二十一世紀の世の中は、僻んだり妬んだり、ぼやぼやしたりしている暇などないほどに、急速に動いていた。 現実は、刻一刻と冷たく確実に前に進んでいた。そして、弱い人々は、自分の生きる場所を失い、虚ろな目で現実を呪い、ふやふやの弱い魂は、暖かい何かを求めて彷徨っていた。 自然薯の龍次は、走りながらズボンのポケットをまさぐった。 「駐車券、駐車券、…」 駐車券を取り出すと、走りながら見た。すでに息はあがっていた。 「あ〜〜、駄目だぁ〜!」 龍次は立ち止まった。そして駐車券を見た。 「猿の腰掛け駐車場…、どこだったかなあ〜?」 化粧の濃い婦人が歩いて来たので、尋ねた。 「あの〜、猿の腰掛け駐車場って、ご存知ですか?」 「猿の腰掛け駐車場?さぁ〜〜〜あ、知らないです。」 「ああそうですか。忙しいところ引き止めて、どうもすみません。」 婦人は冷たく去って行った。ここには新宿の風が吹いていた。 「困ったなあ〜、あ〜〜、喉が渇いた。」 興奮と慣れない駆けっこで、口の中は乾いていた。 機動隊のニンニク放水を浴びた暴徒が、警察犬に追われていた。 龍次は、ほっと胸を撫で下ろした。 「あ〜〜、餃子食ってなくって良かったぁ〜。」 新宿のあっちこっちで暴動が起きていた。 「こりゃあ、どこも危ないなあ。」 龍次は裏通りに入った。裏通りも人々が溢れ混乱していた。 「こういうときは、下手に動かないほうがいいかな…」 ビルの二階に、インターネット喫茶の看板が目に入った。 龍次は駆け込んで入って行った。 中に入ると、龍次はセルフサービスのコーラを注いで、窓際の席に座った。意外と客は少なかった。窓の外を眺めながら、コーラを一口、二口飲んだ。 「あ〜〜、落ち着いたぁ〜。」 隣の席には、見たような女性が座っていた。 女性は龍次の目線に気づき、振り向いた。 「龍次さ〜ん!」 「蝶子(ちょうこ)ちゃ〜ん!」 以前の仕事場で雑用をやっていた、臨時雇いの蝶子(ちょうこ)だった。 蝶子は、相変わらずの、穴だらけジーパンのパンクスタイルだった。 「そのジーパン、穴が開いてるじゃん、どうしたの?お金ないの?」 蝶子(ちょうこ)は笑っていた。 「なんだったら買ってあげようか?」 蝶子(ちょうこ)は笑っていた。ジーパンの内太ももの穴から、白くてピンクの地肌が見えていた。 「蝶子(ちょうこ)ちゃんって、肌が白いんだねぇ。」 「そんなとこばっか見ないでよ。」 「そんな格好して、新宿をうろついてると、変なやつに襲われるよ。」 「そんなことより、なんでこんなところにいるの?」 「蝶子(ちょうこ)ちゃんこそ、なぁんでこんなところに?」 「ちょっとね。」 「また、ライブでも見に来たんじゃないの?」 「そうなのよ〜、駅前のライブハウス【曼荼羅(まんだら)ハウス】で、根来衆(ねごろしゅう)バンドを見に来たんだけど、この騒ぎで中止になっちゃったの。」 「根来衆(ねごろしゅう)バンド?って、どんなバンド?」 「レゲーラップ。」 「レゲーラップ?」 「聞いてみます?」 彼女は、胸のポケットからmp3プレーヤを出した。 「はい。」 「これ何?」 「プレーヤーよ。」 「こんな小っちゃなプレーヤーがあんだ?」 「え〜〜、知らないのぉ?」 「軽くて小っちゃいプレーヤだなあ。」 「踊って飛び跳ねても大丈夫なの。」 「なあんだか凄いねえ。」 「録音もできるし、ラジオも入るのよ。」 「え〜〜〜、こんな小っちゃいので?」 「聞いてみて。」 龍次は、ぎこちない手つきで両耳に当てた。 「お〜〜〜、いい音だねえ。」 龍次は、一曲の途中でイヤホンを外した。 彼女が尋ねた。 「どう?」 「・・いいんじゃない。僕には、よく分からない。これ、何て曲なの?」 「チェックメイトキングツー。」 「チェックメイトキングツー?どういう意味?」 「チェスの言葉って書いてありました。」 「あ〜〜、チェスの王手か。」 「そうなんですか?」 「ツーって言うのが、良く分からない。普通は、そんなのつけないんだけど。」 「そうなんですか。」 「けっこう有名なの?このバンド?」 「ぜんぜん有名じゃないわ。」 「初めて聞く名前だよ。」 「それでいいの。」 「えっ?」 「あんまり有名になると嫌なの。」 「相変わらず、へそ曲りだなあ。」 「せっかくここまで来たのに、がっかりしちゃった。」 「それは残念だね。」 「これじゃあ、仕方ないわ。」 「最近の曲って、みんな同じに聞こえちゃうんだよね。」 「そうなんですか?」 「僕の若い頃は、みんな個性的で、違った音楽に聞こえたんだけどね。」 「ふ〜〜ん。」 「ちっとも新しくないんだよ。みんな真似に聞こえるの。」 「たぶん、曲が全部もう出ちゃったんですよ。」 「つまり、新たな旋律がないってこと?」 「そういうことですね。」 「だから、ラップ調になっちゃうわけだ。」 「そういうことですね。」 「そういうテクニカルなことを言ってるんじゃなくってね。魂を言ってるのよ。」 「魂?」 「心が、ちっとも新しくないんだよ。新鮮じゃない。どれもこれもみんなと同じ。」 「そうかなあ?」 「そういうふうに聞こえるね、僕には。」 「う〜〜ん、それは残念だわ。」 「これからどうするの?」 「で、帰ろうと思ったんだけど、電車が燃やされて走ってないでしょう。」 「それでここにいるわけだ。」 「友達と来る予定だったんだけど、急に来れなくなったってメールが来たの。」 「それで一人で?」 「そうなんです。なんだかウツ病みたいなんです。」 「その友達?」 「ええ。」 「みんなと同じことをやろうとするから、ウツになっちゃうんだよ。」 「どういうことですか?」 「つまりさ、自分を見失っちゃうわけ。自分が無くなっちゃうわけよ。」 「で、ウツ病に?」 「そういうこと。自我の喪失ってやつだね。」 「そうなのかなあ・・」 「人真似をしないで、自分らしく生きればいいんだよ。」 「自分らしく…」 「そう、自分らしく。自分は自分。」 「どうして龍次さんは、ここにいるの?」 「うん、仕事だったんだけど、帰るには早いんでね。」 「で、新宿?」 「そういうことだね。」 「なんだか、怖い世の中ねえ。」 「昔の新宿騒乱を思い出したよ。」 「え〜〜、そういうのがあったの。」 「電車は燃やされるし、凄かったよ。」 「ちっとも知らなかったわ。」 「時代は繰り返すんだねえ。」 「いつごろの話?」 「そうだなあ…、僕が高校生ぐらいのときだから・・」 「じゃあ、わたしが生まれる前だ。」 「インターネットで調べれば分かるよ。」 「そうだね。検索してみるわ。なんて検索すればいいの?」 「新宿騒乱。」
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