紋次郎は、静かに座って月を眺めていた。 「何(いず)れ、お礼参りに伺(うかが)います!」 「お礼参り?」 お兄ちゃんは、でこぼこ道のいいところを選んでリアカーを引いていた。 「お兄ちゃん、もう少しでいい道になるわ。」 川沿いの道に出ると、アスファルトで舗装されていた。 少女はリアカーの隣を歩きながら、紋次郎の顔を見た。 「もんちゃん、どこに行けばいいの?」 「あそこです。」 紋次郎は指をさした。 「あの黄色い建物です。」 お兄ちゃんは、その建物を見た。 「集会所の隣のやつね。」 「そうです。」 たどり着くと、【作業所】と、少し大きなドアの上に書いてあった。 「ここでいいです。」 お兄ちゃんは、静かにリアカーを止めた。ゆっくりとリアカーの持ち手を上げ斜めにした。 紋次郎は、「どうもありがとうございます。」と言いながら、リアカーから降りた。 高野山に夕闇が迫っていた。ところどころの街路灯が点灯していた。闇を待ちきれないせっかちの風が、地面で寝ている落ち葉を踊らせていた。 「お兄ちゃん、今日の夜はきっと風が暴れるわ。」 「そうだな…」 お兄ちゃんは、空を風に泳ぐ雲を見た。 紋次郎は、びっこを引きながら作業所のドアを静かに開けて、中に入って行った。 お兄ちゃんと少女も後を追って、中に入って行った。 中に入ると、煌々(こうこう)とした明かりの下で、アキラがリアカーと格闘していた。傍らで、龍次が道具を持って観光客のように見物しながら立っていた。 アキラが龍次に言った。 「龍次さん、十五番の六角レンチ取って。」 「十五番ね、…はい!」 龍次が紋次郎に気付いた。 「おや、紋次郎くん、どうしたの、びっこなんか引いて?」 アキラも紋次郎を見て、異変に気付いた。 「どうした、紋次郎?」 紋次郎は、いつものように抑揚のない無機質な音声で返事をした。 「怪我をしました。」 龍次が紋次郎の前まで出てきた。 「怪我?」 「足首をやられました。」 紋次郎の後ろには、お兄ちゃんと少女が心配そうに立っていた。 「まさと君、真由美ちゃん。どうしたの?」 お兄ちゃんが答えた。 「競争したんです。そしたら転んだんです。」 「なあんだ、そうか。」 「足首のバネが外れたらしいです。」 「足首のバネ?」 アキラが出てきた。紋次郎の足首を見た。 「どっち?」 紋次郎が答えた。 「こっちです。左足。」 足首を、少し浮かせていた。 「ロボットは修理したことないからなあ…、バネって、どんなの?」 「衝撃吸収用のバネです。」 「見たことないなあ…」 「中にあるんです。足首を分解すると見えます。」 「分解?」 「特殊な道具が要るんです。」 「普通のドライバーなんかじゃ駄目ってことね。」 「はい。」 「困ったなあ。」 龍次が思い出したように、ぽつんと言った。 「あっ、そうだ!たしか、あの青年、以前に京都のロボット工場のエンジニアって言っていたな。」 アキラが同意するように答えた。 「うん、なんか言ってたね。そういうこと。」 「呼んできましょう。」 「どこにいるの?俺が行ってくるよ。」 「アキラさん。わたしが行きます。」 龍次は、お兄ちゃんと少女を見て微笑んだ。 「どうもありがとう。後はわたしたちがやります。お腹が空いたでしょう。食堂で、何か食べて行きなさい。」 お兄ちゃんが答えた。 「僕たち、母親が食事を作って待ってますんで帰ります。この次に。」 「ああ、そう。それは残念だ。じゃあ借りだなぁ。」 少女は紋次郎の背中を後ろからポンと叩いた。 「じゃあね、もんちゃん!」 「修理したら、また行きます。」 「待ってるわ。」 兄と妹は、作業所から出て行った。それから、龍次も作業所から出て行った。 作業所には、作業テーブルがあり、椅子があった。 アキラが紋次郎を、じろっと睨んだ。 「紋次郎、座っていろよ。」 紋次郎は素直に答えた。 「はい。」そして、素直に座った。アキラも、もう一つの椅子に座った。 「夏は、悪いことしたなあ。」 「気にしてません。わたしが悪いんです。」 「あんときゃ、生きるか死ぬかだったんだよ。」 「分かってます。」 「ほんとうに悪かった。」 「わたしはロボットです。恨みも憎しみもありません。」 「こんなとっころで逢うとはなあ。」 「そうですねえ。」 「おまえ、なんでこんなところに来たの?」 「修行に来ました。」 「修行?」 「人間の心を知りたくって来ました。」 「人間の心をねえ…、ロボットが?」 「おかしいですか?」 「人間の心なんて、人間にも分からないじゃないのかなあ。」 「弘法大師でもですか?」 「こうぼうだいし?なんだいそりゃあ?川崎大師みたいなもんか?」 「かわさきだいし?」 「お寺だよ。川崎にある。」 「お寺ではなくって、人間です。」 「あっ、そう。聞いたことないなあ。」 「弘法筆を選ばずって言うじゃありませんか。」 「あっ、それなら聞いたことあるよ。」 「その方です。」 「昔の人だろう?」 「はい。約千二百年前の人です。」 「千二百年!じゃあ、もういないよ。来ても無駄だよ。」 「いいえ、今も生きています。」 「また〜〜〜、おまえ、冗談がきついよ。」 「近くで眠っています。」 「眠ってる?」 「眠って生きています。ご飯も、ちゃんと食べて。」 「大丈夫か、おまえ?」 「嘘ではありません、龍次さんに聞いてください。」 「近くって、どこにいるんだよ?」 「転軸山(てんじくさん)の裏です。」 「また〜〜〜。おまえ、どっかで頭打ったんじゃないのか?」 「打っていません。」 紋次郎の目は、いつもよりも青白く冷たく、宝石のように不気味に光っていた。 川沿いの道を、兄と妹は、いつもの歌を歌いながら、仲良く家路を急いでいた。
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