「ボール!フォアボール!」 青空に、愛美(めぐみ)の声が轟(とどろ)いた。 ボールは、網に当って下に落ちた。二メートル四方の網の外にいた愛美が、網の下に手を伸ばして取った。網の下部は網が張ってなかった。 「交代です!」 龍次は、「おっかしいなあ〜?」と、ぼやきながらやってきた。 美人漫画家の涌井いずみは無言で、バットを渡した。龍次は、空を見上げた。 「それにしても、不気味な温かさですねえ…」 「ニュースで、去年の夏は四メートル以上あった北極点の氷の厚さが、わずか七十センチになったって言っていたわ。」 「え〜〜〜!」 「溶けて、北極の氷は三分の一になって、大西洋に流れ出したそうよ。」 「え〜〜〜!そんなバカな!」 「アラスカと繋がっていた北極は、氷がなくなって、回転してるんですって。」 「え〜〜〜!そんなバカな!」 「今年は、無くなるかも知れないって、言っていたわ。」 「え〜〜、そうなの!無くなったら、どうなるの?」 「科学者にも、分からないらしいわ。」 「え〜〜〜!大変だぁ!僕たちは、どうすればいいの?」 「そんな難しいことは、分からないわ。」 「あ〜〜、それを聞いたら、なんだか頭痛がしてきた。」 「頭痛の原因は、酸素不足って科学者が言っていたわ。」 「え〜〜〜!そうなの!」 「脳には、酸素が必要なの。」 「今年の八月は、ところによっては、五十℃になるって言っていたわ。」 「え〜〜、五十℃〜〜!焼け死にますよ〜!」 「そうですね。」 「そうですね、じゃありませんよ。涼しい場所に逃げましょう!」 「涼しい場所?」 「熊本がいいです。五木村がいいです。」 「熊本、五木村?」 「土地が安いんですよ。山があって、地獄の夏でも、緑のそよ風が吹いて、頭痛にならない酸素もた〜くさんあります。」 「そんなにいいとこなの?」 「そりゃあ、もう。川原には、クレソンも生えてるし。」 「熊本のクレソンは、おいしいの?」 「おいしいです。」 「家はあるの?」 「土地を買って、僕の設計した特殊強化発泡スチロールの球形住宅を建てます。」 「発泡スチロールの住宅?」 「大丈夫です。百倍の強度があります。」 「じゃあ、水にも浮くんですね?」 「そうです。洪水でも大丈夫です。」 「中は、涼しいの?」 「大丈夫です。発泡スチロールには空気が詰まってますから、断熱効果が優れています。」 「あなたの目は、嘘を言っていないわ。」 「なぜ分かるんですか?」 「人は、ほんとうのことを言うときには、目玉が左上を向くの。」 「え〜〜〜、ほんと〜!」 「風魔の秘伝書の中に書いてあります。」 「そんなことが。」 「人の目玉は、真を語れば左上を見る。嘘を語れば右上を見る。そう書いてあります。」 「そういえば、テレビでFBIの捜査官も、同じようなことを言っていましたよ。」 「えっ、ほんと?」 「なんでも、人間は思い出すときには左脳を使い、創作するときには右脳を使うので、目の玉は脳が働いてる方に向くんだそうです。」 「そうなんですか。」 「こんなところで、ソフトボールをしている場合ではありません。」 「そうかも知れませんね。」 龍次は、愛美の方を向いた。 「愛美さんも、一緒に行きましょう!」 「熊本に?」 「そうです。」 「学校もあるし、親もいるし、無理だわ。」 「そっかあ。」 「じゃあ、暑くなったら遊びに来てください。」 「はい。」 「僕は、これから熊本に行って、見てきます。」 涌井いずみは、びっくりした。 「え〜〜、もう行くの!」 「はい。火葬場以外では、焼け死にたくありませんから。急がば回れ右です。」 「まだ、わたし決めてませんよ。」 「いいんです。いいんです。だったら遊びに来てください。」 「はい。」 いきなり君子豹変する、強引な龍次であった。龍次は空に向かって叫んだ。 「うぉうぉ〜♪、ぃえぃえ〜〜ぃ!」 「龍次さんには、インテリのド根性がみなぎっているわ。」 「王の早逃げ、八手の得!」 「なんですか、それ?」 「将棋の格言です。」
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