸をやってるの。」 「じゃあ、今から僕のハイブリッドカーで行きませんか?」 「いいですよ。愛美も一緒でいいかしら?」 「いいですよ。」 龍次は、スミレちゃんを見た。 「スミレちゃんも行こうよ。」 「わたしは、いいわ。」 「どうして?」 「道路を走るんでしょう。」 「そうだよ。」 「道路には、事故で亡くなった亡霊たちが、たくさん歩いていから、悲しくって辛くて、とってもとっても怖いわ。」 スミレちゃんは、歌いながら、身軽なステップで帰って行った。
人は 三歩進んで二歩下がる ♪ 人は 三歩進んで二歩下がる ♪ 人は 三歩進んで二歩下がる ♪
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