龍次は、美人の涌井いづみの後から歩いていた。 「冬だというのに、この暖かさ、なんだか不気味ですねえ。」 「今朝、ニュースで、六月七月を夏、八月を地獄と、季節名を変更すると言っていたわ。」 「地獄!凄い名前だなあ。」 「学校も、七月八月九月を休みにするんですって。」 「じゃあ、夏地獄休みだ。」 「そうですね。」 「恐ろしい時代になってきたなあ。」 「八月は、外出禁止にするそうです。」 「焼け死ぬから?」 「そうだと言ってました。」 「なんということだ。」 そう言いいながら、龍次は躓(つまづ)いて転んだ。 「後追い歩きは、危ないわ!」 「後追い歩き?」 「子供のように、道を見ないでママの後姿を追って歩いたら駄目でしょう!」 「ごめんなさい!」 「大人なんだから、後追い歩きは、止めましょう!」 「はい。」 「幼稚園で教わったでしょう。」 「いいえ。そのようなものは?」 彼女は、年寄りを労(いた)わるように、手を差し伸べた。変なところにプライドの高い龍次は、その手を振り払った。 「大丈夫です、わたしは大人です!」 「遠慮なさらなくっていいのよ。」 彼女は、なおも手を差し伸べた。その時、龍次は土の上の蟻ん子を見ていた。まるで、自分を見つめるように蟻ん子を見ていた。 「けっこうです。働き蟻は、自分の力で起きます!」 龍次は、「にゃんにゃんにゃん!」と言って、立ち上がった。 それから、広場に向かって走り出した。そして、広場の真ん中で立ち止まった。叫んだ。 「ばかやろ〜〜!」 間もなくして、二人がやってきた。 美人漫画家の涌井いづみは笑っていた。 「どうしたの、龍次さん?」 「いや、なに、なんでもないです。…自分に怒ってるのかも知れません。」 「自分に?」 「自分自身の心に…」 「それはきっと、末那識(まなしき)が顔を出したんだわ。」 「まなしき?」 「意識の下にある、原始な感情のことよ。」 「誰の言葉なんですか?」 「お釈迦様の言葉よ。」 「そうなんですか。知らなかった。」 「フロイトの潜在意識みたいなものだけど、もっと原始的なものなの。」 「そうだったのか〜。ちいっとも知らなかった。インテリ失格だなあ〜!」 「そんなに大袈裟なものじゃないわ。一般教養の範疇だわ。」 「えっ、そうなの〜!?」 龍次は、大いなるショックを受けた。 「にゃんにゃんにゃん!」 甘えん坊の龍次であった。 「気にすることはないわ。時代によって、教わることも変わってくるのよ。」 「時代は、刻一刻と変わっているんだな〜。」 「そんなことより、さあ、遊びましょう!」 アシスタントの愛美(めぐみ)が、ボールを龍次に投げた。龍次は、取り損なって地面に落とした。 「ああ、駄目だなあ、僕は〜。」 「大丈夫よ。やってなかったんでしょう?」 「ええ、十年振り、いやそれ以上かなぁ…」 「じゃあ、無理もないわ。」 「じゃあ、僕、ピッチャーやります。どこから投げればいいんでしょう?」 「ついて来て、教えてあげるから。」 龍次は、黙って彼女の後をついて行った。 「下手(したて)投げよ。」 「ええ、分かってます。」 龍次は、転びそうになった。 「後追い歩きは危ないわ。」 「あっ、そうか!」 「人に頼らずに、自分の目で見て、自分で考えて歩きましょう。」 「はい!」 龍次は、マウンドに立った。そして叫んだ。 「プレイボール!」 一羽のカラスが、からかうように鳴きながら、龍次の上を飛んで行った。 「うぉうぉ〜♪、ぃえぃえ〜〜ぃ!」 「龍次さんには、インテリのド根性がみなぎっているわ。」 「じゃあ、行くぜえぇ〜!まなしき投げ!」 「まなしき投げ?」 「僕の魂のボールです!」 「龍次さん、困りごとがあったら、いつでも私に電話してね。」 「こんなときに、そんな殺し文句を使うなんて、ずるいよ〜ぅ!」 「ほら、あなたの足元で蟻ん子が龍次さんを応援してるわ!」
人類が たとえ温暖化による灼熱砂漠化で滅びたとしても 文明を持たない蟻ん子たちは 地下にもぐって たくましく生き延びるだろう 蟻ん子だって ちゃんと生きてるんだぁい! 人間なんかにゃ負けないぞぉ!
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