龍次は、漠然と空を見ていた。 「おかしい空だなあ〜。昔はこんなんじゃあなかったのになあ〜。」 美人漫画家の涌井いづみは、龍次の背後にいた。 「どんなんだったんですか?」 「なんちゅうか、もっと切ない香りがしてたような…」 「切ない香り…」 「…これは、僕らの空じゃない。」 「じゃあ、蟻ん子の空?」 「蟻ん子の空でもないよ。」 「何の空かしら?」 「きっと、人間の欲望で汚れた空だよ。」 「悲しいの?」 「ちょっとね。」
妖怪温泉の前で、スミレちゃんが手を振っていた。龍次は、腕時計を見た。ちょうど二時だった。 「六月の夏、それから八月の地獄までには、絶対になんとかします!」 「温暖化による八月の地獄から、みんなを助ける、いい方法はないのかしら?」 「そうですねえ。街を地下にすればいいんですよ。」 「地下にですか。」 「地下だったら、灼熱地獄の八月でも大丈夫です。」 「それはいいですね。」 「蟻ん子に習って、蟻ん子になるんですよ。」 「いよいよ、蟻ん子になるんですね。」 「そうです。本格的に、蟻ん子になるんです!」 「なんだか面白そうだわ。」 「道路も地下にするんですよ。そして、地上は交通事故のない、綺麗な空気の緑の楽園にするんです。」 「なるほど〜!」 「二酸化炭素を地上には出さないようにすれば、地球の温暖化も防げます。」 「そんなことをしたら、地下は二酸化炭素だらけになって、みんな死にますよ。」 「あ〜〜、そうかぁ〜!」 「今から、熊本に行くんですか、お一人で、とぼとぼと?」 「とぼとぼと、じゃありませんよ。ちょちょいのちょいっと行くんですよ。」 「熊本まで、お一人で、寂しく、ひょろひょろと?」 「ひょろひょろと、じゃありませんよ!」 「一人で寂しく。ちょちょいのちょいっと…」 「心に希望があれば、ちいとも寂しくなんかあらしましぇんにゃん。急がば、回れ右と言いますにゃん!」 「にゃんにゃん語になってますよ。」 「ありゃ〜〜ぁ!」 「熊本でないと駄目なんですか?」 「いいえ。焼け死ななければ、どこでもよかとです。」 「熊本弁になってますよ。」 「そげんね?」 「風魔の里なんて、どうでしょう?」 「風魔の里…どこにあるとね?」 「大菩薩峠にあります。」 「え〜〜〜〜!?」 「別荘があるんです。」 「え〜〜〜〜!?」 スミレちゃんがやって来た。 「龍次さん、何を話してるの?お邪魔だったかしら?」 「スミレちゃ〜〜ん、久し振り!」 龍次は、スミレちゃんを抱きかかえた。 「スミレちゃんが来るのを、待っていたんだよ。」 スミレちゃんの重さに、龍次はよろめいた。 「けっこう、重いんだなあ!」 涌井いづみの後ろを歩いていた、愛美(めぐみ)が、口を滑らした。 「へなちょこおやじ!」 龍次は、聞き逃さなかった。 「…なんだって!…へなちょこおやじ!?」 険悪な雰囲気がやってきた。 龍次は、目の前の空(くう)の一点を睨み、愛美も、目の前の空(くう)の一点を睨んでいた。 しばらくの間、戦慄の空(くう)が支配した。そして、スミレちゃんが、空(くう)をこじ開けた。 「お父さんが、この辺りの街路灯を、ブルーにすると言っていたわ。」 我に返った龍次が、その声に答えた。 「プルキニュ現象!」 その答えに質問したのは、もだえる空(くう)と時間の中で、きらきら輝く美人の涌井いづみだった。 「何ですか、それ?」 龍次は、即座に答えた。 「青色は、人間の心を鎮めるんですよ。イライラしなくなって犯罪が減るんですよ。」 「ほんとですか。」 「東京都では、効果が出ていますよ。ニュースでやってました。」 「そうなんですか。」 「だから僕は今、青い空を見てるんですよ。」 みんなも、龍次のように空を見ていた。 「昔の空は、もっと切なく悲しい青だったなあ…」 スミレちゃんの瞳は、なぜかキラキラと輝いていた。 龍次は、空に向かって叫んだ。 「うぉうぉ〜♪、ぃえぃえ〜〜ぃ!」 「龍次さんには、インテリのド根性がみなぎっているわ!」
僕は ひたすら虚空に佇(たたず)む なにものにも染まらず 虚空に佇(たたず)む ただひたすらに この青い空の下で 虚空に佇(たたず)む
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